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◆91/12/30 上九一色村教学センター
(キサーゴータミー正悟師アンダーグラウンド・サマディOUT)
救済者にとっての修行/仏教とはマハームドラー

(尊師)キサーゴータミーの自分の体験その他の内容、で、最後に質問等聞いて、そのあとわたしの説法に入ろう。
(キサーゴータミー正悟師)今回の五日間を経験してみて、さっき尊師にも言われたわけですが、いい経験になっただろうと。確かにただ五日間、断水断食でじっとこもっていることだけじゃなくて、非常にわたし個人の修行の流れとして非常にいい体験をさせていただきました。その陰には、例えば多くの方々、そして尊師のお蔭があったので、この五日間を過ごすことができました。
 神秘的な体験もあるのですが、もっと実質的な、自分がまず修行者としてそして救済活動をしていく途上にある修行者として考え直さなければならない点がたくさんありました。で、サマディに入る前に尊師から言われたことなんですが、日常、外的な刺激によって時間を費やしていると。で、この五日間というのはそういうわけにはいかないぞ、ということでした。
 確かにこの五日間、言ってみれば、楽々五日間を過ごしたわけではありません。忍耐のいる修行だと思います。というのは皆さんも経験があると思いますけれども、日常のワークや修行を合わせた生活の中でほ、自分の嫌なことつらいことにぶつかったときに逃げ≠ニいうのが効くんですね。例えばその場から立ってしまって違う場所へ行って気を紛らわせるとか。自分でできるだけそういうことをしないようにしてきたつもりでも、やはり日ごろの心の弱さ、それから自分の修行に対する心の甘さから逃げが生じていたことを非常に認識しました。
 この五日間はそういうわけにはいきません。真っ向から自分のけがれ、弱さ、そういったものとぶつからなければならなかったので、「ウーン」とうなってしまうことが何度もありました。
 しかしここが正念場だと思い、この五日間を無駄にせずに、いかに自分のこれからの修行の肥やしにするかということを考えたときに、とことん自分の今までやってきたいい加減さ、弱さ、けがれた部分を見てやろうと。で、この五日で思い知った自分の、まだ改善しなければならない部分を、サマディから出たら生かしていこうと思いました。
 サマディに入る前に注意されたっていうか瞑想のポイントが一つあったのですが、それを何度も何度も考えていくうちに、だんだん集中ができなくなってくると、いろんなことが次から次へと浮いてきます。それは日常で自分としては必要があって知識を広めるつもりで見たこと聞いたこと、そういったものがザーッと川の流れのように次から次へ流れてくる。でもその中の何パーセントがほんとに必要なのかっていうことを考えると、恐ろしく余分なデータというものを、経験というものを、自分の中に溜めてきたことに気がつきました。「あー、余分なデータというのは障礙であるな」ということをつくづく感じたことが、まずあります。
 それから中盤から後半にかけては、急に体調が悪くなった時期があるんです。というのは、今朝方まで実は具合が悪かったわけですが、それはわたくしの中に蓄積してきた心のけがれの二つ、邪悪心と卑屈さによる修習によってプラーナの流れが滞っているという尊師からのご指示があったのですが。今までも肉体的に同じような痛みを感じたことはあったのですが、それはほんの微々たるもので、今回ほど本当に肉体的な苦痛を感じ、言ってみればころげ回ったことはなかったのです。
 断水断食ということで肉体的なパワーが落ちた分、内的な変化に敏感になったのでしょう。「あー自分の中の邪悪心、卑屈さといったけがれがこれだけ自分に苦痛として返ってくる」。カルマの理論は絶対ですから、これまで他に向けて発してきた嫌悪の刺が自分の心に肉体にグサグサ刺さって苦しんでるんだなあということをまざまざと思い知らされ、そしてよくそれに意識を集中して分析し、そして厭逆のプロセスに入ったわけですけれども。
