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◆92/1/9 上九一色村教学センター
(プンナ・マンターニプッタ正悟師アンダーグラウンド・サマディOUT)
すべては修習で決まる/観念と世界の構成

 はい。それではね、まずプンナ・マンターニプッタ正悟師の中での体験、これからね、いきたいと思います。

(プンナ・マンターニプッタ正悟師)はい。それじゃ始めます。今回はなんか非常に日々の修行がよくできてなかったんで、ちょうど浄化が起きた段階で、で、まだ治りかけで入ってしまいましたもんで、中へ入って一日目に、ちょっと意識を失って起きてみたらば、ものすごい汗をかいてましたね。ちょっと脱水症状まではいかないですけど、もう起きた瞬間に即、もうのどが乾いた状態になってしまって、で、そのままず一つと引きずってしまいました。
 普通、前に三日間断食やったときには、二日ぐらいなんともなくて、三日目ぐらいに、「ちょっとのど乾いたな」ぐらいから入ったんですけど、もう一日目から即、もうのどが乾いた状態だったんで、ちょっとしんどかったです。
 で、間に、尊師からも何度も電話がありまして、やっぱり、シャクティーパットをその前にしていただいて入ったんですけど、相当けがれたデータが入ってるぞということで、修行を全然してないと。
 今まで、修行は、----もちろん修行しなきゃいけないと思ってたんですけど、ワークが忙しいとか、例えば功徳積まなきゃとかそういったので、修行があるにもかかわらず、そちらの方に時間がかかってしまって、修行する時間がないんだみたいな理解していましたんで、やっぱりそれが非常にまずいなと、やっぱ中へ入って思いました。これからは詞章を一回でも多く唱えるようにして、修行もやってかなきゃいけないなと、中に入って強くやっぱ思いました。
 で、それから中へ入って、やっぱり体調が、そのままあまりいい状態じゃなくて、そのあと、ちょうど背骨の十二胸椎から第一胸椎ぐらいまで、なんか抜けるような痛みと、それから、だるい痛いような感じの痛みが出てしまって、----これはちょうど昔、わたし尿の結石やったことありましてね----で、その痛みにちょうど似たような痛みで、それが過ぎてものすごい激痛が来るんですね、あれね。麻薬などじゃ止まんないぐらいの激痛に一度なったことあるんですけど、その前段階のような症状が出ましてね。やっぱりちょっと弱いところ出たんじゃないかなと思ったんですけど、それでちょっと座るのも苦痛な状態でした。ま、そんなあれやこれやで、やっぱり日々の修行ができてないがゆえに、ま、いろんなこういった状態で中に入んなきゃいけなくなってしまったというのを非常に反省してます。
 尊師から与えられた課題は、妥協をすぐしてしまうということと、それから、昔ちょっといろんな宗教をかじってましたもんで「戒誓取」ですね。それからイメージ的な性欲、こういったものを含めてしっかり捨断しなさいということで入りまして。まず、入ってやっていたのに、なかなか今みたいな状態でうまくいかなかったもんで、尊師からまたお電話がありまして、で、修行についてよく考えなさいということを言われましてね。で、その修行についてもやっぱりいろいろ考えてみた結果、やっぱり自分で、ある程度尊師の力によって修行のステージを上けてくるわけですけど、それをいろんな理由で、----まあ信徒さんと対応したりとかで、修行ステージがちょっと下がる場合もあったとしても、やはりそれをできるだけキープしていかなきゃいけないと。そして、それを持続して、継続して、そして向上させなきゃいけないんだなと。ここにはやっぱり、毎日毎日、一瞬一瞬の修行が大事ではないかなと思いました。
 そういったことでいろいろ考えてたときに、また尊師からお電話が入りまして、まあ今までなした破戒行為について徹底的にザンゲしなさいということで、非常に数値がめちゃくちゃ悪いということを言われまして。一番最初に言われたのがこういうことでして、第一日目だったわけです。それとあと四日もあるのに第一日目にこういう状態で果たして持つのかなと。自分だけ失敗したらどうしようかとふと思ったりなんかしたり(笑)、いろいろ疑念と、まあいろんなことを思ったりなんかして、プライドやら慢やらでてきまして、最終的にはいろいろ思ってるうちに、やっぱり自分は慢が強いんだなっていうのを思い当たる節が出てきましてね。で、やっぱり慢について少しザンゲしてたころ、ちょうどグッドタイミングで尊師から、「慢についてザンゲしなさい」ということで。
 で、いろいろその都度その都度アドバイスがあったんですけど、ほんとに尊師は、わたしの心をそのまま見ていて、でそのとき、グッドタイミングで、ほんとにもうお電話が入るという状態ですね。と、同じように、わたしがある破戒行為をしたときに、尊師がじっとそれを見ていて、やっぱわたしの心を見ていらっしゃるのかなと思います。皆さんも、ほんとに一人一人、わたしだけじゃなくて、今一人一人やっぱり尊師、すべての心を把握してらっしゃるんじゃないかなと、ほんとに思いました。
 そして無智、----まあ無智と慢はこれは昔から、わたし自分で思ってましたので、特に、無智と慢がクルタを着て歩いてるのが自分かなと思ったり、ほんとにその慢について非常に、慢が強い人間だなっていうことで、ほんとに反省する材料になりました。
 そうこうしているうちに、少しずつ少しずつ調子が出てきまして、一番最初になんか、ものすごい体が大きく揺れた状態になって、で、そして地割れするような大きな地震ですね。地震のヴィジョンがやっぱり、二回ぐらい同じような感じのヴィジョンが出てきました。
 そのあと、自分が目をつぶっていて、それがちょうど、フラッシュがついたり消えたりするような状態が長く続い----長くってもそんなに長い時間じゃないんですけど----続いたあと、なんか身体が上昇していって、なんかものすごい大きな龍に変化してみたりとか。それから、これは昔からわたし、ずーっと疑問に思ってることだったんですけど、わたしも、人の目を見るのをすごく好きだったんですよね。で、人の目を見てその目の向き、特に目の角度にもよるんですけど、その角度によって、こらえようがないほどのいい気持ちになるというか、その状態になるというか、ありまして、そして目を見るのがすごい好きで、そういうことをよく思ってたんですけど、なんか白い光の、ちょっと黄金ぽいような光が混じってるような気がしましたけど、そういう世界に入ったときに、なんか目を見てるとその相手の気持ちがよくわかるんですよね。言葉が全然いらなくて、目を見ただけで全部わかってしまうような状態の世界で、そして、少ししっかりと目を見すぎて、両方とも見つめ合ってると、ほんとになんか、ある種のエクスタシーを感じるような状態になってしまうような、そういうような世界というか、そういうような経験っていうか、ちょっとしてきました。たぶん、その経験がずーっと今生残ってるのかなと思ったりもしていまして、そういう状態で、なんか一つ自分が今まで思っていた疑問が解けたようなことが一つありました。
 そして今回、チェンバーの中で思ったんですけど、断水断食、前三日やったときに、やっぱり自分と煩悩みたいなのが離れてしまって、全く全然関係ない世界の状態、こんなことを経験したんですけど、今回もやっぱりそのような状態になってしまって、ま、ある程度は出たんですけど、やはり同じような状態になりましたんで、食と煩悩というのはやっぱ結構深い関係があるんだなと思いました。
 それから自分は、五日間経つと出られて、どんなにのどが乾いても、ま、出れば飲む物もあるし、そういう世界に戻ることができるけれども、もし、そのまま死んでバルドへ入って、上昇ではなくて下降する魂があったならば、その苦しみは永遠に続くんだなと。飲みたくても飲めない状態が何億年何十億年も続く、五日、十日の騒ぎじゃないなと。もしバルドを境にして、上向する者と下降する者の、ほんとにその大きな違いっていうか、苦しみの総量の違いっていうか、なんかひしひしと感じることができました。ですからほんとに、日々やっぱり修行だなと、日々やっぱ功徳を積まなきゃいけないなと思いました。
 以上、こんなような状態ですけど、ほんとに悪い状態のコンディションで、わたしがあそこの中で五日間過ごせたのは、やっぱり尊師のエンパワーメントと、ほんとに尊師の適切なアドバイスというか、そういうことと、入る前に、ほんとにこれでもかこれでもかというぐらいたくさんのエネルギーを入れていただいたおかげだと思います。ほんとに尊師どうもありがとうございました。
 それから、こういう機会に恵まれたのも、やっぱ皆さんのお蔭だと思います。どうも皆さんありがとうございました。----以上です。

