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◆93/11/6 亀戸道場(参入の儀式の後)
三毒から四無量心へ----全く新しい自己を創造するために

 わたしたちが病にかかる原因というものは、いろいろと考えることができる。そして、病にかかった場合、その病を治す手段もいろいろ存在する。例えば、現代医学の医者にかかる。例えば、健康食品を食べることによって病気を治そうとする。例えば、自然な食物を食べることによって治そうとしたり、あるいは、東洋医学における漢方薬・鍼・灸等の治療を使ったり、あるいは、自分自身で病を治そうとして、気功や、あるいは仙道の修行等を行なったりするはずである。そしてそのときに、まず何が大切なのか。つまりその一つの療法で病を治すとき何が大切なのかというと、それは、その対象に対する絶対の確信であると。確信がない場合、その療法が正しいとしても、その療法によって治すことはできない。
 ここまで話をすると、「ああ、今日の説法は、」----あなた方はこう考えるかもしれない----「病に対する説法だな」と。しかしそうではない。もしあなた方が、オウム真理教によってあなた方の人生を逆転させ、そして素晴らしい人生、あるいは解脱・悟りを求める場合、まず第一に何をやらなければならないのかということになる。それは、「確信を持つこと」であると。そして、確信を持つことであると同時に、病にかからない体質づくりを行なう必要があると。例えばこれは、西洋医学においていうならば、ビタミン剤の服用、あるいはビタミン剤を直接自然の食物からバランスよく取る実践、ということになる。
 では一体この「ビタミン剤の服用」あるいは「ビタミン・ミネラル等をバランスよく食物から取る」とは何かと。それは、いろいろな修行体系、あるいはいろいろな教えについてバランスよく浅く広く学ぶ必要がある、ということである。これはオウム真理教においては、まずビデオ教学というかたちで展開される。つまり、五十七時間のビデオ教学はまさに、今まであなた方の食事の偏向、つまり食事の偏ったとり方により起きた、例えば体のだるさとか、あるいは記憶力の悪さとか、あるいは活動力のなさとかいったようなものを取り除く働き、これと同じ意味でビデオ教学が存在すると。「あ、そうか」と、「こういう考え方があるんだな」と、「こういう生き方があるんだな」と、「あ、わたしの今までのこういう生き方に問題があったんだ」というような、浅く広い意味での救済が行なわれる。それと同時に、『願いのかなう宝石の言葉』によって、あなた方が今の真理の実践を行なうことにより、必ず救済され得るんだという確信を持つと。それは先程述べた、この治療を行なう場合「必ずやこの治療で自分を治すんだ」という確信を培わせる記憶修習ということになる。
 この「バランスよく栄養を取る」、つまりビタミンやミネラルを取るということと、それから確信を持つという土台のもとに、次はあなた方が、別のあなた方をつくり出す実践へと入っていく。全体的な栄養のバランスをとり、そしてあなた方の今までの、病気とはいえない体調の悪さ・不調について取り除いたあと、あなた方は全く別のあなた方をつくる必要があると。これは、例えば仙道でいうところの「陽神」、あるいは密教でいうところの「変化身」をつくる準備へと入っていくと。
 ここで考えなければならないことは、一体どのようなあなた方をつくるのか、という問題である。そして、それがまず、何によって実践されるのかと。これについては、単純にいうならば貪・瞋・癡、つまり、迷妄や愛著や、あるいは邪悪心といった三つの毒による自分たちの心の働きではなく、四つの偉大なる無量心、つまり「すべての衆生を済度するぞ。すべての衆生を、すべての衆生を済度するぞ」ね、そして「すべての衆生を救済するぞ」という偉大なる四無量心によって、まず心を培うと。つまり、今までのあなた方は、まさに苦しみの因である迷妄・邪悪心・愛著という三つの要素によって心をつくりあげていたと。しかしそうではなく、新しいあなた方は、四つの偉大なる心の覚醒、つまり、聖慈愛・聖哀れみ・聖称賛・聖無頓着という四つの偉大なる心の覚醒の因というものがあなた方の土台になると。
 もちろんここで考えなければならないことは、迷妄・愛著、そして邪悪心というこの三つの上に、偉大なる四つの覚醒の心、四無量心というものは乗っかることはないから、これはちょうど、別のものを同じ土台の上に建てる----つまり「同じ土台」とは、ここでは「空」とも呼ばれるものや、あるいは「真我」と呼ばれるもの、どちらでもいいわけだが----を建てることになると。つまり四無量心の存在する位置というものは、迷妄・愛著・邪悪心という三つの心の毒の存在する位置と全く同じ位置に属するのである。同じ地位に属するのである。したがって心の本質そのものが、今までのあなた方と、まさに今までのあなた方と別個なあなた方、つまり新しいあなた方が創造されることになる。