 まだ出てからすぐなので、この新鮮な気持ちをどこまで失わずに、これからすぐに始まるわけですけれども、自分の修行と救済活動に生かせるかなと思ってます。
 それから、これまでサマディに入った方々がおっしゃってますけれども、サマディ・ボックスの中というのはバルドの疑似体験だと思います。まあ肉体はありますけれども出られないわけですから、バルドにいてあれやこれや考え、ああしたいこうしたいと思ったって全く自由が利かない状態です。
 大方は皆さん教学やそれぞれのステージのバルド体験などで想像がつくかもしれませんが、きっと本当のバルドはもっと過酷な環境に置かれるんだなあと、そしてもうそのときには後戻りができないんだなあと、もっとちゃんと修行しておけばよかった、徳を積んでおけばよかった、なんであんなけがれたことをしたんだろう、思ったんだろうと後悔しても、そのときはもうあとの祭と。多くの魂がそうやってバルドを通過していってるんだなあということを本当に心から思いました。ですから、皆さんもこのサマディ・ボックスの体続というのをなさる必要があるんではないかと強く思いました。
 それから最後になりますが、アストラル体験いろいろあるんですけれども、入る前に尊師から言われたのですが、わたしはとんちんかんなカルマがあるようで、次から次へいろいろな体験をさせていただきました。ここで話すに及ばないものが多いので、とりあえずわたしのサマディ後の、皆さんに聞いていただきたいお話はこれで終わらせていただきます。

(尊師)実は近ごろ、わたしは大変悲しくなることがあります。その悲しくなるというのは、本当に涙を流さんばかりの悲しみが生じてくると。それは何かというと、自分自身の修行、つまり大乗の修行と、そしてもう一つの自分自身の修行、つまりテーラヴァーダとの修行の間に大きなギャップがあり、特に弟子たちにエンパワーメントをしたのちなどは、そのテーラヴァーダの思想背景にあるもの、特にその中のヒナヤーナに属する部分のデータと、それからマハーヤーナに属する部分のデータとがぶつかり合い、大変悲しい思いをするということだ。
 それはどういうことかというと、もともと煩悩捨断、そして四つの絶対的真理、つまり----苦しみ・苦しみの生起・苦しみの滅尽・苦しみの滅尽に至る道というものの実践者であると同時に、特にその苦しみを認識し、その苦しみを自己の内側に内在させ、そしてより多くの衆生を高い世界へと押し上げるという、この二つの間には大きな矛盾が存在していると。そして特に今、瞑想修行を始めているわたしにとっては、その弟子たちを引き上げる行為そのものが、せっかく作り上げてきたナーディーの浄化をけがすかたちとなり、ものすごい苦しみを経験する。そこでやはり悲しくなると。
 例えば昨日まで集中して、三昧にも楽々入るようになったのが、エンパワーメントののち雑念状態に入ると。
 例えば煩悩捨断できてたものが、ワッと煩悩が来て、それで苦しまなきゃなんないと。しかしこれらのプロセスは、もちろん、大乗の修行者として最終的にこれから五十億とも百億ともいわれる長きにわたる修行ののちに、最終の真理勝者としてこの地上に君臨する魂の道程にとって欠くべからぎる行為であるということを理解しているとはいえ、その苦しみというものは異常なほどのものであると。
 もともと真理の実践の根本となるものは何かというと、わたしたちをいろんな世界へ結びつけているきずな、これをいかにカットするかである。この構成要素、例えば例をあげるならば食べること、飲むこと、あるいは人と楽しくしゃべること、人を愛すること、あるいはそうだね、下劣なものでは、卑屈になったり、あるいは邪悪心といったこのような感情、その良い感情にしろ悪い感情にしろ、すべてがこの世界に結びつける要素であり、それを捨断することが修行の目的であり、そしてその捨断されたあとの境地を理解しているわたしにとって、その境地が崩れ去ってしまうということはそれだけ大きな°黷オみなのである。
