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◆93/10/5 第二サティアン
来世グルと一緒に転生する秘儀テープ

 わたしの愛する真にわたしの弟子である信徒諸君。これから、わたしは君達に、どのようにしたら、確実に、わたしと一緒に輪廻転生できるかについて話をしたいと思う。
 九三年のインド大陸の地震、これは、予言されていた事である。そして、数万人という多くの人が亡くなった。そして、隣のロシアでは、内乱が起き、また、多くの人たちが死んだ。これらの一つ一つの計画は、確実に、グリフォンが仕組んだ事である。
 したがって、皆さんは、必ずや、ハルマゲドンに巻き込まれることになるだろう。これは、避けることができない。だとするならば、そこで、生き残れたとしても、あるいは死んだとしても、これから、いつ、どこで、皆さんの魂の師であるグルと別れなければならないか。それは、誰も言明する事はできないし、また来世のグルとの縁を保証する事は、次の法則を実践する以外ありえないと確信をすべきである。
 君たちが、わたしと輪廻を共にする場合、君たちがわたしの変化身として、もし、これからの人生をトランスフォームすることができるならば、必ずや君たちは、来世わたしと共に輪廻する事ができるであろう。
 ではどのようにしたら、わたしの変化身になれるのか。それは言うまでもなく、心においてグルと合一し、言葉においてグルと合一し、そして、行動は、グルがなすであろう行動を実践すべきである。
 とはいえ、わたしが何を考え、そして何を語り、どのように行動するか----ということは、なかなか難しい。したがってここで君たちに、ハッキリと、わたしはこのように考え、このように語り、そしてこのように行動するんだということを、話したいと思う。
 今までオウム真理教の解き明かした教えというものは、ヒナヤーナそしてマハーヤーナの体系に属する。この、ヒナヤーナ、マハーヤーナの体系から、一気に修行を進め、そして、グルと強いパイプを結び、来世、絶対にグルと同じ世界に転生するんだ、ということを達成できるためには、当然、タントラヴァジラヤーナの実践が必要である。そのためには絶えず、この頭頂に報身のグルを観想し、喉に変化身のグルを観想し、そして心臓に、法身のグルを観想すべきである。この三種の観想は、白銀色に輝くグル、功徳に満ちたグルを頭頂に観想し、喉は赤紫の救済者としてのグルを向かい合わせて観想し、そして、この心臓の部分には、グルの心の本質である、ダルマカーヤ、つまり、法身としてのグルを観想するのである。まず第一に、この観想を行いなさい。
 そして、第二に、グルは修行者であって修行者でない、という事を忘れるべきではない。つまり、グルは救済者である。ということは、あなたがたも、救済者になる必要があるんだ、という事を認識すべきである。もともと、ヒナヤーナの至るニルヴァーナと、それからマハーヤーナの実践を行う魂に至るニルヴァーナは違う。これが、ニルヴァーナとマハー・ニルヴァーナの違いである。したがってグルとの心の合一は、ヒナヤーナの実践だけでは、決して達成できない。いいね。
 では具体的に、「救済者」あるいは「救世主」とは何かについて考える必要がある。これは、大乗の十の実践をしっかりと日々記憶修習することから始めなければならない。そして、特に、その中で大切な教え、それは、自我の放棄の精神である。
 「自我の放棄の精神」とは何か。それは、もし君たちが経験の構成、つまり単なるカルマから構成された五つの構成要素に支配され、「これがわたしである」「この考え方がわたしである」「この行動がわたしである」「この言葉がわたしである」と謬見解にとらわれるならば、君たちはそのカルマの法則に従い、悪趣の世界へ転生するかもしれない。あるいは、欲界の神へ転生するかもしれないが、その次の保証、その次の生の保証は無い、ということはできる。
 したがって、この五つの構成要素は、放棄すべきである。この煩悩の塊・苦しみの塊は放棄すべきである。  そして、もう一つ別のアーラヤ識に、別の宇宙神素に、救済者としての種子を、しっかりと植え付けるべきである。つまりその土台は四無量心であり、そして、あなたと今、縁のある魂は、必ずや三悪趣に落ちるんだと、特にこの現代のように物質に縛られた魂は、身体に縛られた魂は、必ずや地獄に真っ逆さまに落ちるんだ----ということを、何度も何度も記憶修習し、認識し、そしてその魂に対して「哀れみ」を持つべきである。
 これらの哀れみの実践がなされたならば、次にいかなる救済のときに振りかかってくる苦悩、これは、自分自身のカルマ落としであり、そして先程述べた、けがれた五蘊を浄化するただ一つの道である----と考えるべきである。
 功徳を積むことは素晴らしい。しかし、功徳を積んで生きるためには、愛欲の世界、欲界の天の世界にしか行けない。とするならば、「それ以上の高い世界へ、この現世を生きながら至る道はないのか?」と自問自答するならば、それは、自分自身を絶えずカルマ落としの環境に一方を置き、そしてもう一方では、最高の功徳、すべての魂を引き上げるという功徳を積む、そのような環境に身を置くべきである。
