Vol.30 「なんじゃ〜こりゃ〜(松田優作風に)! 週刊現代!(2000.5.1)」  

 あらら、今週の週刊現代やってくれますねえ〜
 「オウムがトップ銀行に就職させた美人信者の密命」だってさ。
 まず最初に言っとくが、職場を実名で書くなよな!
 で、この記事に出てくる美人信者、読んでもらえばわかるように、ぐりんちゃんだ(記事では仮名だけど、完全解脱云々というくだりで解る人は解る)。
 まあ個人的にぐりんちゃんはモーニング娘の矢口に似てるし、美人と言うよりはカワイイというタイプなんだけど、それは置いといて、なにこの記事?
 要約すると
「彼女は93年の夏頃から道場に顔を出し、翌年に麻原に声をかけられ、特別在家の一人として扱われ、95年の事件後に入信し、教団でも特別扱い、学生時代は勧誘に熱心、またマスコミや公安とも接触し、教団に情報を提供し、サマナのアジトにも出入り自由、そして上祐の指示で銀行に送りこまれた、ちなみに恋人はニグローダ」
 というところですが
 情報提供者のA氏、記事ではオウムの中堅幹部ということになってるから現役か? おまえ誰やねん? ホンマに実在しとるん?
 まあ、いいけど、かたち上、現役が現役を(A氏が言うように彼女が偽造脱会とすれば)マスコミに売ったということになるが、カナリヤの僕が、カワイイぐりんちゃんを擁護しときますか(すごい構造!)

まず疑問点

 それと記事の中で
 「就職内定後の昨秋にも(完全解脱)のコンサートに出ています」と書いてあるけど、完全解脱のライブは昨年の春以降やってないんですけどね〜、なんや知らないとこで、シークレットライブでもやったとでも言うの?
 ちなみにこのライブの時、ピグモンが荒木君に駅までマスコミから守るため送っても らい「優しかったです、ありがとうございました」とかたわけたことを言っとたけど、荒木君と一緒に会場から出れば、カメラの餌食にされるのはわかるだろ。アホ!!

 おっと話題が・・・
 それとヤキモチからくる愚痴

 まあ「男は顔じゃないよハートさ♪ by田原俊彦」みたいな感じか、でもな〜、沢木に鞍替えしない?(爆)

 しかしこの記事、無記名で書きたい放題書いてやがんな。
 これでまた「マスコミは無責任にアホなこと書いてます、現世って所詮汚れたデータ―に満ちてるんです。真理はここにしかない、だから団結しましょう!」とかいう口実をオウム側に与えてしまいましたね。
 ということで、ぐりんちゃん擁護でした、なぜか?それはカワイイからさ、パンセで一緒に踊ったし、なんて。

 えっ? もし記事がホントで、偽造脱会で密命うけてたら?
 その時はぐりんちゃんに小川直也ばりのSTOをくらわせます!
 しかし、とりあえず僕は彼女を信じたい!
基本的に沢木、人を信じたいというか性善説というか良心に期待するそういう性格。まあそれで、公私ともども、良き事も悪しき事もありますが。  ではっ!!




Vol.29 「マインドコントロール略してMC、これ心理学を学んでる人にはチョ―常識みたいなー(2000.4.29)」  


 最近、西村さんがオウマー日記で茶化してる「マインドコントロール理論」だけど、ついでに沢木も一言。  もともと自分は以前から書いているように「マインドコントロール」よりも「その時々の場の空気の中で主体性を失った自己の無智」の方が問題と感じる、ただしそれは僕個人が感じることであって、だからといって、いろんな被害にあって、そのことを裁判とか公の席で問題にしている人はそれはそれで「マインドコントロール」を問題視するのは別にいいんじゃないという感じですが。  ただ、個別具体的に見ていけばいいと思うのに、「マインドコントロールによるカルト被害者」というのを一般化・平均化しようというのには????? と思うけどね。  例えば、米本和広さんの「教祖逮捕」に対しても反カルトの反応はヒステリックだしね〜  まあちょっと米本さんを擁護する論調で感情的・ゴーマニズム的に言うと
・ブロムリーとルイスの研究はアメリカの研究であり、そのまま日本の状況には当てはまらない。

だったら反カルト側の研究も、やれスティーブン・ハッサンだマーガレット・シンガーだジンバルド―だマデリン・ランドー・トバイアスだジャンジャ・ラリックだと海外研究ばっかじゃねえか!


