Vol.24 「愚痴」(2000.3.18) |
という文と、ダビデの図形が書いてあったらしい。「私の名前は門命半諮堂 私は神です 天帝も支配し神の頂点に立つ。さあ大いなる正義のはじまりです」
ところで19日のオフ会、今回は沢木は不参加ですんで、みなさん盛り上がってくだ
さい! 掲示板でその時の様子をお聞かせください!
では! あー今日は集中できん!
Vol.23 「米本和広氏の問題提起について」(2000.3.7) |
P56でと書いてあるけど、これは以前から自分も言っていたことなので・・・・
・みんなが変わることのない「絶対」を求めるから、「絶対者」や「唯一無二の真理を体現した組織」が次々と生まれてくる。「みんな」が「グル」をつくり、グルはみんなの期待に応えてグルらしく振舞う。「みんな」と「グル」は共依存の関係だ。
でもこう言うと自虐的な現役信徒が「いや尊師は弟子を欲しているわけじゃない、ただ救済のためにわざわざ人間界にいるのだ」と言うかもしれんけど、カルマの悪い、魔境の(おっと僕も自虐的)元信徒が見ると
で、その「依存」の問題で
P68でとあるが、その問題と同時に、教義の中に批判力を低下させるシステムがあることにも着目しなくてはならない(これはオウムや他のカルトだけじゃなく「宗教」そのものが内在している問題だが)批判力というのは、「疑問」から生まれると思うのだが、オウムというのは「疑念」というのはスヴァディスターナの詰まり、動物のカルマということでそれだけで「信仰」にとっては邪魔な対象ということでダー‐――メ!
依存度が高まるとそれに反比例して思考力(批判力)が低下するからまやかしに気づかない。
ということで、僕の場合、マインドコントロールを否定すると、「じゃあ自覚的にだまされてた馬鹿」で話しは終わっちゃうですがね、まあかっこつけて「自由から逃走してた」とか言い訳できるんだけど、これについてはまた別の機会に。
なんか話しが逸れてないか? で米本さんの本に話しを戻すと
P278のという意見には賛成というかそうしているつもりなんで(あくまでつもりなんでつっこまないでね)。
・二元論の罠にいかにはまろうが、一つの道を選んだことには自己責任がある。その責任を考えれば、<なぜ入信を決断したか、あのときはどういうことに悩み、何を求めていたのか、なぜ私は周囲の批判に耳を傾けなかったのか、彼らはいかなる手を使って誘いこんだのか、被害者にどうやって責任を取ればいいのか、組織の責任と私の責任との関係についてはどう考えればいいのか、失った友達との信頼を回復するにはどうすればいいのか、など今後の人生を豊かにする教訓が生まれてくるだろう
でも、ちょっと弁護させてもらえば、「マインドコントロールされた! 騙された!」と言ってる人も別に上記のことを考えてないわけじゃないと思いますよ、ただ「マインドコントロール理論」を確立された科学的なものと信奉しすぎてないか? とは思うけど。あっ、でも光言社からマインドコントロール理論の批判本を出した人が、統一教会の裁判の証言に出てこないみたいだけどナンで? 西田さんは出てるのに 自信ないのかな?
最後に
・自分の意見と違うから排除する、異論の排除
・自分に不利なデータは否定する、情報の統制
とかするなら反カルトもやっぱカルト的なものを持ってるんじゃねーか?
ということで、「宗教と依存心」「マインドコントロール」「大脳生理学」についても触れたかったのにできませんでした! 今回はこれまで。