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生活マニュアル


1996.1作成






目   次


*これは外部に対して漏れることのないよう、厳重に保管してください。

(I)サマナ生活マニュアル
(1)ステージが落ちやすい人、下向しやすい人の特徴……………………………2
(2)グループリーダー、師の危険な徴侯……………………………………………3
(3)いかにして浄化するか。…………………………………………………………
5
(4)いかにして上向の意識を保ち続けるか。………………………………………5
(5)修行ができないとき、調子が悪いとき、いかにして復活するか。…………8
(6)現世の仕事を修行に変容する--変容のヨーガ…………………………………9
 参考:[ワークの意味合い]に関する尊師説法リスト……………………………11
(7)家族・親類・友人にっいて………………………………………………………11
(8)交友関係について…………………………………………………………………12
(9)異性について………………………………………………………………………12
(10)性欲の破戒について……………………………………………………………12
(11)情報………………………………………………………………………………13
(12)公安、マスコミ等の嫌がらせ…………………………………………………13
(13)世間の常識について……………………………………………………………14
(14)外食、供養されたものについて………………………………………………14
(15)その他(お金の使い方、余力の利用、無断外泊について)…………………15
(16)「出家修行者(サマナ)と在家信徒の違いは何か。」………………………15
 参考:[出家の意味合い]に関する尊師説法リスト………………………………17

(U)戒律
(1)一般的な禁戒(サマナマニュアルより抜粋)…………………………………17
(2)ヤソーダラー正大師「戒律の話」………………………………………………18
(3)サマナの戒律に閲する尊師説法…………………………………………………18

(V) サマナの心得
[オウム真理教サマナ心得]より抜粋………………………………………………20
供養(サマナマニュアルより抜粋)………………………………………………20
業財(      〃     )……………………………………………20
参考 [サマナの心得]に閥すぶ尊師説法リスト………………………………21




(I)サマナ生活マニュアル

 これは救財部の経験をもとにし、それに関する説法を加えて今回総務部が作成したマニュアルです。

*今後はこれまでと違い、ちょっと調子が悪くなったからといって安易に修行にこもれなくなるかもしれません。その場合、自己のステージを維持できるかどうかは、あなた自身の日々の修行、日々の生活態度にかかっています。

(1)ステージが落ちやすい人、下向しやすい人の特微(今までの救財部の反省から)

*以下に自分が当てはまると自覚したサマナは、修行・布施・教学に遭進しましょう。

★ふだんから修行しない人
★自己の戒律に関して甘い人(つまり、破戒しやすい人)
★自分よりステージの高い人、師の言うことを聞かない人
★布施をしない人
★要らぬデータを入れる人
★否定的な人、否定的な考え方をする人、否定的な話をする人
★自分で考え込んで師と話をしない人
★一人になりたがる人
★煩悩的な人(欲求が多い人)
★一般の人から食の供養を受ける人

●910619 上向するサマナ、下向するサマナ
 で、まあ、オウム真理教のサマナには二つのタイプがいて、一つは真面目にコツコツと功徳を積み修行するタイプ。もう一つは、そうじゃなくて、現世を一生懸命修習しながら、そして下向していくタイプと。どちらが利益があるかと。それは見てもわかるとおり、修行者として記憶修習続けるならば君たちのもともと持っている叡智というものは増大し、そして必ずや真理勝者となることができるであろう。それは例えば今生できないとしても、いずれかの生に必ず仏陀として再来するだろう。しかしもし君たちがそうではなくて現世へ下向したとしたならば、結局、君たちが否定しようとも肯定しようとも、いずれかの生で三悪趣へ生まれ変わり、特に地獄へ生まれ変わり苦しまなければならない。

●910117 下向について
 今まで多くのサマナが下向しました。そして下向するときは、全力で修行しますといって下向するわけだが、この、ある意味で平安なサマナの空間、この空間でも心の煩悩が出、乱れてる者が、在家へ落ち、全力で修行できるはずがない。そしてみんな苦しむと。これは大きな選択の誤りです。このようなものを解決するためには、しっかりとまず法を学ぶこと。法にのっとり考えること。そして実践することという三つを違成すべきである。つまり四預流支の実践以外あなた方を救済しないんだということをここに言いたい。四預流支の実践は始めであり最後であると。

●890408 成功するサマナの条件
 じゃあ、これをサマナに当てはめてみよう。出家をしたと。しかし、ああ、現世がいいなと。ね。暇を見て、例えば少しぐらいいいだろうと、性的満足をしようじゃないか。あるいは少しぐらいいいだろうと、買い食いをしよう。あるいは少しぐらいいいだろうと、ワークをさぼる。これが九十万の元金を四十五万にして修行していく人のタイプだ。もう一つ、優れた弟子はそうではなくて、俺はこの九十万を決していじらないぞと。この九十万がね、一億円になるまでは決していじらないぞと思って、その九十万を突っ込み、意識を集中する。これが、最も早く成就をする弟子だということになる。どうだ。(中略)
 ではね、成功するサマナのパターンを考えてみよう。ここで言う成功というのは、いち早く成就をし、次の成就、次の成就と上がっていくサマナのことだ。ね。
 このサマナは、こう考えるだろう。今、私の功徳はこれだけある。だから、オウム真理教へ来て、そして修行することができる。しかし、まだ私の周りのサマナの中には否定的な想念を発する人もいるし、言葉に出す人もいる。あるいは破戒をしている人もいる。徳があっても、このように集中できていない人もいるんだ。しかし、私はそうはなってはいけない。この九十万の元金を元にして成功するためには、自分の功徳を元にして成功するためには、注意をしなければならないと。
 例えば、自分の心の中にスキはないかな。自分の心は悪魔に支配されるような要素はないかな。ね。もし、要素があるならば、それは、当然、取り除かなければならないと。
 次に、自分に対して自分は厳しいかな。もし、厳しくなければ、当然それに対して心を集中しなければならないと。ね。
 それから、もう一つだ。いったい麻原は何をすればサマナとして成功すると言っているかな。そうすると、まず帰依だな。帰依というのはいったい何だと。ね。帰依というのはいったい何だと考える。あ、そうか。まず、与えられたワークを集中的に行なうことだ。それは、できるだけグルを意微しながら行なうことだと。ね。
 では、他の条件はないのか。極限まで自分を通い込むことだ。意志を強化することだと。ね。
 では、他の条件は何だ。ないのかと。大乗の道とタントラの道がある。そして、大乗というのは、時間がかかる。タントラというのは、スピーディに結果が出る。それは、ちょうど銀行に預けて利息を稼ぐのと、株で一発勝負するようなものだ。で、当然、株で勝負をする場合、勇気が必要である。そうか。じゃあ、勇気が必要なんだと。ね。
 このようにもし考えたならば、ここにいるサマナは、今生で最高のものを得たとういとになる。そして、このように実践したならば、サマナは今生で最高のものを得、そしてそれを最高に活用したということになる。ね。なぜならば、成就そのものが心にはびこっている魔と対決することだからだ。

