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◆88/11/8 富士山総本部
密教の七つのプロセス----最高の条件のもとで

 前回話した、密教的な成就に至る七つの条件。これみんな覚えてるかな?
 はい、まず第一に礼拝。第二に供養。第三にザンゲ。第四に賛嘆。第五に哀願。第六に……そうだね、六番目は涅槃をしないように懇願するということだね。そして第七が発願、回向だね。ん。この七つ、もう一度言う----新しい人がいるかもしれないからもう一度言うと、第一は礼拝。第二は供養。これ、要するにグルに対する布施・奉仕のことを表わしてるね。そして第三は心の浄化を行なうためのザンゲ。第四は何だったかな、この賛嘆の意味は? これを聞いたことがある、じゃあボーディサットヴァのKさんに言ってもらおうか、全部ね。
(K)一つはグルは偉大、いかに偉大であるか。そして、
(尊師)一からいこう。はい、礼拝から。
(K)あ、一つずつですね。はい。礼拝・布施・供養ですね。謙虚な心を持つザンゲ。四番、賛嘆。五、哀願。六、グルに対する、真理の法を展開してくださいと言って涅槃をしてもらいたくないということを願う、グルに対して。そして七番、他を利すためにやると……大乗の発願、回向ということだったと思いますが。
(尊師)いいね、もう一回いくよ。一が礼拝。二が供養あるいは奉仕や布施と。そして三番日がザンゲ、ね。そして四番目が賛嘆、ね。それは真理の法はすごいと、素晴らしいと。これあのね、順位はね、一番目から七番目まであるわけではなくて、一番目と七番目が固定されていて、あと二、三、四、五、六というのは連続で起きます。連続というか平行して行なわれると考えてよろしい、ね。そしていいですか、……だから例えばね、この二番あるいは四番あるいは六番が順番が入れ替わったとしても、それは気にする必要がない。というかすべての要素だからね、これはね。ただ初めに帰依のスタートである礼拝から入らないと結果は出ないということだね。なぜ結果は出ないかというのは、帰依の実践のスタートは礼拝であると。なぜかというと、その者に対して身を委ねるための修行が帰依の修行だからね。いいかな。
 じゃああれだ、もう一回この七つをね、次は、Kさんが淡々と言葉だけ並べたんで、じゃケイマ大師に説明してもらおうか。
 そして今日話すこの七つの条件、七つの修行法というものは、ね、この前も言ったとおり、大乗仏教の六つの極限、あるいは阿含仏教のね、七科三十七道品、その根底をなす八正道、四諦八正道のね、苦・苦の生起・苦の滅尽・苦の滅尽に至る道と、正見・正思惟とくる、この四諦八正道と、ね、同じだけの、いやそれ以上の力があるということだね。
(ケイマ大師)はい。まず一番に礼拝です。これはオウムでは立位礼拝をやっていますけれども、グルに対する信と帰依を培うための礼拝、つまり、礼拝の形をとることによって、心、自分すべて、自分自身のすべてをグルに明け渡すことができるようにと願って帰依の心を養うと、ということが礼拝だと思います。
 そして二番、供養ですね。で、これは同じようにグルとシヴァ神、ま、グルに対して自分の持ってるものすべてを捧げる、つまり布施・奉仕ですね。そして自分自身の極限まで……自分自身をすべて、最終的には供物として捧げられるぐらいの気持ちを持って供養する、行なうと。それが二番です。
 で、三番目のザンゲ、これは自分自身の身・口・意に対する行為と言葉と心の行ないにおいて、自分が振り返って、過去において悪いことをしたこと、悪いと思ったこと、それから隠していたこと、それから隠してはいないにしても言っていないこと、聞かれないから言わないことと、すべてを含むけれどもこの三つに対して、身・口・意に対して、自分が今まで行なったこと、口に出したこと、心で思ったことをすべて告白して、それを心から二度とその行為、二度とその行ないを行なわないという心を込めてグルにザンゲする、それがこの三番です。
 そして四番の賛嘆。これは真理は素晴らしいと。つまり今生わたしたちは真理に巡り合っていて、この真理に巡り合ったことを心から喜ぶと。つまり、もう本当に数限りない生を生きていて、本当に真理に巡り合う、真理の法に巡り合う、そして真実のグルに巡り合うことができたということを心から喜んで、その貴重な機会を逃さないようにと願う心です。
 五番、それは哀願です。これはグルが真理の法を説いてくださるのを心から喜ぶと。つまりグルが説いてくださる法は本当にありがたいと、そして今後わたしたちに真理の道を示してほしいと。ということをグルに対して願うということだと思います。
(尊師)はい、いいよ。
(ケイマ大師)はい。
