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PARTI
THE BIOGRAPHY


全ての哲学者・聖者の王冠の宝石、偉大な学者ナーローパの不思議な生涯

グルとデーヴァとダーキニーに賞賛あれ。
広大な空間の広がりに1、際限の無い神聖な道に、
気高い統治者であるrDo-rje-'chan (ヴァジラダラ)として具現化したダルマ カーヤ2
空(そら)にある輝く宝石(である太陽)として現れる。
これは五つのサンボーガカーヤを表し、その各々は理性によって会得されるものと、伝達の完全な統一体である。
Shes-rab bzan-po(プラジュニャーバドラ)3のニルマーナカーヤである、その サンボーガカーヤの様々な光線は、
この三つのカーヤに、ナーローパの心の蓮華を開かせた。
口で伝えられた、蜂蜜のように甘い精神性spiritualityである、全てのスートラとタントラの本質を世界中に広めた方に賞賛あれ。
[注1:これは、原語のklon-yansのかなり自由な訳である。klonはサンスクリットのウールミurmiに対応し、波打つ動きを意味する。これは、凍結した絶対的なものである実相ではなく、わたし達の実相に関する全ての経験の中で、波打っている実相に関して、もっぱら使われる。
注2:rDo-rje-'chan (ヴァジラダラ)は、カギュ派とゲールク派の信者にとって、純粋な認識(ye-shes cho-sku,ジュニャーナ・ダルマカーヤ)である、ダルマカーヤを表す象徴である。
注3:この始まりの詩は、マントラヤーナの形而上学的な背景全体を明かしている。]
蓮華と太陽と月の座にいる、恐れを知らぬことの獅子の玉座にいる、
覚者の境地の具現である、ナーローパに賞賛あれ。
彼は基本的な教義と、傷の無い宝石であるNam-mkha'i Snin-po(ガガナガルバ)を解釈し、
最高の名声で賞賛される方々(覚者方)の超越した意識に気付き、
Kun-tu bzan-po (サマンタバドラ)であり、Chos-kyi-gryal-mtshan (ダルマ ヴァジラ)であり、bsTan-pa 'dzin-pa (シャーサナダラ)であるナーローパに。4
[注4:これらは、霊的な発達の異なった段階でのナーローパの名前である。]
蓮華の花の友人であり、光線という飾りで輝く、三つの世界の統治者である(太陽)によって、
阿修羅とガンダルヴァとナーガによって、
シヴァとイーシュヴァラとヴィシュヌと人間と人間でないものによって、熱心に崇拝され、
グルの言葉に従順で、全ての生きているものにとって最高の帰依処であり、
覚醒した者の一族1に属する統治者、
その統治者が、神の王冠の宝石として輝きますように。
[注1:「覚醒した者の一族」とは覚者方の系統である。わたしの「解放の宝石飾り」6頁を参照のこと。]
身体と言葉と思考で、わたしの心の奥深くから、敬虔に、厳粛に、
ナーローパに由来する方々、ナーローパの霊的な信奉者と系統に礼拝いたします。
神秘的な、秘密の、そして明らかにされた資質を備えた、わたしの身体を捧げます。
わたしが無始の時から行ってきた悪業と、これから行うであろう悪業を懺悔いたします。
わたしは、聖者方と一般の人の善行を喜びます。
この世界から魂が無くなるまで、教えが公言され、
そして、その時まで、煩悩破壊を放棄して、覚者方と到達真智運命魂方が、
とどまってくださいますようにと、祈りを捧げます。
そして、わたしと他の者の為した善が、どれほど大きなものであれ、どれほど小さなものであれ、
解脱に変わりますように。
それによって、他の多くの者が恩恵を受けますようにという、純粋な意図から、グルと守護神と全てのダーキニーにお願いいたします。
水滴ほどの僅かなことでも構いませんから、
'Jigs-med grags-pa (アバヤキールティ)2の奇跡と不思議な生涯を、わたしに語らせて下さい。
[注2:これは、ナーローパがナーランダの僧院長の地位を捨て、グル探しに旅立ったときの名前である。]
現世的なものを全て嫌い、全力で究極的なものを探している、
これからの世代が、わたしに耳を傾けますように。
偉大な学者であり、ティローパという高貴な化身の、崇高で気高い霊的な
息子である、ナーローパについての予言が、数多く、わたし達に伝わっています。
rGyal-ba rDo-rje-'chan (ジナ・ヴァジラダラ)はこう歌いました。
彼は、偉大な至福、その崇高な起源であり、解脱に至る道の教師である。
その全ての魂1の最高の守護者は、心の目を備え、敵に打ち勝つ。
彼は、根本的な教えを説明し、もはや現世的なものには戻らない。
[注1:文字通りには、六種類の魂。人間、動物、霊、地獄の住人、神、悪魔。]
rDo-rje rnal-'byor'-ma(ヴァジラヨーギニー=ヴァジラヴァーラーヒー)はこう言った。
彼は、現在、未来、過去の全ての覚者方の父である、
bDe-mchog 'khor-lo2の息子であり、
彼らの母である、rDo-rje Phag-moの息子である。
この二人の息子なのである、栄光あるナーローパは。
