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◆89/1/2 富士山総本部
大師----シッシャの宝

 シッシャの制度について、一つね、誤解してるところがあるから説明しとかなきゃなんないうがある。それはシッシャにとって、スワミというものは大師ではないってことだ。つまりシッシャの延長上にスワミはあると。だから戒も、シッシャと、それからスワミの戒は同じであると。これは、十月だったっけA。説法でなあ、十月ぐらいの説法聞いてる人はわかるはずだ。ま、君たちが、ね、シッシャになって、そして、クンダリニー・ヨーガを成就してやっと、ひとり前と認められると。
 まずこれはいいね、みんな。
(一同)はい。
(尊師)だから今、ラージャ・ヨーガの成就者は、クンダリニー・ヨーガの成就を目指して、全力で修行しなきゃなんない。そしてね、一つね、これは今日、君たちにプレゼントしよう。それは、神通には二つの表現方法があるということだ。一つはエネルギーによって、つまり空間を変えて神道を現わすと。これはラージャ・ヨーガでもできないことはない。しかしそれも、念じ続けてる間はそれができるけど、そのあとは無理だってことだな、当然。エネルギーが元に戻ってしまうから。もう一つは、心の浄化によって起きる神通がある。ね。これは何かというと、ここに鏡があったとして、その鏡がもし透明だったならば、すべてをありのままに映し出すことができる。わかるね、言ってることは。
(一同)はい。
(尊師)そして、後者の神通の方が高い。レベルは。念力なんていうのは、初歩の初歩、カスみたいなもんだ、神通力の中では。いいね、これは。
(一同)はい。
(尊師)そしてシッシャが目指さなきゃなんないのは、心をクリアにしていくプロセスの、クンダリニー・ヨーガ、マハームドラー、大乗のヨーガのプロセスだ。だから、ね、ラージャ・ヨーガというのは、シッシャにとってはあくまでも力試しみたいなもんだ。いいね。
(一同)はい。
(尊師)それから、もう一つ。シッシャの間で大師の批判をしたり、あるいは、大師が意味もないのに、シッシャの、ね、批判をしてると、もししたならばだ、それは正しくない。なぜオウムがこれほど急速に発展し----そしてこれはね、十二月、大阪に行っての話だけど、わたしに信徒の人がね、「オウムはすごい」と。なぜかというと、わたしたちは無理だと思ってることをね、どんどんどんどん達成していくと。それができるのは、心の現われ、すべての現象というものは、心の現われであることを君たちは意識しなきゃなんない。そして、すさんだ心は、その人を破滅、地獄へと導く。そして豊かな心は、創造、ね、あるいは浄化、そして成就へと導く。少なくとも君たちはわたしの弟子として、今ここにいるわけだから、前者の道を歩いてはならない。そして大師は、シッシャを慈しまなきゃなんないしね、それは慈しみの中には、厳しさも必要だと思う。逆にシッシャは、自己もいすれ大師になるんだということを意識しなきゃなんない。そして今日のね、イニシエーションでもわかるとおり、大師というのは、少なくとも霊的な面においては、尊敬に任する者であると。そして、オウムの活動においても尊敬に値する者であると考えなければならない。つまり君たちの宝だ。シッシャの宝だ。
 そう言うと言うかもしれない。「いや、わたしたちにとっては、宝ではない」と。しかしもし君たちがだよ、わたしに至る途中の過程の大師を否定するとしたならば、君たちは結果的にはわたしも否定することになるよね。どうだそれは。分かるかな、言ってることは。
(一同)はい。
(尊師)つまり過程だということだ。そして、人間が解脱していく----解脱というのは何かというと智的な進歩、ね、智的な進歩とは何かというと、知識ではなくて、その人の持っているキャパシティーね、能力。この、能力の増大といってもいいかもしれない。神通もその能力に入るからね。その能力の増大そのものを否定するとしたら、君たちは落下するしかない。そして、落下して行き着く先は、三悪趣だ。もし、シッシャの間で、ね、大師の批判をしてる人がいたら、その人には、焚壇罰をくらわそう。いいね。焚壇罰ってわかるかな。一切、話しかけないってことだ。無視だ。
 つまりなぜかというと、害虫であって、少しもわたしたちに利益を与える者じゃないからだ。もし、大師の中で、納得できないようなことがあったら、それは、ケイマ大師に上げるか、あるいはわたしに上げなさい。検討しよう。いいねこれは。
(一同)はい。
(尊師)君たちはまだ無明の中にいる。無明の中にいるということは何かというと、何もわかってないってことだ。何もわかっていない状態で、人を批判してはいけない。批判をすることによって、君たちはまた新しいカルマを積み、そして、真理から遠のいてしまう。それを意識しなければならない。いいね。
(一同)はい!
(尊師)原則としてわたしの言いたいことはそれだけだ。もう一度繰り返すと、まずスワミは、オウムでは大師ではないってことだ。もちろん、一歩踏み出してるとはいえるかもしれない。しかしあくまでもそれは一歩だ。ラージャ・ヨーガからクンダリニー・ヨーガに至る道は長い。特に、君たちは気づいてるかどうかわからないけどもね、心の状態を見て、わたしは成就というのを断定している。君たちの心の中には年齢的なもの、あるいは社会経験的なもの、そういうものでね、この人は人格者なんだとか、あるいはこの人の方が大師より上なんじゃないかと考える人がいるかもしれないけど、実際カルマの法則に当てはめ、そして、六道をどのように転生するか見たら、その法則が当てはまらないことがわかってくる。そしてわたしはその法則にのっとって、大師を誕生させている。だからもちろん、『生死を超える』に書いたとおり、六神通のプロセスも大切だけど、もう一つは心がね、どれほど成熟してるかだ。
 例えば今の大師方は、わたしがもし、強烈なマハームドラーをかけて、いじめたとしてもだ、つぶれることはほとんどないだろう。しかし今のシッシャは、もしわたしが本気でマハームドラーをかけたら、三分の一になってしまうだろうね。それほど心の強さが違うってことだな。そして、輪廻転生を行なうとき、必要なのは心であると。
 スワミ、大師は別にしてね、シッシャに聞こうじゃないか。批判するとき、心は強い状態であると思うか弱い状態であると思うか。どうだ。強ければ批判すると思うか。しないと思うか。
(一同)しない。
(尊師)そこを理解すべきだ。いいね。
(一同)はい。
(尊師)そして君たちは、わたしの弟子になったということは、心を強くするために、そして成就するためになったわけだから----そうでしょ。そういう自己にマイナスになること、悪友に接することをなしてはいけない。いいね。