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◆88/8/21 富士山総本部
空について/三悪趣に生まれ変わる条件
はい、今日はまた、空について話そうね。そして、三悪趣に生まれ変わる条件について話そう。ね、今日の二つの話は、あなた方にとって大変ためになる話になると思います。まず、K君、この現象界と空性とは同一であるといえると思うか。
(K)いえると思います。
(尊師)うん。じゃ、この現象界は真実だと思うか。
(K)真実ではありません。
(尊師)真実ではない。村井君、どうだ、この現象界は真実か?
(村井)いや、あの、幻影だと思います。
(尊師)幻影か。じゃ、空の世界はどうだ。
(村井)空の世界ですか?
(尊師)そうだ。K君、空の世界はどうだ。
(K)空の世界も幻影だと思います。
(尊師)幻影か。
(K)はい。
(尊師)ん。村井君はどうだ?
(村井)そうですね、やはり同じように幻影だと思います。
(尊師)うん。
そう考えることもできるし、あるいは空の世界も、あるいはこの現象界も真実だと考えることもできる。では一体それはなぜだと。そう考えることもできるというのはわかるよね。つまりこの現象界も幻影であると、空の世界も幻影であると考えることもできるし、この現象界も真実であると、空の世界も真実であるということもできるんだよ。それはあなた方が最終地点に到達したとき、この現象界が真実であることに気づく。いや、言い方を換えるならば真実に変わるんだよ。そして、空の世界も真実であることに変わるんだ。そして、凡夫であれば、あるいはカルマにけがされていればいるほど、この世は幻影であり、空の世界も幻影であるということがいえる。これは同じことなんだね。
一体同じとは何かと、ね。ここに大嘘つきがいたとしようじゃないか、ね。この現象界において大嘘をついている、ね。はいHさん。では、現象界で大嘘をついてる人が見るアストラル世界、空性のヴィジョン、あるいは経験というものは真実だと思いますか。それとも大嘘だと思いますか。
(H)大嘘だと思います。
(尊師)そうです。
これが、現象と空とは同一である、そしてこの現象が嘘で固められていれば空性も嘘であることの、ね、論理的裏づけなんだ。
じゃ、もう一つ、M。ではだ、ここに絶えず真実を語っている人がいたとしよう。この真実を語っている人がいた、ね、この人のアストラル世界の経験は真実だと思うか。
(M)はい。
ね。ということは、このアストラル世界も真実であるし、空性も真実であるし、そして、この現象界も真実であるということがいえるわけだね。では一体なぜだと。L、なぜだと思うか。
(L)‥‥。
(尊師)k、なぜだと思うか。
(k)コーザルのデータが‥‥。
(尊師)わたしたちの経験というものは、鏡に映っている、あるいは湖面に映っているものを見ている、ね、その状態とすごく似ているんだよ、ね。例えばだよ、ここに透明な水があったと。あるいは透明な鏡があったとしようね。これはどうだ、すべてをありのままに映し出すと思わないか。だから彼の鏡は現象界もありのままに映し出すんだよ、ね。空の世界もありのままに映し出すんだね。わかるかな。ところが、この鏡がもし曇ってたらどうだ。はっきりと映し出さないよね。どんよりとしたかたちでしか映し出さないよね。わかるね。どうだ。わかるかここは。
〈一同)はい。
(尊師)じゃあ、この鏡というのは何だよ。この鏡というのは心だ。わたしたちが心と言ってるものだね。じゃあ、もっと言い方を換えるならば何だと、ね。わたしたちの言葉ではコーザルといってるものだね。データの浄化だ。あるいはほかの言い方をするならば、カルマの浄化だ。ね。そしてカルマの映し出しているもの、それが鏡だよね。その鏡というのはもう一度言うよ、コーザルであるし、あるいは心とも言えると、ね。あるいは密教ではアーラヤ識ともいってるよね。
はい。ではだ、この鏡を清らかにする方法、これは何があるか。どうだ。だれでもいい。マハームドラー、うん、一つの方法だな。そのマハームドラーというのは言い方を換えれば何だ?----カルマの消滅、よし。カルマを消滅させるということだな。じゃその、カルマを消滅させる方法は?