 問題は、ここで、例えばわたしたちはバルドの中に何日間いるのかと。そしたらわずか二百八十日しかいないと。では、それよりも高い神々、例えば愛欲神などは何日間いるのかと。これは、即再生であると。つまり、あなた方がもし、高い、つまり崇高な四つの偉大な心の覚醒を持った、つまり四無量心を持った変化身をつくり出すとするならば、それは、できるだけ速いスピードであなた方を変える必要がある、ということである。そして、そのための実験、そのための実践、これがまさに今行なわれている「狂気の救済者になれセミナー」ということになる。また、「導きセミナー」ということになる。これはつまりあなた方の苦しみというものをそっちのけにし、そして、新しいあなた方、つまり衆生済度を行なう、すべての魂を救済する新しいあなた方をつくり出すためのセミナーであるからである。
 オウム真理教のシステム変更というものは単純な意味合いがあって変更されることはほとんどない。つまり必ずその裏には、あなた方をいかに速く救済するのか、あなた方がいかに速く高い世界へ至るのか、至れるのかということを土台として、絶えず検討が繰り返され、それによってシステムが改善されるのである。
 今回の「狂気の救済者になれ」に出た人は、こう考えるかもしれない。「これは洗脳である」と。しかし、それはまさにそのとおりであると。つまり「洗脳」----あなた方の貪・瞋・癡、迷妄・愛著・邪悪心という三つのけがれた心の状態ではなく、もう一つ別のあなた方の心を培わせようとしてるのである。そしてこの、四無量心の具体的な表現形態としで、例えば五板五力セミナーがあったり、あるいは実際の実践としての導き、あるいは奉仕活動等が存在すると。
 そしてこれらの外的かたちと同時に、あなた方はイニシエーションを受け、そしてそれにより、次はその四無量心によって得た心、この心を確定させるための身体を形成する瞑想へと入っていく。この、身体を形成する瞑想がまさに「小乗のツァンダリー」であり、「グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーション」の瞑想であり、あるいは「大乗のツァンダリー」であり、あるいは「グルヨーガ」であると。つまり、まず「心を培いましょう」と。その心は例えばいくら瞑想、つまり、心をいくら培ったとしても、それを乗せる船が存在しなければ、実際の活動に適する状態にはなり得ないと。したがって、これらの内側の心を培いつつ、そして、外側の身体および言葉を形成していく実践、これが、イニシエーションの瞑想ということになる。
 したがって、逆の言い方をすれば、いくらわたしたちが、かたちのある瞑想を行なったとしても、その瞑想が具体的に心に変化をもたらさない限り、あるいは別の要素としての心の実践をしない限り、本当のタントラヤーナ、ヴァジラヤーナにおける化身、あるいは仙道における陽神というものを培うこと、つくりあげることはできないのである。そして、それを早めることは、まさにこの日本に多くのボーディサットヴァを産出し、その多くのボーディーサットヴァがすべての衆生----ここでいう「ボーディーサットヴァ」ね、到達真智運命魂だけども----多くの衆生を済度するための、最後の、この地球における砦として、奮闘努力し、闘いを挑まなければならなくなるだろう。
 ここで、もう一つ考えておかなければならないことがある。それは何かというと、あなた方が今、この日本に存在していること、そしてわたしの弟子であること、そして今の日本の、この急激な政治・経済を含めての変化等は、まさにすべて予言されていたことであり、この予言されていた結果----つまり、ほんとはね、こののち、「真理の地球が現われるんだ」というふうに予言されてるわけだが----その真理の地球を現わすことができるかどうかというのは、まさにここにいるあなた方一人一人の心が変化し、その心の変化によって実践し、そして衆生を済度するしか方法はないんだ、ということなんだよ。
 あなた方はこう考えるかもしれない。「法則というものは、だれでも自由に聴けていいんじゃないか」と。また、「真理の実践というものも自分の好きなときに好きなだけ自由に実践すればいいじゃないか」と。しかしそれは、ノーである。なぜノーかというと、わたしが今まで多くの弟子たち・信徒を指導してきた結果、結局この現世にほんの一部だけ真理の実践をしたとしても、その魂は三悪趣であると。例えば、本屋さんでわたしの本を読んだと。その魂はじゃあ、輪廻どうなんのかと。三悪趣であると。なぜならば、九九・九九パーセントの時間を、貪・瞋・癡にまみれながら、つまり、愛著・迷妄・邪悪心という三つの心の毒にまみれながら、〇・〇一パーセントだけ真理の実践したとして、果たして救済されるのかという問題だ。
