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◆91/11/17
上九一色村教学センター(予言セミナー)
黙示録の続き〜聖書の予言

 これから、予言セミナーを始めたいと思います。今日どういうかたちでね、予言セミナーの第二回を始めるか考えたわけだけども、もともと前回表わした予言に加えてどのようなかたちで補足していくかと。というのは、この予言についての研究っていうのは以前からなされていて、そして『新約聖書』の中の「ヨハネの黙示録」を中心とした研究が第一と。第二は『新約聖書』の他の部分に現われている予言の内容が第二と。そして第三はノストラダムスの大予言の検討が第三と。とまあこの三つのパートの研究を実際に長年にわたって行なっているわけです。
 でこの、特にこの「ヨハネの黙示録」と、そしてノストラダムスの研究については、もう三年がかりの研究になっています。で、前回予言セミナーパート1で表わしたように、だいたい世の中の流れは見えてきたと。で、その流れを次の段階でどのように展開していくのだろうかと。で、一応ね、まずさっと黙示録のそののちの流れを検討し、そして『新約聖書』の予言、そしてノストラダムスの大予言へと入っていきたいと思います。
 では、ではまず「ヨハネの黙示録」から入っていきましょう。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)それでは、「七つの鉢」までが前回終わりましたので、その続き、第十七章から読みます。
 それから七つの鉢を持つ七人の御使いの一人が来てわたしに語って言った、さあ来なさい、多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう、地の王達はこの女と姦淫を行ない、地に住む人々はこの女の姦淫の葡萄酒に酔いしれている。御使いはわたしを御霊に感じたまま荒野へ連れていった。わたしは、そこで一人の女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす数々の名で覆われ、またそれに七つの頭と十の角とがあった。この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫のけがれとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には、一つの名が記されていた。それは奥義であって、大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべき者らとの母というのであった。わたしはこの女が聖徒の血と、……いいですか、
(尊師)ん、ちょっと待って。今時間何時かな?
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)はい、三時十九分です。
(尊師)あまり時間がないんで、ここは「滅亡から虚空へ」に、で、詳しく検討してるから、これは差し上げるようにしましょう。で、先へ進もう。
 この予言の内容については「滅亡から虚空へ」で詳しく説明されていますので、皆さんには、持っていらっしゃる方はいいとして持っていらっしゃらない方については、これ差し上げるようにいたします。
 で、この次のね『キリスト宣言part2』でも書かれてる内容だけど、それちょっと詳しく突っ込んで説明したいと思うわけだけど、『聖書』に書かれている予言についてこれから話をしたいと思います。
 これ特にねえ、いろいろな問題があって、どういう問題があったのかというと、日本語から英語を検討したわけだけど、英語もどうもおかしいと。これ間違ってるんじゃないかっていうことで、ギリシャ語のいよいよ『聖書』へとかかっていったと。で、なぜギリシャ語の『聖書』へとかかっていったのかというと、実際今の聖書というものは、まとまったかたちで存在していたわけではない。で、そのまとまったかたちで存在してない、いろいろなものの寄せ集めとしての今『聖書』があるわけだけど、その『聖書』の原典といったらいいのかな、初めに書かれたものはギリシャ語であると、いうことが今『聖書』研究の常識といわれてるわけだね。だとするならばこれはギリシャ語から目を通すしかないと。それで慌ててギリシャ語の『聖書』を買い、そこでどういう言葉が使われてるのか、これを検討に入ったと。そうするとまあいろいろな新しい事実へとぶつかったわけです。
 例えば例を挙げるならば、永遠の命をあげると。キリスト教で永遠の命をあげるといってるのはこれはイオン(aeon)なんだね。イオンというのは何かというと、そうだね、長い期間という意味があるわけだね。で、この長い一定の期間というのはどういうことかというと、これはカルパと。カルパを英語で訳した場合、イオンと訳すわけです。つまり結局はキリスト教の言っている生き方イコール、そのカルパを天界で過ごすという生き方であるということが、はっきりとその『聖書』の中に書かれていたと。そしてこの『聖書』の滅亡論、これはまさに仏教の滅亡論と同じであると。ということは滅亡はするだろうと。
