ヴァジラチッタ・ヴァンギーサ正悟師寄稿(※9月17日の第2回シヴァ大神祭の際の説法の一部を文章にしたものです)

○出家の戒律――「具足戒」

 仏教に「三学」という言葉があります。三学というと、聞き慣れない言葉かもしれませんが、これは皆さんよくご存じの「戒・定・慧」のことです。
 今回は、この三学の中の「戒」についてお話ししたいと思います。
 まずは、戒律の種類についてお話ししましょう。
 サキャ神賢真理勝者の時代、在家の戒律として「五戒」がありました。この在家の戒律は、時代が下ると「十善戒」として確立されていきます。
 これに対して、出家の戒律としては「具足戒」というものが定められていました。
 例えば、『ラッタパーラ経』を見ますと、出家を希望したラッタパーラが、サキャ神賢真理勝者に「わたしは出家したいので具足戒を授けてください」と言う場面が出てきます。これに対して、サキャ神賢真理勝者は「両親の許可を得てから来なさい」と答え、ラッタパーラは両親を説得して具足戒を授かる、ということになります。
 つまり、このサキャ神賢真理勝者の時代は、具足戒を授かることがすなわち出家の許可を意味していたのです。
 そして、出家修行者はパーティモッカ――これは「約束維持解放」という意味ですが――という戒本に従って、持戒の実践をしたと経典に出てきます。そしてまた、向煩悩滅尽多学男には250戒という具足戒が、向煩悩滅尽多学女には348戒という具足戒が存在したとされています。
 このように、在家の戒律としては「五戒」「十善戒」が存在し、出家の戒律としては「具足戒」が存在したのです。そして、密教になると、さらに「菩薩戒」と「サマヤ戒」が加わることになります。

○戒律がカルマの制約を取り払う

 次に、戒律の意味合いについてお話ししましょう。
 戒律の意味合いの第1として、戒律とは、傾向の決定、道筋の決定であると言うことができます。
 戒律について考える場合、わたしたちは戒律を制約ととらえるかもしれません。そして、「制約は嫌だ、ご免だ、不自由だ」と考えるかもしれません。しかし、それは間違いです。
 わたしたちは日々の生活において、一見自由に生きているかのように見えますが、それがカルマの制約を受けているということを忘れてはなりません。そして、カルマの制約を受けているということは、無常という真理によって、様々な苦しみが生起することになるのです。
 したがって、苦しみを生起させるカルマの制約を取り払う枠組みが、ここでは必要になってきます。この枠組みのことを戒律といっているのです。つまり、戒律とは、制約ではなく、制約を取り払うための枠組み、カルマの制約から脱却するための素晴らしい実践と言うことができます。
 そして、戒律という枠組みから逸脱しない生き方を行なうならば、わたしたちは高い世界に至ることができます。つまり、戒律とは、神々へ至る道筋を決定させるものと言うことができるのです。

○戒律がプラーナを上昇させる

 戒律の意味合いの第2として、戒律とは、エネルギーの漏れを捨断し、プラーナを上昇させ、高い世界へ至らせるものであると言うことができます。
 まず、戒律というのは、煩悩を弱める実践ですが、煩悩が弱まれば雑念が少なくなり、集中力が高まり、瞑想に入りやすくなると言うことができます。つまり、戒律とは、瞑想しやすい体の状態および心の状態を形成するものと言うことができるのです。
 『沙門果経』には、(1)戒律を守る、(2)諸根の門を守る、(3)精神集中の訓練をする、(4)足るを知る・無欲になる、という四つの条件がそろった段階で本当の瞑想に入りなさいと説かれています。
 つまり、わたしたちが経験しなければならないサマディ・智慧に至るためには、戒律は絶対に欠かせないものであることが、ここからわかるのです。
 また、戒律を守ることによって、わたしたちが蓄えてきた功徳のエネルギー、プラーナは漏れなくなり、高い世界に意識を向けるという戒律の特性によって、プラーナは上昇し昇華していきます。そして、そうしたプラーナの上昇によって、わたしたちは高い世界を経験することになるのです。

○教団の維持に欠かせない戒律

 戒律の意味合いの第3として、戒律とは、教団の法則の保全、真理の教団の維持に欠かせないものであると言うことができます。
 戒律を破っていると、心は煩悩的になるわけですから、貪り・嫌悪・無智が増大し、徳の消耗もなされ、教団内で和合がなされなくなります。こうした教団は、真理と懸け離れたものになり、教団内部の乱れ・争い等によって、教団自体が自壊していくことになるのです。
 また、戒律を破り、意識がスヴァディスターナ・チァクラに落ちてしまうと、布施が受けられなくなります。もし教団がこのような状態になり、布施が受けられなくなったとしたら、教団の経済は破綻し、教団自体が崩壊することになるのです。
 このように、グルのいない教団においては、しっかりと戒律の制定をする必要が生じます。実際、原始仏教教団においては、サキャ神賢真理勝者の入滅前に多くの戒律が定められたとされています。そして、サキャ神賢真理勝者の入滅後、第1回仏典結集において、ウパーリ中心に戒律の整理・制定がなされたのです。
 したがって、教団で戒律を定め、わたしたちがしっかりと戒律を遵守するならば、真理の教えは維持され、教団は真理の実践の場として残ることができるのです。

○今こそ戒律をしっかり制定すべき時

 このような形で教団が戒律を制定しなければならない状況にあるということを話すと、皆さんは「今の教団は末期症状なのか」という疑問を抱くかもしれません。しかし、それはそうではありません。
 と言いますのは、今回皆さんに伝授された戒律は、見ていただければおわかりのとおり、まさに基本的なものであって、細かなものは存在しないからです。サキャ神賢真理勝者の教団においては、ひどいものになると、「チャプチャプ音を立てて食事をしてはならない」とか、「人をくすぐってはならない」とか、「木に登ってはならない」といった細かな戒律が定められたという事実があります。
 皆さんもご存じのとおり、初めは戒律というものはなく、だんだんと出家修行者が増えてくるにしたがって、戒律が定められるようになりました。これは、サキャ神賢真理勝者の教団も、このアレフもあまり変わらないということが言えます。
 しかし、このアレフの戒律の内容を見る限り、末期とは言えません。ただ、今しっかりと戒律というものを制定しないと、この真理の教団を残すことが難しい状態であるということは言えるのではないかと思います。
 今回皆さんのお手元に戒本が渡ったわけですが、この内容を見て「なんだ当たり前だな」と、「知っていることばかりだな」と思うかもしれません。それはそれでOKです。
 また、これを機会に心を改めて、「わたしはこの戒律を守ることによって高い世界に至るんだ。そして、この真理の教団をしっかりと維持するんだ。戒律を受持するんだ」と思ったならば、もっと素晴らしいと言うことができます。
 今回の戒律の伝授をきっかけとして、小さな罪にも恐ろしさがあることを知り、そして戒を守り、サマディに入り、智慧の体験ができるようにしていきましょう。