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◆93/8/24(PM1:00) 第二サティアン
解脱へ至るプロセス
まず、わたしたちが達成しなければならないことは、ボーディチッタの保全である。このボーディチッタの保全というのは二つの意味がある。一つは粗雑なエネルギーの保全と、それから高い意識状態から降りてくるエネルギーとの合一という二つの意味合いがある。
これはちょうど、例えば、現世の独身男性が、もし性欲が全くないとしても、その魂が解脱しない----ということを見てもわかるとおり、単なる粗雑なエネルギーの保全、例えばそれは、性エネルギーを漏らさない等の保全だけでは、わたしたちは高い覚醒に至ることはできないということを意味している。したがって、その粗雑なエネルギーに加え、高い生命体、特に解脱した、あるいは成就した生命体のエネルギーが、その粗雑なエネルギーに加えられ、そして練られたとき、それは、本当の意味でのボーディチッタということになる。
ではなぜ、それがボーディチッタといえるのかというと、それは、わたしたちが人間以上の高い世界の生命活動を行なう上における偉大な心を覚醒させるためのエネルギーと変わるからである。
そして、こののちわたしたちは、第一段階のトゥモを起こすことになる。一般的に「トゥモ」というのは、ただ単に体が熱い、イコールトゥモというふうに表現されるが、実際これはそうではない。必ず、熱の発生は心臓に起因しなければならない。つまり、このスヴァディスターナ・チァクラに熱エネルギーが蓄えられたとしても、それはトゥモとは呼ばないのである。あくまでもこの瞑想上に生じる心臓のね、このセンターに、熱が発生し、そして、その発生した熱が全体を覆うようになったとき「それはトゥモが始まった」というのである。
この、トゥモの発生は何を意味するのかというと、先程述べた、わたしたちの粗雑な功徳を微細な功徳へと還元させてくれる。したがってもし粗雑な功徳がなければ、いくらトゥモが発生したとしても、トゥモが起きたとしても当然至福を経験することはできない。
次に、この熱は先程述べた粗雑な徳を、徴細なエネルギーへと還元する。そして微細なエネルギーは、身体中にある七万二千本のナーディーを通過することになる。ところで、わたしたちは、多くのカルマの制約、つまり八万四千あるといわれているカルマの制約を受けている。したがって、このカルマの制約はどこに存在するかというと、それはナーディーの詰まりとして存在するかたちとなると。したがって第一段階のトゥモの発生、そして、それが発汗というかたちをたどったあと、振動へ移行する理由というのは、ナーディーの詰まりを表わしているのである。したがってこの、振動が起きなくても、その次の段階の風の身体への移行、というのが可能となる。
では次の風の身体の達成はどのようにしたら現われるかと。これは、八万四千生じているその煩悩が、一つ一つ、マハームドラーの瞑想や、あるいは小乗のツァンダリー、グルヨーガ・マイトレーヤ等の瞑想によって取り払われてくると、風が静かに上昇するようになる。そして、粗雑な功徳が微細な功徳へと還元されるとき、わたしたちは、「悦」という経験を行なう。そして微細な功徳が、今度は心臓、心≠ヨと還元されるとき、「喜」を経験する。そして、このプラーナが、つまり微細になった功徳が心臓に完全に充満したとき、精神的に全くゆったりとした状態「軽安」、そして「楽」を達成するのである。
この、わたしたちの精神的なゆとり、このゆとりはわたしたちをこの粗雑な肉体次元から解放する。このときサマディが生じるのである。したがって、ダルドリーでぽんぽん跳んでるうちは、まだ本当の成就の達成が起きてるというわけではない。本当の達成が起きるときというのは、そのプラーナが静かに上昇し、この頭頂のチァクラ、サハスラーラ・チァクラ、ブラフマ・ランドラに集中し、そこに気が充満し、そして究竟中にふわっと持ち上がるような、つまり浮揚の状態が経験されなければならないのである。
