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◆91/3/3 横浜支部
現象を動かす秘儀----四つの如意足

 では、説法に入ります。
 ところで、例えばこのような、「死と転生」のイベントを構成する、ね、あ、イベントと言ったら間違いだね。イニシエーションを構成する、あるいは救済活動において、例えば今まで、去年の八月というのは、入信が七名という悲惨な状態から、二月は四〇二名という入信までひっくり返してきた、一体この背景とは何かというと、これは、四つの如意足であると言わざるを得ない。
 四つの如意足とは何かと。これは、決意如意足、精進如意足、思念如意足、観慧如意足の四つであると。では、この如意足という意味は何かというと、意のままにこの現象界をわたしたちが渡り歩くための乗り物である≠ニいうことである。
 では、この四つの意味合いとは何かと。これはまず、第一が決意であると。
 決意というのは、例えばわたしのなした、この一月、二月のね、決意について言うならば、マスコミの情報というのは幻影であると。そして、個々の持っているデータというものは、オウムに近ければ近いほど、そのマイナスのデータを吸収してるはずであると。逆に、一般の人はそれほど、特にオウムに関心のない人などは、オウム真理教すら知らない人も存在してるはずであると。よって、今、信徒の皆さんが持ってる幻影や、あるいはサマナの皆さんが持っている幻影というものは、これは、サマナや信徒の幻影を打ち砕くことによって、入信は拡大するはずであると。この思念をまずしたわけだね、わたしは。
 で、これを五回、十回、百回、千回、一万回と、十万回と。実はこの準備をいつからやったのかと。これあの、選挙に負けたときからずっとやっていたと。そしてわたしはずっと出なかったわけだよね。その瞑想だけをやってたわけだから。まあ、もっと別の言い方をするならば、ポワの瞑想という特殊な瞑想、これは飴の中にも含まれてるわけだけども、これをずっとやり続けていたわけです。
 で、わたしの中には、確信があったと。これはもう、必ず救済は、成功するはずであると。つまり、魔がね、アンフェアな、例えば、ま、選挙においての態度とか、そういうのを仕掛けたとしても、それは一時的な現象にすぎず、それはオウム真理教にとってのカルマの清算になるはずであると。波野村問題もそうであると。
 例えばわたしが、オウム真理教は反社会性があると表現すると。それはなぜかというと、殺生や偸盗や邪淫を離れているからであると。そう言ったにかかわらず、テレビでは、反社会性という言葉だけしか取り上げず、オウム真理教のイメージをダウンさせたと。
 で、こういうことはすべて、カルマの理法からいくならば、カルマ落としであると。ということはいずれ、このカルマの清算が終わったのち、必ずオウム真理教の発展っていうのは、約束されているはずであると。わたしはじっとそれを待っていたわけだね、時期としては。そして最終的には、国土利用法違反の強制捜査等々で、完璧にカルマが落とされたと。よし、まさに今、わたしの動くべき時期が来たと。
 そして十月の終わりから全本部・支部を回り出したと。
 そしてわたしは、だいたい三回説法すると、その道場の空間が変わり、入信が拡大し、信徒さんの心が解放されるという現象があるんだね。だからまあ十月から一月の終わりぐらいには入信が伸び出すかなと思ったら、もうちょっと早く、一月の中旬ぐらいから伸びだしたと。そして一月の入信が、二六五と。二月の入信が、四〇二名と。そして三月に入って、それよりもっと勢いが増してきていると。
 でもこれは一体何かというと先程言ったとおり、まず第一の決意如意足であると。しかもこの決意がぐらついてると、土台のぐらついた家のように、あるいは砂の上に立った家のように、それはもろいと。ね。
