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◆91/6/27 阿蘇・シャンバラ精舎
解脱・悟りに至るために

 今日はね、皆さんに、新しいオウム真理教の説法の仕方というものをご覧に入れたいと思います。
 今までオウム真理教の説法のかたちは、説法と歌だったわけだけども、それに加えて、今回、アニメ、そしてビデオを導入しました。というのは、わたしたちの五感を利用して、できるだけ真理のデータをまず学び、それに基づいて考え、そして実践するという、四つの預流支の点から立つと、情報量が多ければ多いほど、皆さんのためになると考えたからです。
 では、一体この情報というのは何を意味するのかと。例えば、ある目的があって、ある学校に入学したいと。そこの試験は、例えば傾向がはっきりしてると。例えば例を挙げるならば、物理の入試問題において、波についてほとんど出ず、例えば力学が中心であるとするならば、波をいくら勉強しても仕方がないと。やはり、力学の部分を徹底的に勉強すべきであると。あるいは、数学について、微分の問題があまり出ず、積分の問題しか出ないとなったならば、当然、積分の問題を解き、記憶修習すべきである。
 これと同じように、例えば、皆さんが天界へ生まれ変わりたい、あるいは天界を超え、身体を有さない、身体を自在につくれる世界へ生まれ変わりたいと考えるならば、まずその世界を十分に理解し、そして、自分自身の心と言葉と行為の一つをそれに合わせると。それはちょうど、試験の傾向を十分に分析し、それに基づいて対策を練り、そして、その状態が完成した状態を表わします。
 真理の修行の素晴らしさは何かというと、例えば、単純なヨーガというのは、肉体を動かし、肉体のプラーナの流れはよくなるけども、言葉や心の修習についてはほとんどなさない。なすといったら、せいぜいが「わたしは神である」とか、あるいは「わたしは神に帰依します」とかいう程度である。ところが、真理の教えはそうではなくて、神々はこのような心を持っていると。神々はこのような行為をなさると。神々はこのような言葉をなさると。そしてそれに合わせて、自分の心や言葉や行為をつくり変えていく作業。よって、日々の生活の一つ一つの行為・言葉・心の働きが大切である。
 出家してるとそれができると。在家にいるとそれができないと。なぜできづらいかというと、例えば、妻は夫に仕えなきゃならない。当然、そのときには不満が出て、横柄な言葉を夫に吐いたり、あるいは逆に夫が虐待することによって、妻は自分の意図どおりの身・口・意の統御ができないといったようなことになるわけです。ところが、出家だとそうではなく、すべては法にかなった言葉や行為や、そして、心の働きの実践ができると。
 よくね、揺れてる方の中で、「師が尊敬できない」とか「正悟師が尊敬できない」とか言う方がいらっしやるが、それはナンセンスと。なぜナンセンスかというと、自分たちの出家した動機は、自分たちの五蘊を変化させ、まず神々に変え、そして解脱していくことであると。だとするならば、人を見ず、ひたすらグルの教えと、そして、グルの教えの書かれている書物、それを記憶修習し実践すべきである。いいね。
 まずは、今日は子供たちもたくさんいますから、こういう、ね、難しい説法よりも、いきなり「超越神力」に入りましょう。−「天耳通」です。はい。

《「超越神力」の上映》

 人は自分自身の中に、功徳の源である歓喜、そして悪業の、いや、不幸の源である悪業の種、これを蓄積している。そして、功徳が現象化するとき喜び、悪業が現象化するとき苦しむ。しかし、真理の修行者は、全くその逆である。
 全くその道とは一体どういうことかというと、功徳をすり減らすということは、それだけ、わたしたちを低い世界、つまり、地獄・動物・餓鬼の世界へと転生させることになる。逆に、今生で苦しみを経験し、それに対して耐えるということは、来世、地獄・動物・餓鬼へ生まれ変わる機会をなくす結果へと導かれる。
 そしてこの功徳は蓄えられると、実際何もしないでも、体自体が完全なる快楽の状態へと至る。逆に例えばリューマチなどのように、悪業が満ちてくると、何もしないで、体中が痛くなってくる。
 ではね次に、まだこれ未完成品、未完成品とは何かというと、今これについてのやっと作曲が半分終わり、もう半分、そうだね、あと一日、二日で終わるわけだけど、そして、初めて、七月に本格的に完成する「輪廻転生」、これをね、一緒に見たいと思います。

《「輪廻転生」上映》

 したがって、わたしは修行をし続けているし、そして皆さんも修行し、実際に、この世界だけではなく、憤怒天や戯忘天、そして神聖天、そして神聖天以上の世界、そして、心の世界、つまりコーザルの世界をしっかりと経験し、理解しなければならない。
 それでは、仮に、主題歌として使われてた「ヴァジラヤーナ」、これを一緒に歌いましょう。

