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◆93/1/3 第五サティアン(大乗のヨーガ成就式典)
大乗の順逆の道
小乗に比べ大乗という道は大変複雑である。したがって一言で「大乗」という言葉を吐いたとき、それぞれのステージに応じてその意味合いが変わってくる。
例えばわたしの場合、「大乗」という言葉を聞いたとき何を連想するかというと魚の排卵、つまり多くの卵を産み落としながらその中でごく少数の者が魚となり、他の者は他の生命体に食べられるという現象をわたしは思い出す。これはどういうことかというと、一生懸命修行によって培ったエネルギーを、例えば信徒あるいはサマナに放出したとして、その中で本当に真理の道を歩くことのできる、つまり卵から魚へとかえることのできる魂は非常にわずかであるということである。このような考え方に立つと、もともとその魚はカルマとして卵からかえる運命にあったんだ、ということができる。この「運命」という言葉を言い換えるならば前生における功徳がそこに備わっていたんだということができるわけである。
ところでこれらの卵についても、例えば多くの卵を食べる他の魚や他の生命体を放置した場合どうなるかというと、当然卵からかえる魚の量は非常に少なくなる。これが現代的な思想、宗教、あるいは情報といったようなものと、人間との関係である。つまりそれらの観念や思想や宗教や情報に打ち勝ちながら、しっかりと高い世界へ帰ることのできる魂というものはいかに少ないかということを痛切にわたしは近ごろ感じている。
そしてそのただ一つの道がイニシエーションである。このイニシエーションは形のあるイニシエーションと、形のないイニシエーションが存在する。例えば今回マイトレーヤが行なったシャクティーパット、グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションは形のあるイニシエーションである。これは明らかに一定量のエネルギーを放出し、その信徒のカルマによって確実に種子≠ェ備わる。しかしその種子≠ヘ、先程も述べた卵の魚のようなものであり、その産み落とされた卵つまりエンパワーメントを受けた信徒の中の一体どれくらいが高い世界へ至る、つまり魚になるのかというのは非常に難しいという問題ということなる。
しかしそういうことを無視して、ただエネルギーを与え続ける。これが大乗の順の道ということになる。順とは何かというと順逆の順、つまり最もノーマルな大乗の道ということになる。しかしこの順の道も、与える種子とそれから外的情報とのぶつかり合いにより、もし外的情報が与えるエネルギーより強ければ全く効果を奏さなくなる。これはちょうど、産み落とした卵の総数より食べる魚の方が多い、食べる生命体の方が多い場合、いくら卵を一生懸命産んだとしてもその卵はすべて食べられてしまい、結局はその産み落としている魚の後継者つまり真理を実践する魂はいなくなるということを表わしている。
わたしは意図的にこの十月の終わりから、君たちに説法することをやめた。それはワークが忙しいということもあるが、多くのサマナを一同に会し、そして説法する空間が存在しないということが一つの理由であった。しかしその深い意識の中には、もう一つ別の考え方があったことは言うまでもない。それは直接説法しないで今提供されているテープ・本等の教えによって、どれほど君たちが教化されるのかというわたしにとっての一つの試行実験であったということができる。
その結果、君たちの意識はどんどん堕落し、そして一般にいわれる凡夫と同じようなレベルに達したサマナも相当いるとわたしは感じている。しかしこの真理の空間にいる君たちがそうであるから、例えばいくらマイトレーヤが一生懸命シャクティーパットを施したとしても、そこから救われる魂というものはごくわずかであるということができる。つまり順の道これは限界があるのである。
次に逆の道である。この逆の道とはヤソーダラーが言ったとおり、称賛のない道ということができる。順の道とは称賛のある道、つまりすべての者が納得し、すべての者が称賛できる道、これが順である。逆の大乗の道とは、逆にほとんどの魂は理解できないが、この崇高な宇宙の維持システムから見るならば最高の法則を実践する道である。この道はしかし例えばわたしがある一部の法則を、高弟マハー・ケイマやヤソーダラーやマイトレーヤやマンジュシュリーや、あるいはプンナ・マンターニプッタやミラレバやサクラー、ウッパラヴァンナー、キサー・ゴータミー、プンナ・マンターニプッタ、アパーヤジャハ等に説いたとしても、ほとんど理解できないであろう。これが大乗の道の最も崇高、なそしてわかりづらい道である。