 したがって、救済され得る道はただ一つと。それは、まず三宝に帰依させると。教団にしっかりと導き入れると。そして、導き入れた人をしっかりフォローしながら、経験を積ませ、----「経験」というものは、内的経験・外的経験ね。例えば内的な経験とは、例えば熱・音・振動といったような内側の世界の経験。外的経験というのは例えば、バクティの疲労感と同時に出る喜び、あるいは.布施の実践と同時に出る離愛著の経験から来る心の解放感、あるいは導きを行なったとをの四つの偉大なる心の覚醒、つまり四無量心を土台としての喜び、ね----こういう外的経験および内的経験を多く培わせることにより、魂は変化するんだ、ということだね。そしてまた、今までの苦しみが風の働きを変化させることによって、例えば小乗のツァンダリーの瞑想をしっかり行ない、その行なった結果として、今までの精袖的な悩みやあるいは肉体的な悩みが解消されるとか、あるいは、グルヨーガ・マイトレーヤのポワの瞑想を行なってたことによって起きる意識の変革、つまり、完全なる解放とかね、いうようなものを経験させることによって、あなた方の周りの人は救済されるんだ、ということが自覚できるはずであると。
 そして、これらの救済手段を持つ教団はオウム真理教以外に存在しないんだと。そしてその、オウム真理教以外に存在しない法則を広めることのできる権利を有する----義務じゃないよ----権利を有する魂はここにいるあなた方なんだということなんだね。「義務」というと、外的圧迫によって「やれやれ」と言われてやらなきゃならないと。「権利」はそうではなくて「わたしはこれらの実践を行なうことができるんだ。それによってわたしは、他の人と違い、大いなる覚醒・偉大なる覚醒を得ることができるんだ」。
 つまり、偉大な覚醒を得るためには実践が必要である。その実践をする権利を有するあなた方のその魂の徳、あるいは魂の今までのカルマのよさ、というものを称賛しながら、そして真理を実践しょうじゃないか。
 で、もう一つ、なぜオウム真理教が今段階的になってるかというと----これは絶えず、法則を説くときに感じることだが----あまりにもオウム真理教の教義の体系は深くて広いと。したがって、ある法則を説き明かしたとき、その一部の人はその法則の内容が理解できるが、他の人は全く理解できないと。あるいは逆に、すべての人に理解できるような法則はもうすでに先へ進んでいる信徒の方々は理解できてる、ということになると。したがって、このような法則の説き方はそろそろ終わりにしなければいけないなと。そして、あなた方の進度に合わせた法則を説くしかないんだ、というのがわたしの結論だったわけだ。
 九四年三月まで、十一、十二、一、二、三、あと五カ月ある。例えば例を挙げるならば、十月のビデオ教学の終了者は、昨年の十月から始まった五根五力の終了者の約二倍と。これは、ひとえに皆さんが頑張ったからである。そして、弟子たちが頑張ったからである。もちろん、それはわたしが今救済の最前線にいて、実際この東京にも週のうち二回から三回来、そして弟子たちを指導してることも当然大きな影響を与えてることになる。つまりこれは何を意味してるのかというと、約十二倍のスピードで救済が動き出したわけである。この十二倍のスピードというのは、何を意味するのかというと、まさに教団拡大における奇跡、そしてこの教団拡大の奇跡というものは、この日本をすべてポワできる可能性をまだ含んでるんだ、ということの現われであると考えられる。
 これは皆さんに対するお願いである。皆さんが持っている四つの偉大なる覚醒の心を生起させてほしい。そして、それを育ててほしい。そして、あなた方の周りにいる人たちのすべての苦しみを取り除けるような、偉大なる到達真智運命魂になってほしいと思う。その偉大なる心の覚醒が、あなた方の一人一人に芽生えるかどうか、それと同時に一次の言葉もね、あなた方がちょっと嫌な言葉なんだね----それと同時に、あなた方が忍辱の精神を持って、多くの衆生を済度するときの苦しみを自己の苦しみとして受け止め、そして、すべての衆生の苦しみを自己の内側に内在することができるかどうか、これが、これからわたしたちが実際、救済を成功させられるかどうかのポイントである、ということができる。また、今までわたしに長い間弟子としてついてきてくれた信徒の皆さんが、これから自己の修行だけではなく、在家としての要石、つまりボーディーサットヴァの中心として、早くブロック長になっていただきたいと思う。このブロック長については、わたし自体直々に陣頭指揮を取り、指導したいと考えています。したがって条件である、まずビデオ教学から始まり、精進根までの終了、および四つのイニシエーション体系の瞑想の経験、これを早く培い、そしてすべての衆生を神聖なエネルギーにより、言葉により、心の働きにより救済するぞ、ポワするぞ、という決意をしていただきたいと思う。いいね。
(一同)はい!
 さあ、時はあまりない。しかしあせってもしょうがない。今日の前にあることを、確実に固めていこうではないか。いいね。