(尊師)今のケイマ大師の四番目までは、完全だと思うね。で、五番目のその哀願というのは、今ケイマ大師の言ったのに少し付け加えなきゃなんないけども、それは、自分たちがその真理に巡り合うということはすごく珍しいと。そして成就していける道、それに入れたということは素晴らしいと。で、ポイントはここだね。つまり目の前にいるグルに対して、本当に真理の法を説いてくださいと、そして自分たちを最高の世界へ引き上げてくださいと、ね、それを説くまでは、説き終わるまでは、あるいは自分たちが成就するまでは、決して自分たちの前から去らないでくださいと、こういう哀願をするわけだね。
 そして次の六番目はね、あのもう少し大乗的になってきて、ね、自分たちをそれだけ真理に導いてくれるグルが涅槃をするということは、これはまだ成就していない、涅槃していない魂にとって大変な損失になるから、だから涅槃をしないでくださいと、ね。グルは涅槃には入れるんでしょうけど、涅槃をしないでくださいと、そういう心を込めて祈願するわけだね。
 そして最後は、その今なしている自分の修行がすべての生き物たちの幸福につながると、高い世界へつながると、つながるようにと、ね。オウム真理教では最後にやっぱり回向があるよね。それは、今、道に入ってる人がもっともっと真理の実践ができますようにと、今、道に入ってない人が真理の道に入れますようにという回向文があるけども、それが最後に来るわけだね。つまり自分自身の修行がそういう方向に人々を引っ張れますようにと。いいですか。
 そしてこの七つの過程、この七つの過程が密教の成就にとって必要な条件だといわれていると。
 実は先週ね、あまりここに来て説法したくなかったと。なぜかと。それはおそらく、ここで立位礼拝をやってる人たちが心を込めてやってなかったんだろうね。おそらく立位礼拝をやりながら互いが互いのことを意識して「なあんだ、オウムのスタッフは大したことやってないじゃないか」と、あるいはスタッフはスタッフで「もっとしっかりやれ」と人に言いながら自分たち努力してなかったんじゃないかと。そして逆に立位礼拝のかたちをやってる中で心は煩悩に支配されて「あー苦しい」と、「あー帰りたい」と、「あーうまいものが食いたい」と、そういう心の働きに支配されてたんじゃないかと。
 しかし、月曜日からU大師とS大師が来てね、ガンガン修行をやってくれたことによって、引っ張ってくれたことによって、かなり波動が変わってきてるよね。
 ただね、わたしはこう考えるんだ。大師が二人いて気合い入れられることによって変わるんだったら、自分たちで変わることだってできるんじゃないかねえ。もっと一人一人が、何のための立位礼拝であるか、何のための修行であるかということをもし意識できたならば、君たちの成就だって早まるわけだし、また、君たちの、ね、成就しないまでも精神的ステージだって、煩悩からの解放のされ方だって早まるはずだ。であるにかかわらず君たちは、例えば、人を見ながらやってるよね。そしてどちらかというと、やってない人に合わせるよね。
 わたしは、人が解脱をしていくための条件というのは、他のいいところは学び、悪いところは学ばないことだと考えている。そしてこれがわたしの人生訓でもある。例えば、あした地獄に落ちる人の真似をしたって、そこで心が怠けたとしても、幸福になるわけではないし、自分自身を解放してくれるわけではない。同じ時間経っていて、「はい、あなた六百時間ですよ」と。一方は全力で修行していて、「はい、あなた六百時間ですよ」と。これは結果が全く違うんだね。今あなた方が自己と闘うことを放棄してしまったならば、二回目の修行に入ったとき、あるいは三回目の修行に入ったとき、結果的にはあなた方は苦しまなければならない。それは解脱していく人たちの、成就していく人たちの状態を見てわたしはそう思う。
 どういうことだと。ふだん、ワークをしながら戒を守り、----これは心ん中で葛藤があるだろうね、オウムというのはすごく現世に近いわけだから----そしてグルの意思を、ね、エゴと闘いながら実践しようとする人はそれだけ成就も早い。しかし逆にエゴの世界に没入して、何が真実で何が真実じゃないかわからないで、ね、あまり仕事もしないでワークもしないでね、グルを意識しないで生活している人はそれだけ苦しいと。それは簡単だよね。なぜかというと、コーザルは光であるといえると、ね。クンダリニー・ヨーガの最後はアストラルをぶち抜いてコーザル世界へ入ることだといえると。だとしたらどうなるかな?----現世において少なくとも心の浄化を行なっているならば、ワークをやりながら心の浄化を行なっているならば、あとはこの粗雑な世界からアストラル世界、そしてコーザル世界とぶち抜くだけでよろしいと。しかしもし、コーザル世界の浄化、心の成熟、心の浄化というものを行なっていないならば、たとえぶち抜いたってその世界は明るくはないよね、当然。