(尊師)はい。それではね、今日は二つの話をしよう。そのまず第一弾。それは、精進というものについて。今実際、アコースティック、つまり実際の楽器を演奏している人たちの状態見ると徐々に徐々にうまくなっていると。これは明らかに、五日間に一回のアンダーグラウンド・サマディのときの実践、そのために日々少しずつ努力を始めたからであると。特に、今の楽器演奏法はSIS、あるいは井戸掘りといった形でのワークをしながら、一日に三時間練習をすることになってるわけだけど、その影響もあってか、今日は特に迫力を感じられた。
 で、何をわたしが言いたいのかというと、つまり、「音楽は修習で決まる」ということである。同じように、この現象の世界にある、すべてのものが修習で決まると。ある人は、「思索についてはそうではない」と言うかもしれない。しかし、実際は思索についても修習で決まるのである。
 まず考え方のパターンを理解する。そしてその考え方のパターンのとおりに思索の訓練をする。これをひたすら行なうことによって結果が得られるわけである。そしてまきに、その基本的な流れを理解すること、基本的な教えの流れを理解すること、これは教学であると。
 実はわたしは、これからの君たちの修行の流れを、一つの体系、マハーヤーナ・プロセスとして体系づけたいと考えている。
 それは、まず何を行なうのかというと、まず教学システムの入門を終わると。次はグルヨーガ・マイトレーヤの七つのプロセスを終わると。次は小乗のツァンダリーを終わると。そして立位礼拝を六百時間終わると。その次にグルヨーガ・マイトレーヤの瞑想を終わると。その次に入門を終わると。そして、----あ、ごめん、入門じゃない初級だね。初級を終わると。そしてグルヨーガを終わると。そして中級を終わると。そして大乗のツァンダリーを終わると。そして上級を終わると。この流れに君たちを、徐々に徐々に導いていきたいと考えている。これは先程述べた、「すべては修習である」ということだね。修習をすればするほど、その人の内側に真理は根づき、そして人間でないもの、人間よりよい高いものが得られるんだということ、これをわたしは、近ごろ身をもって、いろんな人と接しながら感じてるからである。
 したがって、日々奮闘努力しなさい。いいね。
(一同)はい。
 日々記憶修習に励みなさい。いいね。
(一同)はい。
 そして、日々サマディに導く法を実践しなさい。いいね。
(一同)はい。

