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●92/4/16 第二サティアン
四つの静慮と十七形状界----初めて説き明かされる微細な法則
わたしたちの達成しなければならないもの、それは四つの静慮である。そして、この四つの静慮の最終段階において、サマディへ入り、わたしたちは解脱すると。この過程は君たちもよく知っているはずである。しかし、その細かな部分について君たちはまだ経験していないし、仏典にもその名前のみが記されていると。
四つの静慮と対応されるのは、一般的には十七形状界である。そして、第一静慮を神聖天にあて、第二静慮を光天にあて、第三静慮を総美天にあて、そして、第四静慮を広果天から色究竟天までにあてていると。
実際、この微細な分類をするならば、今君たちが行なっているサマディの状態は、まだ本格的なものではない。あるいは、君たちが経験したサマディは、まだこのパートにしか属さないんだということが理解できるはずである。
例えば、最もわかりやすい第四静慮から入るならば、この第四静慮には呼吸の停止というものが存在すると。しかし、この呼吸の停止は広果天から色究竟天までの----広果天、今は偉大果報天ていってるよね、確か。それから、第二番目が無煩天、これは超空間愛欲神天といってるよね。それから、無熱天、これは超燃焼天といってるよね。それから、善現天だ。善現天、これは善安楽天といってるよね。それから、善見天、これは善現象天か、といってるよね。そして、超越童子天だよね。つまり、色究竟天、超越童子天という分類があると。
で、実際問題として、この状態に入った聖者は、この状態の現象を起こす力を有するのである。したがって、この力を有することのできない聖者は第四静慮を達成していないということになる。
では、第四静慮の達成。例えば例を挙げよう。まず、偉大果報天とは何かというと、その人の善業悪業が即座に現象化する状態であると。しかも、それはダイナミックな形で現象化すると。
次の無煩天。これは超空間天か。超空間天。このときには、この肉体の構成がバラバラになり、ちょうど空間無辺境の前段階のような崩壊を経験すると。そして、それと同時に煩悩は確実に止滅すると。ここでいう煩悩の止滅とは外的情報を入れても、普通の状態では煩悩が生起しないことを表わしている。
そして、三番目の無熱天。つまり、超燃焼天は思念によって体温を上昇させることはある程度できるが、実際、体温が上昇しなくなると。そしてどんどん冷たくなると。
次の善安楽天はその状態で三昧に入り、そして、歓喜とそれから安楽とを有する状態。しかも、これは生存そのものが苦しみのない状態を経験すると。
善現象天とはすべての善の果報が一気に現象化すると。そして、この世の王以上の王へと移行すると。例えば、それはちょうどサキャ神賢が、君たちも知ってのとおり、ビンビサーラ王や、あるいはアジャータサットゥ王や、あるいはルリ王や、あるいはパセーナディ王と比較すると、それより偉大な魂であるということを世の中が認めた、その状態を見ればわかるはずである。あの状態こそ善現象天であると、社会的にはね。
そして、超越童子天と。これは生死を完全に超越し、自在に生と死をコントロールできる状態を表わすと。
つまり、この偉大果報天から超越童子天までの各段階を経験するだけではなく、具足する。つまり、どのような状況にあろうとも、その現象が生じる。この達成をもって、第四静慮を終了とするのである。
同じように、第三静慮についても、第二静慮についても、第一静慮についても、その検討を加えなければならない。
まず第一静慮。この第一静慮は神聖世界への門であり、神聖世界の一つ一つの意味合いが静慮と関係されなければならないと。関係づけなければならないと。いいね。
まずV、神聖衆天、これは同じか、訳語は。はじめは神聖衆天。第二番目は?