・日本と事情が異なるアメリカの研究に、日本の人が批判的に研究する必要性はなかった。

だ〜〜か〜〜らといって肯定的なものばっかしやっても、それこそ情報操作じゃん。
 他にもあるけど後はほとんど「米本は統一教会の手先だ」とかいう人格攻撃ばっか。

次にきょんじゃさんのページから

実際にカルトがどの程度「マインド・コントロール」を施していたか、また、メンバー各々がどの程度それに呼応していたかについて、個人差があるのは当然と言えます。そのため、例えば、客観的にもそれほど強い「マインド・コントロール」の影響下に置かれなかった脱会者や、外部からの圧力に比較的強いパーソナリティを持ち、リーダーから同じ要望や叱責を受けても他のメンバーより感応しにくい(気にしにくい)脱会者にとって、他の脱会者のカルトへの批難が被害妄想的なものに感じられることがあるようです。そのため、その人たちが必要以上にカルトに対して責任を問うたり、擦り付けたりしているように見え、『私は「マインド・コントロール」なんかされていなかったのに、あの人たちは極端すぎる』と感じることもあるようです。

別に極端すぎるとは思わないけど、だからといってなんで、そちらの方を一般化したがるのか?
まるで、その人達以外はカルトについて語るな! という感じにも聞こえますが、どうしても被害者にしたい意図でもあるの?
自分としてはカルト問題は「マインド・コントロール」の問題よりも「社会病理」「文明論」の面でもっと見ていきたいんだけど、こりゃ排除されるな。

しかし、その脱会者個人がどう感じるかということと、属していたカルトが「マインド・コントロール」やそれに伴う人権侵害、犯罪行為を行っていたかどうかは別問題であり、後者が客観的に事実であれば、脱会者個人が被害意識を持っているか否かに関わらず、その集団が社会的に問われるべきであるのは言うまでもないでしょう。

それはそうだけど、その割には、「オウムは確かに悪いことをした、けどこんな良いこともあった」とか言うだけで「お前はマインド・コントロールが解ってない」とか言って、全然別問題にしていない、きつねつき研究者もいますが

また、脱会者に「マインド・コントロール」されたという自覚がないことが、「マインド・コントロール」の存在を否定する証明にはなりません。カルトが「マインド・コントロール」を行っているか否かという事実関係と、当事者が「マインド・コントロール」されたと自覚するか否かという認知上の問題とは、別次元のものなのです。なぜなら、先述のように、「マインド・コントロール」はその人の判断力を自覚なしに奪うため、その事実に気付くには適切な情報やガイダンスが必要だからです。

逆に自覚があっても、「マインド・コントロール」の存在を肯定する証明にもなんないけどね、ということで、沢木に適切な情報やガイダンスを。

「マインド・コントロール」の存在は学問上では証明できますが(社会心理学分野では、科学的検証が行われています)、個々人がそれを認知し、自覚するには、その人が置かれた状況によってどうしても個人差が生じるのです。

個人差がでたらそれはもう科学的じゃないんじゃない? 数学や理化の教科書の太い枠の中の公式のように、善人がやろうが悪人がやろうが主義主張が違かろうが同じ結果がでるものが科学的って言うんちゃう?
だから個別具体的に見ろって言うのに、どーしても「マインド・コントロール理論」を定説化したいんでしょうか?
まあ類型化はできるとは思うけどさ・・・

 と、ここまで中学生の反抗期のような屁理屈をこねてきましたが、別に反カルト批判 してるわけでもないし、カルト擁護してるわけでもないしさ。
 ただ、開かれた議論をということで。
ちなみに反カルト側は「創」の室生忠氏の記事に関するアカウントした方がいいんちゃう?
 ということで終わり。

 今回の屁理屈文、その発端は、バスの中で聞いた携帯電話の留守電。
 内輪ネタ、人妻ライター元気かーーー?




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