 しかしこの滅亡はするだろうといっても、ね、それはなんていうのかなあ、わたしたちが考えているようなかたちで滅亡するんではなくて、要するにこの地球あるいは宇宙全体が炎と化し、そして最終的には完全に死滅する状態が生じてくると。これが宇宙の最終的な滅亡になるわけです。で、それをキリストは、間もなくそれが生じるという話をしているわけだね。で、それはいつ生じるのかといったら、それについては間もなく@るであろうと。
 で、ここで皆さん考えて、考えなければならないことは天界の寿命と、この人間界の寿命の違いです。例えば、救世主が間もなく来ると、キリストが言ったと。で、二○○○年だとした場合、神々の、例えば第一天界ですら一日は五十年、人間界の五十年に当たるわけだから、例えば二十日後、これは一千年後になると。あるいは四十日後、これは二千年になるということになると。例えば第二天界は百年と。第三天界は二百年と。第四天界が四百年と。第五天界が八百年と。第六天界が一千六百年。だとするならばキリストの死後、救世主は一日ちょっとで来ると。これが神聖天になると、まあ例えば三千二百年という神聖衆天の一日だとするならば、例えばそれは一日かからないうちに来ると。
 そうするとキリストの印象からいくならば、間もなく≠ニいう言葉を使ったとしてもそれはおかしくないと。しかし人間界のレベルから見るならば、例えば二千年、あるいは三千年後に登場する救世主というのは、やはり相当に、ね、先であると考えると。ここがこの『聖書』の読み方の、一つのポイントであると言わざるを得ない。
 ところが、もともと霊性の低いキリスト教徒たちはそれが理解できずに、間もなく人類は滅亡する、よって頑張らなきゃならんていう布教の仕方をしたわけだね。
 で、じゃオウム真理教の滅亡論はどうなのかというと、これは明らかにこの宇宙空間すべてが空っぽになる時期があると。それは確かに滅亡期であると。しかし、その前に破局というのは何度か訪れると。例えばそれは第二次世界大戦がそうであったし、次に来る第三次世界大戦も同じように大変な状況であるといえると。
 で、じゃ、なぜそういうものが起きるんだと。実は、十一月の頭からちょっと面白い研究を始めていて、それは太陽黒点の数と、そしてこの地上における現象との関係であると。で、確かにオウム真理教が登場したころから太陽黒点の数が最大限に活発化し、そしてそれが二〇〇一年前後には、よりいっそう活発化すると。
 で、例えばキリスト教が最も勢力を奮い、そして最も堕落した一六〇〇年時代にはどうなったかというと、太陽黒点が全く存在しなかったと。
 で、この太陽黒点とは何かというと、これは要するにそうだね、太陽にはN極とS極という両極があるわけだけど、この地軸の回転軸のスピードと、そしてその太陽の赤道のスピードとのズレによって生じるひずみ、エネルギーのひずみね、このエネルギーのひずみによって太陽黒点が生じると。
 で、この太陽黒点の部分というのは温度が低いわけだけども、そっからいろんな放射能を発するがゆえに、結局この地球に到達する塵だね、塵の量が多くなると。それによっていろんな変化が起きるといわれています。
 そして現に太陽黒点が多くなったときには、いろいろな奇病が発生してるという事実もあります。
 ところで、この奇病についてまあいろいろ検討してみると、すべて一つの事実に突き当たることができます。その一つの事実とは何かというと、要するに火元素が弱まり水元素優位になったときにかかる病すべてが、その病であると。逆に火元素を回復することによって、その病に打ち克つことができると。例えばT細胞というね、リンパ球があるわけだけど、この、ガンがあります。悪性腫瘍があります。で、これも例えば温熱、高温のそうだね、お湯、あるいは高温の温風等には大変弱いという実験例がオウムで出ています。で、これもそうだし、あるいは眠り病もそうだし、あるいは他の例えばインフルエンザの発生云々についても同じようにこの温熱には大変弱いと。ということはどういうことかというと、わたしたちが堕落した生活をするがゆえに生じる病であると言わぎるを得ない。
 じゃなぜ堕落したらそういう病が生じるのかと。それはわたしたちが結局、日々生活している煩悩というものは、すべてそういうエネルギーのロスにつながると。で、エネルギーのロスにつながるがゆえに、体温が低下すると。体温が低下するゆえに低体温の状態、あるいはエネルギーの弱いときに、そのちょうどその弱いエネルギーに合った病原体が振りまかれているというのが今のわたしの結論なんです。
 ですから、これらの例えば七つの鉢の影響を全く受けなくすることはそれほど難しくないと。じゃ、どうしたらいいかというと、それは皆さんが日々の修行において、エネルギーを強めればいいことであると。ということだね。
 でまあ、この研究はあくまでもアカデミックに、つまり学術的に科学的に研究していきたいと考えているから、今日のところはこれくらいにして、それではまず『聖書』の中からの予言の部分を引用し、それについて解説を加えていきたいと思います。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)それではまず初めに、マタイによる福音書、二十六章の六十四。まず日本聖書協会の訳から読みます。「イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかしわたしは言っておく。あなたがたは間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗ってくるのを見るであろう」。すると大祭司はその衣を引き裂いて言った。『彼は神をけがした』。
