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◆91/5/12 富士山総本部
上向の道と下向の道/最終ステージについて

 今日は、龍神たちが来て、説法を聞きに来てるね。君たちは見えますか。
 人間には、二つの道がある。その第一の道は下向の道である。第二の道は上向の道である。そしてこの、下向の道、あるいは上向の道を規定するものは、その人が何を対象とし、称賛するかで決まる。
 これは一体どのようなことだろうかと。例えば、ここに修行者がいて、その修行者が食事の戒を破っている人を称賛し、性欲の戒を破っている人をうらやみ、そして、嫌悪や怒り、あるいは自己を表現している人の状態を見てうらやむと。あるいは、戒律に違反してもそれを平然と嘘をつくと。そういう習性をよしとすると。この者たちは邪悪な法の修習を続けることにより、必ずや下向することになるだろう。
 では、ここにいて、ね、修行者がいて、その修行者が、一生懸命徳の修行を行なっている者、例えばバクティに集中している者、あるいは人の嫌がるような奉仕活動を一生懸命やっている人、こういう人に対して称賛の心を持つ。あるいは、信徒が一生懸命徳を積んでいる、あるいは、善業を行なっている、そういうのを見て称賛する。あるいは、心を静める経典を読み、それに基づいて思索をしている法友を見て称賛する。あるいは、一生懸命ツァンダリーとか、あるいはグルヨーガ・イニシエーションとか、あるいはグルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションのような瞑想を一生懸命行なっている人を見て称賛する。あるいは極限修行で十五時間、二十時間と集中している人を見て称賛すると。
 つまり、徳行、善行、寂止の行、法行、この四つのわたしたちを上向させる道を歩いている者を見て称賛する。この人はいずれ大完全煩悩破壊を行なうだろう。つまり、下向の道を歩くのか、あるいは上向の道を歩くのか、下向の風を強めるのか、あるいは上向の風を強めるのかは、君たちの日々の称賛の態度、君たちの日々の心の修習によって決定されるわけである。ね。
 では一体、出家し、サマナとなり、どのような者が最も称賛に値するのだろうかと。
 まずそれは第一に、奉仕活動を行なってるときは、グルの意思をしっかり考え、その意思をどのように具体化するかと。それに対しては自己のエゴ、自己の欲求というものをいっさい捨て----なぜならばここで自己のエゴや欲求を満たそうとするとき、そこで当然徳の消耗が起きるからである----ひたすらグルの説く法を理解し、それにのっとった奉仕活動に集中すると。ね。そして、物に頓着せず、物を欲求せず、食事に頓着せず、食事を欲求せず、ね、異性を最大の敵と見ると。
 今、わたしたちが奉仕活動をなっているこの異性、あるいは同性愛の場合は同性だが、同性は、最大の敵であると。これはわたしたちを、まさに魔境に巻き込む敵であると。わたしたちを真理から逸脱させる敵であると。ね。その対象は、年老いたら腐り、ね、そしてステージが上がれば、その臭みというのは、いかにも耐え難いと。このように考え、修行に集中すると。一心不乱にひたすら、自己のステージを上昇させ、そして高い世界の成就をすると。
 日々の身・口・意の三つの働きについては、まず身の行ないについては、当然殺生を離れ、そして与えられたもので満足し、ね、先程言ったとおり、異性に対しては徹底的に防御すると。言葉においては、周りの人をとにかく穏やかな心にさせる。静かで、優しく、そして強い言葉を使うと。心の働きについては、絶えず自分の周りの人が早く高い成就をしてほしいなと。早く高いステージに至ってほしいなと、そのように願うと。ね。
 そして、ワークの合い間になさなければならない修行のときは集中し、これは寂止の行であると、これは法行であると、これは徳行であると、あるいはこれは善行であるということをはっきり認識し、瞑想し、実践すると。ね。このような実践をなす者は、サマナとしての見本である。
 そして、この者がすべての魂に対して慈しみを持ち、殺さず、痛めつけないと。与えられたもので満足し、盗まないと。異性については、あるいは同性については、徹底的にブロックすると。そして、真理の法にのっとり語ると。タバコ・酒を離れ、ね、もちろんシンナーやマリファナ等を完全にシャットアウトし、心を絶えず四つの修行、善行・徳行・寂止の行・そして法行に集中すると。ね。
 そして、しっかりと決められた食事、一日一食、あるいはステージが低い場合二食に満足し、欲求しないと。ね。そして、一切の装飾、例えば髪飾りや衣服についても、与えられたもので満足し、決して飾らないと。だいたい戒律を守ることのできる人はそれができると。できない人は、必ず、特に女性の場合は、口紅をつけたり、髪飾りをつけたり、ねえ、着飾ったり、これが始まる。これをシャットアウトすると。ね、そして、できるだけ粗末なところに寝る習慣をなすと。例えばデザインの場合、いらぬ本は読まないと。編集の場合も同じである、これは。
 こういう出家者の八つの法を実践し、先程述べた四つの修行体系にのっとり、三つの動きを完全にコントロールすることができるならば----三つとは身・口・意のことだね。四つというのは、徳行・善行・法行・寂止の行のことだね----必ずや来世君たちは、天へ生まれ変わることになるだろう。
 もちろん、その煩悩の切れ具合によって、憤怒天かもしれない。あるいは戯忘天かもしれない。あるいは神聖天かもしれない。あるいは、光音天かもしれない。あるいは美散天かもしれない。あるいは広果天かもしれない。あるいは色究竟天かもしれない。しかし、どの天へ行こうとも、土台がしっかりしていれば、必ずそこからまたジャンプするはずである。つまり、例えば下向する者は、いきなり下向、その道が生起するのではなく、日々の修行において下向の修習をしてるということを認識しなきゃなんない。そして、ステージの上がっていく者は、日々の修行において、上向の修習をしているということを理解しなければならないのである。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。その絶対死ぬときに、惑わないようにすること、これが、わたしたちが君たちに与える、最高の言葉のプレゼントである。これを肝に命じ、日々修行に励みなさい。いいね。
(一同)はい。
(尊師)最後にもう一度言うよ。下向の身・口・意における行為、これを称賛してはならない。欲求してはならない。嫉妬してはならない。これは下劣な行為であって、君たちを決して幸福な世界には導かない。いいね。
(一同)はい。
(尊師)善行、徳行、寂止の行、法行を実践してる者、この者たちを称賛し、そして目標とし、追いつくように全力で頑張りなさい。いいね。
(一同)はい。
(尊師)はい。それでは、オウム三唱したのちに、今日ちょっと歌をね、少し聞かせたいと思う。