 わたしはあなた方の修行を見ていていつも残念でならない。何が残念でならないかというと、一体だれのための修行なんだと。そしてあなた方だっていつ死ぬかわからないよ。このままいったら三悪趣に落ちる人もかなりこの中にいるだろうね。そして今生のチャンスというものをなぜ生かさないのかなと。いまここに来て与えられている、ね、修行の場を与えられているということに対してなぜ感謝しないのかなと。なぜ感激しないのかなと。そして、なぜ無駄口をたたき、なぜ現世的な話をして、なぜ、低い世界へ落ちていくためのプロセスを実践するのかなと。----わたしはそう思うんだよ。わかるね、言ってることは。
 今あなた方は、最高の徳の状態にあると。つまり修行だけに没頭できる、そしてそれは心を浄化するし、それからあなた方の心を解放するし----自由≠セねこれは。そしてエネルギーによってあなた方を歓喜ならしめる条件にあると。であるにかかわらず、あなた方が自己の煩悩を肯定し、その自己の煩悩の中に没入し、そして煩悩によって繋縛されるということがいいと考えるのは一体何だと。それはこの第一階の道場が無智のカルマに覆われてるからだね。
 しかし、もともとあなた方にサットヴァ性の智というのは存在している。それをあなた方が求め、ね、そのエネルギーというものをこの道場いっぱいにふりまこうと。他の悪いところ----たとえそれが先輩であったとしてもだ----他の悪いところを見ず、ね、他のいいところだけを学ぼうと。あるいは他の悪いところは反省の材料とし、それは自己と同じものを持っているんだということで反省の材料とし、ただいいところだけを学ぼうとしたならばだよ、あなた方の今からの修行というものはどんどん進むはずだ。
 しかしわたしがこの第一棟の情報をいろいろ聞く限りにおいてはだ、逆のことが返ってきている。Aさん方もしないから、例えば先輩方も修行しないから、自分たちも修行しなくていいと。極論だこれは。言葉の内容としてはそうだということだ。実際は言葉は違うかもしれない。あるいは、ね、リーダーたちも自分たちは苦悩から逃れていて、で、注意しなければならない立場ということで注意すると。この悪循環は今の政治と同じように不信感を持つだけだね。下は上に対して不信を持ち、上は下に対して信頼ができないと。
 あなた方が今ここに来ていること、あなた方が今修行していること、あなた方がオウム真理教に巡り合ったこと、あなた方がシヴァ神の教えに巡り合ったことを、もし、ね、感謝するならばだ----これは第四の過程だったね、それを心に念じながら立位礼拝をやるならばだ、周りの悪いことは見えなくなり、周りのいい点だけが目についてくるはずだ。そして、それをなす人は幸いであると。なぜならば解脱の道に入っているからだ。
 七つのプロセス、これを意識してね、今後全力で修行を実践しなさい。
 マンジュシュリー、P、ね、この二人がなぜ早く成就したかを考えなければならない。そしてD、彼女がなぜ早く成就したかを考えなければならない。
 この世が悪くなっているのを考えてごらん、例えばテレビによって性欲の宣伝をされると。テレビによって食欲の宣伝をされると。テレビによって暴力の宣伝をされると。あるいは雑誌によって、あるいは文芸といわれている本によってね、わたしたちの性欲、情、あるいは暴力的な心の働き、これを扇動されると。----今あなた方がなしてるのは同じだ。努力していない者の、あるいは戒を破っている者の----知ってるね、ここは、全くしゃべってはいけないと、無言の行であると、この空間は。しかしそうではなくて、二階でべちゃくちゃべちゃくちゃしゃべっている、戒を破ってる者を見習ってると。----これは同じだ。テレビを見て性欲の、ね、状況を見てそれを真似る、食欲の状況を見て真似るのと同じだ。もっと意識をして、ね、今の状況を乗り越えてほしい。
 もう一度最後に言うよ。まず、帰依の修行、これが礼拝であると。次に自分を差し出す修行、これが供養であると。そしてザンゲ、これが浄化であると。賛嘆、これによって修行の勢いをつけると。ね。祈願、これによってグルとの縁を強くすると、ね。涅槃に入らないことを願い、これによって生き物たちの利益を保つと。そして回向によって自分の修行そのもの、徳そのものに封印をし、ね、その徳があまねく一切に広がることを考えると。
 ところが君たちのふだんなしてることは、賛嘆の逆のことをやっている。凡夫の会話を楽しみ、ね、戒を破ることを楽しんでると。わたしがこの一棟の二階にそういう状態で来れるわけないじゃないか。わたしはもともとこわ修行の空間を、ね、この空間を修行の場として君たちに提供したわけだ。しかし君たちが全くかたちだけの修行を行なっていて、心の修行を行なっていないとしたら、この空間は当然濁る。そしたら、ここでこうやって説法することができるわけないじゃないか。
 今日これだけ、わたしが長い時間をかけて話をしたのは、これはたぶんS大師とU大師の力だろう。あなた方も、ね、日々意識して、この七つの課程というものをもう一度意識して、修行を今日からスタートするつもりで頑張んなさい。じゃ、今日の話はこれで終わる。
 全力で頑張んなさい。