Vol.28 「世相」 (2000.4.21) |
しかし最近はへんな事件が多いなー。「かちなかた」の事件は別にして、「リス男」「千円おじさん」「5000万恐喝の中学生」「女子高生が父親を刺殺」「沼津の女子高生殺害」。あと、「オバさん二人をドラム缶につめて焼き殺す」というのもこっちではあったが・・
以前、ジャパンタイムスの取材を受けた時
とかいうことも言ったけど、あえなくカットされましたが・・・・・「オウム事件の後、日本人の心の暗部というのが悪い意味で解放されたという気がしますね。人の痛みを感じる心とか、あるいは命そのものが軽く見られてるというか、神戸の少年Aにしろ、和歌山の毒カレー及びそれに続く毒物犯罪、キレる少年などなど・・・・
現役は‘事件は尊師の輪廻を見据えた人類を導く深遠なプロセス’というかもしれんが、逆にみんなの心が宗教・宗教性というものからどんどん離れていってるんじゃないかな? それのどこが救済といえるのか?」
まあ、それはいいとしてだ、まずこの「女子高生が父親を刺殺」から一言(汚物的に)。概要は女子高生の自宅で学校の時間なのに二人で遊んでた姿を見た父親が激怒して二人を殴り、それに怯えた女子高生が父親を刺したということらしいけど、一部の報道によると、この父親は最近は渋々ながらも交際を認めていたということらしいが、この日は激怒したらしい。
まあ平日の授業がある日に、(報道によれば)ウイスキーを買って家でビデオを見てたら、そりゃーカチンとくるかもしれんけど、ここで汚物的に想像しちゃうと、ハメハメ、フェ○フェ○してた真っ最中だったのかな? と想像しちゃうかなー?
まあ弁護士は緊急避難(だったっけ?法律用語)の線で弁護するのかな? しかし、それでも刺すとは・・
次に「沼津の女子高生殺害」
これは桶川に続いてのストーカー殺人だが、こういったニュース聞くと、オウム時代の(といっても別にオウム固有の考えじゃないが)「執着からくる愛情欲求と嫌悪は表裏一体」というのを感じますね。
「愛(←まあ最近は言葉だけだが)深ければ、憎しみもまた深し」といったところか。しかし、それでも刺すとは・・
ただこの二人、10歳も年が離れて、どういう出会いでどんなツキアイだったんだろう。
ここで話題をずらして、「彼氏、彼女」観というのは今はどうなってんの?
最近のコギャルとかは、コンパで知り合って、携帯で連絡とりあって、いろんな所に遊びにいくようになると、もう「カレシー」ってなって、でその後、「3ヶ月つきあったけどー、もう別れた、元カレ!」となる。
でもこれって、梶原一騎「愛と誠」岩清水「君のためなら死ねる」世代の人から見れ
ば、ただの遊び友達ジャン(ちなみに私はもっと後の世代)。
二人の未来を見据えた展望というものがない、それでいてセックスは簡単にする、今が楽しければ良いみたいな、あーでもこういう考えする自分は古いな、化石、オールドタイプだなこりゃ。
ということで話題を戻すと、容疑者は27歳でワリと古い恋愛観を持っていたのかな、あとは独占欲、束縛などそれで被害者は考えがイマドキチックだから「もう別れるー」みたいな感じでジェネレーションギャップが一因としてあるのでは? でもただ単に男が凶悪なヤツだったかだな(同じような前科もあるらしいし)。
ちなみにこの「彼氏、彼女」観のジェネレーションギャップ論争、カナリヤの会合の
飲み会でいろいろ意見が出とったが・・・
で、ライオン丸さんの初恋は結局どうだったんだ?
最後に「5000万恐喝の中学生」
これは私の地元で起きた事件ですが、簡単に一言
おまけに「石原都知事の三国人発言」をオウム的陰謀論で解釈すると、ダライラマとの会談をさせないためにマスコミが仕組んだ陰謀だということになるんでしょうか?「てめえら恐喝した金でソープにヘルスだあ? ふざけんじゃねえぞ!!!!!」(← 半分ひがんでない? 沢木)
ということでわけのわからんエッセイでした。
PS後藤真希、天狗になるな!!
Vol.27 「宣伝!!!!」(2000.4.14) |
(この子らもサリン事件当事はまだランドセルをしょって、生理前で処女だったんかな?)とたわけたことを考えています。
といきなり汚物的な前振りでおっぱじめたけど、今回は宣伝ね。
いつも、おせっかいな書籍情報を書きこむピグモンが今回、裁判傍聴できなかったショックからか(ざまあみろと冷笑すると同時に、これで詳細なレポートが読めないという悲しみに包まれましたが)、「世界」5月号のオウム関連記事のことを書いてないけど。
まあ、それはいいとして、言いたいのはその記事じゃなく(まあこの記事、媒体及び
対談の出席者の顔ぶれをみたら解る通り、岩波チックな内容に仕上がってますが・・)同じ雑誌の後ろの方の「岩波書店 新刊案内」のP25に5月刊行予定の本の中に
「オウム真理教をはなれて」 カナリヤの会編 四六判224頁 18日刊 |
と書いてあるでしょ? その宣伝だ!
と言っても、ばらしちゃうけど、構成は「カナリヤの詩」の手記をベースに、テーマ
事にカナリヤの会のメンバーの座談会ということなので、すでに「カナリヤの詩」を購読している人はかぶっちゃいます(手抜きな本だな〜と思われるかもしれないですが)。
また、ついでにもうひとつアカウンタビリティすると、この座談会も、休眠宣言、新
法逃れの謝罪、上祐出所新法成立、アレフに改名といった流れの前にやったので、そこらへんの流れをフォローしてないという問題点というか構成になってます(というかなれない)。
おおまかな内容は
という構成かな?序章 カナリヤの会
第1章 95年を振りかえる
第2章 オウムの魅力
第3章 オウムの実態
第4章 被害者を前にして
第5章 現在を生きる
まあ、事件前、しかも94年の激動期および事件に至るまでの過程を見ずに、オウムを 抜けて、それでも、ノスタルジーかトラウマがあるかしらんが、未練がましく「オウムには仏教の可能性がある」とかいう幻想に囚われ、でもって公安は恐いから元信者とは言わず、意図的なオウム擁護評論をしている方よりは、是々非々な座談会になってるとは思うんで。
では!!