 じゃあ、天界からいくぞ。
 ----はい。ではこれから、まず、自分たちがどの世界へ転生するか、それよく考えながら、開きなさい。
 この曲は、K、U、二人に、あと、m、三人にわたしは送りたいと思います。よく聴いてください。わたしの三人の弟子に対して愛を込めて。----カラオケは? 君たちはなぜわたしがこういう歌を作ってるかわかるか? ----そこまで下がらないと、君たちが修行しないからだよ。本来はこういう歌を歌う必要はない。それから、「超越神力」流したのも同じ意味だ。まず修行の、ね、小乗的な一つのメリットとして、超越神力があるわけだから、そこをまず徹底的に記憶修習させようと。ところが、バカな人間がいて、バカな師がいて、「いつまでかけるんですか」というような、アホなことを言ってると。
 だいたいわたしが三月の後半から、ね、君たちの面倒見なくなって、君たちにどういうだいたい傾向が出てるかよく考えなさいと、それ言いたい。わかるよな、言ってることは。どうだ。煩悩の修習、下向の修習、これだけじゃなかったのか? どうだ。だれがそれ止められたんだ! だれも止めることができなかったよな、どうだそれは。それは君たちの中にダルマが入ってないからじゃないのか? どうだ!----だとしたら断片的な法から入れるしかないじゃないか。わかるな?