(尊師)ここの内容だけども、これは何を言ってるか全然わからないと。で、要するに英語版を見てもわからないと。で、ギリシャ語版を見ることによって、やっと理解することができました。ではギリシャ語版いきましょう。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)ではその間題になっているセリフのところいきます。「神の権威を有する右手を所有しながら、僕である創造主の息子が、天神----天の神ですね----天神の大群衆、あるいは天神の雲の上に乗ってくるのを見るであろう。」
(尊師)あの、対比した方がいいと思うんだけどね、そこのところは。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)まず「力ある者の右に座し」というところです。この右、これをギリシャ語の方で詳しく調べますと、「力ある者の右」というところが、「力を持っている右手」と訳せることがわかりました。
 それから「座し」なんですけれどもこれは、特に法廷あるいは議会などにおいてその権威を持って座ってる様子、これを表わす「座し」であったと。そして、
(尊師)いや、そうじゃなくて訳語の対比、つまり一回目は全体を見、二回目は一部を読みではわからないじゃない……
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)あ、じゃあ、部分ごとにっていうことですね。
(尊師)ん。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)はい。
「あなた方は間もなく、人の子が力ある者の右に座し、」
(尊師)ここで、この「力ある者の右に座し」というと、力ある者がいてその右に座し、まあ、やってくるのを見るというこのになるわけだけど、これはちょっとおかしいと、どう考えても。だとするならば力ある者が別に存在しなければならないと。で、ここで調べたわけだけども、そうすると今言ったような内容になると。つまり力ある者が右に座しじゃなく、要するに、神の権威を与えられた右手を有しながら、雲の上に乗ってやってくると。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)天の雲に乗ってくるのを見るであろう。
(尊師)で、この「天の雲に乗ってくる」、これもちょっとおかしいと。なぜおかしいかというと、確かに神通力によって雲を化作し、雲の上に乗ってくるのかもしれないけども、ちょっとその救世主のわたしの考えている救世主と、それからこの「聖書」に書かれてる救世主にズレがあるのはおかしいということで、ギリシャ語を調べたところ、この雲≠ニいうのは例えば悲しみの集まり≠ニかいうようなね、つまりグループを表わすことがわかったわけだね。で、その天≠トいうのは皆さんも知ってのとおり、例えば意識堕落天と言った場合は天界を指すだけではなくて、その天の人々を指すと。これは同じことであって、天の群衆と訳できると。だから天の群衆の雲ということは、要するに天人がね、多く集まっている様子、これを表わしてるということだね。
 で、この意味合いは何かというと、要するにあなた方もよく知ってのとおり、キリストがなぜキリストなのかというと、これは『聖書』の中にはっきりとバプテスマができるからであると。で、そのバプテスマとは何かというと、オウム真理教ではイニシエーションであると。で、そのキリストが生まれたことによって、多くの人が下向きの風、つまり三悪趣に落ちる生き方から、上向きの風、つまり高い世界へ至る生き方へと変化されていると。で、これは明らかにイエス・キリストのバプテスマ、つまりイニシエーションによってなされたわけであると。
 ということはこの右手の神の権威というのも、同じようにこの右手によってそのバプテスマが生じる、ということを表わしてるんではないかと。これは、たぶんオウム真理教でいっているシャクティパットと同じ意味合いだろうと考えるべきであるということだね。
 で、もともと諸現象は心の現われであると。例えば今日も皆さん非常に徳を積んでいらっしゃるから、このように、ね、そんなに熱くもない寒くもない空間が形成されていると。ところがこれが、例えば徳のない人たちだけになっちゃうと、大雨が降ったりあるいは大変寒い空間になったりすると。
 で、それと同じように、すべての現象は心の現われであると。で、だとするならばこの人の子、この人の子は少なくともすべての魂を、あるいはその率いている天人たちのエネルギーを上向きにし、そして天人、人間から天人へと引き上げている魂であろうということがわかると。
 で、もう一つ、この人の子の特徴は、僕、神に対する僕という言葉を使う魂であるということがうたわれてるわけだね、ここでは。ですからこの僕に会ったならば、皆さんたちは、もう救われたと思って間違いないと。はい、次行こう。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)次はマタイによる福音書、二十四章の二十九、を読みます。じゃまず日本聖書協会の方を読んで、それから一部ずつ……