 で、言い方を換えれば、このまだ決意如意足だけしかわたしは終わってないわけだよ。この決意如意足が、約十一万五千回から十二万ぐらい終わってます。で、まあもちろんこの一回の瞑想、一回の瞑想時間ではだいたい短く、つまりスピードの速いときにはだいたい三十秒、長いときは、二十分とか一時間とかかるわけだよね。で、その、エネルギーが、今の飴に込められているわけです。だから例えば、この飴のイニシエーションといっても、ある人は一時間、わたしが修法したものを持っているかもしれない。ある人は一分かもしれないと。これはもう、完全に徳の問題だと思います。
(一同笑)
(尊師)いやいやそうだよ、で、ただ、長く持っていればいいかというと、これは別問題であって、そのときはタマスになってるわけだから、
(一同爆笑)
(尊師)(笑)十分にまあタマスのエネルギーが入ってるんじゃないかと思うんだけどね(笑〉。
 で、今わたしは第二段階の、今度は精進如意足に入ってきてると。このポワについてはね。で、この精進如意足とは何かというと、これは二言でいうなら二正勤二正断であると。つまり、今なしている善法を増大させると。だからよって、皆さんに対するお布施の実践ね。わたしの無償の布施に対しては、貴石、特に特殊な供養法の瞑想があるわけだけどそれを加えて、今までのリストを出してね、お布施しようと考えたり、あるいは今の飴のイニシエーションが、まああと、そうだね、だいたい一万数千個で在庫が切れてしまうんで、修法し終わったのが切れてしまうんで、その次には特殊な、例えばビタミンとかを配合したものをね、作らせて、それを修法して、要するにそのビタミンの効果と、それから瞑想の効果とダブルのものを皆さんにお布施しようと考えたりとかね。
 まあいろんなことを考えているわけだけども、あるいは今回の「死と転生」もそうだね。皆さんに、何をお布施したらいいのかということで、考えてるわけだけども、そういうその、善法を増大させると。そしてまだ、今なされていない善法、例えば、東京本部道場の建設だとか、あるいは横浜のね、本部道場の建設だとか、そういったようなこと、これをやはり思念しつつ、善法を増大させ、皆さんにできるだけ多くの法を視覚的、聴覚的、味覚的、嘆覚的、ね、あるいは触覚的に伝授したいと。
 そして、逆に悪業については、できるだけ----例えば、二月のスケジュールってのは二十二日間の全国での説法と。で、そのほかに、『マハーヤーナ』の原稿、そして、実は今回のシャンバラの曲、それからあと、あれはそうだ、「超越神力」の主題歌、等々、四曲ぐらい作曲したわけだけども、もっとスピードアップしたね、つまりこれは救済者として生きてる以上は、その二十四時間をすべて信徒の皆さんに、あるいはこの日本、世界の皆さんにお布施することが役割であるから、無駄な時間をいかに削り取って、そして多くの説法と多くの表現をするかと。で、これが、わたしの今のザンゲ項目なわけだけどもね。
 つまり例えば、二月が四曲だったら、今度は、三月は十五曲ぐらい作ればいいじゃないかと、例えばね。しかも二十二回の説法を、例えば、もう少し増やして二十六回にするとか、そのようなかたちで、自分の悪業について、要するに徹底的にザンゲし、そして落とし、そして未来においてその悪業が生起しないように、つまり平安な安穏な境地を自分自身の心が求めないように、それにストップをかけると。これが決意如意足、そして精進如意足なんだね。つまりこれは何に対してなされるかというと、決意に対して精進がなされるわけだよ。つまり決意は、多くの人をとにかく真理に導き入れ、マハー・ニルヴァーナへと連れていかなきゃなんないと。で、精進は、それに対して自分がどうしたらいいのかと。善法をどのようにしたらいいのかと。悪業をどのようにしたら止滅できるのかと、ね。
 で、三番日が、思念如意足であると。思念如意足とは何かというと、これは、これだけ自分自身は努力をしてるんだから、必ず結果は出ると。例えば三月は、ね、四百名以上、おそらく、六百五十名から七百名ぐらいの人が入信するんじゃないかと思うけども、そこに向かって全力で思念すると。そして多くの人を、まず信徒として迎え入れ、そして多くの人に多くの法を、ね、理解していただき、真理を理解していただき、そして、平安になっていただきたいと。ね、これが三番目の決意如意足、精進如意足そして思念如意足であると。ね。
