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◆92/5/21
スリランカ・バンダラナイケ記念国際会議場BM−CH
三つのニルヴァーナ/リトリートと八正道


 これは、テーラヴァーダの重要な教義に属するものの中で、最もわたしが大切だと考えている三つのニルヴァーナについて、これから説明したいと思います。
 ニルヴァーナには三つの状態があります。その第一は、阿羅漢の到達するニルヴァーナです。第二番目のニルヴァーナは、独覚、つまり、一人で修行をなし、到達するニルヴァーナの世界です。そして三番目のニルヴァーナは、ボーディサットヴァが十の徹底を達成し、そしてすべての真理を体現した後に行く最高のニルヴァーナです。この三つのニルヴァーナに至る道は違います。一般的にこの一番目と三番目のニルヴァーナは、タターガタ、あるいはバガヴァンが登場したときのみに現出されるといわれています。そして二番目のニルヴァーナは、これはタントラヤーナやヴァジラヤーナのような、特殊なヨーガ的技法を組み入れた仏教修行者のみが到達するニルヴァーナだといわれています。
 しかし、これらの通説は、例えばテーラヴァーダのどこを探しても、その根拠となる経典を見い出すことはできません。
 そして、この神秘の国スリランカにおいても、過去に多くの仏陀と呼ばれる方を輩出しています。そうであるにかかわらず、なぜこのような間違った教えが浸透しているのでしょうか。
 もともと、解脱へ至る道というものは、その土台として戒・サマディ・智慧・解脱・解脱智見の五段階が構成されます。そしてこの戒が確定しない限り、サマディへ到達することはできません。また、サマディが確定しない限り、智慧へ到達することはできません。智慧が確定しない限り、解脱が確定できません。解脱が確定できない限り、解脱智見は確定できないのです。
 ところで、テーラヴァーダの戒律にしろ、あるいはマハーヤーナの戒律にしろ、タントラヤーナやヴァジラヤーナの戒律にしろ、目的は何のためにつくられたのでしょうか。それは七科三十七道品のような、また四念処、下位に結びつける五つのきずな、上位に結びつける五つのきずなの捨断が容易に達成するためにつくられたのです。その証明として、律蔵を見ると、初めの優秀な弟子たちのころには、ほとんどの戒律は成立していませんでした。なぜならば初期の弟子たちは、よく修行をなし、そしてサマディに入り、解脱し、あ、智慧を得、解脱し、解脱精通見解を具足していたからです。
 しかし、サキャ神賢の時代においてさえ、時代が進むにつれ弟子たちの煩悩は増大し、五つのとらわれ、五蘊にとらわれるようになり、修行する弟子が少なくなり、そしてその結果サマディに入り、智慧を得、解脱し、解脱精通見解を得る弟子が少なくなったがゆえに、戒律が多く設定されるようになりました。
 サキャ神賢の時代と現代を比較して、この五蘊に対する影響度を考えると、どちらの方が強くわたしたちを影響する情報の量が存在するのでしょうか。当然現代の方がわたしたちの五感を使い、そして五蘊をけがす情報は多く存在しています。したがってその五蘊に、五蘊を完全に浄化するためには、今以上の多くの戒律が必要となることでしょう。
 しかし、今以上の戒律が増えることは、それはすなわち、この世に存在しない状態、つまり死の状態を現出する以外に感覚捨断の方法はありません。つまり、これ以上戒律を増やして、向煩悩滅尽多学男や向煩悩滅尽多学女が、現代生活を営みながら修行することは不可能だと思われます。そして、この問題を解決すべく、独房、あるいはリトリートと呼ばれる集中的極厳修行が存在します。
 これは北伝の最高峰であるチベットの仏教ではよく取り入れられてることですが、長期にわたる場合、一回のリトリートが三年三カ月連続で行なわれます。そして、その間はある決められた一定の空間から、修行僧は出ることができません。オウム真理教で師、あるいは正師、あるいは正悟師、正大師と呼ばれる者たちは、すべてこの極厳修行を行なっています。このとき彼らは一切の睡眠をとらず、そして経行・瞑想・教学・出入息、そして極端に少ない食事のみにて集中的に仏陀の教えを記憶します。
 例えばこの修行中、一週間から九日間、いっさいの食べ物、あるいは飲み物をとらないで、修行する修行僧も存在します。これはサキャ神賢のお説きになった聖なる十段階の実践と一致しています。十のパーラミー夕ーだけではなく、正見解から正離解脱見解精通へ至る十種の道へも通じています。
 それはなぜでしょうか。それは、サキャ神賢の教えにはっきりうたわれてるとおり、ザンキの念を持ち、不放逸を得、そして正しく学んだ者は、必ずまず第一段階の正見解へと到達することができます。この段階では確実に外界と捨断された空間に存在していますから、ほとんどの戒律を必要としません。したがって、第一の関門は突破したことになります。
