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グルへの帰依の五十の詩

FIFTY STANZAS OF GURU-DEVOTION

グルパンチャーシカー
Gurupancasika

作=アシュヴァゴーシャ
日本語訳=オウム真理教国際編集部





【解説】『グルへの帰依の五十の詩』(グルパンチャーシカー)はB.C.一世紀ごろにアシュヴァゴーシャによって書かれました。このインドの詩人は、アーリヤシューラ、マートリチエータ、パートリチェータ、マティチトラ、バヴィデーヴァ等のたくさんの名前で知られ、クシャン王朝のカニシカ王と同時代に生きた人です。はじめは仏教に対して強く反対していましたが、後に大変敬虔な信者となり、様々な題材に関して多くの作品を遺しました。




世尊ヴァジラサットヴァに帰依し奉ります。


一 わたしが、栄光のヴァジラサットヴァの境地に至るための因であられるお方、グルの蓮華の足元に正しく頭を下げながら、多くのけがれなきタントラの経典に述べられているグルへの帰依について要約し説明します。よって敬意を持って聞くこと。

二 十の方角のすべての国に住む過去・末来・現在のすべての覚者が、最高のタントラのエンパワーメントを授けてくださるグルに敬意を表わしてきました。(よって、もちろん言うまでもなくあなたもそうしなくてはなりません。)

三 一日に三回、最高の信を持って、手を合わせ、花とマンダラを供養し、頭をその足元につけて礼拝し、タントラの道を教えてくださるグルに対して敬意を表わさなければなりません。

四 僧としての戒を受けており、グルが在家あるいは後輩である場合は、世間の軽蔑を避けるために、公共の場においてはグルの経典等に向かって礼拝をすること。しかし、心の中ではグルに礼拝をすること。

五 グルに仕え、グルに尊敬を表わすこと----例えばグルのおっしゃることに従う、グルが入っていらしたときには立ち上がる、席に案内するなど、これらのことに関しては、白分が僧としての戒を受けていて、グルが在家あるいは後輩であっても行なうこと。しかし、公衆の面前では、礼拝、そしてグルの足を洗うといったような、正当でない行為は避けること。

六 グルと弟子の双方の誓いの言葉が崩れてしまわないように、グルと弟子の関係を確立する前に、お互いのことをよく調べること。

七 常識ある弟子は、哀れみを欠く、怒りっぽい、悪意がある、尊大である、所有欲がある、戒を守らない、自分の知識を自慢する----こういった人をグルとして受け入れてはなりません。

八 グルは、その行動において安定しており、言葉において洗練されており、賢明で、忍耐強く、正直でなくてはなりません。自分の欠点を隠したり、持っていない性質を持っているように見せかけたりしてはいけません。また、タントラの意味に精通しており、その医学、そして障害を取り除く儀式のプロセスに熟達していなくてはなりません。また、慈愛を侍ち、完璧なな経典の知識を持っていなくてはなりません。

九 グルは、二つある十の領域を完全にマスターし、マンダラを描くことができ、タントラを説明するための完全な知識を持ち、最高に純粋な信を持ち、自分の感覚を完全にコントロールしていること

一O こんなにもあなたを守ってくださるグルの弟子になって、もしグルを心から見下すようなことがあれば、すべての覚者をさげすんだ場合と同じように、長い間苦しむことになります。

一一 もしあなたが愚かにもグルを軽蔑するようなことがあれば、伝染病にかかり、有害な霊によって引き起こされる病にかかります。また、悪魔・ペスト・毒によって悲惨な死に方をするでしょう。

一二 邪悪な王・火事・毒蛇・水害・魔女・盗賊・有害な霊・蛮族によって殺され、地獄に生まれ変わることになります。

一三 決してグルの心を乱してはなりません。もし愚かにもそうしてしまったなら、必ずや地獄てゆでられます。

一四 超期間地獄、つまり痛みが終わることのない地獄等の恐ろしい地獄のことが教えられるときには、グルをさげすむ者は長い間、この地獄にとどまらなくてはならないとはっきりと説明されています。