(2)グループリーダー、師の危険な徴侯

★利得・供養・名声を求める。
★慢に陥り、慚愧の念を持たない。

●911006 利得と供養と名声による落下
 カルマは、原則としては自分でしょわなければなりませんが、例えば、グルとのパイプ、あるいは高い成就者とのパイプができてる場合、データの入れ替えは起きます。ですから、よく利得と供養と名声によって、阿羅漢に到達した者が落ちるという話がありますが、これは明らかにけがれたデータをまた内在させたために、その光の世界から落ちるわけです。ですから一般の凡夫は、カルマは自分でしょわなければならないと。しかし、オウム真理教の信徒であって、しかもしっかりと教学・ザンゲ、あるいはイニシエーション等を受けてる人は、当然カルマの入れ替え・データの入れ替えは起きるんだと考えていいです。
 ただしそれはあくまでも阿羅漢に到違した人のみが、それを行なうことができることになっています。つまり受想滅を経験した人のみがそれを行なうことができます。

●901122 慚愧の念--修行の大原則
 修行の大原則は、慚愧の念であるといわれています。慚愧というのは、今の自分は駄目なんだと、もっともっと自分を変えなきゃいけないんだと、自分を高い世界に導かなきゃなんないんだという、そういう心をね、内側に対して向け、外側に対して向けることである。そして修行を完成するためには善友と交われといわれています。善友という、ここでいう善友というのは何かというと、法の体現者と交われと。つまり、君たちにはここにグル麻原彰晃がいます。だからできるだけ、ね、その法を聴き、その法にのっとり、その法を友とし、考え、実践することを、今日これから君たち一人一人誓ってほしいと思います。いいね。

●901221 慚愧の念−最終解脱への原動力
 では、どのようにしたら最終の解脱へ到着するであろうか。では、どのようにしたら修行を最終段階までまっとうできるのであろうか。では、どのようにしたら真の聖者となり、そしてすべての魂を本当の意味での真の世界へと誘うことができるのであろうか。これは、まず自己の今の経験、あるいはステージ、こういうもの一切捨てるべきである。捨てるということはどういうことかというと、慚愧の念を持って接するべきである。では、慚愧とは何かと。これは絶えず自分の経験していること、自分の修行、あるいは自分のいろんな性格的、実務的、他に対する優秀性というものを謙虚に受けとめ、そしてこれを、まだまだ足りないんだと考えること。そして、自分の言葉や心や、あるいは行為に対して、絶えずザンゲし、外に対しても絶えず、柔らかく、それをザンゲし表現できるという心・言葉・行為と。これが修行のスタートであり、最後である。そして、それを慚愧の念といっている。

●920421 慚愧の念を持つには
 なぜ、これをわたしが今このような形で話してるのかと。これは実態だからである。そして第三の、真の弟子になるための修行に入らなければならないと。ではそれはどのようにしたらできるんだと。それはそれほど難しくはない。それを達成するためには、まず第一に、絶えず慚愧の念を持っと。「いや、近ごろグルは慚愧の念を持てと言ってらっしゃるけど、何をやればいいんだ」と。例えばヴィシュッダ・チァクラの詞章ここれは小乗のツァンダリーのね、あるいはグルヨーガ・マイトレーヤのザンゲの詞章等を日々口ずさむと。それによってザンゲの基本的なスタイルを自分の内側に根づかせると。
 じゃ、なぜザンゲをする必要があるんだと。それは、絶えずこれが自分であるという見解から、とらわれないことであると。「これがわたしである」ととらわれた瞬間に、それはすでに謬見解を生み出すことになる。ではなぜだと。「これはわたしだ」という実体がこの世の中に存在すると思うか、君たちはどうだ。しかし、「これがわたしである」「わたしの感情はこうなのよ」「わたしの意識はこうなのよ」と思いたがる。どうだそれは。そしてそれにとらわれた瞬間、そこから記憶修習がスタートする、どうだ。だから第ー番目になさなきゃならないこと、それは「これはわたしである、これがわたしの見解である」という、この点から解放されなきゃなんない。そのためには絶えずザンゲの心を持ち続けなきゃならないと。では何に対してザンゲの心を持ち続けるんだと。それは三宝であると。そして三宝の具現化した形であるグルに対して絶えずザンゲの念を持ち続けなきゃなんないと。このザンゲの詞章を唱え続けることによって、君たちは、やっと例えばそうだね、七千回、一万回、十万回と唱え上げることによって、君たちはやっと君たちの心に、「自己を本当に知ってる者はグルである」と。「そして、グルこそが自分を救済する者である」と。「そして自分自身がそれから救済されることは、より大きな、より発展的な、より偉大な自分自身を形成することになるんだ」という認識を持つはずである。

(3)いかにして浄化するか。

★仕事から帰って、疲れたから寝る、というパターンをとっていると、その日に付着したけがれが定着してしまうだけではなく、起きても疲れがとれない。
 寝る前に30分でも1時間でもいいから修行すると、次の日元気に出勤できる。できるだけ激しいものがよい)。
★肉体的な行法(浄化法、ウィンド・トレーニング、ヘラクレス・トレーニング、アーサナ、プラーナーヤーマ、ムドラー、経行等)によってエネルギーを上げると、速やかにナーディーの浄化ができる。したがって、この中で一つだけでも修習し、マスターすると、多大な利益となる。
★シャワーを浴ぴるだけでもある程度浄化できる。帰ってすぐ浴びるとよい。

(4)いかにして上向の意識を保ち続けるか。

★常に尊師に意識を集中し続ける。
★出家修行者としての自覚を持ち続ける。(自分のやっていることが信徒と変わらないと考えたら終わり。)
★普段からできる限り尊師のテープを聞き続ける。
★部屋には常に尊師の声のテープを(小さくでもいいから)必ずかけておく。
★寝ているときもヘッドフォンでテープを聞き続ける
★修行・布施に関する喜覚支を常に行なう。
★ステージの高い人と接する。
★休日は必ず1日中修行する。
★出家修行者としての戒律をしっかり守る。
★祭壇に対する礼拝等の儀式ヨーガ(所作ヨーガ)を取り入れる。これは身の徳行を行なうことになる。祭壇は個人祭壇を部屋の東側に祭り、「奥儀書」に書かれてある儀式を行なう。