 二十四の二十九。
「しかしその時に起こる患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき人の子のしるしが天に現われるであろう。またそのとき地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗ってくるのを、人々は見るであろう。また彼は大いなるラッパの音と共に御使たちを遭わして、天の果てから果てに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」
(尊師)これも全く何を言ってるかわからないと。よってギリシャ語からの翻訳を説明します。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)「そしてその時代の崩壊のさなかに、たちまち太陽は暗くなるだろう。」
(尊師)まずここまでね。この太陽が暗くなるというのは、皆さん、先程述べたとおり大陽黒点の数が増えるイコール、太陽が暗くなると考えていいと思います。
(マンジュシユリー・ミトラ正悟師)「そして月はそれ自身の光を与えなくなるだろう。」
(尊師)これは当然太陽の光が暗くなるわけだから、反射光でもっている月の光というものは当然、暗くなり与えなくなるといってこれもおかしくないと。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)「そして炎が天から降るだろう。」
(尊師)この、炎が天から降る、というのはもう皆さんもわかるとおり、大陸間弾道弾とかそういう原爆系統が実際に連発され、そしてその炎によってこの地上は焼かれることを表わしています。ですから、わたしは必ず大戦が起き、その大戦のときには原潜が使われると確信をしています、これは。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)「そして、天の権力たちは海に追いやられるだろう。」
(尊師)この部分は、これは仏典に対して精通していないと理解できないと。あるいはこれはヒンドゥーイズムを理解していれば、よく理解できます。つまり、意識堕落天とそして三十三天の戦いが天界では絶えず行なわれていると。で、意識堕落天とこの三十三天というのは、一定の期間をおいて逆転現象が起きてるわけだね。これは実際間題として、太陽軸の逆転とも関係があるわけだけど。
 で、この今、三十三天界にいる魂、これはいずれ意識堕落天によって追い落とされます。で、次はその意識堕落天が三十三天へ昇ったならば、三十三天の神、つまり人間が奉る神、これは今の意識堕落天の神を奉るようになります。逆に今、三十三天にいる神は意識堕落天へ追い落とされると。つまり天の権威が追い落とされる、ということだね。で、彼らは意識堕落天の都へ行って住むようになります。つまり今は、今のデーヴァは満足してるわけだけども、意識堕落天に追い落とされることによって逆に嫉妬する立場に替わるということを表わしてるわけです、これは。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)「そしてそのとき、人の子のしるしが天に輝くだろう。」
(尊師)この「人の子のしるしが天に輝く」という意味はどういうことかというと、これは太陽黒点が、太陽黒点の数が多くなることによって、天にオーロラが見えるようになります。これは、この富士でも当然見えるだろうし、それから東京でも見えるようになる。それぐらいに強烈な太陽黒点の数になり、オーロラが見えます。ではこのオーロラはどのようなかたちで見えるのかというと、天の幕屋≠ニして見えます。つまり天からちょうど、幕が降りてきたようなかたちで見えます。で、この現象が現われるときこそ、本当の意味での人の子がこの世に登場するときである、ということですね、これは。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)「そのとき、地球のすべての民族は嘆くであろう。」
(尊師)この「地球のすべての民族が嘆く」という意味は、要するに大変な災害が巻き起こるということだね。というか、この大変な災害が巻き起こるイコール、怒りのぶどう酒、怒りの、ね、ぶどうを刈り取り、そのぶどうをぶどう搾り器に入れて搾り取り、そしてそれがその馬の轡ほどの高さになったというあの記述の場面と、この場面とがオーバーラップして考えていただいたらよく理解できると思います。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)「そして彼らは、人の子が天人の大群衆の上にたくさんの権力あるいは王権と輝きとを携えて、やってくるのを見るであろう。」
(尊師)ここは、権力ではなくて力だったという記憶があるんだがな、わたしは
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)はい、もともと力です。あ、そうか、失礼しました。力、これは様々な地上の力と、それから様々な、ええ……