 もう一度言おう。君たちが救済者として、救世主として、けがれた魂の者たちを引き上げる。このとき君たちには、多くの苦難が待っているだろう。しかしその苦難は、君たちのカルマを落とすただ一つの方法である。そしてその環境は、グルが与えた最高の修行環境である、と考えるべきである。
 もし君たちが、このような放棄の精神に立ち、そして自分自身を救済者とし、実践するならば、君たちは必ずやグルの変化身となることができるだろう。
 ところで、ではがむしゃらに導きに突っ込めばいいのかと、がむしゃらに真理の戦士として救済者になれば良いのかという問題がある。これは当然「NO!」である。では何が必要なのかと。それは、君たちが語る言葉というものは、絶えず真理の法則を土台として、語らなければならない。したがって、エネルギーを充てんし、真理のデータを入れ、瞑想によって体験し、そしてぶつかる。
 そしてカルマ落としを受け、一時的に精神的ショックを受けるかもしれないが、それは君たちのナーディー、つまり管を通すための道だという事を理解し、ちょうどそれは、小さな容器にエネルギーが蓄えられると爆発し、その爆発した結果として、より大きなナーディーの流れになるんだ、という事を認識し、そして、何度も何度も記憶修習・実践、真理の法則の学習・救済の実践、これを繰り返し繰り返し行うべきである。
 もし君たちが、その実践を行ったならば、君たちは必ず、グルの変化身として、来世わたしとともに転生することができるであろう。
 では、あたり構わずがむしゃらに突っ込めばよいのかという問題がある。これはそうではない。最も賢い方法は、まずあなたが救済している対象が、今何を考え、何で悩み、そしてどうしたいと考えるのか、これについて、十分にまず聞き耳をたて、相手の話を聴くべきである。そして次に、そのデータを持ち帰り、あるいはそのとき、そのデータに対して対応できる法則を持ち合わせるならば、その法則をぶつけ、「これは教えであって、実践をしなければ結果はでないんだ」と、そのようにアプローチすべきである。もしこれをあなたが実践するならば、必ずや結果をあらわすだろう。
 もともと、法則というものは、一対一の関係にある。つまりある魂を三悪趣から引き上げるということは、皆さんが未来際において、三悪趣に生まれるかもしれない可能性を一つ減らす、という事になるんだ。したがって、多くの衆生を引き上げる事が出来るとするならば、それは皆さんの、未来際において、多くの三悪趣のカルマをカットするという事である。したがって、この悪趣へ落ちる魂に対するアプローチ、まず聞き耳を立て、相手の話に十分に心を傾け、そして相手のニーズを理解し、それに合った法則を説き、そして救済する。この原則を忘れるべきではない。
 では、相手のニーズはわかった。しかし、自分がいくら教学しても、その相手のニーズに対して、どのような法則を説いて良いのかわからないというときには、救済に慣れた魂、つまり、大乗の実践を行っている魂のアドバイスを受けるべきである。「このような魂に対しては、このような法則を説けば、必ず救済できるんだ」という事である。
 ここで君たちは、『救済』という事をただ単に「相手に本を読ませればいい」とか、あるいは「相手に自分の知ってる法則を少しでも解き明かせばいいんだ」と考えるかもしれない。しかし、そういうものは全く役に立たないとここで考えるべきである。なぜならば、わたしたちが今生生まれ、経験した膨大な三悪趣のデータ、この三悪趣のデータを止滅するためには、秘儀による、つまりタントラ・ヴァジラヤーナにおける特別な瞑想および実質の実践、これを実践するか、あるいは膨大な記憶修習と実践、つまり大乗の実践を行うか、あるいはこの現世を捨て、捨断する、つまり、ヒナヤーナの実践を行うか、の三つの法則を実践するしかの法則しか存在しないのだ。したがってそこで、一つや二つ法則を解き明かしたり、あるいは一冊や二冊本を読ましたとしても、それは何ら救済と関係がないと考えるべきである。
 ではどうするのか。しっかりとまず入会させる。そして、ビデオ教学を行わせ、五根五力セミナーに出し、そして、実際に内側の経験を積ませ、五つの構成要素をトランスフォームする。そこまで導くべきである。この状態に至って初めてあなたは、救済者となり、グルの変化身になったということになる。
 もし君たちが、この実践を死に物狂いで行う----つまりもう一度まとめるが、まず、グルの三身になる。そして「なった」と観想したのち、放棄の精神を身につける。つまり「けがれた心はもう今生で関係ない」とそのように考える。そして、救済者として生まれ変わり、多くのカルマ落としに対して、「自分の今までけがれたカルマが浄化されているんだ」と考える。そして、相手の苦しみを、しっかりと耳を傾け聴き、その苦しみに対して対応する法則を説く。法則を説くだけではなく、しっかりと入会させ、そして法則を実践させる。----もし、君たちがこれを行ない、土台としての修行をしっかり行ない、教学によってよりいっそう確定した救済者としての意識を身につけるならば、君たちは必ずや来世、わたしと一緒に転生することができるはずである。そしてそのときは、カルマを超え、中間状態を超え、つまり、死のバルドにおいて、解脱することは間違いない。
 さあ、一緒に、もう、ハルマゲドンまで残り少ない時代を、全力で、救済者として、生きようではないか。