(弟子)ジュニアーナ・ヨーガ。
(尊師)ジュニアーナ・ヨーガ。よし、ほかには。
(弟子)ザンゲ。
〈尊師)よし。ほかには。
(弟子)修行。
(尊師)修行。よし。その修行とはどういうことだ。プラーナーヤーマとかムドラーとかか?----ワーク。よし、よかろう。じゃ、ワークは一体どういう効果があるんだ? ワークは苦行に属するんだね。苦行に属するということは言い方を換えれば、先程のカルマ落とし、ね、カルマつぶしにつながるんだね。
そして、ザンゲ。それから、もう一つは功徳を積むことだね。だから言い方を換えるならば、いいか、功徳を積むこと、そして心を浄化するためのザンゲ、ね、この二つがベースになるわけだけども、その背景が真理でなければならない例を少し考えようか、ね。
ここに生まれつき徳のある人がいた----一般的にだよ。その人は一般的にいわれる人間界でいわれる善行をなした。つまり人に優しくして、そして虫は殺し、ハエは殺し、綺麗な部屋に住んで、そして健康的な食事をしてね、人に優しく語り、人間界だけを中心に見つめたと。ね。----これは親鸞の「悪人正機説」だったかな? あれとすごく、深い関係があるわけだけど、今から話すことはね----この人はどうだと思うか。解脱のプロセスに入れると思うか。それとも入れないと思うか、どうだ。
(一同)入れます/入れません。
(尊師)ね。入れるかもしれないし、入れないかもしれない。絶対的な条件じゃないよね。
じゃ、もう一人ここに人がいて、例えば、ね、暴力団で、人を徹底的に痛めつけ、あるいは娼婦で、ね、たくさんの、例えば、人とセックスをし、そして子供をたくさんおろして、もう苦しくて苦しくてたまらないと。とにかく、ね、この苦悩から逃れられるならと思って、真理にぶつかって全力で修行したと、ね。前者は、そこそこ幸福だよね、そう思わないか、人間界では。そして後者は苦しいよね。それはもちろん自己のなしたことだけども苦しいよね。どうだそれは。
(一同)苦しいです。
(尊師)じゃ、苦しさのために全力で修行したと。そして自己を浄化し、ね、そして成就したとしようじゃないか、あるいは完成したとしよう。どうだ。一般的にいわれる善行の結果、ね、しかし殺生とかやってるわけだから、三悪趣に生まれ変わる可能性はあるかないか?
(一同)あります。
(尊師)あるよね。来世の保証はない。一方は、今生で殺生をやったと。悪業をやったわけだけど、そこで心が苦しんで、ね、苦行して、功徳を積んで、ザンゲして、自己を改善し、ね、清め、そしてブッダフッドに到達したと。ね。ということはどうだ、一般的な善なる生活イコール善とはいえない部分もあるよな。そうだろ。
(一同)はい。
(尊師)ここはあなた方が押さえなければならないことだ、ね。
で、この部分だけを強調して、ね、親鸞は、悪人こそ救われると。親鸞だけではなくて、悪人こそ救われるという----まあ、これは阿弥陀信仰のね、仏部三部経的なものの考え方があるわけだけど----しかしそれは、今度はそれだけとっても真実ではないよね。それは先程言ったとおり、例えば、ここに殺生をしていて、一般的な善行を行なっていてしかしそれに飽き足らなくて、修行に入って成就する人もいるかもしれないだろ、どうだそれは。
じゃあ、真に幸福になるため、真の最終地点に到達するためのポイントは何だよ。一つしかない。それは真理との縁だ。わかるかな。それはグルとの縁だよね、どうだ。だからもし縁があれば、いかなる今生での悪業をなしていたとしても、そこからその行為をザンゲし、恥じ、そして善行を積むことによってその人は、救済される可能性が残されている。どうだ。
しかし、そこそこの善業と、ね、そこそこの悪業をなしていて、もし真理との縁がなかった場合、その人はそこそこのいい世界に行ける可能性と同時に、そこそこの悪い世界に行く可能性もあるよね、どうだそれは。
(一同)はい。あります。
じゃあ一体、どちらが幸福といえるんだ。
〈一同)真理……。
