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◆91/2/2 京都支部
天界への道
人間の寿命というものは、わずか八十年である。そして、天の寿命あるいは地獄の寿命は、この人間の寿命よりはるかに多い。この天の寿命、あるいは地獄の寿命を知ったならば、この中間地点である人間の生において、何を実践したらいいか、それはおのずから決まるはずである。
地獄についての話は、まあ、ケイマ正大師の「ようこそアストラル・ワールドヘ」等の記述の中で一部紹介されているから、ここでは省くとして、天の世界について少し言及をしたいと思います。
まず第一天界。この第一天界を四大王天といいます。四つの大きな王の天という意味です。この四大王天の四つの王の意味合いは、この人間界において堅固に国を統治した者、この国を堅固に統治した者が、来世行く世界。あるいは会社等をしっかりと経営し、従業員を豊かにした者が行く世界、これが、堅固に国を統治した王という世界へ行きます。そしてこの世界は、例えば日本、例えば韓国、例えば中国、例えばアメリカ等といった、国を一つ一つ統治する、その国の安定を図る役割が課せられています。
第二番目は成長天という天界です。この成長天というのは何かというと、これは例えば植物、あるいは人間を含めた生命が順調に成長することを司る天です。そしてここの王は妖精、あるいは守護神----まあ背後霊とかいろいろいわれてるね、あのような魂を統括しています。
そして第三番目の四大王天の天は、これは外的に、例えば、わたしたちが肉体を傷つけないように、あるいは傷つけた傷が早く治るようにといった、そういうところを守る、守護するね、天界であると。これは例えば、一生懸命治療したドクターやあるいは鍼灸をなさってらっしゃる方、あるいは柔道整復師、あるいはカイロプラクティックをなさってるような方ね、こういう人たちの行く世界です。
そして第四の天界は、これは天空を司ってる天界、つまり、気候を司ってる天界と、天界であるといわれています。この四番目の天界は龍神を支配し、そして雨・嵐等の気候をコントロールしているといわれています。「いや、そんなことをいっても、天候というのはそうじゃなくて、例えば、寒冷前線がどうで、あるいは低気圧がどうで、高気圧がどうでといったようなものだよ」と、言う方がいるかもしれないけど、わたしは、そしてわたしの弟子たちは、それに対して大いなる反論をなすことができます。例えば、ま、富士山にオウム真理教の道場ができたのち、それまで大雪で車も通れないような状態があるといわれてたあの富士山の空間が、全くそういう状況にならないと。あるいは、阿蘇の波野村も雪が大変積もって、生活が大変だよといわれていたのに、そういうことは全くないと。あるいは、わたしの行った空間の気温が上昇すると。こういう現象はすべてこの第一天界の龍を統治なさっていらっしゃる、天空を司ってる大王の統治下であるからであるといえると、わたしは確信を持っています。
これはいいとして、何を言いたいかというと、つまり天界に行くための第一天界、四大王天に行くための条件は、まず第一は、今なしている仕事、これに集中し、真面目に謙虚に確実になしなさいよということ。第二は、すべての生き物を殺生せず、その成長を見届けなさいよということ、そして哀れみの心を持ち、愛の心を持ち、その成長を見届けなさいよということ。そして第三番目は、できるだけ周りを傷つけないようにし、そして傷ついたものをできるだけ早く治療してあげる、あるいは、治療のできるような環境をつくってあげなさいよということ。そして第四番目は、この大いなる気候に対しての----そうですね、ある意味での奉仕というか、祈りというか、それを忘れないようにしなさいよ、というこの四つの条件のどれか一つを確実にものにしたならば、第一天界へ生まれ変わることができるといえます。もちろん、その前に天界へ生まれ変わるためのベースは、布施、そして奉仕といったようなものが条件となります。
第二天界は、これは三十三天といわれている天界で、この中心は有能神、大変優秀な、功徳の持ち主である者が生まれ変わる天界であるといわれています。この天界へ生まれ変わるためには、それに加え、知性を生かし、大いにこの現実の世界に、あるいは真理に対して功徳を積むこと、その功徳を積んだ者は、この第二天界へ生まれ変わることができます。
第三天界は、流転を支配する双生児の天という天界です。これは一般には夜摩天≠ニいわれる天界だけどね。で、これはどういうことかというと、例えば人間が死ぬと。死んだのちきちんとポワしてあげると。あるいは例えば人間の死ぬ前に、善業と悪業をしっかり説き、そして善業を植えつけさせるような教えを広めた者、つまり中間状態をしっかりと相手に認識させ、そして正しい生き方をさせた者、輪廻転生を変えることのできた者の行く世界、これが流転を支配する双生児の天です。
そして、第四番目の天は、除冷淡天。この除冷淡天というのは皆さんのよく知ってる、覩史多天とも、または兜率天ともいわれている、マイトレーヤ如来の存在している天界です。この除冷淡天とは何かというと、人間の持っているもともとの冷たさ、冷淡な心を完全に乗り越え、四つの無量心の実践を行なっている者、この四つの無量心を行なっている者のみが、この第四天界へ輪廻転生することができます。そして一般には一来果の場合は、必ずこの除冷淡天へ転生し、この人間界へ戻って来、そして梵神、つまり神聖天へと生まれ変わるということになります。
第五天界は、創造満足天といわれている天界です。この創造満足天とは何かというと、これはいろんなものを神通によって作り出し、楽しむ天界ということができます。もうこの段階の転生は、もともとある程度の神通を有している者が、人間として死に、そして生まれ変わり、第五天界へ行くということになるわけです。
