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◆93/8/27 ロシア軍人会館ドーム内ホール
五つの神通力と一つの覚者の状態/タントラ・ヴァジラヤーナの全段階

 すべての偉大なるグルに帰依したてまつります。
 この講話によってすべての魂が本当の意味での自由・幸福・歓喜を得ますように。
 わたしたちは普段、生活を行なっている際、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、あるいは嗅覚によって感じる臭い、味覚によって感じる味わい、そして触覚によって感じる感覚等に支配されている。そしてその五感から来るデータを根本とし、わたしたちの意識というものは、対象をとらえる。
 ところで、ここで一つ考えなければならないことがある。それは例えば、複眼を有する昆虫、あるいは人間の目、これらのものによって見る対象が同じだとして、果たして例えば複眼を有する昆虫や人間に、対象が同じように映るかということである。あるいは逆に、対象の固定、あるいは見るものの本質が人間だけだとした場合、その人の過去の経験によって例えば女性を見たり、あるいは食べ物を見たりしたときに、その対象から来る心の働きが同じかどうかということを検討する必要がある。
 一般的に言って、わたしたちは生まれる・老いる・病む・死ぬという四つを根本として無常という法則を理解しようとするが、実際はこれらは、単なる概念的、一般的、外側の法則にすぎないのである。これらの法則とその前の、その前に述べた個体差、つまりAという人とBという人との認識の違い、これらを総合して無常の概念というものを理解しなければならない。
 修行を進めると真理の実践者は、五つの神通力と、そして一つの覚者の状態を経験する。なぜ、五つの「神通力」であって、五つの覚者の状態でないのか、これは非常に重要な意味合いを含んでいる。この概念が理解できると、覚者とそして神の状態の違いというものがよく理解できるようになる。
 例えば、例を三つほど考えてみよう。第一の状態は、他心通と呼ばれる神通力である。この他心通と呼ばれる神通力は、他人の心を正確に自分の心に映し出す神通力である。ここで考えなければならないことは、他人の心を正確に自分の心に映し出しているのだから、これは覚者の状態ではないか、という反論があるかもしれない。しかし、よく、しっかりと熟考してみよう。映し出される対象、つまり他人の心は、真実を投影しているかどうか、という問題について検討しなければならない。つまり、映し出される対象の心が、幻影の中に没入している状態、その幻影を映し出す心がたとえクリアな状態であったとしても、幻影をクリアに映し出したとしても本質が幻影なのだから、当然、映し出す、映し出した心も、投影されたものも幻影なのである。
 次に、宿命通について考えてみよう。宿命通は自分自身の過去世の状態、これを何生も何生も思い出す神通力である。ところで覚者に至る前の生の経験、例えば五感によって感じたことや意識によって記憶したこと等は、これは幻影なのであろうか、それとも真実なんだろうかということについて検討する必要がある。当然、まだ覚醒に至っていない魂の経験はすべて幻影である。したがって、自分自身の過去世をしっかりと思い出せたとしても、その根本的な部分、つまり経験そのものが幻影であるから、その幻影を綺麗に映し出したとしても、それは単なる幻影の経験に過ぎないのである。
 次に死生智について検討してみょう。この死生智はわたしたちが今の生で積み上げる功徳や善行、法則の実践、あるいは心を清める修行等によって得た結果、天界へ至るということである。わたしたちが立案をなすことによって、地獄へ至るということをエネルギー的に、また実際の事象的にとらえることのできる神通力である。
 ところで、わたしたちが今日、功徳を積んだとか、あるいは今日善行をなしたとか、あるいは今日悪業をなしたいうこれらの経験は、果たして真実の経験なのだろうか、それとも幻影の経験なのであろうか。これらは、当然すべての事象は、マーヤつまり魔法のような状態で形成されているという原則から考えると、幻影にすぎないということになる。そして、この幻影のような経験を、いくら未来に対してしっかり映し出したとしても、本質が幻影なのだから、当然ここでの経験も幻影ということになる。
 そして、これらの他心、宿命、そして死生智といわれるいう三つの神通力は、神をも利用することのできる神通力なのである。つまり、神の存在とは、魔法の世界の存在、幻影の世界の存在ということができる。
 では、覚者の状態とは一体どのような状態なのだろうか。これは、まさに事物に対して幻影と非幻影の二元を完全に理解している状態といえる。そして、わたしたちはこの幻影に対して心が奪われたときから、エネルギーの浪費が始まるのである。したがって、幻影と非幻影の区分をしっかり行ない、そして、幻影の部分をシャットアウトすることにより、わたしたちは本当の自由・幸福・歓喜を得ることができるのである。そしてこの状態、つまり幻影と非幻影を知る力、これが漏尽通なのである。したがって、他の神通力とこの漏尽通は別個に分類されるのである。
 一般的に、五つの神通力を得た後、漏尽通に到達するまでの期間を四アサンキャ十万カルパかかるといわれている。これを現代数字に置き換えるならば百五十億かける十の五十八乗年である。これだけの修行を行ない、そして完全なる覚者、完全なる真理勝者の状態を獲得するのである。