《ヴァジラヤーナ》

 君たちが得なければならない三つのものがある。その第一は絶対自由である。では、絶対自由とは何かというと、君たちが、今の肉体的カルマを止滅し、そして心の本性に還る。本性に還ったときに、自分自身の心によって、一身を多身となし、多身を一身となし、といった現象が現われる。このときの状態は、ちょうど、この肉体から別の身体が抜け出す、そういう経験をする。そしてその身体に死は存在しない。また必要じゃないときは、この肉体に戻ってくると。そして、これをもって自由と表現してるわけである。
 では、絶対幸福とは何かというと、すべての現象に対して正確に理解することができるがゆえに、正しい選択を絶えず行ない、そしてその選択が正しいがゆえに失敗がない。つまり、苦を含んでいる要素、例を挙げるならば、毒の入っているまんじゅうを決して食べないということである。
 この毒の入っているまんじゅうについては、少し比喩を加えて説明しょう。例えば皆さんが、一日二日と断食をしたと。目の前にまんじゅうがあったと。ね。そのまんじゅうに毒が入っていたと。おなかすいていたら、少しぐらい毒が入ってても大丈夫だろうと食べてしまうと。そして食べたがゆえに、その毒によって、断食以上の苦しみを味わわなきゃなんない。これが皆さんが、無智なるがゆえに選択し、そして苦しんでいる要素である。よって、この毒まんじゅうを取らない、ということは、正しい見方ができているということである。そして、正しい見方ができれば、必ず、相対的な幸福ではなく、絶対的な幸福の道へと至ることができる。
 では次に、歓喜とは何かと。これは皆さんが日々積んでいる善業や徳の修行によって、わたしたちの内側に少しずつ少しずつ功徳が蓄えられ、そしてその功徳というものは、歓喜に還元され、内側で何もしなくても、その喜びを経験できるようになる。これが絶対歓喜である。よって皆さんは、この絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜を経験しなければならない。
 そのためには、三つの乗がある。それは、ヒナヤーナ----小乗、マハーヤーナ----大乗、そして、タントラヤーナの秘密真言乗という三つの教えである。そしてこの秘密真言乗は、最も早く目的地へ着けるといわれている。
 さあ、一緒に「タントラヤーナ」歌いましょう。
 ちょっと小さくして、若干だけ。いや音、そのままでいいよ。

《タントラヤーナ》

 サキヤ神賢が、ジャンプ州、今のインドに転生なさったとき、その生は一生懸命布施の実践をなさったと。ところが、ジャンプ州全体を見渡しても、本当の意味での布施を受けられるような、つまり、五戒を守っているような人は一人も存在しなかったと。確かに、秘密のマントラを唱えたり、あるいは、記憶修習をやることは素晴らしい。しかし、それと同等に、あるいはそれ以上に、基本的な戒律である、五つの戒を守ることは、もっと素晴らしいわけです。そしてそれは大変難しいことになります。
 ではね、その五つの戒をなぜ守らなければならないのかと。それは例えば、だれだって殺されることは嫌であると。なぜならば、長く生きたいと考えてるし、死にたくないと考えている。それを殺すわけだから、当然そこで恨みを買うし、あるいは、その殺されたときのデータによって、意識が分断されてしまう。よって、殺生はすべきではない。
 偸盗についても同じで、だれだって自分のものを盗まれるのは嫌である。それを考え、盗まず、人に施す。これが第二番目の記憶修習し、記憶実践しなければならないことである。
 第三番日は、これは出家修行者の場合、性的交わりを行なうことによって、性のエネルギーが漏れ、せっかく積んだ功徳が消滅してしまう。よって、性的交わりを持たず、徳のエネルギーを漏らさないようにすべきである。これが第三の実践である。
 そして第四番日の実践は、嘘をつくことによって、タマスのエネルギーが増大し、嘘をつかれた人は不利益を被る。よって、嘘をつくべきではないと。これが第四の実践である。
 そして第五番目は、お酒、タバコ、コーヒー、マリファナ、あるいはLSDとか、コカインとかいったような覚醒剤を使うことによって、わたしたちは自分たちの五蘊を、自分たちの意志によって動かすことができなくなる。よって、その不放逸を達成させるために、酒、タバコ、コーヒー、紅茶、カフェイン、あるいはマリファナ、コカイン、LSD等を使うべきではない。ね。その実践を皆さんにしていただくために作られた曲、これが「五戒の詩」です。さあ、一緒に歌いましょう。

《五戒の詩》

(前奏部分で)オーム・ナマ・ヤマ・ニヤマヤ オーム・ナマ・ヤマ・ニヤマヤ オーム・ナマ・ヤマ・ニヤマヤ オーム・ナマ・ヤマ・ニヤマヤ オーム・ナマ・ヤマ・ニヤマヤ 五戒を守るぞ、五戒を守るぞ、五戒を守るぞ、集中継続するぞ、集中継続するぞ。
(間奏部分で)しっかりと記憶修習し、日々の生活で真理の実践を行ない、五戒を守りましょう。