しかしその中でマイトレーヤは、若干その逆の道についての理解を示す一人である。しかし彼が理解を示すということは、わたしに言わせれば当然であると言わざるを得ない。それはなぜならば前生から何度もわたしの息子として生まれ変わり、そしてわたしの高弟として生まれ変わってきている弟子としては当然であると。いや言い方を換えれば遅いぐらいである。しかしそれほど先程述べた、卵が実際に魚となり、そしてまた次の卵を産むことのできるような大きな魚になることは難しい。
わたしはマイトレーヤを見てわたしとの違いを一つ感じることがある。これはわたしは彼の修行者としての一つの大きな欠点であると考えている。それは彼があまりにも知性が高く、そして基本的な法則に準じるがあまり、称賛を受けすぎるということである。例えば今回の大乗の式典においてもマハー・ケイマ、ヤソーダラー、ウッパラヴァンナー、アバーヤジャハのコメントはいかにも通りいっぺん、ただ単なる称賛という印象が強い。もちろんマイトレーヤはわたしと縁が強いわけだから、わたしに叱られればそれですむといえばそれまでかもしれない。しかし彼の霊的ステージの高さ知性の高さなるがゆえに、彼に対してのプレッシャーをかける魂が少ないということは、この逆の道に彼が入ったときのわたしは大変な不安材料であるということができる。
息子として転生し弟子として転生してきているということは、当然わたしもいずれ彼を離さなければならない時期が来る。離さなければならないとは、一人立ちしそして多くの衆生のリーダーとしその世界の救済をしなければならないということである。そのとき彼がしょわなければならないいろんな課題、それを今与えることがわたしの慈愛である。
人間関係には二つの関係が存在する。一つの関係は徹底的にいじめ合う関係。一つの関係は徹底的に補い合う関係である。この大乗の順の道を歩く魂は徹底的に補い合う魂を相当に導く。しかし逆の道を歩く魂は、徹底的に叩き合う叩きつけ合う魂を導くのである。
わたしはマイトレーヤが大好きである。この大好きというのは過去世のわたしと非常に似ていると。法則をしっかり押さえ、そしてこつこつとその法則どおり生きようと全力で努力する。しかしわたしとの違いは、先程述べたふがいない堕落した法則を正確に実践することのできない魂と、逆に法則をきちんと理解し、その法則を正しく実践しすぎるがあまり法友に恵まれない魂の違いである。これからマイトレーヤが大乗の逆の道に入る場合、マイトレーヤにとって必要な友人、それはグル以外に存在しない。なぜならば他の弟子では、先程述べた叩きつけられることがないからである。
それからマイトレーヤが簡単に述べた内容について、一つ付け加えておかなければならないことがある。彼は自分自身のなしたことは大した加行ではない、と説いた。しかし実際は偉大な加行であるということができる。なぜならば例えばここに凡夫がいたとして、偉大な宇宙のエネルギーをコントロールできるだろうかと。魂を高い世界へ至らせるための、シヴァ大神すべての真理勝者方が絶えず発しているこのエネルギーをコントロールできるだろうかと。これは大乗の空論と関係してくる。つまり、この存在というものは実体がないと。しかしもしここでその実体のないということを悟り、より崇高なより高いエネルギーをコントロールできるとするならば、その魂は偉大な魂であるということができる。そのような意味において、マイトレーヤの今回なした加行は大変素晴らしい加行であったということができる。
わたしはこれからマイトレーヤにとって、どんどん嫌なある意味で意地悪なグルに変化していかなければならないと考えている。それは称賛は堕落の道、そして大乗の逆を歩くものは、絶えず叩かれなければ生きていけないという宿命が存在するからである。なぜならば、自己の苦しみを喜びとしという原則があるからである。
いずれにしろ、大乗の順の道に多くの理解を示し、そしてこれから大乗の逆の道に入っていこうとするマイトレーヤに対して称賛の意を表明したいと思う。それではこれから苦の詞章、大乗の発願を唱えましょう。
(苦の詞章)
(大乗の発願)
(「一切の衆生をポワするためにすべての苦しみをしょおう」)(それぞれ十三回ずつ)
この偉大なる詞章によって、すべての魂が絶対的な自由、幸福、そして平安の境地へと至りますように。そして今回のマイトレーヤの加行が、マイトレーヤの偉大なる魂の成長へとつながりますように。