●920408 真の友、それはグルのみ
 では、だれと近づけば上流になり、だれと近づけば下向なのかと。一般的にそれはこう考えることができる。自己のステージより上の人と近づけば上流であると。しかしそれは過ちである。なぜならば、真に上流の道を指し示すことができるのは、グル以外存在しない。他の者たちは、そのデータの中の何パーセント、何十パーセントかが上流であって、残りは下向であると。そう考える、強い意志カ存在するかどうかだ。つまり本質的に、グル一本に絞り込むことができるならば、真の友をグルと見ることができるならば、それは、君たちが間違いなく早く最終の地点へ到達する考え方を獲得したことになる。
 別の言い方をしよう。この「グル」とは、グル、そしてグルの説く法則のことであると考えたらよろしい。だから、周りと無駄な会話をするより、法則の記憶修習を一分たりとも怠らず努力する者、この者はより早く解脱へと向かうはずである。

●910512 上向の道、下向の道
 人間には、二つの道がある。その第一の道は下向の道である。第二の道は上向の道である。そしてこの、下向の道、あるいは上向の道を規定するものは、その人が何を対象とし、称賛するかで決まる。
 これは一体どのようなことだろうかと。例えば、ここに修行者がいて、その修行者が食事の戒を破っている人を称賛し、性欲の戒を破っている人をうらやみ、そして、嫌悪や怒り、あるいは自己を表現している人の状態を見てうらやむと。あるいは、戒律に違反してもそれを平然と嘘をつくと。そういう修正をよしとすると。この者たちは邪悪な法の修習を続けることにより、必ずや下向することになるだろう。では、ここにいて、ね、修行者がいて、その修行者が、一生懸命徳の修行を行なっている者、例えばバクティーに集中している者、あるいは人の嫌がるような奉仕活動を一生懸命やっている人、こういう人に対して称賛の心を持つ。あるいは、信徒が一生懸命功徳を積んでいる、あるいは善業を行なっている、そういうのを見て称賛する。あるいは心を静める経典を議み、それに基づいて思索をしている法友を見て称賛する。あるいは、一生懸命ツァンダリーとか、あるいはグルヨーガ・イニシエーションとか、あるいはグルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションのような瞑想をー生懸命行なってる人を見て称賛する。あるいは極厳修行で十五時間、ニ十時間と集中している人を見て称賛すると。つまり、徳行、善行、寂止の行、法行、この四つのわたしたちを上向させる道を歩いてる者を見て称賛する。この人はいずれ大完全煩悩破壊を行なうだろう。つまり、下向の道を歩くのか、あるいは上向の道を歩くか、下向の風(かぜ)を強めるのか、あるいいは上向の風(かぜ)を強めるのかは、君たちの日々の称賛の態度、君たちの日々の心の修習によって決定されるわけである。ね。

●881112 煩悩・苦しみの対処の仕方
 今日からもう一度考えてみよう。君たちは最高の修行をしている。それは、今修行していることによって、ワークをしていることによって苦悩が生起してくる。しかし、その苦悩というものは放っとけば落ちる。それだけではなくて、立位礼拝の詞章という素晴らしい功徳、あるいはワークという素晴らしい功徳を積んでいると。ここでたくさんの功徳を積み、一気に自己の精神的、あるいは霊的、魂のね、進化、これを果たそうではないか。
 できるだけ薄着をし、できるだけ食事をとらず、無駄口をたたかず、ね、自己のカルマと闘ってほしい。今もし、ワークや立位礼拝で煩悩の出ている人はこう考えなさい。ああ、私は今まで覆い隠していた煩悩というものがここに現われたと。これはちようど包み紙に包んでいる、ね、わたしたちの例えば、ね、悪業の飴というものが、あるいはキャラメルというものが包み紙がとれた状態なんだと。いよいよわたしは、わたしがなぜこの世に生まれてきたか、ね、わたしの煩悩の本質というものを見極めることができたと。あとは簡単だと。これが、何日かかろうとも修行によって落ちることはわかっていると。耐えようと。そして、否定的な話をする人、あるいはあなた方に悪い情報を入れる人とは話さないようにしようと。ね、そして、いい情報を入れてくれる人、ね、修行を進めてくれる人と話そうと。あるいは、それすらやめようと。そして、自己の煩悩の落ち切るのを待とう。そして、今の苦悩を喜びにしようと。これによって私のカルマが落ちるんだからと。そう考えて修行をする人はだ、必ずいつかは成就する。そして、必ず自由・幸福・歓喜というものを得ることができる。
 悪友から離れ、善友、ね、法を実践している人と親しくなろうではないか。

●920601 解脱の条件−−喜覚支
(尊師)そして早く解脱をするためには、いくつか条件があったよね。まず第一。
(修行者)喜覚支。
(尊師)喜覚支。第二、
(修行者)現世捨断。
(尊師)現世捨断。このまず二つについて言ったときたいんだけど、苦しくなってから喜覚支やっても遅いぞ。もうそれは苦しみの中に没入してるから、喜覚支の効果はないと思いなさい。だから、普段から喜覚支をやる。これが大切である。いいね。この現世捨断も同じで、もう盗み食いをするようになってからじゃ遅いぞ。いいか。だからそういう性質が出てあたな、と思ってからじゃもう遅いから、あるいは、もう実際問題として無意識のうちにそれをやる段階になってからじゃ遅いから、普段から、この喜覚支・現世捨断を行なうようにしなさい。いいね。

●920927 なぜ喜覚支が必要か
 この奮闘努力の覚醒段階が通過する、次は修行そのものの喜びに変えていく修行が必要です。なぜかというと、わたしたちの超潜在意識は喜びの方向に向かい苦しみの方に向かおうとしないからです。そして、この喜びの記憶修習を行なう、これは修行する前に喜覚支を行ない、修行しながら喜覚支を行ない、修行した喜覚支を行ない、そして自分自身が過去と今とを比較して、これだけ煩悩に強くなったじゃないか、あるいはこういう神秘的な力がついたじゃないかということに対してまた喜覚支を行なうと。これを行なうことにより、修行は明らかに正しい方向に進んでいきます。

●920925広 喜覚支の五つのポイント
 そして、この奮闘覚支の後、次に来るのは、その感覚から離れるときの喜びの覚支、つまり喜覚支ね、が来ると。この喜党支については、だいたい五つのポイントを検討しなきゃならないと。その第一のポイントは何かというと、まず始める前に、例えば先程言った奮闘努カする前に、この修行によって一時的に苦しみは生まれるかもしれないが、しかし、その一時的な苦しみを超越することによって、わたしは感覚から離脱できるんだと。これはなんと素晴らしいことだろうかと、うれしいことだろうかと考えると。ね。そして実際修行を行ないながら、「ああ、今わたしは痛みを経験しているが、この痛みによってわたしは感覚から離脱できる」と。「なんて楽しいんだろう」と、「なんとうれしいんだろう」という記憶修習を行なうと。そして修行が終わった後、「わたしは以前は感覚の喜びだけにとらわれていたが、感覚には苦しみというものが存在するんだということを悟った」と。「これはなんと素晴らしいんだろう」と。またここで喜びを修習すると。そして例えば今まで外的な温度が四七度、四八度しか耐えられなかったのが五○度耐えられるようになってきたと。その三度をまた喜ぶと。ね、つまり始める前、実践中、そして終わり、その進歩を見て喜ぶと。そしてこの喜びは次のステップの土台であるということを考えながらまた喜ぶと。この五つの駁階の暮びを修習するならば、必ずや修行に勢いがつき、そして決して途中で挫折することはないであろう。