(尊師)これはどういうことかというと、要するにそのとき登場する人の子の状態は神秘的な力を有し、そしてそれでいて地上においてもいろいろな権威を与えられている状態であることを表わしています。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)「そして大きな音の戦闘ラッパを携えて、彼の天使たちを派遣する。天使たちは彼に選ばれた者を、天の果てから果てに至るまで、四方の風の中から集めるであろう。」
(尊師)これ天界の一つの表現、で、特にこの天界は風元素優位でありますから、この四方から集めるときには必ず風、風の力を必要とするわけだね。で、それを一つ表現してる。
 それからもう一つは、この現象は、人間界と天界とが完全につながったときに起きる現象であるということを表わしています。
 ところで、近ごろ皆さんもよく雑誌等でも、あるいはテレビ等でも見るようになったUFO、このUFOがこの世紀末、あるいは二十一世紀にかけて大きな影響があると考えるべきでしょう。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)次に、マタイによる福音書、二十五章の三十一。
「人の子が、----まず聖書協会の訳です。一人の子が栄光の中にすべての御使いたちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。」
そして、
「人の子が彼の輝きを身につけて、そしてすべての天使たちを従えてやってくるとき、そのとき彼は彼の輝きの王座の上に座るであろう。」(オウムギリシャ語翻訳チーム訳)
(尊師)これは、あとの方を見ていただいたらわかるけど、もともとその降りてくる救世主というのは輝きを持っていると。この輝きとは何かというと栄光≠ニいうふうな訳語が選定できるように、もともと天界の主であったと。で、その主は多くの要するに天使たちを引き連れて降りてくると。もともとはその天界から多くの魂が降りてくるわけだから、そこには当然独特の権威というものが存在していると。で、その状態がこの地上でも再現されるということを、これは表わしています。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)続けます。マタイによる福音書、二十四の三十七。「人の子の現われるのも、ちょうどノアの時のようであろう。」
これは、
「ノアの日々のように、あるいはノアの時代のように、人の子の再臨もそのようになるであろう。」
(尊師)この「ノアのときのようであろう」という意味は、ノアの洪水の前にどうなったかというと、「さあいよいよ滅亡が近づいてる」と。「皆さんはそれをしっかりと信じましょう」と。だれも耳を貸さないと。で、その次に何が起きたかというと大洪水が起きてノアの箱船が生じたわけであると。ところがここでいわれてるノアの時代とは何かというと、まさに人々が真理というものに耳を貸さなくなると。そして真理というものに耳を貸さないだけではなく、ノアと断定してるわけであるから、大洪水が何度か起き、そのときに人の子は現われると言っているのである。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)あ、次行きます。マタイによる福音書、八章の十一。
「なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西から来て天国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外の闇に追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」(「マタイによる福音書 第八章十一〜十二」日本聖書協会訳)
 ……はい。じゃこれは、やめます。
(尊師)今の内容について説明するならば、これは要するに救済される魂というものは観念的な宗教を行なっている者ではなく、天へ至る宗教を行なっている者であるということを表わしてるわけだね。というのは、天界で座っている。ヤコブやイサクが座っている。----この話を聞くと君たちはこういう経典を思い出すだろう。例えば『マハー・ゴーヴィンダ経』。例えば『マハー・ゴーヴィンダ経』の中で三十三天の神々あるいは第一天界の神々がそれぞれの座に座し、そしてそこに神聖天が身体を化作して法を説くという場面があるわけだけど、まさにこの第一天界、第二天界には一つ一つ座が存在しています。で、この座と、ヤコブ、イサクの座っていうのはまさに同じです。で、そういう天界へ行くような教えを実践している人、この人たちこそが救われた魂であるということを表わしています。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)マタイによる福音書、二十五の四十六。
「そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう。」(「マタイによる福音書 第二十五章四十六」日本聖書協会訳)
 これにつきましては、
