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◆91/12/2
富士山総本部(五大エレメントのイニシエーション後)
解脱に対するアドバイス

 はい、まず、今日感じたことから述べさしてもらうと、弟子しての自覚が足りないというよりも、日々の修行をほとんどやっていないと。初め数人はエネルギー的にはまあまあだったけども、たぶんあとはもうまるでだめだろうと。そしてもう一つ気づいたことは男性の長髪が目立つ。で、君たちは出家修行者である条件、例えば、向煩悩滅尽多学男は、ね、つまり比丘になる以上は、当然、特別なワークがない限り、わたしは坊主であるべきだと思うんだけど、どうだ、それは。
(一同)はい。
 結局それは形状・容姿に対する単なるとらわれじゃないかと思うんだけど、どうだ、それは。で、この出家修行者で形状・容姿にとらわれてたら、何のために出家したんだろうかっていう疑問がわくんだけど、どうだ、それは。
(一同)はい。
 それだったら、現世で快楽を貪って徳を積んで、来世人間界に生まれ変わるか、あるいはもう少し高い天界に生まれ変わるかを志向した方がいいと思うんだけど、どうだ。うん?
 ----わたしがこのような長髪にしているのは、わたしが在家であるということが1つある。それからもう一つは、わたしの修行そのものが、タントラ・ヴァジラヤーナの修業者であるということを表している。そして、それだけではなく、これは予言との深いからみがあって、こういうふうたいをしていると。いつでもわたしは、丸坊主になることができる。ところで予言に出てくるわたしの弟子はどうなのかというと、丸坊主だ。ということは、長髪の者たちは救済の最終段階では役に立たない、ということになる。逆に女性の弟子たちは予言によると、一応、長髪ということになっている。しかし、もちろん、坊主にして、そして神聖天を目指す修行を行なう、これはこれでまた素晴らしいことだ。
 それからもう一つ。信徒とサマナのエネルギー差がほとんどない。もちろん、あるグループは、かなりエネルギーが強いけれども、逆に信徒以下のエネルギーを出してるのもいると。これは明らかにサマナ生活を行ない、功徳を積まず、安穏と破戒してるからじゃないかと思うけど、どうだ、それは。
 それから、解脱に対するアドバイスをするならば、例えばクンダリニー・ヨーガの解脱なんて簡単だ。何をやればいいか、それは、小乗のツァンダリーや、あるいはグルヨーガ・マイトレーヤの瞑想、これを千回もこなすならば、もうとっくに解脱はするだろう。逆にマハームドラーについて言うならば、教義体系をしっかり理解し、そして自分の引っかかっていることを一つ一つしっかりと静慮によって、つまり思索によって捨断していくならば、それでマハームドラーを成就するはずである。つまりわたしは君たちにグルヨーガ・マイトレーヤの瞑想、および小乗のツァンダリーという二つのクンダリニー・ヨーガの成就する技法と、それから教学システムというマハームドラーを成就するための土台の技法というものは与えているはずだ、どうだ。
(一同)はい。
 しかし、君たちはそれを使わないと、ね。今日も東京でもいろいろと話をしたわけだけども、例えば教学をすると。でも教学をして、その次に思索にいたらなかったら、それは教学をしたことにならないよな。なぜならば、第二課の預流支の説法士の段階に入ると、どうだ、四預流支の内容が出てくるよね。在家における四預流支というのは、三宝に対する浄信、つまり帰依と、それから戒律を守ることだよね。どうだ?
(一同)はい。
 出家修行者における預流支は、三宝に対する帰依が第一番目に来、第二番目は多学になること。第三番目は思索、第四番目は思索による実践じゃないのか、どうだ。
(一同)はい。
 ところが、それを忘れてしまっている説法士、これはちょうど、ね、テープレコーダーを持っていて、テープを持っていかない人の例えと似てるし、あるいはコンピューターを持っていて、プログラミングの全くできない、あるいはオペレーションのできない人と似ていると。わかるよな。
 でまあ、今月から来月にかけて、来月、再来月の頭ぐらいまでかかるかもしれないけど、四十名のクンダリニー・ヨーガの成就者を出そうと考えている。これは、条件としては、やる気のある人ということになる。つまり、わたしは死に物狂いでグルの与える修行をこなすと、その条件を満たすことができれば、新人、古株、関係なく四十人その中からセレクトしてね、もちろん、申し出が多ければ、その申し出の中で、はっきりいってワークは関係ないと。関係ないというのは、どんなに重要なワークについていてもそれを外し、そして、その人がこれまでどれくらいの修行をしているかということを参考にしながら、成就四十名を選択していきたいと考えています。そして来年中には、サマナ全員を----まあ赤ちゃんとか子どもは別にしてね、クンダリニー・ヨーガの成就者にしたいなと。このわたしがしたいなと言っているのは先程も言ったとおり、解脱をするためのすでに君たちに法則は説いてあるのに、君たちはそれを実践しないわけだから……。わたしのしたいな″という意味わかってるよね、つまり君たちが努力しなかったら一体どうやって成就させるんだ、という疑問がある。

 ではオウム三唱して終わりにしましょう。本来、このあと、タントラ・ヴァジラヤーナの発願、および、究境の瞑想に入るわけだけど、ちょっとその域に達してないというのがわたしの印象なんだね。まあ、もともと信徒というのはそういうもんだから、という感覚で接することができるけど、やっぱり君たちはサマナである、特にこの中には、比丘説法士もたくさんいるとなると、当然、採点は厳しくなる。わかるな、言ってることは。はい、では、終わりにしよう。