 つまり、いい状態を体験していて悪い状態に陥ると。ではこれはどの程度の苦しみであり、そしてどの程度の、肉体に影響を与えるのかについて少し説明をしよう。
 君たちもよく知ってのとおり、マイトレーヤ正悟師は今から三日前から東京本部でシャクティーパットを始めたと。ところが、二十名シャクティーパットを行ない、その次の日かな、トイレに行って普通にトイレができるかと思ったら、いきなり下痢であったと。同じようにS正悟師もそれと感応し、アンダーグラウンド・サマディののち東京本部に救済活動に行って即下痢をしてしまったと。これは何を意味するのかというと、上昇のエネルギーより、周りから受ける下降のエネルギーの方が強いんだということを表わしている。
 そしておそらくマイトレーヤ正悟師の場合、自分が今まで二カ月以上培ってきたものが瞬時に崩れてしまったときの心の変化というか、苦しみというものは表現はしてないけども、相当のものだったんではないかと思います。
 特に自分自身のステージが上にあればあるほど、引き上げられるときの苦しみは大きいと。しかしね、ポイントはここなんだよって。つまり、ニルヴァーナとマハー・ニルヴァーナとマハー・ボーディ・ニルヴァーナの三つの違いとはなんだと。それは情報に対して頓着しないこと、情報に対して影響を受けないということが修行の大目的なんだよと。つまり、できるだけいい状態、できるだけ絶対の状態を作り上げておいて、それが壊されたとしてもそれに対して心の頓着がなく、また元の状態に瞬時に還れると。これこそが修行者にとって、いや、救済者にとって最高の修行なんだよということを認識するならば、その悲しみというものも瞬時に消えるはずなんだね。
 ところが、今アンダーグラウンド・サマディに入っている弟子たちもいるし、あるいはオウム真理教の教団をこれから活性化させようというわたしの意図もあって、どんどん人と接していると。そしてどんどんけがれると。もちろん時間のある間に四六時中ツァンダリーの瞑想を行ない、あるいは思索をしてるわけだけど、それで例えば、時間があればもとの平安の状態に至り、なければまた落ちてしまうと。
 そしてしかも先程言ったとおり、その、いい状態に対する愛著みたいなものが、正大師や正悟師に対するエンパワーメントによって、わたしの中に定着してるから、そこで苦しまなきゃならないと。もちろん高い世界へ至ることに対する愛著、これは最高の愛著であると。もちろん道筋において必要であると。しかし救済者にとってそれは障礙となるんだね。そして今まさにわたしも、その自分自身のカルマと対決をしています。
 いろいろな段階の修行がある。それはヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラ・ヴァジラヤーナ、あるいはテーラヴァーダといった修行、そしてこれらを統括する形で真理勝者に至り、そして自分の状態を最高の状態を捨てる修行、これらの真理体系の大きな流れの中の、自分自身がどの部分を今歩いているのか、そしてそれを確定させたら次にどの道に進まなきゃなんないのかということを認識しなければならないと。例えばキサーゴータミーの場合、先程チャンバーの中でお話をしてたんだけど、もっと大乗の心を身につけてより苦悩の中に没入し、そして一生懸命ワークをし、その中で自分のステージを安定させるという修行が必要であると。
 これは明らかに内側にけがれなきデータ、真理勝者に至るためのデータ、解脱へ至るためのデータがどれほど根づいてるかが一つのポイントとなる。
 そして、その道をキサーゴータミーがしっかりとこれから歩くならば、当然彼女には一週間のサマディ、九日のサマディ、あるいは三十日のサマディと、あるいは水中サマディといったようなサマディのプロセスから、神変を現わす大神通の道というのが約束されるはずである。