 そして、最後の四番目は、観慧の如意足であると。この観慧の如意足とは何かというと、これは、現象をありのままに見つめ、例えば入信をね、多くの人にしていただくためには何が欠けてるんだと。例えば道場が汚ければ、道場の清掃をすればいいじゃないかと。例えば師の、例えば教学のレベルが低けれぼ、もっと教学をさせればいいじゃないか。あるいは、きちんと説法のできる師が少なければ、もっと説法のできる師を養成すればいいじゃないかと。あるいは、神通の、ね、備わってる師が少なければ、もっともっと神通を身につけさせるような修行法を伝授すればいいじゃないかと。ね。あるいは信徒の皆さんの、もし活気が出なければ、その原因をサーチし、そしてその原因を取り除いてあげる、これが観慧如意足なんだね。
 そしてこれらの決意・精進・思念・観慧の四つの如意足、この四つの如意足を達成するならば、今言ったとおり、入信だけではなく、すべての現象、例えば恋愛についてもそうだし、あるいは結婚についてもそうだし、あるいは学問についてもそうだし、あるいは事業についてもそうだし、すべてのことが、あるいは病気についてもそうだしね、意のままにかなうはずである。
 例えば例を挙げよう。ここに数学のできない人がいたとしょうと。で、その数学のできない人は漠然と高校に入り、わたしは数学ができないんだと考えたと。しかしそれにはね、大きな問題があるんだね。
 まず、「数学できるようになろう」と、これをね、何度も何度も思念すると。ね。二番目に、高校数学ができないのは、果たして本当に高校数学ができないんだろうかと。つまり公式の理解が足りないんだろうかと。それとも計算ミスをするのだろうかと。それとも、高校数学の土台となってる、小学枚の算数や中学校の算数が理解できてないんだろうかと、ね。
 例えば、微分を理解するためには、当然、文字式に慣れてなきゃなんない。ところが文字式に慣れてないがために、コンプレックスなるがゆえに、例えば微分ができないと。あるいは、積分ができるようになるためには、関数変換に慣れてなきゃなんないと。ところが、その関数変換に慣れてないと。つまり文字式の変換に慣れてないと。こういうことが土台となって、例えば、もし数学ができないんだったならば、それに対して徹底的にその土台から固めていく必要があると。ところが土台を固めないで、一日一日の数学の授業が過ぎていくと。どんどん遅れ出すと。これではしょうがないと。
 よってまず決意をすると。「自分は数学ができるようになるぞ。できるようになるぞ」と。そして第二番目においては、そのために必要な、例えば、今まで数学が苦手だから、三十分しかやらなかったのを二時間に増やすと。これは、精進如意足の、今なしている善法を増大するということになるよね。あるいは、即できない問題を投げ出していたのをねばる時間を増やすと。これは、今なしている悪業を止滅するということになるよね。あるいは、もっとペースのところに引っかかっているのをサーチし、そしてそこのところを補うと。これは、今なしている悪業をやはり止滅するということになるよね。
 このようなかたちで、精進如意足へと移行すると。そして、土台が完全に固まった段階で思念如意足に入ると。自分は小学校、中学校の土台の数学が完璧であると。よって高校数学はできると。よって高校数学はできると。このように思念すると。
 そして最後に、観慧の如意足に入ると。それは高校数学についてはまず分析すると。一体、自分は、公式を理解してないのかと。あるいは公式の成立を理解してないのかと。あるいは、自分は公式は理解をしてるんだけど、記憶が定かじゃないのかと。ね。あるいは問題に慣れてないのかと。このようなかたちで検討し、分析し、解析し、そして、それを取り除くと。これが観慧の如意足であると。
 これは結婚についても同じことが言える。まず、結婚とは何かと考えた場合、幸福に、ね、対象を見つけ、そして、この現象界を終わることであると。その場合、じゃ一体幸福とは何かといった場合、その対象の、できるだけ無常性の少ないもの、これをポイントとして選ぶ必要があると。じゃ、無常性の少ないものは何かといったら、相手の優しさ、心であると。