 ところで、ある、今日は少し面白い話がある。それは、わたしの前生の話なのだが、わたしは、「スシタ」という天界にいたことがある。これはツシタではない。ツシタとは徐冷淡天、あるいは、完全に博愛をもった天界として有名である、有名な天界があるわけだが、そうではないスシタという天界がある。これは、優れた冷淡の天界、あるいは、優れた結びつきの天界といわれる天界である。この世界はまさに昆虫と同じ世界なのである。
 実はわたしは、その当時、スシタの系譜のただ一人の王族であったと。もちろん、男性神であったと。そこは必ず女性が王になる、----つまり女王なんだね----女王になるという習わしがある。しかしその女王には条件があって、その王族の男性を見つけなきゃならないと。そして王族の男性を見つけたら、その、まあ、いろいろ条件があるわけだけど、まあ見つけなきゃならないと。で、いろんな、要するに女神たちが、自分こそ女王になかんだといって、王族探し、王族の男性探しを行なうわけである。
 もちろんその系譜は一人なんだよね。で、わたしは、できるだけその女王になる人と会いたくないと考えて、ひた隠れに隠れているわけだ。
 その理由は何かというと、その女王たちの条件というのは、まず四日間、その王族の者と交わり、その王族の者を食べるわけだよね、要するに。つまりわたしは食べられなきゃなんないわけだよ(笑)。だからまあ、小さいころからそう言い聞かされていて、でまあ、逃げているわけだけど、とうとう捕まってしまって。
 で、そのときの自分の感情が面白いもんでね、「あー、しょうがないなあ」という感じなんだねえ。つまりその、例えば、性的に交わることに対する喜びもないし、あるいは、食べられることに対する苦しみもないんだね。
 ではなぜその交わり、そして食べるのかというと、つまりそこで男性と女性の、つまり王族のデータと、それから女王のデータとが合一するわけだ。そして、一つになった段階で、その肉体から生産されるエネルギーによって、どんどん正当な繁栄のできる子孫を増やすということがその世界の教えなんだよ。
 で、わたしは何を言いたいのかというと、今日なぜこういう話をしたのかというと、つまり、すべては観念であると。世界によっては、その観念が違うんだと。それを君たちに認識させたいと思って話したわけだ。
 ついでに話をするならば、プンナ・マンターニプッタが死後、----というか、心の状態が安定してその後、大きな龍になったというのは、おそらくプンナ・マンターニプッタは来世、ね、今のままいくと、煩悩を最も捨断したときには、ナーガの大きな龍として転生するんでしょう。
 ではだ。ナーガは、一体どういう煩悩、功徳をどういう煩悩で昇華した場合であるか君たちわかるよね、どうだ。その教えはもう聞いたか。
(一同)……。
 ナーガは、性欲だけを残した者が、その徳をもって交わりまくる世界だ。これがナーガの世界である。
 実は、大乗仏典に出てくるナーガの世界の王というのがよく出てくるわけだけど、----わたしは、その王の経験があるわけだけども----その世界はまさに、変化自在の美女と、そして仏典のある世界であると。その世界は、功徳が大変あり、そして性的な喜びを残した世界であると。
 ミラレパの場合はね、逆に、人喰い鬼神。これは味覚に対するとらわれが残ってる場合であると。ま、つまりだいたい性格が一致してるわけだな。わかるな。
(一同)……。
 このような形で、すべての世界は構成されている。しかも、それは観念を超えたより多くの世界があるわけだから、君たちは、そのより多くの世界に対して、観念を持たないように淡々と生き、真理の実践をし、そのすべてが苦しみである、そしてその世界にとらわれることは苦しみを生起させる、そして、その世界から愛著を捨断することは、苦しみを滅尽する、そのための道がすでに説かれていると、そのように考えて、しつかり奮闘努力しなさい。いいね。
(一同)はい。

 最後に一言ね、そのスシタ天の女神の心境について話をしておきたいんだけど、スシタ天の女神は、別に王族の異性を愛してるわけじゃないんだよ。交わるときも感じはするんだけど、愛してるわけじゃない。はっきりいって、そういう性的交わりはどうでもいいと。要するに、交わって、食らって、そのあと来る、自分に与えられる大いなる権力、このためだけに生きてると。なんとなく寂しいね、この世界はね(笑)。わたしはまあ、その世界で食べられた経験まであるわけだけど、寂しかったね(笑)。
(一同)笑
さあ、頑張ろう。