 彼女も言ってたとおり、煩悩が捨断され、そして本当の意味で肉体が弱ると、自分のカルマの状態が現象化します。例えば彼女の場合は、左側の詰まり、そして胸の詰まり、そして痛み、といったような邪悪心、そしてもう一つは卑屈、この二つのカルマが現象化していた。なぜそれがわかるんだというならばそれは、必ずアンダーグラウンド・サマディに入る前に、真理勝者、そして諸々の各ヨーガの成就者たちのエンパワーメントを行ない、それによって、アンダーグラウンド・サマディに入ってる弟子と、自分の体を鏡のように映し出す特別な観想を行なってるからである。
 つまり、彼女たちの苦しみというのは、今までよくグルはタイムリーにアドバイスをしてくれる≠ニいうけど、それはタイムリーにアドバイスするのではなく、彼女たちの苦しみ彼らの苦しみというのは、その苦しみが必ずわたしの体に現象として現われるということだね。で、その状態でアドバイスをすると。
 しかしこれだけのパイプのつながりというのは、なぜ生じるのかと。それは彼女たちがグルの意思を実践し、シヴァ大神、すべての真理勝者方の意向というものを意識し実践し、それによってグルとのパイプができ、あるいは真理勝者やシヴァ大神とのパイプができているからにほかならないと。もしそうでなければ、いくら道筋をつけてあげようとしても結果は得られない。
 したがって君たちは、今日、この境を皮切りとし、小乗の、そして大乗の根本的な思想をもう一度考え直し、日々のワークに、そのワークのときに喜覚支をしっかり行ない救済を意識し、それと同時に日々のサマディの瞑想に習熟してほしいものである。
 天台宗の千日回峰行、この千日回峰行の中の断水断食は、七日と十四時間と規定されている。そして一月、いよいよヤソーダラーが七日間のサマディに入り、これを皮切りに正大師・正悟師が七日間のアンダーグラウンド・サマディに入ることになる。そして次の段階でいよいよ、日本でただオウム真理教だけ、十日間のアンダーグラウンド・サマディを行なうことになるはずである。そしてこれらはすべてシヴァ大神およびすべての真理勝者方が計画なさったことであり、これらが達成されることは間違いないであろう。
 ところで、である。わたしは最近、仏典を読んでて、やはり仏教とはマハームドラーだったんだと。そしてそのマハームドラーを達成したのちに、本当の四つのサマディ、そして最終解脱が存在するんだということを確信した。
 それは「真理相応」の中にこのような一節があったからである。ここに百歳まで生きられる男がいると。この百歳まで生きられる男が、朝昼晩三百回ずつ槍で突かれるとしようと。つまり生まれてから百年間、槍で突かれ続けるわけである。しかしこの男はそれを達成しなければならないと。なぜならばその男は生きていること、生そのものが苦しみであることを理解するからであると。
 そしてここがポイントである。それによって彼は無始の過去から流転・転生した、その、愛欲の世界に対するとらわれというものの、苦と苦の生起について理解できるからであると。
 これはまさにグルが弟子に対して苦しみを与える、これと同じである。ではなぜこの苦しみがポイントとなるのかと。それは先程述べた、わたしたちは迷妄なるがゆえに愛著というものを起点とし、この愛欲の世界にいろいろなきずなで縛りつけられている。ところがこの愛欲のきずなよりも、より大きな苦しみの経験があるならば、そのきずなは簡単に切れ落ちてしまうはずである。その中で、その段階でわたしたちは形状界、そして非形状界を通り越してマハー・ニルヴァーナへと到達できるはずなのである。よって苦しみを認識し、苦しみを見つめ、苦しみを経験しなさいと。これこそが最高の教えの第一であると。
 しかしそれよりももっと素晴らしい教えがあると。それは喜を伴い、悦を伴い、楽を伴い、そしてサマディを伴う教えであると。