♪布施と 持戒が 天の道 一つはずしても 門閉ざす
 真理 修習 だけじゃないが 邪道の道は異なる
 布施実践 戒実践 邪道でも 天へ行く
 真理と違い また悪趣 真理は天からジャンプする

 快楽 楽しみ 欲望天 長命 歓喜 戯忘天
 功徳の力 持戒の力
 和合 慈しみ 欲望天 従順 善行 戯忘天
 功徳の力 持戒の力
 真理 記憶修習 真理 記憶実践だ
 私と 共に あなたもさあ行こう
 真理の道がすべてだ
 俺はこの世界の支配者 快楽すべてが私のもの
 天女の魅力 答えられぬ
 五妙欲 大満足 欲望天
 とろけそう 天女たち 戯忘天
 功徳の力 我ぞ知る 至上の快楽 この世界
 俺は この世界の支配者 すべての天女は俺のものだ
 光が消えた 功徳が切れた カルマが落ちた 地獄だ

 この歌の意味合いを説明しよう。この歌は、布施・持戒、そして真理の記憶修習によって天へ行くことができると。しかし、例えば邪道を実践していても、布施と持戒をなすことによって、ね、天界へ行くことができると。しかし、記憶修習をしてる者は、そこで、その世界の欲望にとらわれないから、そこからジャンプする。あるいはいったん人間界へ降りて----つまり一来だね----そこから神聖天へジャンプする道があると。ところが邪道は、今述べたとおり、完全に欲望を満足するがために、ね、カルマどうなりますか、積んだ徳は?----消耗されて落ちていくと。それをこれは吹き込んだ歌です。で、こういう歌があるということは、これは、信徒あるいはサマナにね、ま、これはもう少ししたらきちんとした録音で君たちに聴かせるつもりでいるけど、自分の中にデータがあると思うからそれしっかり根づかして、そしてそうならないように記憶修習しなさい。いいね。
 では次、ん、無明憤怒天にいきます。いいですか。
 これはだいたいオウム真理教で、マハームドラーを成就していく人たちのパターンが、だいたいこの憤怒天人間界、憤怒天、神聖天の道をたどるから、特に今マハームドラー直前の人は意識して聴くようにしなさい。いいね。
 これは、あれだね、V師、J師、ね、に、お布施いたします。

♪戦い疲れ 功徳を漏らし 天への道を 一人閉ざす
 策略は 鏡のよう
 真理を知らず ただ立ち向かう
 功徳の力は すべてを超える
 持戒を保持し 布施を為し 真理の教えだけがすべて

(尊師)よし、この道を歩いてきたマンジュシュリーに歌わせよう!
(マンジュシュリー正悟師)は?

♪戯忘天 快楽は うらやみの 心起こす
 戦い 陰謀 誹謗 け落とし だけが すべて 力
 智謀 力 布施が この世界
 破戒 快楽が 戯忘と違う
 戒実践なすなら 戯忘をしのぐ
 戒実践なすなら 神聖天へ
 さあ パンチ 両舌 悪口が カルマ落とす
 がまんが ジャンプ力 悪業落とし 神聖天
 持戒を守れば 真理を学べば
 はるかに高い天へといざなう
 知謀だけが 頼りなんだ 功徳だけは 積んでもいい
 戒律は まっぴらだ 制約は ゴメンだね
 俺はカルマを信じない カルマの力で また悪趣

 この歌は、もう皆さんわかってるとおり、憤怒天、つまり、阿修羅の世界がどのようにしてできてるかと。
 戯忘天と憤怒天の違いは、戯忘天は、徳による政治と。憤怒天は力による政治ということがいえるわけだね。で、この世界の特徴は、徳は積んでも、戒を守らないと。で、オウム真理教のその、マハームドラーを成就していってる人たちが、そのパターンだとわたしが言った意味合いは、例えば彼らも、言葉のカルマに対してちよっと鈍感なんだね、わたしに言わせると。もしそれが敏感であるならもっと早く高いステージへジャンプできるのに、言葉のカルマに、つまり言葉の戒律がちょっと弱いという意味で言ったわけだけど、もちろん、ね、行為の破戒その他をなせば、なかなかそのマハームドラーの成就しないと。
 ところが、阿修羅世界の中には、戯忘天よりも徳を多く積んでいる魂もたくさんいるんです。で、そういう人たちが、例えば、その阿修羅世界でね、殴られたり、あるいは罵倒されたり、あるいは両舌によってカルマを落とされると。それに対して平然と、忍辱の修行ができれば、そこから神聖天へジャンプできますよという、これ歌なんだよ。わかるね、みんな。
 だから、それからじゃあ次はね、わたしの最も好きな歌で----いいですか、わたしが人間界へどうして転生したか、よく、その意味が説かれている「人間転生」という歌だけどね、「人間転生」があります。これは、わたしは大好きですからわたしが歌います。
 歌が入ってるの。カラオケない!----じゃいいよ、一絡に歌いましょ。