----えっ、そうか? 梵衆天でしょ。----でしょ。昔の言葉、梵衆天だよな。梵衆天、これは神聖衆天ね。第二番目は梵輔天だよなあ、梵輔天。これは神聖衆代議天だね。神聖代議天か。梵輔天が二つに分かれるんだよね。これは南伝と北伝とはズレがあると。つまり、北伝の分類の仕方からいくと、梵衆天、梵輔天、大梵天と。この三つに分類すると。しかし、南伝の仏典の分類法はそうではなく、神聖衆天、神聖代議天、神聖臣天、大神聖天の四つに分類できると。
これは何を意味するのかと。まず、神聖衆天とは何かと。これは出家修行者の仲間に入り、その魂が遠離と離貪を具足している状態、つまり、煩悩的にサマディとかに入れないけども、煩悩捨断を志している状態。そして、その煩悩捨断において、現世の価値より出離の修行を好んでいる状態、しかしそれは大きな神聖天へ至る仲間の一人にすぎない状態と。この状態から第二番目の神聖代議天へ入ると。
神聖代議天に入ると、これは発言、神聖天における発言がなされるようになるわけだが、実際、静慮においても、煩悩、愛著、これに対してのしっかりした捨断の考え方が根づいている状態と。したがって、発言が認められる状態ということができると。つまり、まだ神聖衆天の段階では発言は認められないと。神聖代議天へ入って、やっと発言が認められると。この発言が認められるとは思索が始まった段階と。捨断の記憶修習が実り、思索が始まった段階と考えることができる。
そして、神聖臣天。この神聖臣天に入ると、大きな集団の、例えばサキャ神賢の時代には五百のビックが存在したわけだが、このビックの中心的な、例えばマハーカッサパやマハーモッガラーナや、あるいはサーリプッタという偉大な聖者方の補助についた魂の状態を表わすと。そして、煩悩の本質をある程度見極めきった状態、苦しみの本質をある程度見極めきった状態を表わすと。
そして、大神聖天の状態に入ると法則を説き明かすことができると。つまり、熟考と吟味によって自己の内側を完全に観察することができるがゆえに、法則を説き明かし、出家修行者の面倒を見ると。つまり、神聖世界へ至る魂の指導者になることができるという状態を表わすと。よって、この第一静慮、この第一静慮の本当の意味合いというものは、内側の教義が根づき、そして、周りの衆生に対して、法則を説き明かすことができる、この状態を表わしているのである。つまり、教義が愛著に勝つと、教義が邪悪心に勝つと、教義が迷妄に勝つといった状態を表わしていると。しかし、この状態は通常の思考、表層の思考による検討であるということができると。これが第一静慮である。したがって、法則も説けない状態では、煩悩に対して正答が出せない状態では、第一静慮を達成したとはいえないと。どうだ、みんな。----簡単だねえ。そして、この静慮を完全に達成すると、君たちの来世は大神聖天へと至ることになる。
では、次に第二静慮である。これは光天といわれる天界である。これ昔は何ていったんだっけ、光音天か。----記憶がない。OK。じゃあ、いこう。第二静慮はどうなるかというと光天、そして、かすかな光の天、そして、無量光天と。これについて、わたしは神々の示唆をいただいたと。これは何を表わしているんだろうかと。つまり、第一静庸によってわたしたちは完全にナーディーの浄化をなすと。ナーディーの浄化がなされた段階で、わたしたちのエネルギーはイダー、ピンガラ、スシュムナーの三つの気通を通って上へ突き抜ける。そうだな。どうだ。そして、光を見たと。ピカッと光るようになるよね。この状態、この状態がまず光夫であると。そして、その光が目にチラチラとし続ける状態が生じてくる。どうだ、これは。この状態が、かすかなかすかな光の天であると。そして、第三段階で無量の光、光に絶えず包まれている状態が生じると。これが無量光夫の状態であると。これはオウム真理教では何といってるか。光の没入といってるよね。そっかあ。しかし、すごい。
いよいよ、第三段階であると。第三静慮であると。さあ、君たち、何が出てくると思うか、次は。これは総美天でいいんだよな、うん。いや、総美天でいい。あ、仏教国、これはVもちゃんと覚えていたみたいで、北伝では遍浄天といわれてる天界だそうだ。で、これはオウム真理教の訳語でいくと、まず、美天。次はかすかな美しさの天界、無量美天、総美天という段階に入ると。
実際ここにトリックがあると。では、そのトリックは何かというと、チベット仏教において、この段階で無数の化身を出すといわれているんだね、本当は。そして、南伝においては、第四静慮達成後、化身を出すといわれていると。さあ、どちらが正しいという問題が出てくる、どうだ。第三静慮のこの美、これは何を表わすかというと、その世界の美しさだけを表わすわけではない。ここでわたしたちは新しい身体の経験だけではなく、その化身の光の状態、美しさの状態を表わすと。これが第三静慮であると。つまり、君たちも知ってのとおり、化身も頭頂から抜け出す場合と、それから、マニプーラから抜け出す場合と、それから、アナハタから抜け出す場合と、ヴイシュッダから抜け出す場合と、アージュニァーから抜け出す場合がある。これは知っているか、どうだ。