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◆88/12/27 富士山総本部
シッシャの素晴らしさ
※非常に聞き取りづらい
君たちにね、今日は一つ、話のポイントがある。それは君たちがいかに功徳の高い人たちであるか。そしてシッシャという者がね、いかに素晴らしいかということを話しておかないと、君たちの心にすぐ魔がつけいり、そして苦しんで挫折し、ね、来世三悪趣に生まれ変わるかもしれないから、ここでちょっとね、認識をさせておかないといけないと考えたので、緊急にね、君たちに説法したいと考えました。
まず、君たちに聞こう。わかった人は声を大きくあげて答えてくれ。いいかな。
ここに魂があると。この魂が大変な悪業を積んだと。要するに周りの人を不幸にする、あるいは自分も煩悩だらけで周りの生き物たちを苦しめる、ね。相手を破壊する。ね、こういうことを含めて悪業を積んだとしようじゃないか。じゃあ、それを生んだ親という者は、これは善業を積んだことになると思うか、悪業を積んだことになると思うか、どうだ。
(弟子たち答える)
(尊師)悪業だね。じゃあ、その親を生んだ親はどうなる。----こういうかたちで、七代の、俗にいうところのご先祖様方のカルマが、ね、逆転して悪業を積むことになる。じゃあ逆にだ、ここに魂があって、この魂が真理に生きている、そして真理を実践し成就し、すべての魂に利益を与える、すべての魂に、ね、素晴らしい世界を形成させると。こういう魂があったとしよう。これを生んだ両親という者は善業を積んだ形になると思うか? 悪業を積んだ形になると思うか?
(弟子たち)善業です。
(尊師)そのとおりだ。じゃあ、この魂を生んだ親の親はどうだ。
(弟子たち)善業です。
(尊師)そのとおりだ。このときもやっぱり同じように七代のご先祖様の魂が浄化されると。ということは、この世で最高の親孝行というものは一体なんだということになる。
(弟子たち答える)
(尊師)修行し、出家し、成就するんだね。じゃ、在家の成就者とシッシャが成就する、ね、意味合いと違うな、M? 在家の成就者と、シッシャとではどちらが救済活動のお手伝いができやすいと思うか。
(弟子たち)シッシャです。
(尊師)一日二十四時間すべて、シッシャとして、ね、そして救済を意識して救済活動ができるわけだね。じゃあだ、今君たちは功徳を持ち合わせていると思うか、持ち合わせていないと思うか。
(弟子たち)持ち合わせていると思います。
(尊師)そうだね、大きな功徳を持ち合わせていると。まずこれを第一に理解しなければならない。そして今日からの修行は自分だけのためではなく、それは人類のためである、それはすべての魂であると、考えなければならない。いいかここまでは、まず。
(弟子たち)はい。
(尊師)じゃあ次にだ。成就というものが必要なんだな。そして、ここに凡夫の生活というものがある。わたしたちを構成しているものは、情報だと思うか情報じゃないと思うか、どうだ。
(弟子たち)情報だと思います。
(尊師)じゃあ、君たちがシッシャとなってより高いシッシャと交わること、これは成就するための素晴らしいデータ、利益があるデータをね、入れることができると思うかできないと思うか。では、凡夫の生活をしてたらとうだ?
----できないよね。それは例えば一週間のうち一回オウム真理教に顔を出す、あと六日間は凡夫の中にまみれて凡夫の生活をしている。これはどうだ? どちらのデータが勝つと思うか。
(弟子たち)凡夫のデータです。
(尊師)そうだね。だから、ね、釈迦牟尼も良き友と交わりなさい≠ニ言っているわけだ。そして良き友≠ニは何かというと真理を体現している者、だからあなた方にとって最高の友はわたしであると。そしてあなた方がわたしを信じ、わたしを根本とし、真理を実践するならば、必ず光の世界に没入できる。必ず太陽の(もと?)となることができる。必ず真理の体現者となることができる。どうだそれは。素晴らしいことだと思わないか。だとするならば、今もちろん苦しみがあったとしても、ね、あるいはある人は大きな苦しみがあったとしても、それは耐えるに値すると思うか、値しないと思うか。
(弟子たち)値すると思います。
(尊師)値するね。それから今もう一つだ。もし今わたしたちが、今苦しんでるということから逃れて、ね、享楽にふけったとしようじゃないか。わたしたちの苦悩のデータというものは消滅すると思うかしないと思うか?----ということは、享楽にふけってごまかし、ね、苦しみのデータがどんどん放り込まれた結果、わたしたちは次の世は何になるんだ?----三悪趣だね。そのとおりだ。では、こういう質問をした人がいる。しかしそれはわたしにはわからんと。でもだよ、例えばここでシッシャ見習いとして来たあなた方の中にだ、立位礼拝がそれほどつらくないという人もいれば、あるいは大変つらい人もいるだろう、ね。修行が進んできてシッシャに立位礼拝をやらせると気持ちがいいという人もいる、ね。これはどういうことだ? 行法のかたちは変わらないよね。立位礼拝というかたちは変わらないでしょ? どうだこれは。しかし、各々の経験していること、各々の、ね、感覚というのは違うよね、どうだ。じゃ、この違いは何から来てるだろう、どうだ。----みんな(カルマによって?)存在してる。そして、今君たちが苦しんでることは君たちに利益を与えると思うか、利益を与えないと思うか。
(弟子たち)利益を与える……。
(尊師)利益を与えるね。なぜならば今君たちは、ね、立位礼拝によって苦しんでカルマを落としている。そしてそれだけではなくて、君たちが詞章を唱えることによって、グルを観想することによって、シヴァ神を思い起こすことによって、君たちはイメージにおいて功徳を積んでいるわけだね、どうだこれは。だとしたら、君たちが今の修行に励むこと、全力を集中することは君たちに、ね、利益を与えると思うか与えないと思うか。
(弟子たち)与えます。
(尊師)全力でやろうじゃないか。そして君たちの持っている、ね、素晴らしい素質、君たちの持っている素晴らしい功徳というものを、ね、この種子をだ、成長させ、ね、大輪の花を咲かせ、その花を見て地球中が歓喜し、真理の世界に導かれるように努力しょうじゃないか。どうだ。
(弟子たち)はい。
(尊師)よし。じゃ、今日からの修行は君たちだけの修行じゃない。これは君たちの家系、そして君たちの、ね、縁のある人たちを救済するための修行であるということを意識して全力でやんなさい。いいね。
(弟子たち)はい。
(尊師)よし、終わりにしよう。
全力で頑張んなさい。いいね。
(一同)はい。ありがとうございました。