♪あなたと一緒に 苦労をしながら 楽しい家庭を 築きたい
 私の すべてを あなたに 捧げたい
 この愛は 喜びは 無常と知っていながら 求める
 安らぎは 幸福は 三苦の形を表し 壊れゆく
 子供達は 息子達は あなたのように素敵に この夢
 壊れさせない 固く守るわ 来生も あなたと一緒に生きたいの

 勇敢 ジャンブ州 真理の記憶修習
 クル州 千年生きられる エゴがなく 天界のように楽しい
 家畜養い ステーキを食べ 焼き鳥 焼き肉
 ゴーヤーナ州の楽しみのすべてがここに
 五百年生き 巨大身体 ヴィデーハ州 美しい 体持ち
 素晴らしい 行動なし 生きるの

 人間界へ 生まれたい そのサインは かわら屋根
 父母の交わり 家庭のヴィジョン
 湖の馬 白い馬 湖のそば 牛がいる
 美しい男 美しい女 すべてが道
 何度も記憶し 何度も瞑想し 忘れないわ
 あなたと一緒に 人間世界へ 苦楽と一緒に 暮らし育む

 ジャンブ州だけが 修行の大陸

 人の一生は短いぞ 功徳減らして 生きたならば
 いくら瞑想したとしても おまえの道は 三悪趣だよ
 真理を記憶し 真理を行い 功徳を積めば 人間だ!

 はい。この歌の前半は、わたしが人問転生をするときに使ったヴィジョンの一つだね。で、特に経典に載ってない、家庭のヴィジョンとか、ああいうのは、実際に自分自身で体験して、今生人間界へ転生している、そのプロセスをちょっと含んでるわけだけど。
 で、わたしがなぜこの歌を好きなのかというと、まず、例えばサキャ神賢あるいは、ね、ヤソーダラー、あるいは、天界へ転生したケーマー、あるいは、キサーゴータミー、あるいはパターチャーラー、こういった人たちの転生は、やはり人聞転生のときに、しっかりと執着いうものに根づいてるわけだよね。で、この執着というのは、確かに、わたしたちにとって害なんだけども、その執着の裏にあるものは、記憶修習なんだよね。で、この、土台を今度は真理の記憶修習に替えたならば、その人たちは天へ昇り、神聖天へ昇り、そして色究竟天へ昇り、煩悩破壊できると。
 つまり、執着がなく動物的ににコロコロコロコロ変わるような心の状態では、本当の高い世界へ行けないんだということなんだよ。よってその、人間界、特にこのジャンプ州がジヤンプ台となってるわけだよね。
 A君。どうだ、ゴーヤーナ州は?----いいだろ。フフッ----おお?----まあ、ね。ですから、そういう意味でしっかりと聴くように。
 それでいくら記憶修習をしていても、例えばその前の死の直後にできるわたしたちのフォームが動物であるならば、人間界へ生まれ変われませんから、やっぱり真理のの記憶修習、真理の実践、徳があって初めて、人間界へも生まれ変わることができるんだということを認識していただきたいと思います。いいね。
 では次の二曲はちょっと詩も長いし曲も難しいから、曲の入ってるやつ聴こうか。救済の構図パートI、パートIIだね。まず救済の構図パートIは、「色究竟天から救済へ」、で、パートIIが「個の完成----小乗」だね。これあの、この曲を師は知ってるだろうけど、師以外で知ってる人いるか、AEIは別にして。----初めて聴いた人どれくらいいる。手を挙げてごらん?----お、OKわかった。

♪最高の功徳 光を極み サマディ修習 この天へ
 神聖衆を超え 光音天を超え 一人輝く
 美散天を超え 喜び放棄 記憶修習 記憶実践
 広果天を超え 無熱天を超え 光り輝く
 私は知った 私は聞いた
 私は見た 私は感じた 弟子の苦しみを
 降りねばならぬ 済度をせねば 煩悩解放
 楽をよろいとして 喜悦をよろいとし
 カーマをよろいとし
 私は降りてきた 弟子の済度のため
 光を捨てて 暗闇の中 真の光求める道を
 私はこの世界で離解脱し 悟りを開いて
 広めるんだ
 カーマを捨て 味覚を捨て 快楽を捨て 喜びを捨て
 大楽捨て 離解脱する
 善行なし 功徳を積み 持戒を守り 出離をなし
 慈愛をなし 哀れみなし 称賛なし 悟る
 縁ある魂 この光を すべてのために
 少しでも 分け与え 苦しみを 取り除く役割 果たす