(5)修行ができないとき、調子が悪いとき、いかにして復活するか。

★パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションをつける。特に都会は電波等の問題があるので、寝る間だけでもパーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションは必ず付ける。
★決意を聴き続ける。尊師の歌を聴く。
★決意を唱え続ける。尊師の歌を歌う。
★肉体的行法(前述)によって回復させる。
★ステージの高い人と面談・相談する。
★心をこめて布施をする。
★思索して、原因をつきとめ、落とす。(少し高度)

●920922金沢 修行ができなくなったとき。
 かくいうわたしも、シャクティーパットやイニシエーションを行なった後、エネルギーがなくなりデータが変わり、そして修行ができなくなることがある。そのときにわたしは、まず歌を聴き、そして次に決意如意足を聴き続けると。それは横になっているときも、あるいは座っているときも、ずっと聴き続けると。そして、それによりデータが少しずつ入れ替わり、また元の自分の意識状態に戻り、そしてやっと修行できると。しかしわたしはやっと修行できるようになった段階でも修行をせず、ひたすら精進のできるように欲如意足、決意如意足を聴き続けると。そして十分にカを蓄えてから修行を始めると。というのは、やっと修行のできるようになった意識状態になって修行したとしても、力が入らないからである。やはり集中するためには、力を入れて修行するためには、それなりの自分の内側の勢いというものが必要になる。つまり大きな加速度が加わって初めて有効な修行ができるのである。

●920926福岡 歌・決意・教学・瞑想
 人は大変疲れているときに、強い刺激を好まない。それと同じように、心が疲れ切り安らぎを求めているときに、例えば欲如意足のような強い言葉を修習することはできない。したがって、そういうときには、わたしは歌の記憶修習を行なうことにしている。
 もともと段階に応じて修行というのは行なわれるべきてある。この歌の記憶修習がある程度できると、少しエネルギーが蓄えられる。そこで歌から決意如意足、欲如意足へと入っていくと。特に特別教学システムを行なっている人は、一、二、三にある欲如意足、決意如意足、これをね、少なくとも一本百時間以上、まあサマナには千時間と言っているわけだけど、行なうと、非常に修行がスムーズに進むようになると。
 そして、この欲如意足の後、教学を固めると。わたしは自分自身でひと月の計画を立てるとき、ものすごくハードなスケジュールになるわけだが、必ず欲如意足を唱えます。というのは、もともとつきないことを達成しようとしているわけだから、そのためには、それをできるようにするための力が必要であると。そのカこそが欲如意足なんだね。で、あなた方の場合在家にいて、いろいろな刺激、いろいろなけがれた情報を受け取らなきゃならないと。そういう環境にあって修行していることは大変であると。
 その場合、先程述べたまず歌の記憶修習、次は欲如意足の記憶修習、そしてこの後に確定された段階で、意識がはっきり確走した段階で、次の段階の教学へと入っていくと。そして教学がある程度いったら、それを裏づけるためのしっかりとした瞑想、ね、これを行なうと教義全体がスムーズに入るようになる。

●920407 意欲を生み出すためには
(質問者)最近すごくなんていうか、頑張ろうという気がなくなってきているんですけども、ほんとはなんか頑張りたいなと思うんですけどなかなか頑張れないんですけど。
(尊師)簡単だよTさんそれは。それは君が過去において、出家前、出家してから頑張ろうと思った意識が成就してたのが今までで、それがそれからしばらく経って、いろんな悪友と会話をすることによって、堕落した意識をずっと培ってきたことが成就したのが今なんだよ。わかるかな言ってることは。
(質門者)はい。
(尊師)だから、それは今、これから、もうー回向煩悩滅尽多学女として、ビックニーとして意識をしっかり持って、そして「頑張るぞー!」という思念をしたら、これから一カ月後二カ月後には頑張れてるよ。

(6)現世の仕事を修行に変容する−変容のヨーガ

 自分の今やっている仕事に宗教的意味合いを持たせることができます。その方法が、変容のヨーガです。変容のヨーガに関しては、「尊師ファイナルスピーチW」を持っているサマナは、まず「930825詳説・変容のヨーガ」を議んでください。

●9109O5 空の瞑想
 では今の、浦島太郎の例はどうだろうかと。もし浦島太郎が、竜宮城へ行き、歓暮に浸ってるとき、「ああこれは、わたしの功徳の現われである」と、そして「わたしを供養してくれている乙姫さんに感謝しよう」と、そして今自分の味わっているすべての享楽を、わたしに徳を積ませてくれた神々に供養しようと考え、供養したならば、竜宮城で数日間暮らすだけではなく、竜宮城の王となることができたとわたしは考えているんだよ。
 つまり、すべての現象は、その人がどのように考えるかによって結果は違ってくるんだということ、これが空の瞑想の初めであり終わりでもあるわけです。

●931218亀 変容のヨーガ1
 「変容」とは何かというと、例えばあるものを見ると。例としてはリンゴにしましょうと。「ああ、このリンゴ、このリンゴは赤い。そしそ、きっと酸っぱくて甘いだろうと。おいしいだろうと」と考えると。これが一般の見方かもしれない。あるいは、そのリンゴの赤さを見て、「ああ、恋人の頬っぺたの赤さと両じである」と考えるかもしれない。しかし、もしそうではなく、「ああ、このリンゴを、例えば神々に供養しようと。それによって功徳が積めればなあ」と考えたり、あるいは、「このリンゴがグルのエネルギーの入っているリンゴであり、それにより大きな霊的覚醒を得られたらなあ」と考えることができるとするならば、それは同じリンゴを見、そして食べたとしても、結果は全く別のものとなるはずです。

●950118 変容のヨーガ2
(尊師)まず、遊んでいても成就するんだよ。遊んでいても。最終解脱に至るまでは遊んでいちゃまずいけど、マハームドラーぐらいだったら成就するよ。じゃあ、どうするかというと、その遊びを変容すればいいんだよ。例えば、お前はコンピューターが好きだから、コンピューターの本を買い込んできたと。そうするとこう考える。まず、コンピューターの本を三宝に供養する。自分のコンピューターの技術が救済に役立ちますようにと。そしてその自分の知識が、また救済に役立ちますようにと。それを必ず思念した上で行なうんだな。そういう形ですべての遊びを変容させてしまうんだ。そうすると初めは遊びが多いんだが、徐々に遊びが少なくなってくる。そして最後は遊びがなくなるんだ。ところが、そうじゃなくて、もう一つ我(われ)というものを絶えず存在させているがゆえに、マハームドラーを成就しないんだ。