一五 よって、その広大な智慧と徳を決してひけらかすことのないタントラのグルを、決して軽蔑することがないように心から努力をしなくてはなりません。

一六 もし注意を怠り、グルに対して不敬を行なったなら、尊敬の念を持ってグルに布施をし、その許しを願います。そうすれば、未来において、ペストのような害に苦しむことはありません。

一七 「タントラの主神と一体であると観想する」と名誉を懸けて誓ったグルに対しては、決して容易てはないけれども、喜んで自分の妻や子供、あるいは自分の命でさえも犠牲にすべきであると教えられています。

一八 このような布施の実践は、熱心な弟子に、さもなくば何百万カルパかけても達成するのが難しいてあろう覚者の境地てさえも与えてくれます。

一九 いつも誓いを守ること。いつも解脱者たちを供養すること。いつもグルを供養すること。なぜならグルは、すべての覚者と同じだからてす。

二O 「覚者の智慧の身体」という尽きることのない状態を達成したいと思う者は、自分にとってよいものや楽しいものは、ほんの些細な心のから最良のものまですべてグルに布施をすること。

二一 グルに布施をすることは、すべての覚者に布施をし続けるのと同じです。このような布施をすることによって、多くの功徳を積むことができます。そして、この功徳の集積から、覚者の境地という最高の力強い達成が訪れるのです。

二二 よって、布施・持戒・忍辱を実践し、哀れみの心を持つよい弟子は、決してグルと覚者ヴァジラダラが異なったものであると見なしてはなりません。

二三 グルの影さえ踏んてはならないなら(なぜならストゥーパを壊したのと同じくらいの恐ろしい結果になるからです)、グルの靴や座を踏む、またぐ、グルの場所に座る、グルの台座に登るなど、もちろん何をかいわんやです。

二四 正しい判断力のある弟子は、喜んで、熱意な持って、グルの言葉に従います。もしグルに言われたことをするだけの知識と能カがないなら、丁寧な言葉で、なぜ従うことがてきないのかを説明します。

二五 力強い到達、高い世界ヘの転生、幸福をもたらしてくださるのはグルです。したがって、グルの言葉から外れないように心からの努力をます。

二六 グルに属するものは、自分の命を守るのと同じ気持ちで守ります。グルの家族には、グルに表わすのと同じ尊敬の念を持って接します。グルに近い人たちには、自分自身の肌をいたわるような気持ちて接します。常に一心に、このように考えるようにします。

二七 決してグルと同じベッドや座に座ってはいけません。また、グルより先を歩いてもいけません。説法のときには、髪を上に結ってはなりません。帽子・靴は脱ぎ、武器も外します。グルが座る前に座に触ってはいけません。また、尊大な態度で手を腰に当てたり、手を握りしめたりしてはいけません(もみ手をして失望・不賛成を示すしぐさ)

二八 グルが立っているときに座ったり、寄りかかったりしてはいけません。また、グルが座っているときに横になってはいけません。いつでも立ち上がって、きびきびと最上の態度でグルに仕えることがてきるようにします。

二九 グルのいらっしゃるところでは、決して唾を吐いたり、手で覆わないで咳・くしゃみをしてはいけません。座っているときには足を投げ出してはいけません。そして、理由もないのにグルの前を行ったり来たりしてはいけません。また決して口答えをしてはいけません。

三O 手足をさすってはいけません。宗教上の目的以外で歌ったり踊ったり、楽器を演奏してはいけません。そしてグルに聞こえる所ては、決していらぬおしゃべりをしたり大声で話したりしてはいけません。

三一 グルが部屋に入ってこられるときには、座から立ち上がり、わずかに顔を下げます。そして尊敬の念を持って座します。夜であるとか、川道や危険な道では、グルの許しを得てグルの前を歩くようにします。

三二 グルのすぐ前ては、弟子は体をねじって座ったり、柱にもたれかかったりしてはなりません。また、指を鳴らしたり、指をもてあそんだり、爪の掃除をしたりしてはいけません。

三三 グルの足や体を洗ったり、拭いたり、さすったり、ヒゲを剃ったりするときは、三回礼拝をしてから行ない、終わった後にも同様にします。その後で初めて自分の身の世話をします。