ね。これだけ縁というものは大切なんだよ。そして縁もカルマなんだね。例えばあなた方が帰依し、それを実践し、ね、そして、ね、最終地点に到達したいと考える、ね、これは最高の縁だ、ね。あるいはそこまでできなくとも、信じ、学び、帰依しようとする、これはその次に素晴らしい縁だ、ね。そして前生からの縁によって、まだ今帰依ができていない、あるいは倍ができてないけども、例えばグルのそばにいる、これは三番目に素晴らしい縁だ、ね。
その、縁の素晴らしさ、ね、一番目の素晴らしさ、二番目の素晴らしさ、三番目の素晴らしさっていうのはやっぱり入れ替わるよ。なぜ入れ替わるかというと、例えば、三番目の条件というのは、前生において一番目の条件であった人がなりがちな条件だからね、これは、ね。生が入れ替わるごとに、この条件は入れ替わるわけだけども、しかし、この三つの条件のどれか一つでもいいからクリアしていたならば、あなた方は最高の宝物を得る条件を持っていることになるんだね。
じゃあ麻原と。そのカルマの証明をしてみろと、ね。ここでグルと弟子との関係に、ね、言及することを今日は避ける。その関係についてはね。あなた方にわかりやすい例で、カルマの法則を考えてみようじゃないか。
わたしの周りにはいろんな人がいる。ある人は阿修羅の世界から転生している、ね。この人はだいたい、ね、いいかな----じゃそうだね、ある例を挙げようね。小さいときから非常にプライドが高いと。そして一人でいて平気だと。----今、阿修羅の条件を言ってるんだよ。ね----そして冷たさを持っている。ね----ここからそれに気づき、抜け出せば天界に行ける。だが、そうじゃなくて、今からわたしの挙げる例は、ね、落下した例だ----それから、不良グループと付き合い、ね、人間の世界までまず落ちたと。そこで、いろんな意味での執着が生じてきたと。何に対する執着かというと、例えば物に対する執着だね。そこで盗みを覚えると。その盗みというのは、別に欲しいわけではない、ね、欲しいわけというか必要なわけではない。そしてそれを使うわけではないと。しかしただそれを得たいんだと、ね、欲しいというわけにつながるわけだけど、しかしそれを使うがために欲しいわけではないよ。ね、単に得たいんだという、そして持ってきたいんだという執着だね。その世界へ落下する。
そして、ね、その次に、ものが考えられない状態になってくるんだよね。ボーッとした、ものが考えられない状態になってくる。ね。で、そのときはもう孤独に絶えらんない。ただとにかくボーッとしてる。そして孤独に絶えらんない状態、動物の状態だね。
そして次に、ね、働くことができなくなると。そして盗みのカルマと、ね、その不良グループと付き合った暴力のカルマなどによって、ね、働く気力すらなくなってくると。そして食べ物は食べられなくなってくると。それはお金がないからね。しかし空腹感はあると。餓鬼の世界だね。
そして次は心がいろんなものにおびえだすと。ね。そして事故にあって死んでしまうと。そのときにものすごい苦痛を味わって死ぬと。地獄のカルマだね。つまりこの人は、阿修羅の世界から地獄の世界までを経験して死んでいったわけだ。
だいたいあなた方が落下するとき、いいか、いきなり阿修羅から地獄に落っこちることはないんだよ。あなた方が上昇するとき、いきなり地獄から解脱するということはないんだ。必ず経験を通り越していくわけだね。何の経験かというと、もしあなた方の意識が餓鬼の世界にあるとしたならば、動物の無智、人間の執着、そして阿修羅の闘争と。で、天界の満足と。それを通りすぎて解脱していきます。
逆に落ちるときも、天界、阿修羅、人間、動物、餓鬼、地獄と落っこちるわけだね。それは状態を見ていればよろしいと。
じゃあだよ、もしここにスタッフがいてだ、この人はすべてが曖昧で、ボーッとして何もできない状態にあったとしょうじゃないか。この人は次の生ではどこへ行くか? 一般的には。
(一同)動物。
(尊師)動物だね。この人がワークを通じて、あるいは修行を通じて、執着はあるけども意識状態ははっきりしてきたと、この人はどこに行く?
