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◆92/4/18 第二サティアン
発情と雄性行動、その捨断と昇華
君たちは自己を灯明とし、そして自己を本質とし、真我を灯明とし、真我を本質とし、真理を灯明とし、真理を本質とし、グルを灯明とし、グルを本質としなければならない。
もともと仏典には、南伝系の教えと北伝系の教えがある。そして南伝系の教えにおいては、男尊女卑の傾向は見られないが、北伝系の教えには男尊女卑の傾向が見られる。実際問題、男尊女卑なのかどうかという問題は、これから君たちと一緒に考えていきたいと思う。
君たちもよく知ってのとおり、わたしたちの肉体には、ホルモンが存在している。このホルモンは、いろんなホルモンがあるわけだけども、性を区分するホルモンとして、男性ホルモンと女性ホルモンがあると。そしてこのホルモン分泌の強弱によって、男性的傾向が強くなったり、女性的傾向が強くなったりする。
もともと女性は発情し、男性はそれに反応して雄性行動を起こすと。一般的な場合、これは正しいと。もっと正しくいうならば、メスの本性として発情があり、その発情に反応して雄性行動があると。この発情とは何かというと、要するに、「子供を作りたい」という気持ちであると、一般にいわれている。しかしこれは嘘だ。
じゃあ、何の欲求なのかと。それは、対象を求め、そしてその対象に快楽を求め、その快楽を貪るという意識の、過去における、過去世における、経験の構成が強く対象を求めると。そしてその対象の心の働きがあるいはイメージが、オスに影響を与えると。そしてオスは、同じように過去の、あるいは過去世の記憶によってそれに反応すると。これが発情および雄性行動である。したがって発情の本質は妊娠てもなければ受胎でもないと。
しかし、現代の人間は、もう一段階、ていたらく、堕落した意識状態である。ではどのように堕落してるのかと。それは、発情でもないのに、あるいは雄性行動を起こす条件でもないのに、反応してしまうと。なぜ反応するのだろぅか。それは、強い強い記憶修習がなされてるからである。例えばマンガ、あるいはアニメ、あるいは映画等によって恋愛の場面を記憶修習する。あるいは恋愛の心の働きを記憶修習すると。もともとわたしたちが人間界に生まれてきたのは、この、異性に対する欲求によって輪廻転生してるわけだから、それをより強く記憶修習することにより、その経験の構成はより強いものとなる。そしてそれが得られなくなると、憤激する。「わたしはわたしの求めてるものが得られないっ!」と。
しかし、実際わたしたちは、無常を根本とした上に、絶えず存在してるわけである。したがってそれをもし得たとするならば、得た分だけ苦しみは増大する。逆に、得ないときの記憶修習をする、これが大切なのである。
しかし、この現象とは裏腹に、女性が男性を受け入れるかたちで性的行為がなされると。ということは男性の方が、女性よりも積極的性的活動を行なうかのように見えるわけである。しかし実際は、呼び込まれているのである。
ここで、例えば、どのような捨断をするのかと。それは男性的捨断を行なうのが一番よろしいと。そして女性も男性的捨断ができる、つまり本当の意味での男っぽい女性になることができたならば、それは真の修行者ということができる。男っぽい修行者とは、レズという意味ではない。それは仏典にも、例えばケイマ比丘尼や、ウッパラヴァンナー比丘尼が、悪魔の誘惑に対して対決しているシーンがあると。そのときの言葉遣いはまさに男である。
どの仏典だったか、仏典は忘れたが、サーリプツタが、「女性は神聖衆天までしか転生できないんだ」という話を北伝で語ってるという経典がある。これが本当であるか否かというのは、ま、これからわたしは、わたしの弟子たちがどのようなかたちで成長していくのかを見ることで、その真偽を確かめたいと思う。逆に「パーラーヤナ」などでは、在家の女性信徒であるヴェールカンタキー帰依信女が、第四静慮まで達成していたという話もある。これは大きな矛盾である。
このように、一つの仏典といっても矛盾を内在している。しかしわたしたちは、そのどちらの経典が正しいかについて、その文書を解釈するだけでよしとしてはいけない。絶えず鋭い目で観察する。そして例えば、今オウム真理教の君たちの先達である、ケイマ正大師やヤソーダラ正大師や、キサーゴータミー正悟師やウッパラヴァンナー正悟師等々が、あるいはTD正師やTB正師や、TG正師やTN正師や、まあその他の正師、この女性の正師たちが、本当に凛々しく悪魔に対して対決し、そして第四静慮を確定し、絶えず神聖行の見本として修行を続けていく、このような現象を見受けるとするならば、北伝は嘘っぱちであると断言すればよろしい。しかしそうではなく、大神聖天を絶えず求め、その配下に入り、そして第一静慮のみしか達成できないとするならば、それは南伝が嘘っぱちであると考えればよろしいと。