 そしてこの段階で経典の記憶と、経典の記憶に基づいて思索を繰り返し繰り返し行なう段階に入ります。
 この段階では一般的な言葉はすべて禁句、つまり捨断されます。そして言葉として出す言葉は経典の読誦以外は認められません。よって、第三段階の正語の達成が可能となります。
 そして、第四番目の段階で、しっかりと座法を組み、呼吸における出入息を行ない、経典を読み、径行を行なう、そして最終的に究竟のサマディの実践を行なう、これを繰り返し繰り返し行なうわけですから、正行為の戒律も必要としません。つまり二十四時間法にかなった生活をしているわけだから必要ないのです。
 そして、第五番目の正生活については、二十四時間すべてが仏陀の教えを実践しているわけですから、これも達成していることとなります。
 ところで、これらの修行をしていると、自分自身の潜在意識にどのような愛著、どのような欲求が存在しているかを理解することができるようになります。そして、この証智の段階が過ぎると、それと対応した捨断の瞑想、つまり、それと対応した経典の教えを何度も何度も繰り返し記憶することにより、その煩悩を弱め、最終的には捨断してしまいます。しかし、この段階では潜在意識に入っていますから、その人の深い意識の中に仏教的機根がなければ、なかなかこの煩悩を捨断することは離しいです。ですからここで二正勤二正断の奮闘努力を行なうこととなります。
 そしてこの奮闘努力に勝利した者は、そこでエネルギーの上昇と、そして光を得ることができます。そして四つの心の専任するところ、下位に結びつける五つのきずな、上位に結びつける五つのきずなが完全に記憶修習され、意識がそれと一体となったとき、わたしたちはサマディへと入るのです。そしてこの段階でわたしたちは、六つの神通力と、つまり神秘力と、そして離解脱を得ます。そしてこの離解脱した後、わたしたちははっきりとこの現象界での存在、あるいは形状界での存在、あるいは非形状界での存在が苦しみであり、それは苦しみの生起をもたらすものであり、そして、それに対する苦しみの滅尽と、苦しみの滅尽に至る方法を完全に理解し、そして自分のものにするのです。そして、この段階を阿羅漢のニルヴァーナといいます。
 この状態は、ちょうど汚れきって全く見えなかった鏡の一部が透明になり、対象を一部分だけではあるが、正確に映し出すことのできる状態にたとえることができます。この、一部分透明な意識状態に没入した状態が阿羅漢のニルヴァーナですが、この状態から他のけがれた鏡のパートをクリアーにしていく修行を行なっている魂がいます。サキャ神賢は、この一部分を透明にした阿羅漢の弟子たちに対して大乗の教えを説きました。これこそが本当の意味での大乗の教えなのです。
 つまり、阿羅漢に到達していない者が、大乗、マハーヤーナの仏教を実践することは不可能です。なぜならばこの現象界における情報の中に身を置き、その情報の一つ一つを検討し、そしてその情報が自分自身の心にどのように影響を与え、煩悩を生起させるのかをしっかりと見つめ、その煩悩を捨断し、クリアーにしていく作業こそ大乗の修行であり、その根本の心の働きは、四つの偉大な心によって、支えられなければならないからです。
 そして、この最終的段階が、すべての鏡の部分をクリアーにした状態、つまり十力者の状態へと至ります。
 ここにいるわたしも、ヴィパッシー真理勝者が登場なさった時代、第二天界の有能神の王として存在し、そこでヴィパッシー真理勝者の教えにより阿羅漢の位へと到達しました。そしてそれから多くの生、この人間と神々の世界を流転し続けています。そして同じようにサキャ神賢の道を歩いている一人です。
 今日わたしがお話しした教えは、皆さんのよく知っている、テーラヴァーダの仏教の教えの中に説かれている内容です。わたしは、ヴィパッシー真理勝者以前の仏陀から、多くの経典についての解説を受けました。したがって経典に書かれている文字だけではなく、文字の意味合いについて、皆さんにお話しすることができるのです。
 今日はテーラヴァーダの教えのほんの一部分について、皆さんに話すことができるだけの時間しか持ち合わせてないことを皆さんにおわびをし、皆さんが偉大なるすべての真理勝者方、そしてシヴァ大神、すべての真理からの祝福を受けられることを祈り、今日の公演の終わりとしたいと思います。
 最後に、今日お話ししたとおり、皆さんがあきらめさえしなければ、皆さんは今生において、阿羅漢の位に到達することができます。特にここに集っていらっしゃる向煩悩滅尽多学男の方、あるいは向煩悩滅尽多学女の方が目覚められ、そして覚醒され、阿羅漢になることをわたしはお祈りいたします。このスリランカの人々と、スリランカのテーラヴァーダ仏教と、スリランカの国に祝福あることを祈り、最後の言葉とさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。