TOPorLINKFS4トップ>FS4内容

◆92/4/17 第二サティアン
タントラヤーナのプロセス

 今日は少し趣を変えて、タントラヤーナの教えについて話をしたいと思う。
 わたしがなぜこのタントラヤーナの話に踏み切ったかというと、君たちの中で、若干名ステージの高い者がいて、その者たちに教えを残さなければならないと考えてるからだ。
 もともと君たちも知ってのとおり、テーラヴァーダ・ブッディズム、あるいはヒナヤーナ・ブッディズム、マハーヤーナ・ブッディズム、タントラヤーナ・ブッディズム、ヴァジラヤーナ・ブッデイズムと、まあだいたい、大きく分けて五つの系統の仏教があると。もちろんこのほかに、その修行を支える多くのヨーガが存在してると。
 例えば、アナー夕ピンディカ長者がなした修行、これはヨーガ的言葉を使うならばバクティ・ヨーガである。それは、サキャ神賢という偉大な神に対する、偉大な賢い神に対する、ディボート、献身であるといえよう。しかし、そのような角度で教えを分析した経典は一つもない。なぜないのか、それは観念的仏教に、サキャ神賢の入滅後、どんどん変化していったからである。もともと「教え」というものは生きてなければならない。
 例えば如来の三十二相の中に、馬陰があると。この馬陰とは何かというと、男性性器が睾丸に隠れるということである。実はわたしは、小さいとき外的に、「これが性的な本能だよ」と、「これが性的煩悩だよ」というまで馬陰の状態にあったと。そしてわたしは、性的本能を教えられ出してから考えたと。「わたしの性器はずいぶん小さいな」と。「わたしは、なぜこんな小さな性器を有してるんだろう」と。「そしてそういう小さな性器というものは恥である」と。これがまあ一般の、現実的社会を営んでいる者たちの無智な考え方である。もちろんわたしが、このような馬陰の状態で輪廻転生してきたのは、前生におけるわたしのステージを表わしている。そしてそこで、いろいろなデータを放り込んだと。そしていろいろなことを行なったと。
 しかし、真理の実践、そして最終解脱へ至る道において、これは誤った見解である。もし君たちが真に解脱を望むなら、必ずこの馬陰の状態が訪れなければならないし、もし訪れていないとするならば、それは君たちの動物的性質が捨断されていないことになる。つまり君たちは動物と同じであるということになる。特に、大きな性器を持ち合わせてる者は、これは動物と変わらないと。
 なぜならば、経験の構成を考えたらよくわかるはずである。大きな性器、イコール、それだけ性的修習をなしてるがゆえに、今生そのような性器をぶら下げて生まれてきたんだと。
 ではそのような動物的要素というものは捨断できるのかと。もともと、生殖器を検討してみる場合、それは、海綿体とそして血管によって成り立っていると。ということは、わたしたちの意識が生殖器から完全に離れ、そして、その機能を全く使わない状態、意識においてもそれを使わない状態が生じると、そこから血液が撤退すると。そしてどんどん退行を始めると。この退行を始めた状態、これが馬陰のスタートである。そして最終的には、完全に睾丸の中に性器は隠れてしまう。そしてこの状態をもって如来の三十二相の一相としていると。これはなかなか正しい考えである。つまり、下位の煩悩を捨断するならば、そのときそこに兆候が現われなければならない。そしてその兆候は、必ず精神的ステージと連動しなければならない、ということになる。
 このような教えを、わたしが君たちに垂れると君たちはこう反論するだろう。「しかし仙道においてはそうではないよ」と。
 これから仙道の理論について少し話をしよう。わたしはもともと仏教・密教・ヨーガ・仙道において最終の段階を経験してる。したがって君たちに、いかなる角度からもサキャ神賢の教えが、シヴァ大神の教えが絶対的なものであることを証明できる。
