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◆89/3/2  富士山総本部
「尊師誕生祭」説法

 今日は、ケイマ大師をはじめとする大師方の企画で、このような式典をしていただきまして、「ありがとうございます」と言っていいのか、それとも「大変だなあ」っていうのかねえ。すごく複雑な心境なんだけども。というのは、わたしがここに存在しているということは、そしてわたしがこれから、どれほど長く生きるかということはね、君たちが、わたしをどれほど必要とするかということで決まるわけだ。
 今から二千五百年前、仏陀釈迦牟尼は、高弟の一人、アーナンダという者を一つの指針としたと。この指針とはどういうことかというとね、アーナンダが自分を欲している間は、この世にとどまろうと。そして、欲さなくなったならば、とどまる必要はないと考えたと。なぜ君たちは、アーナンダをその指針としたか考えたことはあるかな?
 それはね、アーナンダと仏陀釈迦牟尼というのは、前生において、親子の関係であったことが何回かあるわけだね。そして、すごくアーナンダつていうのは徳の高い子ではあったけども、現世的であったと。そして、修行者としての質は、あまり高くなかったと。だから、アーナンダが必要なうちは、つまりアーナンダを成就させるための講話ね、説法をし続けるうちは、涅槃することはできないと。そうお考えになったと。
 そうするとね、君たちはこう考えるだろう。「しかし麻原」と。「例えばサーリプッタ、マハーモッガッラーナ、あるいは、ね、マハーカッサパ、あるいは、ね、アヌルッダ、ウパーリといった連中がいるじゃないかと。なぜ彼らのために生き続けなかったんだ」と。あるいは「なぜ、彼らを前にして涅槃したんだ」という質問をするかもしれない。
 それは簡単なことだねえ。アーナンダは現世的に徳が高かったから、例えば、ね、僧衣を五百着布施をさせることができたし、アーナンダの行くところ、女性が、ね、群がったし、そして、布施もたくさん集まったと。しかし、アーナンダは、いまだ真理には目覚めていなかったわけだ。
 ところが、サーリプッタ、マハーモッガッラーナ、マハーカッサパ、あるいはアヌルッダ、ウパーリ、ね、彼の尊者方はだ、釈迦牟尼が涅槃すれば、時を同じくして、あるいは時を若干隔てながらも、次の世、その世界へ飛んでいくことができるわけだね。つまり、サーリプッタ、マハーモッガッラーナとね、釈迦牟尼との関係というのは、時というものが、ね、障害となっていないわけだ。それから次元というものが障害となっていないわけだ。ところが、アーナンダと仏陀釈迦牟尼との間には、次元というものが隔たりとなっているわけだ。
 そして今、わたしの目の前にいる、ね、わたしの優秀な弟子たちとわたしとは、同じ次元に住み、同じ言葉を語り、そして、同じ法を実践していると。しかしもし、あなた方がわたしを必要としないと、ね。現世的なもの、ね、あるいは、わたしが涅槃してくれた方がわたしのためであると、そう考えるようになったならば、わたしは簡単にこの肉体を捨てるだろうと。ね。
 そして、もちろんわたしは、一人ないし二人の、ね、わたしにとっての今生での指針が存在してることは間違いないと。
 仏陀釈迦牟尼の生誕後、いろいろな宗教が生起した。例えば、イエス・キリストを中心とするキリスト教。例えば、マホメットを中心とするイスラム教。ね。このほかに、例えば日本を見るならば、ね、たくさんの宗教が生起したよね。特に仏教系、ね、例えば、日蓮宗、ね、曹洞宗、天台宗といったね、たくさんの仏教が、仏教と呼ばれるものが、この日本に誕生したわけだけども、残念なことに、成就者というものはほとんど出なかったと。
 なぜ出なかったのかね。それはね、今回のスワハー試験の第五番、難問とわたしは言ったけどもね、そこにも書いたけども、四つの柱がオウム真理教にはあるんだ。その一つは何かというと、まずグルが存在してるということ。グルというのは、ね、霊師とか、あるいは導師とか訳されるけど、正確には解脱へ導くことのできる霊的指導者≠ニ、これがグルだ。グルが存在してるということ。そして二番目には、解脱へ至るための、修行システムが存在してるということ。ここには当然三乗があるよね。それは、ヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラヤーナと。そしてそれに付随して、ね、それを支えるものとして七科三十七道品、六つの極限、そして、七つの、ね、詞章というものが存在してると。そして第三番目には、イニシエーションがあるということだね。これは、わたしたちを霊的に向上させるために、ね、不可欠なイニシエーションがあると。しかもそれは、旧態依然としたエネルギー移入ではなくて----旧態依然としたエネルギー移入というのは、エネルギーの限界があるけども----それを増幅し、みんなに与え、そしてみんなが一つの高い世界へ飛んでいくと。そのためのイニシエーションがあると。ね。