(一同)人間。
(尊師)人間だね。そして、ある程度、実力がついてきてリーダー格となり、とにかく人と闘争したがると。この人は?
(一同)阿修羅。
(尊師)ね。そして、阿修羅の闘いに対しても、平然と流してられると。自分の状態に満足してられると。この人は?
(一同)天界。
(尊師)ということになるわけだ。で、どうだ、あなた方は今どの世界だ。
(一同)……。
(尊師)そうすると、このスタッフのね、たくさんの大師も含めてスタッフを見ていると、「あー、あの大師はどのへんだな」とか、例えば「あのスタッフはどのへんだ」なんてわかるんじゃないか? どうだ?
(一同)……。
(尊師)そして自分目身もだいたいわかるんじゃないか、次の転生は。今死んだらどこへ行くって。な、N。
(N)……(苦笑)。
(尊師〉どうだ。
(N)なんとなくわかります。
(尊師)うん、どこだと思うか、自分で。
(N)……(笑)
(尊師)じゃ、T君。どうだ。
(T)え、自分ですか。
(尊師)そうだ。
(T)阿修羅。
(尊師)闘争本能出てるか。
(T)ちょっと違うな。
(尊師)じゃどこだ。じゃ阿修羅じゃないな。うん。
(T)餓鬼だったり、
(一同笑)
(尊師)餓鬼の条件ていうのはね、飯をたくさん食べることが餓鬼の条件じゃないんだよ。餓鬼の条件というのは、例えばここに食い物があって、ほかの人に食べさせたくないと、こうやって食べるんだ。よく猫とかやるけどね。犬とかこう、餌があったらそれをまずこう持ってきて自分のもとで食べると。これが餓鬼の条件だね。つまりここにあるものを独り占めしたいという気持ち、ここから餓鬼の条件というのは発生するんだよ。それは貪りだね、そのがつがつ食ってるの。ね。執着だね、それはね。どちらかというと。わかるね、言ってることは。
だから、もう一度言うよ、いかなる条件が出てきても、ね、あなた方の中に苦痛に対して、それは熱から生じる苦痛、あるいは寒気から生じる苦痛に対して心が動揺しなくなったとき、地獄から解放されますよと。いいか。そして食べられない条件が来たとき、ね、いろんな物がここにあってそれに対して心が動かなくなったとき、餓鬼の世界から解放されますよと。ね。そして混沌、曖昧な状態がなくなったとき、ね、動物の世界から解放されますよと。ね。一切のものにとらわれなくなったとき、執着しなくなったとき、人間の世界から解放されますよと。そして他を蹴落として、他と闘争して自分が優位に立ちたいと思わなくなったとき、阿修羅の世界から解放されますよと。ね。そして今の自分の状態に満足する、そういう状況がなくなったとき、天界から解放されますよと。この六つから解放されたとき、六道から解放されますよということだね。いいか。
(一同)はい。
(尊師)そしてそれを取り除くための修行がワークであり、立位礼拝であり、あるいはジュニアーナ・ヨーガであり、マハームドラーであり、ね、あるいはテクニック的にはプラーナーヤーマであり、ね、アーサナであり、あるいは、ね、オウムの無上ヨーガであると。そう考えなさい。
(一同)はい。
(尊師)いいね。
(一同)はい。
(尊師)だから、あした、オウムを、ね、去って会員に戻る人たちが二人いるけども、その二人は考えなければならない。それは今後の実践というのは、この現象界は無智蒙昧の世界であると。その世界に没入して、ね、そして三つの毒を吸収し三悪趣に生まれ変わらないでほしい。そのためには、ね、絶えず真理を実践し、真理を学び、そして、ね、真理に帰依するという気持ちを持ち続けてほしいんだ。
はい。では今日の話をこれで終わります。