 では、これほど長くかける大乗の道、これをもっと短くすることはできないのであろうか。それは、可能である。これを大乗の道を、わたしたちは蓄積の道、積み上げていく道と呼んでいる。そしてこれを短縮した道、これを結果の道、あるいはタントラヤーナ、ヴァジラヤーナと呼んでいる。
 このマハーヤーナの道ではなく、タントラヤーナ、ヴァジラヤーナについて皆さんに少し説明したいと思う。このタントラ・ヴァジラヤーナの修行は四つの段階からなる。
 第一段階は、完全なる浄化の段階である、つまり自己のエゴを完全に放棄し、そして、神のために自己の身・口・意を使う修行ということができる。ここでいう神とはグル、あるいは真理勝者のことを指す。この段階において自己の身・口・意を完全にグル、あるいは真理勝者に預けるのである。
 次の段階は、準備の段階の修行である。第一の段階は、帰依を確定させるための肉体を使った帰依の修行。第二の段階では、自己の心を浄化するためのザンゲの修行。そして第三の段階では、自分自身の功徳を増大させるためのグルと神々に対する供養の修行。別名マンダラ供養と呼ばれる。そして第四番目は、グルとの合一の瞑想であるグルヨーガの段階である。これが第二の段階の準備の修行ということになる。
 そして、第三段階の修行は、生成あるいは創造、つまり神々の身体を作り出す修行である。この段階において、わたしたちはその作り出した神の身体に、自分たちの意思を完全に吹き込む作業を行なう。つまりこの前の準備修行の段階で、すでにわたしたちは創造主の域に達していなければならないのである。
 そして、最終段階は、完成の段階と呼ばれるステージである。この最終段階、つまり完成の段階と呼ばれるステージは、この神の実体、それを完全に理解し、そしてそれを空、つまり実体のない世界へと還元する修行ということができる。では、なぜ実体のない世界へ還元する必要があるのだろうか。それは、神ですら不変、つまり死というものを避けることができないからである。そこで一つ考えておかなければならないことは、もし、わたしたちが、その神の生成あるいは創造と、それから空性への還元、これを完全に意思の下にコントロールすることができるならば、わたしたちはこの二元論、つまり空と現実の世界の両方をコントロールすることができるようになり、したがって不死となるのである。つまり、生まれることも自由、あるいは死ぬことも自由、そしてその両方をつなぐ根本的な土台として意思が存在するということは、わたしたちは死なないということなのである。
 この原理に基づいて実践する道、それは真理の個人的最終段階ということになる。この段階においてわたしたちは幻影、あるいは非幻影というものを完全に理解することができるようになる。別の言い方をすれば、幻影イコール生成あるいは創造の段階、そして非幻影イコール空の段階を理解することができるようになるのである。そして皆さんがこの幻影、非幻影に到達する道は、才能のある人で十二年、才能の普通の人で、才能が普通の人で二十四年、そして才能のない人で三十六年かかるといわれている。もちろんこの十二年間、二十四年間、三十六年間という年数は全力で修行したときのことである。
 この生成あるいは創造の段階、そして完成の段階を修行しなくても、タントラ・ヴァジラヤーナの戒律をしっかり遵守するだけで十五生で解脱するといわれている。したがってこの結果の道、タントラ・ヴアジラヤーナの道は、皆さんに大きな利益を与えることになる。
 今日皆さんに、これらのタントラ・ヴァジラヤーナの教えの中の最も基本的で、かつ最もわかりやすい一つの瞑想を伝授したいと思う。この瞑想に熟達すると、半年ぐらいで、この人間の世界以外の生命体、例えば神、あるいは幽霊等を見ることができるようになるはずである。
 まず、この眉間の少し前に光り輝く球を観想する。この球は、まずは親指と同じぐらいの大きさに観想すべきである。親指の先と同じぐらいにね。この観想に慣れたら、次は胡麻粒の一粒の大きさぐらいに観想する。次に自分のイメージできる最大の大きさに観想する。そして、最後には、その光の粒が宇宙と同じだけの大きさあるんだと観想する。そしてその大きさを自由に変化させるのである。
 この瞑想は、単なる先程述べた神を見るだとか、幽霊を見るといった霊的な結果だけではなく、わたしたちに現実的に多くの利益を与えてくれる。それについてこれから少し説明しよう。
 まずわたしたちは、わたしたちの意思とは関係なく、この欲界を輪廻する。なぜ輪廻しなければならないのかというと、それはわたしたちの意思のコントロール下に五つの気がないからである。この五つの気を下から説明すると、アパーナ気、サマーナ気、プラーナ気、ウダーナ気、そして体全体を覆っているヴノヤーナ気ということになる。これらの五つの気の働きは、まずアパーナ気は、地獄・動物へ到る気。そしてサマーナ気は低級霊域、あるいは餓鬼の世界へ至る気。プラーナ気は人間、そして意識堕落天へ至る気。ウダーナ気は神々の世界、そして解脱へと至るための気である。そしてこのウダーナ気を強める光の観想を行なうことによって、わたしたちは神々へ生まれ変わる種子を植えることになるし、また、現世的な願望のほとんどを達成することができるのである。したがって今日伝授した、この光の瞑想を皆さんが行なうことにより、多くの恩恵があるはずである。