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◆92/8/16 第二サティアン(極厳と狂気の修行者へ)
修行者の八つの原則----喜覚支から四つの静慮と十七形状界まで
(前半は2巻目に掲載)
ところで。修行に不可欠な要素、これをもう一度確認しよう。第一は。
(一同)喜覚支!
すべての修行は、喜びを具足しなければならない。もし喜びを具足できなければ、必ずその修行は途上で止まってしまうこととなる。それはちょうど、絶えず走る車に対してガソリンを入れ続けなければならないのと同じである。
第二は?
(一同)現世捨断。
もし、現世捨断のなされない修行を行なうとするならば、当然神秘力は生じない。したがって、現世捨断を行なうことは、修行者の第二の条件ということができる。特にこの現世捨断には、三つの要素があったよね。第一は?
(一同)……。
食捨断。第二は? 眠りの捨断。第三は、
(一同)怠惰
怠惰、そうだ。食・眠り・怠惰、この三つを捨断することにより、わたしたちは神秘の力を有することができる。次は?
(一同)不放逸
例えば、一日一ページずつ本を読んだとしても、一年間に三百六十五ページ読むことができる。これは、現代の本は薄いから、約一冊半から二冊の分量にあたる。しかしもし、わたしはたったの一ページしか読めないんだから、その努力を怠ろうと考えるならば、その人は年間に一冊、あるいは二冊といった本を読むことはできないだろう。これが五年、十年という期間を経て見た場合、ある魂は一日一ページしか努力してないのに、十五冊、あるいは二十冊といった本を読むことができてるし、ある人は全く本を読むことができず、それによって知識を得らんないということになる。したがって、今目分のできる全力を絶えず瞬間瞬間にぶつける。いいね。次は?
(一同)沈黙の行
わたしたちは言葉によって多くのプラーナを消耗している。もともとしゃべらなければしゃべらないほど、内側の意識というものを正確に見つめることができる。したがって必要以外のことはしゃべらない。必要なことも紙に書いて提出するぐらいの慎重な修行者としての心配りが必要である、いいね。次は?
(一同)奮闘努力
わたしたちの意識の中には、多くのけがれが存在している。そして、そのけがれこそわたしであるという認識がある。しかし、そのけがれであるわたしゆえに自己を不幸にしてる、と言わざるを得ない。したがって、いろいろなけがれを魔だと考え、それと徹底的に対決する。これこそが奮闘努力である。いいね。次は?
(一同)慚愧
対象を正確に認識する場合、自己の心の寂静、心の止滅、というものがポイントとなる。そして、止滅を行なう場合、当然心の謙虚さ、そして、いろいろな戒に対する謙虚さ等が必要となる。ここで要求されるのは慚愧である。いいね。次は?
(一同)証智・捨断・現証・修習
この証智・捨断・現証・修習は、クンダリニー・ヨーガのプロセス、あるいはマハームドラーのプロセスに最も大切な要因である、ということができる。まあここには、正悟師・正大師も存在しているから、マハームドラーにおける証智・捨断・現証・修習について説明をしよう。
まず自己の傾向、自己の言葉、あるいは自己の心の働きに対して絶えず観察を行なう。それにより正確な証智を行なう。これによって一切空の現象化を行なう種子を得ることができる。そしてそれを法則により、法則の思索により分解する。あるいは逆に、エネルギーを消滅させる、といった方向で分解する。そしてこれによって、分解されたかどうか、もう一度言葉・心・行為の三つを検討し、そしてそれによってどのような自己に新しい現象が生じたかを確認する。例えば例を挙げるならば、言葉のカルマが止滅した場合、その言葉のカルマによって、止滅によって、自己の周りの環境が柔らかくなり、そして優しい言葉をかけられる、等の素晴らしい結果が得られるはずである。これが「現証」である。
そして、その現証を喜びとし、何度も何度も修習する。この繰り返しを行なうならば、必ずならば、必ず離解脱、そして神秘力、これを得ることができる。次は?
(一同)四つの静慮と十七形状界
静慮の段階、サマディの段階をしっかり記憶することは、今自分がどのようなステージにいるのかを客観的に絶えず理解できる道であるということができる。したがって、四つの静慮に対する検討、それから欲界・形状界・非形状界に対する理解、これをしっかり深めて、今の自分のステージを確定させていただきたいと思う。
最後に一つ、面白い話をして終わりにしよう。ここにある人がいた。その人は、この人間世界においては無駄口を叩き、働かず、絶えず寝そべっているという状態であった。しかしその人は、いったん夢の世界に入ると、しっかり修行し、経典を読み、素晴らしいグルに教えを聴く。このような魂は存在する。このような魂の場合、この現世で修行しないでのほほんと生きてるより、夢の世界で修行した方が利益がある、ということができる。しかしこれを、第三者が客観的に見た場合、「アイツはいつも寝てる。起きろ!」といって起こすと。果たしてこれは善業になるだろうか悪業になるか考えてごらん。
わたしが何を言いたいのか、すべての現象は、その人の本質的な状態によって、善となり、あるいは悪となるんだということを認識した場合、あなた方の今生じている、有している観念が崩壊するんだということを、今日は最後の比喩として、あなた方にプレゼントしたかったからである。わかるか?
(一部の弟子)はい!
さあ、瞬間瞬間の努力を続けよう。いいね!
(一同)はい!