 この「救済の構図パートI」は、色究竟天へまでの道と、色究竟天から人間界へ降りてくるプロセス、そして、どのような具足をすれば、例えば成就をしたのちに降りてこれるのかと。ね、それからどのような解放をすれば、解脱できるのかということが細かく歌われてる曲です、これは。
 T、意味分かったか? だから第一天界だろうと第二天界だろうと、例えばマハームドラーの成就は存在しているんだよ。いいな。
 じゃ、次は「救済の構図パートII」。----これ歌入りしかないよ。
 これあの、知ってる人は一緒に歌っていいよ。これ君たちの歌だから。いいね。

♪この苦しみの世界へ生まれた
 楽の裏に苦しみ 楽の裏に苦しみ
 すべては苦しみの蘊
 私は現世を捨てて家を出る
 私は出家し離解脱したいんだ
 ビック生活は楽しい毎日だ
 サマナの生活は素晴らしいよ
 修行者の毎日は楽しいよ
 真理の実践は素晴らしい
 この身不浄の極み 我が身不浄なり
 この身体を抜け出して 高い天へ行く 天の神になる
 この身を超え
 不死の世界 不死の体 汚れなき身体を得るの
 感覚を超え 経験を超え この世界の鎖を解き
 自由になる この世界は無常
 心を止めて 観念壊し 輪廻の海を超えて

 高い世界へと 至るための道
 功徳を思い 功徳を積んで
 真理を思い 真理の実践 これがすべてだ
 悪業を断じ 悪業をやめよう
 悪業を止めて 悪業を止滅し
 苦しみの世界へ 至る道を超える
 さあ不殺生だ 不偸盗だ 非愛欲だ 嘘をつくな
 酒を飲むな 守れ

 帰依を培って 真理を学んで 天へ至る道を築く
 法を学び 理解をして 法の土台を築く
 悪業を断じ生きるなら 悪趣の世界が閉ざされる
 善業を実践するならば 天界の生活待っている
 記憶繰り返し 記憶の入れ替え 真理のデータにすべてを替えて さあ実践だ
 原因求め 答えを探り 心静まる 喜悦を捨てて
 楽を経験し 寂静に至る
 生存の殻を 脱いで捨てるには
 サマディによってすべてを経験す
 光が降りて 智慧が現れ 真実を知り 明らかになり
 この世の幻影 すべてのからくり 苦楽のからくり
 如実に経験し 解脱す
 真理のデータを 記憶実践
 真理のデータで すべてを生きる
 真理の道から外れずに 天への道から外れずに
 悟りの道から 解脱の道から 覚者の道から外れずに
 時間を選び 場合を選び
 真理の選択 ダルマの選択 真理の実践行うぞ
 ステージに合わせ 煩悩に合わせ 真理を行い 悟る
 努力 精進 全ての土台
 努力 精進 全ての要
 気力 やる気 全ての土台
 気力 やる気 全ての要
 やるぞと決めたら妥協をせずに
 真理の実践 ダルマの実践
 悟りの実践
 信だ 帰依だ 布施だ 戒だ 善だ 徳だ 寂止
 智慧だ 解脱 悟る
 真理の実践は喜びだ 解脱の修行は喜びだ
 始める前に喜んで 修行をしながら喜んで
 修行した後喜んで 進歩を見ながら喜んで
 真理の説法喜んで聞き 経典 教学 楽しいな
 真理 修行が 心と 身体と 行為を 軽快に
 真理の修行がナーダをきれいに 真理の修行がナーダを大きく
 若くてきれいで 強くて 柔軟 軽快 迅速
 不老だ 無病だ 真理だ 修行だ 大安楽
 体のエネルギーがなくなった 体の力がなくなった
 呼吸の働きが停止した
 心臓が止まる 息が出来ない
 グルよ助けて 死ぬのが怖い
 周りが見えない 周りが暗い
 声が聞こえない 気絶しそうだ
 サマディは恐怖だ
 サマディを超えて すべてを超えて 修行だ
 すべてはサマディから
 無頓着の修行 最高の実践が無頓着
 捕らわれの心 功徳の消耗
 功徳を閉じて 漏れをなくして悟る