 ところが例えば、ね、その結婚の対象が、そうではなくて、五妙欲の中の色、相手の例えば美貌だとか、あるいはハンサムだとかいう、その外見にとらわれた場合どうなのだろうかと。これは当然、その相手の要件というのは変わるし、そしてその、美貌とか、あるいはハンサムというのは、その人が反駁しない、つまり、何かを言われたとしても抵抗しないがゆえに、美しい顔をしてるのだという仏教的原理を理解しているならば、逆に性格的にはちょっと不安が出てくると。つまり、女性の場合は自分を守ってくれるのだろうかと。あるいは男性の場合、対象となる女性が流されるんではないかというようなね、ことになると。
 よってまず、結婚、ここの結婚について十分にまず考えたのちに、決意をすると。自分は、ね、幸せな結婚をするぞと。幸福な結婚をするぞと。幸福な結婚をするぞと。思念すると。
 そして第二番目の段階で、自分自身のチェックに入ると。まず、徳はどうだろうかと。いや備わってないと。あるいは奉仕はどうだろうかと。あれは備わってないという場合、自分がまずできる功徳、あるいは自分のできる奉仕から一生懸命始めることによって、徳を増大させると。
 そして、未来において、ね、一家で例えば真理を実践することにより、木と木に絡む蔓のように絡んで一生が送れますようにと思念しつつ、徳の増大を思念すると。そして悪業については、例えば自分の妄語・綺語・悪口・両舌はどうだろうかと検討すると。特に、悪口と両舌は対象に違和感を持たせるから、もしそれをなしてるなら、例えばそこでストップしなきゃなんないと。あるいは妄語のカルマというのは、だまされる、つまり、異性についてもだまされる可能性が十分に高いから、それをストップしなきゃなんないと。
 このようなかたちで、今なしている悪業を断滅すると。ね。そして、未来において生起するかもしれない、例えば嫉妬心だとか、あるいは必要のない執着だとかについては、日々経典を読むことにより、それが生起しないようにしとくと。それで当然功徳があり、そして絶えず優しい言葉を語っているわけだから、当然異性はそれを見逃さないと。近寄ってくるであろうと。ね。
 つまり、自分は、十分に決意と精進の修行ができたんだと、ここで思念すると。わたしは、真理にかなった対象に巡り会い、本当に幸せな結婚ができますようにと。そして、結婚は必ずできるはずであると。法は絶対であるから、真理は絶対であるから、絶対に幸せな結婚はできるはずであると。ね。これが思念であると。ここでポイントになってくるのは、例えば決意にしろ思念にしろ、やっぱり十万回ぐらいやった方がいい。それぐらい深く根づかせないと、結果は出ないと。
 そして最終的に観慧に入っていくと。例えばそこで対象が三人四人と現われたら、その三人四人に対して分析を始めると。「この人はハンサムでスポーツマンだけど、どうも真理を理解するほど知性は高くないみたいである」と。「よってこの人は、わたしと結婚しても、わたしの真理の実践を邪魔するかもしれない」と。「一時的にこの人は、ハンサムでスポーツマンだから、わたしを楽しませてくれるかもしれないが、そういうものは無常であるし、徳を減らすだけである」と。「よってこの人は引こう」と。ね。
 あるいは、「この人は、ちょっと太ってるけども、ね、大変優しい」と。「そして知性も豊かで、わたしの真理の実践に対して大変理解をしてくれてる」と。「しかもその上に、この人は一緒に真理の実践をしてくれそうである」と。「ということは、同じ心の土台を持って生きることができるから、当然そこで苦しむ必要はない」と。「よって、わたしはこの人と結婚しよう」と。ね。そしてそれに対して何度も思念する。「よし、わたしは、この人と結婚する。そして一緒に真理の実践をすることによって、わたしの福が増大しますように」と。「そしてわたしの福の増大が、わたしの家族の繋栄につながり、そして、すべての、ね、魂の繁栄につながりますように」と思念すると。これが第四番目の如意足であると。