●911229 仕事を変容する1
(質問者)イニシエーションの費用を工面するために働いて修行がままならない場合があるのですが、それについてどう考えたらよいのでしようか。
(尊師)要は心の持ち方だと思うんだね。例えば、わたしが修行に入っているときは、わたしも膨大な借金をしよったわけだけど、ここでポイントになってくるのは、どういう心の状態で生きるかということだと思うんだよ。
 例えば、「自分は必ず今生で解脱したい」と。で、「よって、イニシエーションを受けたい」と。で、イニシエーション例えば受けるど。で、受けたのち働かなきゃならないと。で、昼夜働かなきゃならないと。そのときにね、例えば、「わたしはイニシエーション受けたから今、こうやって昼夜働いてるんだ」と、つまりこれはイニシエーションを成就するために働いてるんだという意識がもし持てたら、それはイニシエーションの瞑想を行なっているのと同等のパワーをその人に身につけせることになる。それだけではなくて、働きが終わって、イニシエーションの瞑想をし出した段階で裕福に、例えば親からの仕送りとかそれだけでイニシエーション受ける人たちに比較するならば、よりその高度な精神的体験というのが必ず起こるはずだね、これは。そういう意味において、いかなる状態であろうとも、すべてを修行に結びつけてしまうような心構えで日々を生きたらいいんじゃないかとわたしは思います。
910630大阪 仕事を変容する2「得する考え、損する考え」(「尊師ファイナルスピーチU」)
930825 変容のヨーガ3(「尊師ファイナルスピーチW」)

参考:[ワークや意味合い]に関する尊師説法リスト
ワークと仕事は違いますが、参考になるところも多いですから、読んでみてください。
(「尊師ファイナルスビーチU」所収)
880831 苦を乗り越えるための修行
880902 集中していたら煩悩は消滅する
880906 修行を成功させるための条件作り
880908 潜在意識、超潜在意識の帰依の訓練
880909 雑念が減り、選択肢が減る(幸福への道)
880911 三つの意識をを浄化する
880919 身・口・意を浄化する
880922 強靭な意志を身につけるための修行
881003 煩悩を見つめる
881104 供養につながる
8811112,881117 カルマ落しと徳を積む
890421 仕事を修行とらえる−−集中しやすい訓練
890427 菩薩の修行
890503 心の供養としてのワーク
890623 グルと弟子のパイプを大きくしていく方法
890709 智慧を磨く訓練の場
891102,891107 不動心を培うための修行

(「尊師ファイナルスピーチW」所収)
880928 六道のカルマを滅する
930816 智慧を磨く訓練の場

(7) 家族・親類・友人について

★本当に必要でない限り親族とは連絡を取らない。縁が深い分エネルギー交換も大きい。
★必要があって実家等に行く場合でも、できる限り供養は受けない、受けたら確実にカルマ交換が起こり、煩悩的になる。そしてできる限り早く家から出るようにする。

(8)交友関係について

★つきあうことによって自分が堕落するような友人(凡夫、サマナとも)とはつきあわない。常に救済というものを前提とした友人関係以外持つべきではない。特に異性の友人は簡単にスヴァディスターナ・チァクラを背景とした関係になるので厳しく自律・自制しましょう。

●920408 どのような者(サマナ)と接してはいけないか
 ではどのような者と接してはいけないのか。それは煩悩を増大させる対象を有ずる者と接してはいけないということになる。まず第一は、例えば、自分自身の好む形状ー容姿を有してる者と。第二は、自分に甘い言葉をかけてくる異性と接する、これは決してやってはいけない。第三は、着物の話、食い物の話、等の外的煩悩を満たすような話をする人と接してはいけないと。第四は、その他の現世的情報を好んで話す人と接してはいけないということになる。これらの者と接するとわたしたちは、知らず知らずのうちにデータがけがれ、そして気づいたときには、その煩悩の修習を無意識のうちに行なっている。

(9)異性について

「異性は悪魔である」。サマナが落ちる最も大きい原因は異性である。よって、異性とは必要以上のことば決して話すべきではないし、引っかかりそうになったときは、ひたすら捨断すべきである。これは凡夫の異性、サマナの異性を問わず捨断すべきである。

●910512 「異性は最大の敵である」
 物に頓着せず、物を欲求せず、食事に頓着せず、食事を欲求せず、ね、異性を最大の敵と見ると。今、わたしたちが奉仕活動を行なっているこの異性、あるいは同性愛の場合は同性だが、同性は、最大の敵であると。これはわたしたちを、まさに魔境に巻き込む敵であると。わたしたちを真理から逸脱きせる敵であると。ね。その対象は、年老いたら腐り、ね、そしてステージが上がれば、その臭みというのは、いかにも耐え難いと。このように考え、修行に集中すると。一心不乱にひたすら、自己のステージを上昇させ、そして高い世界の成就をすると。

(10)性欲の破壊について

★邪淫したなら、仏典によると地獄か五百生の間動物の転生に至ると記されている。せっかく真理に巡り合えたのだから、一瞬の喜びのためにすべてを失うということはないようにしなければならない。もし、そういう状態に落ち込みかけている場合、もしくは、破戒してしまった場合、すぐにできるだけステージの高いサマナ、できたら師以上の方に相談すること。
 破戒した場合、できるだけ早く集中的に修行をすべきである。できれば一カ月以上、修行に入る。

(11)情報

★テレビ、ラジオ、雑誌、新聞、マンガ本等はー切見ない、聞かない。そういうデータを修習しても、真理との縁を傷つける結果しか生じないし、解脱の過程ですべてのデータを消していく必要があるので、解脱への道を遠くするだけであることを強く認識する。
★コンビニエンスストアー、本屋等には寄らない。テレビを置かない。
★尊師曰く「君たちがけがれた情報を入れるから、君たちのけがれによって救済が遅れているんだ」
★「情報捨断はグルの意思」

●930825 外部の情報を入れることは危険
 わたしたちが最も忌むべき対象とは何かというと、知識を多く取り入れみことである。知識を多く取り入れることは、非常に危険を有する。特に外部の情報を入れることは危険を有する。
 多く知識を入れることは非常に危険を有する。なぜならば、「知識」というものは相対的な世界の情報にすぎず、それだけではなく、相い対する知識というものが、教えの中にも多く存在してるからである。したがって、自分の得た知磯の一つをまず経験的に確定させること、これに没頭する。あるいは、いくつかの知識を同時に経験として獲得する遺を選択すると。そして、完全にその経験として知識を獲得できた段階で、次の教えを実践していく。これがまさに、最も早く最終の地点へ到達する道なのである。
 そして、これは瞑想修行を違成すればよくわかることだが、知識そのものは来世へ持っていくことはできない。しかし、瞑想体験によって得た経験というものは、来世のパイロット、つまりガイドとなるんだということをしっかりと理解すべきである。いいね。