 正しい見解は 三宝 礼拝 すべての基礎
 正しい見解 真理の教えを 聞いて学び
 記憶 浄化 捨断 煩悩破壊
 苦しみ滅尽道 ただ一つの道だ
 正思惟なしに 真理は根付かない
 悪法断じて 正見解増大す
 美しい容姿を造るんだ 嘘をつかずに語ること
 悪口言わずに語ること 仲かがいさせずに語ること
 綺語を話さない事は素晴らしい
 言葉の功徳 来世を決める
 殺生をせず 慈しみをもち
 偸盗をせず 邪淫を超えて 人々と和合する
 正しい生活 七覚支
 これが本当の真理道 
 覚者に至る 最高の道
 現世の楽しみ断って 日々の勤めを果たし
 休まずたゆまず実践し 悪法減少 善法増大だ
 真理の記憶修習 真理の記憶実践
 サマディに入るとき 四つの道がある
 有熟考にして 有吟味にして 第一ステージ
 無熟考にて 無吟味からくる 第二ステージ
 楽を持てば第三ステージ
 苦楽を捨断し 第四ステージ
 空を超え 意識を超えてすべてを放つ
 認識から解放されて すべての経験を止滅す
 すべてが終わり カルマが消えて
 悟り 離解脱 完全無欠
 具足をなし 如意に生きる
 自由自在に この世を生きる
 至福だ 歓喜だ 寂静だ
 この素晴らしさを あなたに

 マハーヤーナの道ができ 苦悩の魂引き上げる
 慈愛の実践哀れみを 称賛 無頓着と同様に
 今その修行が 始まろうとしている

 はい拍芋。
(拍手)
 これが、救済の構図ナンバーIIと。で、救済の構図ナンバー3が、確か「マハーヤーナ----大乗」だったと思うけどね。これ今、作曲に取りかかっていまして、で、救済の構図ナンバー4が、タントラ・ヴァジラヤーナと。救済の構図ナンバー5が、たしか欲六界の破壊だったと思うね。
 で、最後の救済の構図ナンバー6が、色究竟天へ帰るという、その中の第2パート、これあの、今回の「死と転生」でイニシエーション用に作られた曲だけどね。
 どうですか? こういう記憶修習だけをしてれば、ね、下向の風は吹かないよね。どうだ? ところがだよ、例えば、ちょっとラジオをひねると、「女心の〜」なんていうのを聴いたらダメでしょ。あるいは、ね、「ボクたちおとこのコ」とかダメだよね、これね。同じ、だから歌でも、真理の記憶修習を一生懸命やんなさい。いいね。
(一同)はい。
(尊師)では最後、「戦え戦士」と、それから「超越神力」を聴いて終わりにしましよう。知ってる人は歌っていいぞ、一緒に。じゃ、「超越神力」からいこうか。
「超越神力」覚えている人何人いるか。手を挙げてごらん。----だれも挙げない。だれも覚えてないのか。ひどいなあ。ほんと記憶修習のきの字もないなあ。----完全には覚えてない。若干は覚えてる。知ってるとこだけでも歌えばいいよ。

♪人はだれでも持っている みんなの心に持っている
 遥かな無始の過去から 持っている
 人にだれでも隠れてる みんなの心に隠れてる
 無明の闇を超えて 超越神力だ
 功徳によって サマディによって
 修習によって 得る世界
 悟りによって 解脱によって
 自由自在に 君は使える
 天耳・他心・宿命・天眼・漏尽
 天耳・他心・宿命・天眼・漏尽
 無明の闇を超えて 超越神力だ

 心の中に現われる 心の中に聞こえる
 遥かな神秘の国から やって来る
 宇宙を超えてやって来る 光を超えてやって来る
 タマスの無智を超えて 超越神力だ
 布施によって 奉仕によって
 調気によって 得る世界
 持戒によって ムドラーによって
 自由自在に 君は使える
 天耳・他心・宿命・天眼・漏尽
 天耳・他心・宿命・天眼・漏尽
 タマスの無智を超えて 超越神力だ