 もう一度いくよ。第一に、グルが存在していると。そして第二に、解脱に至る修行システムがあると。そして第三に、イニシエーションが存在すると。そして、第四番目には、矛盾のない完璧な教義が存在していると。この教義は、仏教だけではなくてすべての宗教の、ね、カテゴリーを包含していると。そして、その包含している、ね、教義を見れば、「ああ、この宗教はどのへんのことを言ってるんだな」と、「この宗教は、ここに欠陥があるな」と、「この宗教はここが素晴らしいな」ということが一目瞭然であると。
 そしてあなた方は、偉大な徳によって三乗を備え、四つの、ね、抜きんでた柱を持つオウム真理教に今いるわけだ。「麻原、でもおかしいじゃないか」と。「なぜお前が、その三乗を説くんだ」と。あるいは、「なぜお前が、四本の柱を持っているんだ」と、考えるかもしれない。それは簡単だよって。
 わたしは、マイトレーヤだからであると。ね。わたしは、この二十世紀の後半に登場すべき約束された魂だからであると。そして、君たちの中の大部分は、前生でわたしと約束した人たちだと。そして、一部の人は今生で巡り会っているけど、今生で偉大な功徳を積んで、そしてわたしと一緒に来世転生できるかもしれない人であると。
 君たちの心の中に、例えば、仏像を崇拝する者がいるかもしれない。ね。あるいは、神秘的・霊的なものに憧れてる者もいるかもしれない。しかし、そういうものは、いっさい無意味だと考えなさい。例えば、ここにいるヴィシュヌ神、これはヴィシュヌ神の象徴ね。そして、グヤサマジャ、これはわたしたちの解脱のプロセスを表わしたものであると。そしてここに、シヴァ神の象徴があると。しかし、この三枚の絵は高々が絵だ。これは、単なる絵であって、この絵によって君たちが解脱するということはあり得ない。ところが君たちが、この中にグルを見つめ、そして、シヴァ神を見つけることができたならば、君たちは解脱へ向かう、ね、大きな一歩を踏み出したことになろう。
 日本にはたくさんの仏像がある。そして、その仏像を拝み、十悪をなし、ね、そして三つの布施をなさないで、ね、ほんの少しだけ功徳を積み、地獄・餓鬼・動物へと落ちていく多くの魂をわたしは知っている。
 真に解脱を求めるならば、真に絶対的な自由・幸福を得ようとするならば、一体何が必要なんだろうかと。それは、先程も述べた四本の柱であると。では四本の柱を自分のものにするためには何が必要なんだろうかと。それは帰依の実践であると。そして帰依の実践をすることによって、四本の柱を学ぶことによって、あるいは、四本の柱をね、授かることによって、わたしたちは絶対的な世界へと生まれ変わることができる。
 わたしの生まれてきた世界を簡単に述べるならば、透明な世界ということができよう。わたしがこの人間界に降りるとき、多くのわたしの友が悲しんだ。なぜならば、わたしがこの人間界に降りるということは、生まれながらにして、たくさんの苦悩をしょわなければならないということだ。しかし、降りてくる魂にとっては、そんなことは何の苦痛でもない。なぜならば、苦を味わうこと、苦を自己の中に内在すること、そして、光を吸収できる魂に、光を与えること。真実を与え、真実を照らし出すこと。これがわたしの役割だからだ。そしてこれは、わたしの偉大なる完全なる絶対なるシヴァ神の命だからだ。これはわたしの喜びであり、誉れであると考えて降りてきた。そして、今日この瞬間、すでにわたしは、三十四年という無駄な時を過ごしてしまった。なぜ無駄か。それは、わたしが生まれる前に計画した救済の計画の、まだ半分ぐらいしか終わっていないからだ。そして、今年、一九八九年、君たちがもし真の帰依の実践をし、真に救済を意識し、真に解脱・悟りを意識するならば、わたしの遅れた部分はね、救済の遅れは、必ず取り戻すことはできるんではないかと考えている。
 今日、これを境に、新たにみんなで宣言しょう。一九八九年は、救済の年であると。
 はい。それでは今日、このわたしの言葉はこれで終わります。挨拶しましょう。