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◆89/1/28富士山総本部
タントラの考え方
(前半は2巻に掲載)
もう一つ、ね、昨日のちよっと続きでタントラの話をしようと。
タントラには、左道、右道、中道という三つの道があります。
で、左道というのは何かというと、『超能力秘密の開発法』にも書いたとおり、ね、高い次元の成就が、エネルギーを使って相手を引き上げる高等テクニックであると。
右道とは何かというと、ね、俗にいうところの荒行、苦行、難行を行なうことによって、ね、そして特殊なマントラを唱えることによって、エネルギーを強化、浄化する方法であると。
そして、中道というのは、何かというと、まあ、これは左道ともかなり絡んでくるんだけどね、イメージを使いながら、そして特殊なマントラ、あるいは特殊な瞑想を行って進めていくと。
で、このタントラ・ヴァジラヤーナの特徴というのは、いずれもエネルギーの根源を、ね、グルとします。なぜならば、たとえシヴァ神が存在なさっていたとしても、それをあなた方が見ることはできないわけだし、あなた方が見ることができるのは、ね、この現象界に降りている変化身であるわたし以外見ることができないわけだから、それを根本とすると。
だから、あなた方が成就をするとき、ね、使う瞑想のツァンダリーでは、ね、あれはP、男性にも女性にも変化するんだったっけ、最後は。グヒャサマージャになるときは。それとも、女性は、適当な高いレベルの成就者をイメージして……。T大師どっちでしたか。男女関係ない。うん。うん。うん。あれ、抱き合ってるってやつは、ダーキニーを。ダーキニーと抱き合ってるときには、つまり自分が男性になるのか、女性になるのか。女性は女性、男性は男性か。いずれも男性と。ははははは、はい。
つまりね、根源的エネルギーというのをね、例えば、グルに置くわけだ。そして、最も早く成就するためには、例えば、昨日も言ったとおりね、グルに対して意識を集中し続ければいいと。
現にまあ、君たちも見てわかるとおり、成就を早くしていってる人たちほど、グルに対する精神の集中度というのは、高いよね。はい、そして、ここが一つね、カルマの法則の秘儀があると。
例えば、ここに女性がいてだよ、この女性が、ね、シッシャでもいいし、あるいは大師でもいいし、ね、性的に思念したとしよう。そして、その大師が、例えばつぶれたと。これは悪業になると思うか、善業になると思うか。どうだ。どうですか。P君、どうだ。ならない? ほう、そうか。では、K君はどうだ。……うん。うん。じゃあ、T大師。……そうですね。ところが、ところが、これは最高の悪業になると経典ではうたわれているんだね。その理由はわかるかな。
ところがね、仏典では仏陀に性的イメージをなしたとしても、どこの経典を調べても悪業になるとは書いてないんだよ。さあ、この二つの意味合いはわかるかな。……そうですね。それからもう一つは、ここに大師がいて、例えばその大師を思念することによって、性的イメージでも何でも構わないから思念することによって、その思念した人も引き上げられると。そして、引き上げられるとしたならば、逆にこれは善業になるわけですね、これは。それはだれの善業になるかといったら、大師の善業になるんです。しかし、二人ともつぶれてしまったら、悪業になるよね。これはポワの理論と関係があるんだよ。……
ということは、ここに大師がいて、大師を異性が思念したと。で、その異性が引き上げられたと。そうすると、この大師は善業を積んだことになるか、悪業を積んだことになるか。----ところが、大師が変なイメージに引きずられて一気に引き下がったと。これは? この異性は?
----つまり、カルマの理論の根本にあるものは、ただ一つなんだよ。相手を高い世界に引き上げる、これは?----善業であると。相手を低い世界に引き下げる、これは?----だとしたら、ここに仏陀がいて、この仏陀に対して、ね、例えば、これは女性の仏陀かもしれない、男性の仏陀かもしれない、ね。性的イメージであろうと、あるいは執着であろうと、あるいは何でも構わないから、絶えず思念し続けると。そして、その人の修行はどんどん進んだと。これはどうだ、悪業になると思うかならないと思うか。----悪業にならないよね。
で、ポイントはね、今日なぜこういう話をしてるかというと、仏典でも警告をかなりしてるんだね。つまり、仏陀釈迦牟尼の弟子たちは、なかなかハンサムな弟子が多かったから----これは今のオウム真理教の、ね、シッシャも同じだね----なかなかハンサムな人が多いから、そうすると、「ああ、あの人素敵だな」と思念すると。ね、特に性的なイメージを持つと。そうすると、その人たちは悪業を積んだことになるんだね。で、もしつぶそうものなら、その人たちの人生というのは、悲惨の一途をたどることになる。わかるかな、言ってることは。
ところが、もし、ね、例えば絶対に崩れないような大師、あるいは、ね----まあわたしが崩れないと仮定したならだよ。崩れたら終わりだけど----絶対に崩れないような、ねえ、まあわたしが崩れないとしたならば、尊師を意識したならばどうなると思うか。ね、それはオウム真理教の功徳になると。あるいは、わたしの功徳になると。そして、それだけではなくて、ね、イメージした人、意識した人も修行が進むわけだから、お互いが利益を得るわけだね。いいですか、ここまでは。
よって、タントラの教えというのは深遠であるといわれるわけだ。つまり、単純ではないんだね。観念的じゃないんだよ。つまり、AイコールBではないんだね。例えば、AがBだからCなんだと。DでもBになればCになるんだと。これがタントラの教えです。そして「ヒナヤーナとか、マハーヤーナの教えは、それに比べたらすごくわかりやすいよね。だから、タントラ・ヴァジラヤーナの修行者は、まず知的でなければならないと。相当に頭が良くなければならないと。そして行動力がなければならないと。ね。いいですか。
はい、ではね、これから詞章に移るけども、よく今日話した初めの二つ、四つの如意足の中のね、欲如意足、あるいは精進如意足について考えよう。そして、タントラ・ヴァジラヤーナの世界について考えよう。
そして、わたしはタントラは無理だという人は、それで構わない。ね、その人は、小乗からゆっくりやっていけばいいわけだし、ね。あるいは、わたしは、ね、自分のためではなくて他のために修行したいと。しかし、タントラ・ヴァジラヤーナというのは向きではないという人は、大乗を歩けばいいと。いいね。
しかし、わかるだろ、このタントラの世界というのは、すごく複雑で、しかも神秘的だよね、そう思わないか。