 人にだれでも必要だ まさかのときに必要だ
 あなたの少しの努力が実を結ぶ
 人にだれでも役に立つ まさかのときに役に立つ
 苦悩の波を超えて 超越神力だ
 善行によって 寂止によって ダルマによって 得る世界
 思念によって 観慧によって 自由自在に 君は使える
 天耳・他心・宿命・天眼・漏尽 天耳・他心・宿命・天眼・漏尽
 苦悩の波を超えて 超越神力だ

 人はだれでも必要だ みんなのために必要だ
 真実の救済のために 必要だ
 覚者はだれでも持っている 済度のために持っている
 悪魔の軍勢を破って 超越神力だ
 慈悲によって 覚支によって
 五力によって 得る世界
 念処によって 如意足によって
 自由自在に 君は使える
 天耳・他心・宿命・天眼・漏尽
 天耳・他心・宿命・天眼・漏尽
 悪魔の軍勢を破って 超越神力だ

 わかるよね。「超越神力」を聴いたらそこに覚支、五力、あるいは念処、と出てくるけど、そねは「救済の構図パート2」で、だいたいの慨略がわかると。で、概略がわかったら次は経典に入っていって、例えば「預流相応」とか、例えば『覚支相応』とかね、わかるよね。『覚醒部分相応』とか。例えば『聖なる八支の実践』とか、そういう経典に入っていけば、徐々に粗雑から微細に移行するよね。
 わかるね。で、しっかりと記憶修習やればそのうちに、超越神力の天耳・他心・宿命・天眼・漏尽がついてくると。簡単だな、これな。しっかりやろう。
 で、この「超越神力」はもう一回ね、マンジュシュリー正悟師に歌詞を読んでもらって、みんなで歌いましょう。だから、わたしが鳴らしてるということは、鳴らさせてるということは必ず意味があるんだと思って、それにのっとってしっかり、自分の考え方を入れないで実践すること、それが君たちの修行です。いいね。
(一同)はい。
(尊師)なぜならば、グルの考えが君たちの根本であり、グルの目が君たちの根本であり、ね、そしてグルの教えが君たちの根本なんだから、いいね。
(一同)はい。
 さあしっかり、五神通を身につけましょう。
 はい。じゃあ最後、「戦え戦士」で終わりにしましょう。この「戦え戦士」はちょっと新しい詩を振ってあるんで、これ君たち用の詩なんだね、これはちよっと。
〈戦え! 真理の戦士たち〉
 はい。最後にね、最終ステージについて、少しコメントを述べて終わりにしたいと思います。最終ステージの、“経験の死滅”、これは「受想滅」という漢訳語があるわけだけど、これはどういうことかというと、要するにわたしたちが経験をしたものが、しっかり根づいていると、次の動機、つまり次のサンスカーラの源となります。これわかるかな。
 例えば、性的快楽がある。その性的快楽があるから次に異性を求める。例えば、おいしい食べ物がある。おいしいと思うから、次のまた食という行為に至る。わかるね、これは。
(一同)はい。
(尊師)じゃ、経験が止滅したらどうなると思うか君たちは?----経験が止滅したら、一切の身・口・意の行、サンスカーラが停止します。それが最終解脱の状態であると。いいね。そしてこれは、別の言い方をすれば、ナーディーとも関係してくる。わたしたちは経験の修習によってナーディーを詰まらしてる、これはOKだね?
 そしてそのナーディーの詰まりを一つ一つ取って、そして、外界、三グナの影響が自分に影響を与えなくなったらどうなるかな?----そのナーディーは完全に詰まらなくなると。つまり、上位のチァクラを使っていればいるほど、その人は、低い経験を止滅し通過したことになる。よって君たちも早く低い経験を超えなさい。いいね。
(一同)はい。
(尊師)それがわたしたちが、君たちに与える最高の法であり、そして実践日標だ。いいね。
(一同)はい。
(尊師)そして、修行ができないときは、オウム真理教にはいろんな真理の歌があるから、その真理の歌を口ずさむ。歌うことによってまず記憶修習から始めると。いいね。
(一同)はい。
(尊師)そして徐々に複雑な歌に入っていく。そしてしっかり修行に、ね、修行の経典を読むと。そして修行の経典を読んでそののち思索ると。現代は、それほどけがれきった世界である。いいね。
(一同)はい。
(尊師)しっかり修行しなさい。で仏今日の講話、これで終わります。