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◆88/9/4 富士山総本部
修行者の果報

 今日はね、なぜ人は修行しなければならないかについて考えてみたいと思うね。
 わたしたちは、一日二十四時間というものを与えられている。そしてわたしたちは、例えば、おいしいものを食べるのにそれを費やすこともできるし、あるいは、性的快楽にふけることにね、それを費やすこともできる。あるいは好きな学習をすることに、あるいは、ビデオを見ることに、あるいは恋人とデートすることにね、その時間を費やすこともできる。そして、それを一般的には楽しみだといっている。
 ところでだ、それをわたしが一般的な楽しみだと言ったのはなぜか、ね。その楽しみの裏側に、わたしたちをね、不幸に陥れる材料というものがそろっているから、一般的には楽しみだと言ったわけだ。では一体、なぜ麻原、お前はそう言い切れるんだと、ね、あなた方は考えるかもしれない。
 例えば、ここにA男さんがいる、あるいはA子さんがいる、ね。この人とデートを重ね、そして性愛にふけり、そして結婚し、という幸福なパターン……を歩いている人がいたとしよう、ね。これは、P、鏡にだ、黄金色の金粉をね、塗った状態だ。そうすると、この人は死後の世界に没入したときに、その黄金色の心の状態でものを見つめるわけだ。どうだ、現象をありのままに見つめることができると思うか。
(P答える)
 そうすると例えば、ね、その次の転生のとき、性的なものの裏側に苦悩があるというのはわかるな、喜びも苦悩もあるとね。しかし、それをそう見ないで、どうだ、綺麗なものとして映ると思うか、どっちだ。
(P答える。)
 飛び込んでしまうね。これが一つの恐怖だ。これは愛着の恐怖だ。
 同じように、その愛着というのは、今のは異性に対する愛着だったけど、ね、食事についても言える。食事もね、これは、あれが食べたいこれが食べたいという場合の愛着は、同じようにその食べたいものに対して、心は黄金色の金粉を塗った状態で映し出している。
 では、もしここに人がいて、人を憎むこと、ね、あるいは闘争することに心を集中していたとしよう。この人の心の状態というものは沸騰したお湯のような状態だ。ね、怒りまくっているわけだ。いいかな。S、どうだ、この人が中間状態に入ったとき、死後の世界で中間状態に入ったとき、物事を正しく見ることができると思うか。
(S答える。)
 これはね、台所へ行って試してみたらよろしい。例えば、どんなに正しいものでも怒りの感情があったときというのはね、正しく見えないんだね。歪んで見えるんだ。ね、それが怒りの心を持った人の恐怖だということができる。だとしたら、それを修行によって鎮め、ね、平らにするということは、わたしたちに大きな恩恵があると思うか、ないと思うか。K君、どうだ。
(K)恩恵があると思います。
 それは、例えばおいしいものを食べることと、どちらが価値が大きいと思うか。どうだ、K君。
(K答える)
 だから、賢者は修行しなければいけないと言っているわけだね。
 あるいはここに、ね、前生からの悪縁によって、あるいは今生での正しくない環境によってだ、偏見にとらわれている人がいたとしよう、ね。この偏見というものはだよ、ね、色眼鏡に相当する、ね、色のついた水に相当するわけだ。Hさん。色のついた水に顔を映したとき、その人の顔形・色とあるよね。その中のどの部分は正確に映って、どの部分は正確に映らないと思うか。
(H)顔の形です。
(尊師)顔の形が、うん?
(H)顔の形が正確に映って、顔の色が……
(尊師)正確に映らない。そうだね。顔の形が正確に映って、顔の色が正確に映らないと。それと同じように、偏見に支配された心と言うものは、ね、形を正しく映すことはできるけども、つまり、一見正しく映しているように見えるけどもだ、しかし、顔の色を正確に映していない。ということは、どうだ、すべてを正しく映していることになるか、ならないか。
(弟子たち)なりません。
(尊師)ならないね。すべてを映していることにならないね。そして、中間状態に入ったとき、同じように、ね、色のついた心の状態でものを映し出しているとしたらだ、どうだ、それはありのままに見ていることになると思うか。それとも、選択を誤ったことになると思うか。どうだ。
(弟子たち)誤っています。
(尊師)では、それを浄化すること、清めること、そして透明な水にすることはわたしたちに恩恵があると思うか、ないと思うか。A。
(A答える)
(尊師)そうだね。ではだ、ここに修行者がいて、ね、ただひたすら眠たいと考える、怠けたいと考える。ね、まあ、これは仏教ではコン眠といわれている状態だけども、ね、この状態のときにだ、ね、心は、心の上にちょうど苔を、ね、水の上が苔で覆われている状態になっている。この状態のときに、ものを正しく映し出すことができると思うか、できないと思うか。L、どうだ。その状態のときどういう映し出し方をすると思うか、L。
(L答える)
(尊師)ものが全く映らない状態だ、苔によって、ね。するとその状態というのは、どうだ、何も判断する材料すらない状態だ。これを一般的には無智といっているよね。わかるね、言っていることは。だとすることはだ、わたしたちが怠け心に打ち勝ち、あるいは眠気に打ち勝つことは、わたしたちに利益のあることだと思うか、ないことだと思うか。どうだ。そして、それを超えることはわたしたちに利益があると思うか、ないと思うか。どうだ。
 次にだ、現世的な観念によって単なる功徳を積んでいる。この状態というのは白き光にわたしたちの心は包まれる。あるいは白銀色に見えるかもしれない。この心の状態のときわたしたちは、満足、あるいは自慢、あるいは、ね、プライドといった状態に陥っている。N。この状態のとき、ものを正しく映し出すことができると思うか、できないと思うか。