●情報−覚者の教えに反するもの
 しかしだよ、この覚者の教えと反対側に位置するものが存在すると。それは何か。それは「情報」なんだね。そして、「煩悩」なんだ。この情報と煩悩が存在する限り、わたしたちは対象を正確に認識することができない。では、どのようにしたらいいんだ。それは、まさに君たちが今ここにこのように存在してるように、サンガの仕組みにすがるしかない。つまり、サンガの仕組みによって煩悩捨断をするしかないんだね、今は。というのは「犬も歩けば棒に当たる」というが、今はわたしたちがどこを歩いても、わたしたちをけがす情報しかないわけだね。そしてそれから抜け出すためには、それと全く別の世界、空間を形成する必要がある。それがサンガなんだ。そこにオウム真理教の真の意味がある。

(12)公安、マスコミ等の嫌がらせ

★「一切相手にしない、話をしない」を大原則とする。智慧と哀れみ(聖哀れみ)をもって丁重にお断りする。
★内部分裂をねらって誤情報を流すことが多い。実際、公安から慣報を収集すると言って、逆に取り込まれ、教団分裂に走る大悪業を積むサマナも出ている。
 相手と対応するだけで相手に大悪業を積ませ、自分も悪業を積む恐れも生じる。
 また、曖昧な情報を耳にしたら必ず担当の人(広報部、法務部、正悟師)に確認をとり、確かな筋からの情報以外はうのみにしない。

(13)世間の常識について

★修行者だからといって、あまり世間の常識と外れた行為は慎む(かといって迎合するということでもない)。
例)外に出るときは汚い服は着ない。玄関の外にあまり物を置かない。玄関を綺麗にし、靴を脱ぎ散らかさない。
★AUMスタイル(ウェストポーチ、カウンター、ウォークマン、蓮華座等)に気をつける。
★ラジカセ、ビデオ等のボリュームは控えめに。大きな音の出る修行は、近所の影響を考えて行なう。
★所構わず、カウンターをカチカチはやめる。
★夜中あまり物音をたてない。夜中まで電気をつけない。深夜の人の出入りは控える。
★近所付き合いは控えめでいいが、不審を抱かせない程度の付き合いはした方がいい場合もある。
★一般の人に対しては、軽蔑の目で見るのではなく、四無量心をもって接すること。

●920407 凡夫とは
 この漢訳で凡夫といってるのは、何も粋別な軽蔑語ではないんだよ。凡夫とは、平凡な人、普通の人、普通の考えの人。つまり、「人間界のカルマにまみれた普通の考えの人」ということを意味してる。

(14)外食、供養されたものについて

★外食は極力避ける。出費がかさむだけでなく、真理に反する凡夫のデータが強烈に入ってくるため、真理の実賎がしにくくなる。
★他の人におごってもらう、何か食べ物をもらうなどの供養を受けることは、外食以上の恐ろしさがあることをよく理解しなければならない。カルマ交換が起こるからである。利得と供養と名声は真理の実践者が最も注意しなければならない修行の障碍である。
★どうしても供養を受けた場合には、喉にグルとシヴァ大神、すべての真理勝者を観想し“供養”する。その後浄化法を行なうとよい。
 また、供養を受けたもの(例えばお菓子、缶ジュース等)は、大家さん、近所の人に配ってもよいでしょう。もしくは師の方に相談しましよう。

●920808 供養を受けなければならないときの身・口・意の働き
(質間者)修行者の気をつけなければならない利得と供養というのがあるんですけれども、供養を在家でとうしても受けなければならないときに、救済を根本として、そのあとの身・口・意の働きというか、その修行はどのように行えばいいのか教えていたたきたいんですけれど。
(尊師)その供養を、心の中で布施をする、これが第一。その供養をもし具体的に布施できるものであるとするならば、具体的に布施をする。これが第二。この二つを行なえばいいんじゃないでしようか。
(質問者)その布施する対象というのは、オウム真理教でよろしいんでしょうか。
(尊師)それはオウム真理教ではなく、それはグルでなければなりません。

(15)その他

★お金の使い方について
 自分で働いたお金だからといって自分のために使うことは出家修行者としては失格である。いったん、全額お布施するか、グループリーダーに渡すかして浄化していただき、必要な分だけ受け取るようにする。自分に必要な分を取って、残りを布施するのは在家の形態である。
 お金の問題を暖昧にすると最も堕落しやすいのて厳重に注意する。

★余力の利用について
 時間があるからといって、用事もないのに街をうろつかない。自分の煩悩も増えるし、破戒する可能性も高くなる。また、どこでマスコミ、公安がマークしているかわからない。彼らのつけ入るスキを与えるだけになってしまう。余った時間があったら、ひたすら修行する(もしくは救済にまわる)。

★無断外泊について
 無断外泊は絶対にしないこと。実質的に下向と同じになる。どうしても必要なときにはグループリーダーの許可を得ること。

(16)「出家修行者(サマナ)と在家信徒の違いは何か。」

 これから予想される状況においては、表面的に出家修行者(サマナ)と在家修行者の違いを区別することが難しくなることが考えられます。その場合の指針として、以下のことを参考にしてください。
 出家とは、基本的に自己の身・口・意のすべでをグルとシヴァ大神に捧げ、その代わりに解脱・悟りを与えてもらうという契約ですから、すべてを捨てて、自己の心の成熟、霊性の向上、そして解脱・悟りの達成を求めて修行に邁進するのがサマナとしての務めです。ゆえに、家族・親族・友人・異性を含めた現世的な人間関係、現世的役割、煩悩を増大させる情報は、必要でない限り微底して捨断すべきです。

@サマナと在家信徒では、戒律の厳しさが違う。
★性欲の戒:信徒の不邪淫の戒は、「愛のないセックスをしてはならない、結婚している者が配偶者以外の異性と性的な交わりをしてはならない」、一方、サマナの不邪淫の戒は「相手を巻き込むような性的交わりをしてはならない、ボーティチッタを漏らしてはならない、異性の体に触れてはならない、心で性的なイメージを持ってはならない」である。
★布施:在家信徒のお布施は、「自分に必要な分を取り、その、いわば余りをお布施する」が、サマナは、「すべてお布施をし、必要な分だけいただく」。逆なのである。
★サマナは親族・友人等と許可なく連絡を取り、あるいは会い、家に行くなどしてはならないが、信徒は自由である。
★サマナは、買い食い、必要のない外食、雑誌等の立ち読み、娯楽施設等の利用はしてはならないが、信徒には特にその規定はない。
★サマナは、許可なく、あるいは必要なくオウム真理教の活動に参加したり、オウム真理教が出している情報以外の情報を入れることはしてはならないが、信徒は自由である。
★その他(後述の「戒律」の項目参照)