そして、頭頂から抜け出す身体、これは最終の呼吸停止のときに生じると。そして、低級霊域へ突っ込む身体、これはマニプーラ・チァクラのときに生じると。そして、アナハタ・チァクラとアージュニアー・チァクラの身体は形を持たないと。じゃ、ヴイシュッダ・チァクラの身体はいつ抜け出すんだと。このヴイシュッダ・チァクラの身体がこの美天と関係しているんです。つまり、仏教的言葉を使うならば、報身と関係していると。そして、この報身の身体を抜け出すことができる、報身の身体の経験を有する者、この魂のみが第三静慮を達成したことになると。その美しさの状態、この美しさの状態が、今いわれている美天、それから、わずかな美しさの天界、それから、無量美天、それから、総美天という分類であると。そして、先程述べた第四静慮へと至っていくのである。
これが十七形状界の瞑想ステージ、および内的経験、および外的条件であると。そして、これらを経験して初めて最上正覚者となるのである。この法則は南伝、テーラヴァーダにも、北伝、タントラ・ヴァジラヤーナにも説かれていない。なぜならば、ここまで激しく修行している教団はないからである。しかし、わたしは君たちにシヴァ大神、サキャ神賢、すべての真理勝者方、ヴァジラの神々、タントラの神々の哀れみによってこの法則を説いた。君たちがこの法則を理解し、この愛欲の世界から出離し、形状界の神聖世界から、そして超越童子天までの経験を四つの静慮として体験することができるなら、それはわたしにとって最高の喜びである。より微細な法則、この法則をわたしは君たちに説いたわけだから、君たちはそれを達成するように努めなさい。いいね。
(一同)はい。
君たちの周りに神聖衆天の、君たちの先達は何人いるかな。あるいは、君たちの周りに神聖代議天の先達は何人いるかな。あるいは、君たちの周りに神聖臣天の先達は何人いるかな。あるいは、君たちの周りに大神聖天の先達は何人いるかな。
あるいは、君たちの周りに光夫、わずかな光の天、そして、無量光天の先達は何人いるかな。しっかり考えてみよう。
そして、君たちの周りに美天、わずかな美しさの天界----これはちょっと調べる必要があるね。それから、作り直す必要があるかもしれない----それから、無量美天、総美天、これを現出している先達は何人いるかな。
それから、君たちの周りに偉大果報天、超空間天、超燃焼天、そして善安楽天、善現象天、超越童子天を現証している先達は何名いるかな。
君たちが友としなければならない者、それはそのような先達である。君たちが目的としなければならない先達、それはそのような先達である。では、そうではない先達は先達といえるだろうか。どうだ、君たちはどう考えるか。それは先達とはいえないよね。それは単なる悪魔の手配であって、君たちを堕落させる者であって、君たちにとって最高の害する者であって、神聖修行に必要のない者であって、君たちが忌み嫌わなければならない者である。いいね。
(一同)はい。
しっかり修行しなさい。
今日あのかなり、君たちに厳しい言葉を使ったけども、この真の意味を理解してくれ。いいな。
(一同)はい。
わたしたちには二十四時間しかない。よって、バカな知識を蓄えたり、必要でない知識を蓄えたりしても意味がない。いいな。
(一同)はい。
わたしたちが観想しなきゃならないのは三宝である。そして、わたしたちはいかなる手段を講じても、必ずや最終地点に到達しなきゃなんない。そのための教えは、テーラヴァーダ、それからヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラヤーナ、ヴァジラヤーナという五つの道がある。そして、そのいかなる道を使ったとしても、最終地点に到達しなきゃなんない。なぜならば、その最終地点へ到達したとき初めてわたしたちは完全な安らぎが生じるからである。完全な自由が生じるからである。完全な歓喜が生じるからである。いいね。
(一同)はい。
修行者の原則第一。
(修行者)喜覚支。
第二。
(修行者)現世捨断。
第三。
(修行者)不放逸。
第四。
(修行者)沈黙の行。
第五。
(修行者)奮闘努力。
第六
(修行者)ザンキ。
そして?
(修行者)証智・捨断・現証・修習
そうだね。それから今日、十七形状界と四つの静慮について理解したわけだから、今日分自身がどの段階であるか考えなさい。いいね。そしてこの道を歩けば必ず解脱する。つまり、まず第一に神聖衆天になろうと。第二に神聖代議天になろうと。第三に神聖臣天になろうと。第四に大神聖天になろうと。第五に光天になろうと。第六にわずかな光の天になろうと。第七に、無量の光の天になろうと。第八に、美天になろうと。第九に、わずかな美しさの天になろうと。第十に、無量の光(美しさ≠ノ訂正。麻原彰晃)の天になろうと。第十一に、美しさだけの、ね、総美天になろうと。そして、第十二に、偉大な果報の天になろうと。第十三に、超空間天になろうと。第十四に、燃焼を超越した天になろうと。第十五に、善による安楽の天になろうと。第十六に、善を現象させる天になろうと。第十七に、生死を超越した状態になろうと。いいね。
(数名)はい。
しっかり努力しなさい。