つまりわたしたちは現象を、ありのままに淡々と見つめればいいのである。なぜならばサキャ神賢の時代に説かれた法はすでに、このオウム真理教に存在している。あとはその法則を実践するかどうかは、個々の精神レベル、個々の魂のレベルで決まるわけである。
次に、捨断のプロセスについて少し話をしたい。この発情に対して雄性行動が起きるわけだが、経験の止滅のしたのち、例えばエンパワーメントの後その他のときに、これは男性にしろ女性にしろ、男性的傾向が弱められる。おそらくそれは右手を使ってのエンパワーメントなるがゆえに、右の気道、つまりスーリヤの気道の詰まり、男性的傾向が弱められるためだと考えられる。これによって逆に、意志の強さその他が弱められると。意志の強さその他が弱められることによって、発情に対して反応するようになると。
しかし、いったん成就した者が、また元のように、男性ホルモンを復活させることができるならば、つまり右の気道を浄化しきることができるならば、完全な捨断がなされると。そして捨断がなされたときこそ、本当に楽が生じるのである。なぜならば、どうだ君たち、徳の高い魂、善を積んでいる魂、あるいは心に安らぎを有する魂、あるいは法則の実践によって、この人間界以上の力を有する魂がここに存在したとして、それは異性にとっての憧れの的になると思うかならないと思うかどうだ。そして意識次元が低ければ、その異性の意識というのは、何によって対象を思念すると思うか。それは発情だろうか、それとも尊敬だろうか。どうだ。そのとおりだ、発情である。
ではだ、その発情の思念を受け続けた場合、受ける側は、雄性行動の過去の記憶が呼び戻されようとすると思うかしないと思うかどうだ。ではその段階で苦が生じると思うかしないと思うかどうだ。ではここでもし強い思念、強い決意、強い意志を有し、実際問題としてエネルギーもそのよぅな状態であるならば、それを跳ね返せると思うか跳ね返せないと思うかどうだ。
このようなかたちで、煩悩を有する場合、有さない場合、同じ男性ホルモンの働きが逆向きに働くのである。つまり、雄性行動をもともと好んでいる意識状態のときは、それは破戒につながると。雄性行動を好まない意識状態のときは、それは? 捨断につながると。したがって、ホルモンの本質には善悪はないと。
では逆にだ、この発情というものが、昇華されたらどうなると思うか。X、発情のホルモンは何だ、一般的には。
(V師)脳下垂体からの、
(尊師)LHOといわれてるやつか、
(X師)LH…、卵胞刺激ホルモン
(尊師)といわれてるやつだな。
OK。卵胞刺激ホルモン、あるいは黄体刺激ホルモンがあると。この発情が昇華されたらどうなると思うか、君たちは。慈愛につながるんだね。つまり、すべての人に対して、本当に優しい心、これが出てくるんだ。したがって北伝では、例えば父母に対する情と、それから慈愛とは同じであるといってる。実際は違うよね。先程言ったとおり、ホルモンの本質そのものは同じであったとしても、その働きは、発情と慈愛とは違うよな、どうだ。そしてこのようなかたちでわたしたちがより低次元のエネルギーを昇華することにより、わたしたちは高次元の意識状態を経験できると。
君たちは、証智しなければならない。それは自分の内側にあるイメージのけがれ、あるいはもともと本質的データのけがれ、これをしっかり証智し捨断し、そして低級のホルモンの働きを昇華させ、上級のホルモンに移行させなければならない。いいね!
(一同)はい。
そして、例えば雄性行動、これは悪ではない。例えば発情、これは悪ではない。ではなぜ悪ではないのか。それは昇華すればいいことだ。いいな! いかに昇華するか、これが大切である。
もともと大煩悩を有する者は、大きな解脱へとつながるといわれている。この大煩悩を有する者は大きな解脱へとつながるという意味は、先程述べた発情や雄性行動の根本であるホルモンの分泌が盛んであるとして、そのホルモンの分泌が昇華された場合、大いなる解脱へ到達できることになる。わかるか?
(少数)はい。
逆にもしこれが、昇華されなかったらどうなるか。単なる、最悪の凡夫になるよね。わかるよね。
この中にも、低級の煩悩を修習して楽しんでるバカ者がいるが、それは早く昇華しなさい。いいねっ!