 もともと、仙道の考えはこうである。まず、生殖器を使って徹底的にエネルギーを蓄えると。ここでは決して精液を漏らさないという条件がある。もちろん流派によっては、精液を漏らすことを認める流派もある。これが俗にいう左道仙道である。しかし、この場合のポイントは、左道仙道において精液を漏らす仙道は、健康、あるいは心身のリラックス、ここを目的としている。つまり解脱を目的としてるわけではない。したがってまず、目的を認識すべきである。君たちが不死に到達したいと考えるならば、この健康、心身のリラックスのレベルにおける仙道をよしとしないはずである。つまり、タオイズムの最終段階を考えるならば、当然、精を漏らさないということがまず前提になると。
 そして何を行なうのかというと、まず表面的気道の浄化、つまり俗にいわれてる小周天とか大周天といわれる、エネルギーの上昇および下降を何度も何度も行なうことになる。ここで、スヴァディスターナに蓄えられた性的エネルギー、実際精液ではなく、その精液に含まれている、そうだね、熱元素といった方がいいのかもしれない。このエネルギーを上昇させると。そしてそれにより気道を徐々に徐々に大きくしていくと。気道を大きくすることにより、蓄えられたエネルギーは即座に上昇するようになると。そして最終的には、そこに溜まることがなくなると。つまり、精嚢に溜まることがなくなると。そしてこのときどうなっていくのかというと、これからが一つのポイントである。
 まず第一番目に、感覚が弱められると。次の段階で完全に感覚が止まると。このときに意識はどうなるかというと、異性の欠点に目が行くようになる。つまり、愛著と反対側の厭逆の方向へ意識は向かうのである。
 そして、スヴァディスターナ・チァクラによって作られた、あるいは秘密チァクラによって作られたエネルギーが、どんどん上昇すると。上昇することによって体全体の快感、これは、性的な快感よりもメッチャメチャに強いわけだけども、それを経験するようになると。そしてこの快感の経験によって、性的な交わりがいかに無益なものであるかを悟ると。そして次には、その快感状態をより強く求めるようになると。しかしこの快感も無常であって、ナーディーがどんどん浄化されていくうちに、快感が消えてしまうと。しかしこの快感が消えると何が起きるのかというと、心身に「楽」が生じると。そして、一種の、外的に見たら痴呆の状態、無思考の状態が生じると。無思考の状態が生じるがゆえに、当然、性的対象に対する認知がなくなり、そして完全な馬陰が起きるのである。
 しかしこの方法は、君たちでは無理だ。なぜ無理かというと、君たちはもともと性的な煩悩を喜貪していると。そして多くのイメージをすでに形成している。このようにイメージを形成してる者が、この修行に入ると、経験とイメージとがオーバーラップすることになり、そして結果的には相手の煩悩を受け、そしてアパーナ気を強め、精を漏らすようになり、落ちていくのである。
 したがってこの方法は、前生において、仙道において、タオイズムの最終地点に到達した者のみが経験することのできる修行である。もちろんわたしはこのタオイズムの修行、これはいち早く達成した。そしてこの長所と欠点については精通してるつもりだ。
 では、わたしたちにはどのような方法が向いてるのかと。それは、神聖行が最も向いてるといえると。では神聖行の中の、どのような修行が最も向いてるのかと。それは、捨断であるといえると。しかしだ、ここで君たちはこう考えるだろう。「自分たちの周りに異性がいる」と。「イメージがある」と。「この二つが絶えずグルグル回ってるのにどのように捨断するんだ」と。