(N答える)
(尊師)中間状態に入ったとき、ね、やはり同じようにこれも過ちを起こす。ということは、わたしたちはこういう、ね、例えば小さい功徳に対して執着しないと、観念に対して執着しないことは、わたしたちに恩恵を与えてくれると思うか、くれないと思うか。どうだ。そしてわたしたちが、自己の満足の中に没入しないことが、わたしたちに恩恵を与えてくれると思うか、くれないと思うか。どうだ。
(弟子たち)くれます。
(尊師)そしてだ、今君たちの行なっている修行が、今わたしの挙げた心の浄化につながるとしたらだ、それは君達が飯を食らい満足し、ね、あるいはデートをして満足し、ね、あるいはプライドに没入して満足し、ね、あるいは闘争本能や怒りの中に没入して満足し、ね、あるいは偏見にとらわれて満足する。ね、そういう人たちに比べてだ、徳が高いと思うか、低いと思うか。どうだ。
(弟子たち)高いです。
(尊師)だから、修行者の徳は最高だといわれている。つまり君たちはそれを止滅し、清らかな、そして揺れのない、ね、その上には苔一つ生えてない心の状態を作ろうとしている。ね、この状態のとき、すべてのものはありのままに見えると思わないか。どうだ。
(弟子たち)思います。
(尊師)そして、今そのための修行をあなた方はやっているわけだ、どうだ。だとしたら、今のあなた方の修行は、あなた方に恩恵を与えてくれると思うか、くれないと思うか。
(弟子たち)与えてくれます。
(尊師)そして、あなた方はそれを最高の幸福の中にいると思うか、思わないか。どうだ。
(弟子たち)思います。
(尊師)そして、その幸福を周りの人に分け与えなければならないと考えるか、考えないか、どうだ。
(弟子たち)考えます。
(尊師)これが、わたしたちが修行しなければならない意味である。そして、これがわたしたちが周りの人を救済しなければならない意味である。ね、もしここに修行者がいて、純粋で、ね、しかも励み、ね、透明な曇り一つない心を作った修行者がいたとしよう。その修行者が、死後の中間状態に入ったとき、ね、そのとき、どうだ、k。ものをありのままに映し出していると思うか、映し出してないと思うか。
(k)映し出しています。
(尊師)そうだ。ものをありのままに映し出している修行者はね、中間状態で苦は苦として見、楽は楽として見る。苦でもないもの楽でもないものは、苦でもない楽でもないとして映し出す。その状態で、例えば転生を決める、例えば転生をしなかったとしたならばだ、その修行者は、ね、幸福な次の転生、あるいは転生しない状態を送ることができると思うか、できないと思うか。
(弟子たち)できます。
(尊師)どうだ、そうすると最高のその人の幸福を得たことになると思うか、ならないと思うか。
(弟子たち)なります。
(尊師)これが、修行者の果報だ。
 そして、あなた方が励むこと、あなた方が苦しみに打ち勝つこと、これは、あなた方にとって大きな利益を与えるか、与えないか。
(弟子たち)与えます。
(尊師)だとしたら、あなた方は今の苦痛に耐えることができるか、できないか。どうだ。
(弟子たち)できます。
(尊師)よし。今日はカルマと心の働き、そして、輪廻転生の関係についてね、簡単に説いた。あとは、これをあなた方が活用するしないは、あなた方の自由だ。そしてあなた方が、例えば、怒りの、沸騰した心の状態が起きなくなっただけでも、一つの苦悩から解放された、解脱したということができるだろう。例えば、あなた方が励むことによって、ね、励み、努力することによって苔らの覆いを取ったと。これも、あなた方が一つ解脱したということができるだろう。例えば、偏見を、正しいものの見方によって取り除いたと。これも、あなた方が一つ解脱したということができるだろう。
 じゃあ、もう一つ質問しよう、最後に。ここに心が錯乱した人がいたとしよう。この人の心の状態はどうなっているかわかるか。どうだ。ここに心という池があってだよ、その他の底辺の部分には土があるわけだね。それをかき混ぜてごらん。錯乱しているんだから、hさん、どうなりますか。
(h)泥水になります。
(尊師)それは、ものを正しく映すと思いますか、映さないと思いますか。
(h答える)
(尊師)ね、修行者の心が平静である。いかなる状況にあろうとも錯乱しない。そういう心の状態をあなた方が作ったとしたらば、それは絶えず清らかなね、下にはきちんと土の沈んだ、すべてをありのままに映す心の状態ができ上がる。ね、そして修行が進んでくると、心が絶えず平静となる。これもあなた方の果報だ。いいね。
(弟子たち)はい。
(尊師)だから、あなた方が感情的になることは、あなた方に利益を与えない。いいね。
(弟子たち)はい。
(尊師)あなた方が心を錯乱させることは、あなた方に利益を与えない。いいね。
(弟子たち)はい。
(尊師)あなた方が怠けることは、あなた方に利益を与えない。いいね。
(弟子たち)はい。
(尊師)あなた方が偏見にとらわれることは、あなた方に利益を与えない。いいね。
(弟子たち)はい。
(尊師)あなた方が執着することは、あなた方に利益を与えない。いいね。
(弟子たち)はい。
(尊師)そして、あなた方が小さな功徳に対してこだわること、これも、あなた方に利益を与えない。いいね。
(弟子たち)はい。
(尊師〉もっと心を大きく持って、今なしている修行に集中する。そして心を清め、清澄な状態で、ありのままを見つめる。そうすることによって、あなた方には来世、大変な果報が待っているだろう。いいね。
(弟子たち)はい。
 よし、では今日の説法を終わります。