 これは何かというと、もともとわたしたちのアートマン・真我は、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜という三つの要素を、三つの様態を持っていると。この三つの様態が内在する限り、わたしたちが真理の法則に従って真理の法則を実践し、あるいは寂静の法則に従って寂静の法則を実践し、あるいは功徳を積み、善行を積むと。これをなすことによって、わたしたちの内側は充実し、そしておのずと高い世界へのパイプだけが残り、最終的な高い世界のパイプもすべて止滅し、最終的な絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態へ至れるということなのである。
 つまり、例えば五日間のアンダーグラウンド・サマディにしろ----まあ、これは今日キサーゴータミーとも話したことなんだけど、楽々、楽しみながら五日間、アンダーグラウンド・サマディ、あるいは一週間アンダーグラウンド・サマディに至るようにしたいと彼女は言ってるわけだが、まさにそれはそのとおりであると。そしてそれらの法則はわたしの説法の中に、そして経典群の中に内在しており、その法則について君たちに続き明かしてるはずである。
 すべては心の現われ。今日から修行に、ワークに、そして瞬間瞬間の身・口・意の働きに喜覚支を伴い、解脱へと至ろうではないか。いいね。
(一同)はい。
(尊師)実はね、Xの情報なんだけど、その七日間と十四時間の断水・断食をやっている、天台宗のお坊さんが癌にかかるというんだよ。これはどういうことかわかるかな君たちは。Mはカルマの返りが早くなると言ってるね。ほかの人はどうだ。断食によって渇愛が生じるのもそれでしょう? これもまあ一つの考え方だな。ほかはどうだ。----これは明らかに記憶修習の内容なんだよ。
 つまり、もしね、例えばその断食期間中に、思索して煩悩を捨断するような方法だったらいいんだけど、彼らは不動明王真言を唱えるそうだ。で、おそらく彼らの唱える不動明王真言というのは、真言宗に伝わる不動明王真言と同じレベルのものを唱えると思います。例えば、ノウマクサーマンダ ボタナンとか、あるいはノウマクサーマンダ ヴァーザラダンセンナン、何だっけ、その次、忘れてしまった。ノウマクサーマンダ ヴァーザラダンセンナン マカボダラ、アボ、あ、違ったか。ちょっと忘れてしまった、申し訳ない。こういうの唱えるわけだね。ところがこれは実際、不動明王の真言じゃないよね。それはわかるよね。例えば、マントラの一つ一つの意味合いはサンスクリット語であって、そのサンスクリット語の正確な発音でない限り力がないってことはわかるよね、どうだ。
(一同)はい。
(尊師)そうすると、これは戒誓のとらわれになるわけだよ、わかるかな。つまり意味のない、変なお経を唱えていることになるわけだね。そうすると、例えばその本質的な不動明王も動かないし、それから、他の仏さんも動かないということになるわけだよ。だからポイントは、何を記憶修習するのか、そして何をもって思索するのか、それは煩悩捨断なのか、あるいはただ単に低級霊域の神々に対する、あるいは低級霊域の霊体に対する思念なのか、によって違ってくるわけだよね。だからそういうことが原因して癌にかかってるんだと思います。
 ですから君たちは修行の一つ一つの、ね、その意味合い、これをよく理解して修行するようにしてください。わかるね。
(一同)はい。
(尊師)例えば今Gが、煩悩は煩悩として、教学、思索、そしてそれから究竟の瞑想、これを繰り返して少しずつ少しずつ悟りを開きだしてるみたいだけど、ああいう形で土台を固めていけば、必ずマハームドラーの成就は起きるよね。しかしそうじゃなくて、本当に外側の情報に翻弄されて、自分が何をやらなきゃならないのが理解できないようじゃ、悟れないわけだし、特にもう、今言ったSとかUとか、sとかDは古いわけだから、自分たちが次はマハームドラーの成就をしなきゃなんない。そのマハームドラーの成就をしなきゃなんないだけではなくて、結局オウム真理教をしょって立たなきゃなんないと。しょつて立つという意味はどういう意味なのかということを、もう少し意識して理解してほしい。これはJも同じだ。いいな。