Aサマナと信徒では、グルとのパイプの太さ、解脱へのスピードが違う。
★サマナと在家信徒とでは、与えられる法則が違う。たとえば、サマナにしか与えられない「尊師ファイナルスピーチW」に入っている直弟子用の説法、「カーラチァクラ・タントラ」「ナーローパの六ヨーガ」のような秘儀の伝授が随時なされる。
★信徒の場合多額のお布施が必要とされるグルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションを始めとする四つの秘儀瞑想体系やサマナにしか与えられない喜・軽安覚支、欲如意足のような特別な修行法の伝授が、サマナには随時なされる。

B結局、出家修行者であるか、在家信徒であるかは、意識の問題、心構えの問題である。
●920427 出家修行者とは、弟子とは。
 例えば“出家修行者”。出家修行者とは、いかにデータを入れ換え、そして聖なる者へ移行するのかと。いかに自分自身を高い世界へ移行するのかと。それを目指している者、これが出家修行者であると。
“弟子"。弟子とは何かと。これは弟、子供と書くように、父親であり、あるいは兄であるグルに対してしっかりと帰依を培い、そしで自己の最終の目標である解脱へと到達する道を歩く者、ということになる。

●891106 解脱するために
 サマナ生活に入った以上、何のためにサマナ生活に入ったのか。それは、スーパーネーチャーになるために、人を超えるために、人の性質を完全に超えるために、私達は修行者になったのではないか。もし、否定的で現世と同じレベルで生きていくんだったら、それは現世の方が楽しい。おいしいものだってあるし、たくさんの性欲を満足させるものだってある。それをあえて、このようにサマナ生活に入ったということは、心を集中し、思索し、三昧に入り、そして解脱するために入ったのではないのか。

●920407 凡夫とサマナと向煩悩滅尽多学男女の違い
 「あんた方、もっと、楽しみがあるわよ」。例えばここに、クッキーがあると。チョコレートがあると。ラーメンがあると。あるいはなまめかしい女体の写真があると。−−このような、わたしたちをたかだか下位、四番目の人跨の世界に結びつけるような世界へと、意識を結びつけるものに心をとらわれて、それを常識と見、それを豊かと見、それを幸福と見るような人たちに対して、あなた方はしっかりと、正見解によって対応しなければならない。
 そして仏教では、このような人を、漢訳で「凡夫」と訳してるね。しかしこの漢訳で凡夫といってるのは、なにも特別な軽蔑語ではないんだよ。凡夫とは、平凡社にあるとおり、平凡な人、普通の人、普通の考えの人。つまり、「人間界のカルマにまみれた普通の考えの人」ということを意味してる。
 そしてこれは出家したサマナにおいても同じことがいえる。このような思考をなしてる者は、普通の人、つまり“凡夫”なのである。サマナは出家し、サマナ服を着てるからサマナマではない。サマナは先程述べたように、最高の正見解を有する努力をし続けてる者、そしてその経験を、時間がかかろうが一つずつ確実に自分の中で体験していってる者、これが、サマナなのである。
 そして、いろいろな煩悩に対して、いろんなトライの仕方によって、例えば、ヒナヤーナ的トライの仕方、あるいはマハーヤーナ的な試み、あろりはタントラヤーナ的な試み、あるいはヴァジラヤーナ的な試み、あるいはテーラヴァーダ的な試みのいかなる試みでも構わないから、その試みによって自己の煩悩を超越しよう努力をしてる魂、これを、向煩悩滅尽多学男、あるいはこれを向煩悩滅尽多学女というのである。

参考:[出家の意味合い]に関する尊師説法リスト
(「尊師ファイナルスピーチU)所収)
890508 出家の意味
900814 出家者の修行
901202 信徒の修行と出家者の菩薩の修行
(「尊師ファィナルスピーチW」所収)
890104 サマナと信徒の違い

(U)戒律

(1)一般的な戒律(サマナマニュアルより抜粋)

★殺生
★偸盗…他人のもの、経費で購入したものを私物化する。
★邪淫…性エネルギーをロスすること。異性と性的関係を持つこと。異性を性欲の対象と見ること。
★妄語(嘘の言い方)、綺語(軽薄語、ギャグ、うわさ話、悪口(乱暴な言葉、特にステージの高い人に対して)、両舌(中傷の言葉)
★愛着・邪悪心・迷妄
★買い食い
★酒・タバコ・アルコール・薬物等を飲むこと。
★イニシエーション・秘儀の漏洩…イニシエーション内容の他言、無断コピー、無断ダビング、盗み見聞など。
★オウム真理教から出しているもの以外の情報を見る、聞く、読む、話す、イメージする(ワークに必要な場合は除く)。
★自分の見たヴィジョン、体験の吹聴
★無断行動、無断外出、無断外泊
★親族・知人への無断連絡
★オウム真理教以外の活動への参加、仕事
★グル、シヴァ大神、もろもろの真理勝者以外への礼拝、供養、祈願(サマナ同士、信徒とサマナ間も含む)
★ギャンブル、占い
★賛沢な服装、化粧
★故意に隠し財産を持つこと
★一日三回以上食事を取ること
★祭壇に足を向けること
★他人の体に触れること
★男女が同じ部屋で寝ること
★40度以下の水分を取ること
★師以上のサマナが戒誓行の日に食事をとること

(2)ヤソーダラー正大師「戒律の話」(サマナ用新聞「成就に向けて」)より抜粋

★許可無くして説法のテープ起こしをしてはならない。
★特定のサマナへの特定の教えを、グルの許可なくして漏らしてはならない。特に、グルからの口伝は、グルからの指示がない限り一切自分の口から外に漏らしてはならない。
(逆に市販の書籍・ビデオ等になっている内容は、行法以外はよい。)
★イニシエーションの内容についてイニシエーション終了後に信徒が聞きに来ても答えてはいけない。
★サマナ間でのお金の貸し借りはしてはならない。
★サマナは尊師の許可なくして、個人的に信徒の供養や奉仕を受けてはならない。