 そこで考えたのが、温熱であると。この温熱は、トゥモの変形であるということができる。そして身体の体温を四〇度、あるいは四〇・五度、四一度四二度とどんどん上昇さしていくと。で、このときに何が起きるんだろうかと。このときに、もともと生殖その他で使われている男性ホルモンが、熱の発生源になると。そしてそれによってわたしたちのナーディーを浄化させると同時に、極論するならば性的不能者になると。そして、睾丸がたるみ、性器が小さくなり、どんどん引っ込んでくると。これによって、性的煩悩は完全に捨断されると。ついでに言うならばこのときに、ものすごい熱い熱のサットヴァレモンを飲むことにより、胃腸も要するに夏バテと同じようにまいってしまい、食欲が不振になり、ちょうど食べなくてすむと。これによって食は捨断され、性的煩悩は捨断されると。
 この方法は、方法論からいくならばヴァジラヤーナ的な方法である。・・・大変なスピードでわたしたちの修行を進めるはずである。
 わたしが言いたいことは、君たちに温熱をやりなさいと言ってるわけではない。今日君たちに言いたいことは、どのようなかたちで煩悩が捨断されていくのか、それを理解しようと。そして、今日帰ったら君たちは自分の性器を見たらいいわけだけど、その性器が大きければ、「わしは前生において相当動物の修習をしてるんだ」と、そう認識すべきだ。そしてこれをいかに小さくするか、次に体の感覚、もちろん生殖器の感覚等をいかに捨断するか、止滅するかについて全力をあげるべきである。そして、完全に感覚が捨断された段階で、例えば性器が小さくなれば、これは修行者として成功してると。もし小さくならなければ、「わたしは観念的に感覚が捨断されたと思っているが、実際感覚は残ってる」と考えるべきである。
 ではなぜこのように、性的感覚の捨断、あるいは馬陰が必要なのかと。ではなぜ、食の捨断が必要なのかと。どうだこれは。昨日の教えにもあるとおり、まずわたしたちが無煩天にならなければ、次には、無熱天にはなれないよね、どうだ? つまり体温が下降する、体が冷えるような状況が起きて初めて、わたしたちは第四サマディ、呼吸の停止を経験できる。どうだこれは。そうじゃないか。
 つまり君たちの目標は呼吸を停止させることじゃないのか、どうだ。よってわたしの慈愛によって、わたしの君たちに対する哀れみによって、そしてシヴァ大神すべての真理勝者方の、あるいはタントラの神々ヴァジラの神々の哀れみによって、今日は君たちがこれからアンダーグラウンド・エアータイト・サマディに入るための、秘儀を伝授したわけだ。
 本気になれば十日、あるいは一カ月ぐらいで、まず無煩天、そして無熱天の状態に至れるだろう。その途上で君たちはゲッソリするかもしれない。しかし君たちは、初めてサマディというものを経験できるだろう。
 参考までに述べるならば、体温の上昇が四〇度を越え、四〇・二、四〇・三、ここらへんを安定して出せる状態になれば、必ずサマディに入れるはずだ。なぜならばそのときすでに、熱の代謝は異常となってるから、低温になろうと高温になろうと耐えられる肉体状態ができあがってきてるということがいえる。そして、四三、四四、四五と体温が上昇するようになれば、君たちは、一人前の聖者ということになる。そのとき君たちは、第四静慮、化身、光の没入、それからダルドリー・シッディ、浮揚の前のダルドリー・シッディね、それからサマディにおける意識の連続等を経験できるはずである。
 これがわたしの君たちに対する慈愛だ。しっかりやんなさい。


 はい、修行の原則。一。
(修行者)喜覚支。
二、
(修行者)現世捨断。
三、
(修行者)不放逸。
四、
(修行者)沈黙の行。
五、
(修行者)奮闘努力。
六、
(修行者)ザンキ。
そして?
(修行者)証智・捨断・現証・修習。
 ん? うん。そうだな。それから最後は今日の内容、いかなる方法をとろうとも解脱するという思念を持つ。いいね。
(修行者)はい。
いかなる方法をとろうとも、四つの静慮を達成する、いいね。
(修行者)はい。
四つの静慮を達成してはじめて、サマディの今度は分類へ入っていけるわけだから、まだ君たちはサマディの分類を入るだけの土台ができてないから、その話はできない。いいね。
(一同)はい。
しっかり頑張れ!