 このようなかたちで決意、そして精進、思念、観慧の四つの如意足を実践する者は、例えば現世においても、あるいは解脱においても、完壁な成就を果たすことができると。
 では一体、その土台となっている、決意の土台となっている、ね、帰依処は何であろうかと。これは三宝であると。つまり、シヴァ大神の化身である、そして諸々の仏陀の化生身であるグルに対して帰依をすること。第二は、そのグルの説いている法、あるいは古典的な法に対して、現代それが通用するものに対しては帰依をすることと。そして、その法の実践者に対して帰依をするということ。オウム真理教の場合、グル、真理、そして教団ということになると。まずこれが帰依処であると。そしてこの、教団の教えが自分の生き方の土台となると。
 第二番目は、その法、つまり真理、この真理をひたすら記憶修習するべきであると。なぜかというと、例えば精進の段階に入ったとき、間違った分析をしていたら、当然、それは善法の増大ではなくて悪業の増大になっちゃう可能性があると。あるいは、悪業を止滅したつもりが、逆に悪業を増大させる可能性だってあると。このような形で、ひたすら、説法、そして経典、講話等を記憶修習することによって、その土台を固めると。
 そして第三番目は、先程述べた、これ観慧と関係してくるわけだけども、要するに如理作意だね。その真理にのっとり、思索すると。思索・検討・分析し、ね、そして最もいい道を探すと。これが第三番目の預流支であると。
 そして第四番目は、それを実践すると。これは観慧如意足についても同じだけども、実際に実践しなければ、その意味をなさない。よって実践すると。つまり、四つの如意足の土台はどこにあるのかといったら、四預流支であると。ね。そして、この四預流支を土台とし、四つの如意足を実践する者は、この現世において福を得、来世において福を得ると。もちろん、その途上で、来世のために、今生カルマが落とされることがある。しかしそれについては、布施・奉仕という土台、持戒という土台を守っていれば、必ず耐えることのできるはずである。
 わたしあのオウム真理教の信徒の皆さんで、三つのグループに分けられると思ってるんだね。わたしのいう信徒というのは、これは、帰依信女、あるいは帰依信男と。つまり、本当に信のある信徒が三つに分けられるという意味である。第一は、布施はなすが持戒をなさない人と。第二は、布施と持戒をなすが、カルマ落としに弱い人と。第三は、布施と持戒とカルマ落としには強いが、教学をなさない人と。
 もちろん、この四つ、布施・持戒・カルマ落としに対して強い心を持つ、つまり忍辱・そして、教学、記憶修習ね、この四つを固めた人は、今生たとえ条件が悪くて、出家できず、解脱できないとしても、未来際において、必ず出家の道が開かれ、そして最終解脱へと至るであろう。あるいは、今生、解脱の希望はなくとも、必ずや最高の幸福、あるいはその人の持っているカルマにおいて、最高の権力、あるいは最高の地位、あるいは最高の財産を得るはずである。あるいは最高の妻を得るはずである。
 それはなぜかというと、例えば真理の実践というのは、智慧のね、増大であり、智慧の増大であるというのは、現象をありのままに見つめる力の増大であるからである。そして、第二番目は功徳の増大であると。この功徳というのは、膨大なエネルギーを有している。それによって物質や、あるいは異性や、あるいは権力や地位というものを引きつけることになる。そして第三番目は、心の浄化によって、その人が周りから称賛されるようになり、そして自然と引き上げられるようになってくると。
 これら三つの実践を、オウム真理教の修行は備えてるということである。よって、布施・奉仕の徹底、持戒の徹底、忍辱の徹底、記憶修習の徹底、この四つを皆さんにやっていただきたいと思う。そして、四預流支の実践をなし、自分の今生きる意味合いをよく考え、四つの如意足を使い、この世を意のままに生き、解脱し、あるいは解脱をしなくても、不還となり、そして来世幸福な世界へ転生すると。今生も称賛を集め、素晴らしい人生を送っていただけることを望み、今日の講話の終わりとしたいと思います。