三四 グルの名前を呼ぶ必要のあるときには、名前の前に「尊師」をつけてお呼びします。他の人の前て敬意を表わすときには、さらに別の敬称をつけくお呼びします。

三五 グルに助言を求めるときは、まず最初になぜグルのところにやってきたかを述べます。そして胸のところで手を合わせ、集中してグルのおっしゃることを聞きます。そしてグルが話し終わられたときには、「おっしゃるとおりにいたします」と答えます。

三六 グルの言われたことなし終わったら、丁寧な優しい言葉でその報告をします。もし咳払いをしたり笑ったりするときには、必ず手で口を覆います。

三七 グルから教えを受けたいと思う場合は、グルの面前で右膝をついてひざまずき、手を合わせてわせて三度懇願します。そして、その教えを聞くときには、飾り・宝石・化粧品は身に付けずに、さっぱりした清潔な衣服を身に着け、尊敬の念を持って謙虚に座ります。

三八 グルに仕えるとき、あるいは敬意を払うときには、決して尊大な気持ちを持ってはなりません。また、新婚の妻のようにおどおどしたり、恥ずかしがったり、おとなしすぎてもいけません。

三九 道を説いてくださるグルの前ては、思い上がった気持ちを持ったり、媚びるような態度をとってはいけません。グルのためになしたことを他に自慢することに関しても、自己の良心と相談し、そのようなことはしないようにします。

四O もし修法、マンダラのイニシエーション、火の儀式等を頼まれたり、弟子を集めて説法をするように頼まれた場合、グルが同じ地域にいらっしゃったら、事前にグルの許可を得ないて、これらのことを行なってはなりません。

四一 「目を開く」と呼ばれている修法等の儀式を行なって供物を受けた場合、そのすべてをグルに差し出します。グルがしるしとしてその一部を取られた後は、残りを自由にして構いません。

四二 グルがいらっしゃる場合、弟子は自分の弟子に対してグルとして振る舞ってはなりません。また、その弟子も、彼にグルとして接してはいけません。したがってグルの前ては、自分の弟子が、自分が入ってきたときに立ち上がったり礼拝をしたりして敬意を表わすのを、やめさせなければなりません。

四三 グルに供養するとき、あるいはグルから何かをいただくとき、良識ある弟子は必ず両手で捧げ、また両手て受け、わずかに頭を下げます。

四四 すべての行動を一生懸命行ない、常に誓いの言葉を忘れないように注意し、留意します。もし法友が正しい道から外れているときは、優しく愛を持ってお互いに注意し合います。

四五 もし病気になって、内体的にグルに礼をすることがてきなくなったり、普段ならば許されないことをしなくてはならなくなった場合でも、心に正しい思いを持っていれば、グルにはっきりとした許しを得ていなくても不幸な結果が訪れることはありません。

四六 これ以上何を言うことがろるでしょうか? グルの喜ばれることはすべて行ない、グルの嫌がられることなしてはいけません。この両方を常に精進することてす。

四七 「グルが喜ばれることなすることによって力強い達成がなされる」、これは覚者ヴァジラダラ自身のお言葉てす。これを知ったからには、身・口・意すべての行為において、グルに完全に喜んていただけるように努カします。

四八 弟子が三宝に帰依し、純粋な覚醒の動機の発願なしたならば、この教本が与えられます。弟子はこの教えを心に深く刻み、自分の尊大なエゴを捨て、グルの足跡に従い、「解脱への段階的道」に沿って修行を進めていきます。

四九 スートラとタントラの両方に共通した、グルへの帰依と段階的道という準備修行を学ぶことによって、あなたは純粋な法を入れるにふさわしい器となります。そのとき初めてタントラの教えが授けられるのです。エンパワーメントを受けた後は、十四の根本的誓いを声を出して唱し、しっかりと心に刻みます。

五O この作品を著わすにあたって、自分自身の解釈を入れるという過ちを犯さなかったがゆえに、これがグルに従うすべての弟子にとって、尽きることのない恩恵を与えるものとなりますように。そして、これによって積んだわたしの限りない功徳によって、すべての魂が、早く覚者の状態へと至ることがてきますように。