こののちわたしたちは、化身の達成や、あるいは意識の連続性等々のいろいろな経験を行なうわけだが、これらはすべて、一つの達成にすぎないことをここで理解しておいてほしい。それはなぜかというと、わたしたちが今行なっている小乗のツァンダリーや、グルヨーガ・マイトレーヤ等の瞑想を行なうと、そのうち、完全に、個の肉体と別に、もう一つ風、つまりプラーナによってできた身体というものが存在することを理解できるようになる。それでそのプラーナの身体は、わたしたちの意識によって創造することができると。そしてこの意識によって創造された身体は、あらゆる形を変化させることができる。そして、意識の微細化と同時に、プラーナのコントロールを行なうことにより、要するに一身を他身となす%凾フ経験が生じるのである。
----これが、今、わたしが五月から極限的に----まあ、「のんびりと」と言った方がいいのかもしれないね----修行して達成した経験の一部である。したがって、君たちが今行なっている修行、これをひたすら行なうことにより、今自分がどの段階かを今日の講話で認識し、それよりも一歩でも二歩でも先に進めることにより、必ずわたしと同じ体験ができるはずである。わかるか? 言いたいことは。
もう一度復習するよ。第一、心臓による熱の発生。
二、この熱は、発汗をもよおす。このとき、女性の場合生理が止まる。もし生理がまだ続いてるようであるとするならば、このトゥモは失敗したことになる。
三、生理が止まるだけでなく、糞・尿の量が極端に減少する。そして、食欲が減少する。
四、次に、振動が始まる。この振動が始まる前には、尾てい骨、あるいは肛門の辺りに強烈な熱の集中を感じるようになる。
五、そしてエネルギーの上昇と同時に、ダルドリー・シッディが始まる。
六、この経験を続けていくうちに、あるいはこの経験を無視していくうちに、中央管を通りプラーナがサハスラーラに昇るようになり、そして究竟のときに完全に身体の力が抜け、体がふわっと浮き上がるような現象が起きるようになる。
七、このときに、歓喜の身体をわたしたちは経験する。
そしてこのプロセスが悦・喜・軽安・楽といわれるプロセスである。
八、この次にサマディが起こり、そして、例えばまあ上流は今話したよね、到達光師、化身成就師、あるいは思念不変連続師等の経験を行なうわけだが、ここで終わりというわけではない。
九、こののちプラーナが、この肉体から完全に遊離する状態が生じる。正確にいうと、この肉体を通じてのナーディーのつながりと、それから空間との間に、ナーディーのつながりによってプラーナが自由に行き来できるということを経験するようになる。そしてそのプラーナに乗って、意識が移動することができるようになる。
九、このプラーナは、色・形とも自在に変化させることができる。
以上だ。理解できたか?
(一同)……。
(尊師)ここまでわかりやすければ、理解できるだろう、どうだ。そうすると、自分が、今どの辺いるかわかるよね、どうだ?
(一同)……。
(尊師)だから、まあ、別の言い方をすれば、性エネルギーが漏れるなんかとんでもないという話なんだ。つまり本当に覚醒が起きたときに夢精するのは、それはおかしいんだ。あるいは本当に覚醒が起きたあと、生理が起きるのはおかしいんだ。ということだ。いいな。
まあ、わたしも今修行しているわけだけれど、君たちとわたしとどちらが早く最終地点に到達できるか競争しようじゃないか。
いや、君たちは有利だよ。若いから。例えば年をとっているT君でも、わたしより若いからねえ。なぜならば、若さというのはエネルギーを有している。その有している生命エネルギー、これが解脱のポイントとなるんだ。
例えば、ミラレーパ、あるいはミラレーパの弟子たちが、最終の完全解脱を達成したわけだけど、たくさんの弟子たちが、ほとんどの弟子たちは若者です。つまり、十代で出家しています。で、やはり完全解脱をするためには、若くして、現世に染まらず、そして出家し、修行に黙々と前進し、ね、達成するしかないんだ、というのがわたしの今の確信だ。いいな。
じゃあ、「年をとったらどうしたらいいんだ」という問題があるわけだけど、年をとったら、プンナ・マンターニプッタを見習えばいいよ。
いいね。今日のプロセス、ちゃんと確認してからしっかり頑張るように。いいね。