(3)サマナの戒律に関する尊師説法

●910509 サマナの戒律
 はい、サマナの持戒第一は何だ? 君たちが今実践しているサマナの戒律というものは、もともと二千五百年前にサキャ神賢が在家信徒にお説きになった戒律しかまだ適用させてない。そうだな、どうだこれは。それより重たい戒律があるか何か? どうだ。どうだ。ん? はい、まず第一は、不殺生の戒だな。第二は、不偸盗の戒だな。第三は、サマナにおける不邪淫とは何だ? −−このサマナにおける戒には二つある。その一つは、相手を巻き込むような性的交わりをしないということ。だな、一つは。もう一つは、自分のエネルギーをロスしないということ、だな? 特に前者は問題があると。後者についてば、ザンゲしながらできるだけ落としていかなきゃなんないと。そうだな。なぜかというと巻き込むことによって、他の魂を三悪趣、流転の道を歩かせることになるからである。そうだな、どうだ。次の戒は? 不妄詣、次は−−この綺語の戒はどうだ、守られてるか? いたるところで無駄口を叩いてるような気がするがどうだそれは。次は? この悪口はどうだ。ここの道場が右の気道に傾いてるということは、わたしは悪口の空間だと思うけどどうだそれは。例えば師は、サマナに対して親愛の心を持って接しなければならない。注意は厳しくしてもいいけど、そのとき慈愛がなければならない。あるいは、修行のつきない者に対しては哀れみの心を持たをければならない、どうだそれは。そういう心を持って指導してるかどうかだ。どうだ? 次は? これはどうだ。そして、次は? これ貪りというのは今の現代的な、ていうか、最も新しい訳では愛著、そして邪悪心、そして迷妄の三つだな。これを捨断すると。

●910512 最も称賛に値するサマナ:禁戒・勧戒
 では一体、出家し、サマナとなり、どのような者が最も称賛に値するのかと。まずそれは第一に、奉仕活動を行なってるときは、グルの惑思をしっかり考え、その意思をどのように具体化するかと。それに対しては自己のエゴ、自己の欲求というものを一切捨て、なぜならばここで自己のエゴや欲求を満たそうとするとき、そこで当然徳の消耗が起きるからである。ひたすらグルの説く法を理解し、それにのっとった奉仕活動に集中すると。ね。そして物に頓着せず、物を欲求せず、食事に頓着せず、食事を欲求せず、ね、異性を最大の敵と見ると。今、わたしたちが奉仕活動を行なっているこの異性、あるいは同性愛の場合は同性だが、同性は、最大の敵であると。これはわたしたちを、まさに魔境に撒き込む敵であると。わたしたちを真理から逸脱させる敵であると。ね。その対象は、年老いたら腐り、ね、そしてステージが上がれば、その臭みというのは、いかにも耐え難いと。このように考え、修行に集中すると。一心不乱にひたすら、自己のステージを上昇させ、そして高い世界の成就をすると。
 日々の身・口・意の三つの働きについては、まず身の行ないについては、当然殺生を離れ、そして与えられたもので満足し、ね、先程言ったとおり異性に対しては、微底的に防御すると。言葉においては、周りの人をとにかく穏やかな心にさせる静かで優しく、そして強い言葉を使うと。心の働きについては、絶えず自分の周りの人が早く高い成就をしてほしいなと、早く高いステージに至ってほしいなと、そのように願うと、ね。そして、ワークの合い間になさなければならない修行のときは集中し、これは寂止の行であると、これは、法行であると、これは徳行であると、あるいはこれは善行であるということをはっきり認識し瞑想し実践すると。ね。このような実践をなす者は、サマナとしての見本である。
 そして、この者がすべての魂に対して慈しみを持ち、殺さず病めつけないと。与えられたもので満足し盗まないと。異性については、あるいは両性については微底的にブロックすると。そして真理の法にのっとり語ると。タパコ・酒を離れ、ね、もちろんシンナーやマリファナ等を完全にシャットアウトし、心を絶えず四つの修行、善行・徳行・寂止の行、そして法行に集中すると。ね。そして、しっかりと決められた食亭、一日一食、あるいはステージが低い場合二食に満足し欲求しないと。ね。そして一切の装飾、側えば髪飾りや衣服についても与えられたもので満足し、決して飾らないと。だいたい戒律を守ることのできる人はそれができると。できない人は、必ず、特に女性の場合は口紅をつけたり、髪飾りをっけたり、ねえ、着飾ったり、これが始まる。これをシャットアウトすると。ね、そして、できるだけ粗末なところに寝る習慣をなすと。例えばデザインの場合、いらぬ本は読まないと。編集の場合も同じである、これは。
 こういう出家者の八つの法を実践し、先程述べた四つの修行体系にのっとり、三つの動きを完全にコントロールすることができるならば、−−三つとは身・口・意のことだね、四つというのは、徳行・善行・法行・寂止の行のことだね。ーー必ずや来世君たちは、天へ生まれ変わることになるだろう。(中略)
 つまり、例えば下向する者は、いきなり下向、その道が生起するのではなく、日々の修行において下向の修習をしてるということを認識しなきゃなんない。そして、ステージの上がっていく者は、日々の修行において上向の修習をしているということを理解しなければならないのである。

(V)サマナの心得

(1)「オウム真理教サマナ心得」よリ抜粋

★修行者である限り、他のいやがることを率先して実践し、それを喜びとする。
★グルの弟子であることに誇りを持ち、オウム真理教のサマナであるという自覚を持って行動する(サマナはサマナであるというだけで、信徒全員の手本として見られていることをよく認識しなければならない)。
★自己の発言に責任を持つ(適当な思い込みによる発言、確信のないこと、裏付けのないことは人を惑わす原因となり、周囲に多大な悪影響を及ぼす。正確な情報のみを言うこと)。
★必要なこと以外は話さない(サマナは真理を実践するためにオウムに来ているのだから、真理の話と仕事上必要な話のみして、世俗的な話、ジョーク、軽々しい話は精神レベルを低下させるのですべきではない)。
★優しい言葉使いをする(荒々しい言葉、ぶっきらぼうな言葉、皮肉などは意志の疎通を阻害する。また、感情的になると正確なものの見方ができなくなるので、冷静に相手にわかりやすく話すこと)。
★必要以上の他人の批判はしない(常に自己に厳しく他に寛容になること。他人の欠点はよく目につくが自己の欠点はなかなかわからないし、直すことは難しい。他を批判する前に自己を振り返るべきである。また、批判ではなく相手を心から向上させようと思って意見することはよい)。

(2)供養(サマナマニュアルより抜粋)

 お供物の供養とは、自分が代わりにお供物をいただくことによって、それらをグルとシヴァ大神に供養するという意味合いがあります。したがって、食の煩悩を満足させては、供養とはなりません。お供物の供養は、イニシエーションでもあり修行でもあります。しっかりと精神を巣中して行ないましよう。

(3)業財(サマナマニュアルより抜粋)

 サマナが最低限必要なものを買うためと、布施の実践のために、与えられるものです。最大限の功徳を積めるように、できるだけ使わないようにしましょう。

参考:[サマナの心得]に関する尊師説法リスト
(「尊師ファイナルスピーチU」所収)
891106 サマナ生活の意義
900413 何のために出家したのか
910920 二つのタイプのサマナ

(「尊師ファィナルスピーチW」所収)
890104 サマナと信徒の違い
890406 修行者と凡夫の違い、上向するサマナ・上向しないサマナ、上向させる師・上向させない師、サマナの功徳
920408 サマナの使命、真の友
920515 四つのサマナのタイプ(目標にされるべきサマナとは)