 この欲六界、地獄・動物・餅鬼・人間・憤怒天・戯忘天、そして、その上に神聖天があるわけだけど、この神聖天から上の世界というのは、わたしたちの日々の生活における、四つの無量心の実践にかかっています。
 そして、まず慈愛の実践を行なう人は、神聖天の世界へ転生します。そして、愛と哀れみ、つまりすべての衆生の本当の苦しみを理解し、それを取ってあげようと考え、実際に実践した人は、光音天の世界へと転生します。そして、右側の気道である邪悪心を超え、すべてのものに対しての善行に称賛を与え、邪悪心を生起させなかった者は、総美天の世界へと転生します。そして、すべてのカルマに対して、いかなるカルマが返ってきても、それに頓着せず、平然と受け止めたものは超越童子天、これはアカニシタ天とか、色究竟天とかいわれる世界へと転生します。
 したがって、日々の修行において、嫌悪を離れ、そして、自己の欲求を離れ、四つの無量心を一生懸命実践していただきたいものです。
 それでは、「マハーヤーナ」にいきたいと思います。

《マハーヤーナ》
(間奏部分で)オウム真理教の教義に気づき、すべての魂が真理に帰依しますように。
(終わりに)早く皆さんも自分の苦しみかち乗り越え、同じ法友の苦しみを理解し、一緒に高い世界へ行ってほしいね。

 はい。それでは歌がね、ずっと続いたんで、今度は「ガティーカーラ経」、これは経典をアニメ化した、初めてのものです。で、このアニメのかたちは、意図的に紙芝居方式、つまり動きのない絵を使っています。

《「ガテイカーラ経」上映》

 「ガティーカーラ経」の経典の意味合いは何かというと、二つあります。その第一はグルと弟子の関係、つまり、覚者カッサパと、そして、ガティーカーラ陶器職人の関係です。この中で、ガティーカーラは、覚者カッサパの意向に対して、一つの不平もなく、逆にそれを利益だと考えている。まさにこれは、覚者カッサパのなした修行体系がマハームドラーであったということを表わしています。そして功徳というものは、もちろん率先して積まなきやならないわけだけど、それだけではなくて、自分の理解できないことに関しても、覚者の教えについては、しっかりとついてくるということを表わしてるわけです。例えばそれは最後の屋根がそうだね。
 それから、第二番目は、日々の修行を確実に行なうことにより、形状界へ入り、そして歓喜の身体を持って、そのままその教えを実践し、その歓喜の世界で、一カルパ、あるいは二カルパ楽しみ、そしてそこで完全煩悩破壊し、マハー・ボーディ・ニルヴァーナに、つまり偉大なる到達真智士完全煩悩破壊界へと入ることができるということです。
 ですから皆さんは、経典を一つ一つ読むとき、その裏側にどういう意図が込められてるかをしっかり理解して読んでいただきたいと思います。
 それでは、次に「未来へ」を歌い、そののちオウム三唱し、そして、インドビデオね、一時間半見たいと思います。
 じゃ、「未来へ」と「戦え真理」、連続でいこう。

《未来へ》

 修行者には、二つのタイプがいる。
 その一つのタイプは、自分の経験だけをもって、これが最後であると考えるタイプである。それはちょうど、----マニュアルを見ないで車をいじったり、あるいは機械をいじったりするのと似ている。確かに、ある程度の機能は、それで果たすことができるかもしれない。しかし、壊す確率は高いし、そして、そのものの持っている機能のすべてを知り、使いこなすことはできない。
 次に、すべての体系を理解し、そして、自分の経験はあくまでもその一部であると、ザンキの念を持ち、謙虚な気持ちで修行するタイプがいる。これはちょうど、必ずまず物を買ったらマニュアルをしっかり見、その機能のすべてを理解し、そして自分に合った最高の使い方をする、という方法と似ている。
 そして皆さんは、オウム真理教の修行体系のバックにある、原始仏典、あるいは原始ヨーガの形態を十分に記憶修習し、すべてを理解し、そして今生、できる堺り高いステージへ到達していただきたいと思います。
 完全煩悩破壊し、マハー・ニルヴァーナに入る魂は少ない。しかし、五下分結を完全に捨断し、形状界へ入り、そこから大完全煩悩破壊し、マハー・ニルヴァーナに入る魂はそれよりもずっと多い。しつかり修行していただきたいと思います。
 では、「戦え! 真理の戦士たち」----しっかり頼むぞ。

《戦え! 真理の戦士たち Ver.U》
(間奏部分で)立て、サマナよ。そして、君たちの最大の敵である煩悩を破壊せよ。それは、君たちに永遠の絶対なる至福を与えることは間違いない。

 君たちの修行は、君たちの煩悩を破壊し、そして、四つの無量心を培い、真の自由、真の歓喜、真の幸福を得ることが修行の目標です。したがって、心に浮いてきたいろいろな感情について、それに左石されず、それは自分自身が今生、あるいは前生において、培ってきた悪いカルマにおける記憶修習の結果だと証智しなさい。いいね。
(一同)はい!
(尊師)そして、日々経典を読み、記憶修習し、真理の実践をしなさい。このシャンバラは閉じた社会である。閉じた社会とはどういうことかというと、外界と遮断されている。そういう意味においては、修行者が最も早く悟り・解脱をする素晴らしい環境だと考えている。この環境を生かして、しつかりと高い悟り・高い解脱へ到達しなさい。いいね。