[注2:bDe-mchog 'khor-loは、bDe-mchogと'Khor-lo sdom-paという、同じ神の二つの別名の合成語である。bDe-mchogは、サンスクリットのサンヴァラの訳語で、これはsamとvaraに分解でき、「最高の至福」を意味する。'Khor-lo sdom-paは、サンスクリットのチャクラサンバラの訳語で、「チャクラの統合」を意味する。チャクラとは経験の中心点である。***頁も見よ。rDo-rje Phag-mo(ヴァジラヴァーラーヒー)は、チャクラサンヴァラのコンソートである。rDo-rje rnal-'byor'-ma(ヴァジラヨーギニー)としても知られている。ナーローパによって観想された、彼女の特殊な形状は、Naro mkha'-spyod-ma(ケーチャリー)として知られている。絵として描かれたものについては、ラグ・ヴィラとロケシュ・チャンドラの「新しいチベット・モンゴルの神殿」i pl.26を参照のこと。]
'Khor-lo sdom-pa(チャクラサンヴァラ)は言った、
覚者の分散されていない精神性3であるナーローは、言葉で言い表すことは出来ない。
ナーローパは、覚者の境地の完全な化身である。
[注3:spros-bral,ニシュプラパンチャは難しい言葉である。これは想像の上での活動を超えた状態を表している。よって、言葉にすることはできない。しかし、想像の上での活動が無いということは、この状態が何も書いていない書き板であるということではない。むしろ、想像の上で、別々になって対立するようになる内容の全ての総計である。ある意味では、ニシュプラパンチャは、ヴィパシュヤナ(純粋な感覚状態から発達する認識経験)と同義語である。ガンポパは、vii. 13bで、この言葉を、「もはや外的指示対象が無いとき」という意味で使っている。x. 16b等でも同様である。Pantm 4bも見よ。]
ティローパは言った。
わたしは、'Khor-lo sdom-pa(チャクラサンヴァラ)であり、
わたしの生徒は、人間の形状を持った覚者の境地である、
かの崇高な人間、偉大な学者ナーローパは。
また、こうも言った。
聴いた事を全て覚えているナーローパは、
わたしの下に十二年間いた。わたしは彼に、
わたしの究極的なものに対する直感的な理解を与えた。
これからの世代は全て、彼に頼らなければならないだろう、
もし彼らが究極的なものに気付きたいならば。
偉大な学者ナーローパ自身はこう言った。
わたしの心は、完全な覚者であり、
わたしの言葉は、完全な教えであり、
わたしの身体は、神聖な会衆である。
内に三宝が完成したナーローパを、別の所に探すべきではない。
わたしはここにいる。
そして、ヴァジラギーテイーには、こう述べられている。
rDo-rje sems-dpa'(ヴァジラサットヴァ)1として知られている人は、
謙虚なやり方で、教え、生きるべきである、
生きているものの利益のために。
[注1:この文脈では、この言葉は「具現化した精神性」のようなものを意味する。Sphyd 21aでPadma dkar-poは、この言葉を、rdo-rje(ヴァジラ)即ち、人間を構成している関係構造と機能構造(shu, gsun, thugs)は不可分であるという至福は、認識能力(shes-pa)だが、sems-dpa'(サットヴァ)即ち、一緒になった三つの世界は、対象(shes-bya)である、というように説明している。この三つの統合体は変化しない。ここで、Padme dkar-poは、現代の実存主義が、人間の経験は全て、構造においては意図的であると、適切に指摘していることを、先駆けて言っている。ジョン・ワイルドは、「実存主義の挑戦」の189ページでこう指摘している。「こうした関係構造の全ての様相は、客観的なものも、主観的なものも、同じ証拠によって与えられる。主観的なものも否定できないし、客観的なものも否定できない。よって、客体を主体の状態に還元しようとする観念論も、主体を客体に還元しようとする汎客観主義も、排斥しなければならない。この二つは、ある種の意図的構造の中で、一緒になっている。」]
 偉大な学者ナーローパのように、予言を成就させるグルが、覚者と十の霊的レベルの到達真智運命魂の特徴を備えた、霊的教師として現れ、衆生のためにこの世にやって来た場合、最も大切なことは、その人を崇拝することである。
 ナーローパは、全ての衆生の尊敬すべき統治者たる守護者であり、三つの世界のグルであり、三つの時の区分の覚者である。その栄光ある偉大な学者ナーローパの人生を語り、そのナーローパという巨大な功徳の宝庫を描写することは本当に難しい。
 この伝記は三部構成で、外的には、経典を聴いたり、経典について考えたりして、ナーローパがどのようにして教えを身につけたのか;内的には、衰えぬ忍耐力と、秘密のマントラ(注1)の道に入り、究極のものを理解するために、苦難を経験することによって、どのようにして、グルを探して、見いだしたのか;そして、どのようにして最高の悟りを得たのか、について述べている。その三部とは以下の通りである。

I.ナーローパの不思議な、意味ありげな誕生;
II.ナーローパはこの世に嫌気がさし、宗教生活を始める;
III.ナーローパは自己否定という偉大な行いを、特に、マントラの道に進んでから行う。
[注1:ツォンカパ、3.12aとkhas-grup,3. I, 5aには、「これが秘密なのは、ふさわしくない人には、明かされていないからだ、とある。これは、マントラヤーナがよく非難される原因となっている種類の、秘密主義ではなく、賢明な熟考の表現である。有能な外科医の手にあるメスは、役に立つ道具だが、一般人の手にある道具は、人を殺す武器である。]