「そしてこれらの者は、一カルパの刑罰に行くだろう。しかし神と人の義務を守る者は、一カルパの命あるいは生存に行くであろう。」(同・オウム真理教ギリシャ語翻訳チーム訳)
(尊師)これはもうわかるよね。つまり先程のイオンの解説です。でこのイオンを英語では、まあ日本語訳では永遠と訳してるわけです。確かにこの地球が----まあ宇宙が創造されて破壊されるまでの二〇〇億ぐらいの期間があるわけですから、この二〇〇億を永遠といえないことはないけど、しかし有限の数字であると。やはりこれはカルパ、あるいはイオンという言葉を使って限定的に表わす方が正しい言葉であると思われます。つまりこのイオンというのは、これはわたしは綺語に値するんじゃないかと考えています。
 で、このキリスト教の実践そのものが本来は神聖行≠ナあったことを明らかに表わしてると。で、この神聖行、なぜ神聖行なのかというと、それは一カルパの長きにわたる人生を目的としての修行だったからであると。
 で、ここで皆さんは『神聖網経』を思い出すかもしれないね。つまり神聖天から落ちた魂は、大神聖天を懐かしむと。そして出家し修行し、また神聖世界へ帰っていくと。で、キリストはまさにこのタイプの修行者であったといえるでしょう。
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)ヨハネによる福音書、三章の十七。
「神が御子を世につかわされたのは世を裁くためではなく、御子によってこの世が救われるためである。彼を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。その裁きというのは、光がこの世に来たのに、人々はその行ないが悪いために光よりも闇の方を愛したことである。」(「ヨハネによる福音書 第三章十七〜十九」日本聖書協会訳)
「なぜならば神はこの世界の人々を選別するためにではなく、彼によってこの世界の人々を救済するために息子をこの世に送った。彼を信仰している者は、罪の宣告を受けない、あるいは裁かれない。信仰していない者は、既に裁かれている。なぜならば、神のたった一人の息子の名を信仰していないからである。」
(尊師)これは、大変、そうだね、深遠な教えであると思われます。で、この内容については、このように考えたら理解できるのではないかと。つまりもう、もともと選別をされてると。つまり救世主が来たから選別されるんではないと。というのは皆さんも知ってのとおり、魂には機根があると。で、その機根によって救済されるわけですと。例えば何生も前から例えばKさんのようにね、修行してる人もいれば、そうじゃない魂もたくさんいると。で、この、何生も前から修行してる人たちは救世主と会うことによって、要するに自分のもともと持っていたその素晴らしい要素が発現すると。で、そこで何を学ぶのかというと浄化の瞑想、そして出罪の瞑想、罪から出るための瞑想、これを学ぶと。そして功徳を積むと。その浄化・出罪・功徳という三つの条件によって、どこまで高い世界へ昇れるかということにポイントは限られてくると。
 ところが、そのような光が存在していたとしても、そうではなくて闇、これはマンジュシュリー正悟師は闇と言ったけども、実際は冥府≠ニオウム真理教では、---ん?
(マンジェシュリー・ミトラ正悟師)そこはまだ読んでない……
(尊師)読んでない……、まあ冥府≠ニ考えているわけだけども、その冥府とは何かというと、低位形状界の神々、神々というか魂を信仰したり、低位形状界を良しとする魂は結局救われないと。じや、なぜ救われないのかと。これは、大宇宙が滅亡するとき、低位形状界も一緒に吹っ飛ばされてしまうと。そこで、新しい地獄へと至らなければならないということだね。
 で、ここら辺はかなり未来の話になります。ですから『キリスト宣言Part2」に書かれてる内容は、人類の完全なる滅亡の最後の部分を中心として書かれていますから、これも今回参加した人たちには差し上げることとしましょう。
 ちょっとあのね、出版が----M、何日だっけ発売は?----二十四か。二十八。----今回テープそれから本、このセットについてちょっと時間をください。ていうのは『滅亡から虚空へ』と、この『キリスト宣言』の予言の内容については、二十八日に、テープを含めてまとめて差し上げたいと思います。そしてそれだけではなくてね、重要な予言、予言詩、これを出版に----未来においては載せるかもしれないけども、今のところ載せるつもりのない、しかし重要な予言詩を二十個ほど、これ、ノストラダムスの予言詩ですけど、完全な訳語とわたしの解説を入れたものをテープで吹き込むか、あるいは文章のかたちにするかだけども、まあ、決めてないけども、それをまとめて皆さんに手渡しますので、それをしっかりと記憶修習し、日々の修行に励んでいただきたいと思います。
 で、今日はね、かなり、これから自宅に帰るということを考えるとスケジュールがずっと遅れてきたんで、皆さんに対しては先程も述べたとおり「滅亡から虚空へ」、『キリスト宣言Part2』、新しいテープ、それからノストラダムスの発表されてない二十の詩。プラスその解説書。というかたちでどうかな?
(一同拍手)
 それを必ず差し上げますので、しっかりと記憶修習しましょう。では遠いところから来てる人もいますから、いったんこれで終了します。