第六天界は、自己より高い霊性の者を、神秘的な力によって創造し、供養する天界といわれている天界です。ここの天界は、いろいろな神秘的な力により、自分自身が楽しむのではなく、自分よりステージの高い者を楽しませるということがこの天界の特徴です。そしてどういうわけか、その一番下の魂も他によって楽しませられるという天界です。
そしてこの上が神聖天。この神聖天というのは、俗にいう梵天のことです。梵天を正確に訳するならば、神聖天----神の聖の天ということになります。この天界へ生まれ変わるためには、サマディに修習し、サマディに入ることのできる者が生まれ変わる天界です。
そして、これら六つの天界、その寿命----まあ、神聖天については、無限大に近いぐらい長い寿命があるわけですが----その寿命をしっかりと把握し、この八十年間の短い生を、その生にかけると。それこそ、意義のある生き方ではないかと思います。
では、どのようにしたらその世界へ生まれ変わることができるのかと。これは先程も述べましたが、その天界の意味合いを十分に把握し、そして把握した生き方に集中し、集中し続けると。わたしが今、「集中し」「集中し続ける」と言ったのは何かというと、まず第一は、短い間集中する。これを「集中し」という言葉で説明しています。そして次の段階では、その集中を継続させると。では集中継続させるためには何が必要かというと、それは記憶修習が必要です。
実はね、今まで----ま、これからオウム真理教はもっともっと高い世界の話、あるいは地獄の話等、いろいろなすことになるでしょうが、それを今までなさなかった理由というのは、わたしが実際に体験しているもの、あるいは過去生において経験しているものと、それから日本に伝わってる仏典、あるいは今まで調べてきた仏典との間に隔たりがあり、それをあなた方に話すことはわたしにとっての悪業であると考えていたからです。例えば例を挙げるならば、阿修羅≠ニいう言葉があります。この阿修羅というのは、非天、天に非ずという意味合い、これがもともとの意味合いです。天に非ずだから、天より低いんだと。ところが実際には、仏典にこういうエピソードがあります。もともと阿修羅の住人は、三十三天、つまり第二天界で生活をしていたと。ところがインドのある地方の大変徳を積んだ者が、三十三人の侍者を引き連れて、その徳の力によって、三十三天界へ転生したと。そしてこの三十三天界へ転生した者たちを見て、もともと第二天界にいた住人が大いに喜び、一緒に特殊な酒、つまり、大いに心地よくなる、歓喜に浸れる酒を飲もうと誘いをかけました。ところがこの三十三人を引き連れた青年は、「飲んだふりをしろ」と。そして、酒盛りが始まりました。
この酒盛りで、三十三人の侍者は、その青年の、中心となる青年の言うことを守り、飲んだふりをしました。で、この第二天界の住人だけが酔っぱらったと。で、酔っぱらった段階で、その青年の命令によって、スメール山から放り投げ出されたと。そして麓まで落ちたと。
青年の徳と、この第二天界にいた住人の彼の差があったから、麓まで落ちたわけです。そしてその麓まで落ちた魂を阿修羅≠ニいいます。でね、ここで問題なのは、よって阿修羅はそこで誓ったわけです。「二度と酒は飲まない」と。だから阿修羅の、オウム真理教の訳語は不飲酒天=A酒を飲まない天界ということになるわけです。
で、この不飲酒天の形状・容姿、つまり顔かたちと、それから第二天界の住人の顔かたちは全く変わりません。徳もほとんど変わりません。そして、普段はこの阿修羅の住人は、自分たちがトウ利天、三十三天の住人であると錯覚をしています。ところが、彼らの住んでる宮殿にね、実は阿修羅にしかない木があるんだけど、それが実をつけ花を咲かしたとき、ハッと我に帰ります。そして、そこで恨みを持つわけだ、「あのときわたしはこうされた」と。ね。そして、太鼓を鳴らし、第一天界、第二天界へと攻め昇っていくわけです。
阿修羅の嫉妬性というのは、普段は大変高い知性の持ち主が、ある日、ね、我に帰るというか、その恨みを思い出し、「わたしはあのときこうされたんだっ!」と、まあこれは今、オウム真理教の高いステージの人たちの中にもいますが、そういう要素の魂を阿修羅≠ニいいます。普段からいろんな煩悩を持っていて、その中の、ね、一つの煩悩が嫉妬心であるというような者を、阿修羅とはいいません。
そして、これが第一の阿修羅です。今調べていますが、もう一つ、第二の阿修羅がいると、わたしは確信を持っています。これは、マイトレーヤの率いる阿修羅です。これは先程言った除冷淡天、歓喜の園から、要するに破戒をすることによって落ち、そして、先程述べた第二天界の住人を統括する形で存在している阿修羅が存在します。
で、このような世界の話というのは、実際にあなた方が瞑想によって見、あるいは教学によってしっかりと理解をすれば、その原則がすべて心の現われであると、そして現実可能な世界であることが認識できるはずです。
では、そのためにはどのような修行が必要なのでしょうか。それはまず、グル・仏陀・シヴァ大神という、根本的な魂に対して絶対的な信を持ち、布施・奉仕、そしてその教えの実践を行なうと。これが第一です。そして第二は、その真理を実際に学び、広めようという心を持つこと。これが第二です。そして第三は、教団に対して、つまり、真理を実践している者の集まりに対して、布施・奉仕の実践を行なおうとすること、これが第三です。そしてこれら三つがまとまって、第一の預流支といいます。
そして第二は、実際真理の教えを何度も何度も記憶修習すると。そしてそれが無意識のうちに言葉として出てくるぐらいのレベルまで頑張ると。これが第二の預流支です。
そして第三番目は、その記憶修習した教学データを基に、自分の身・口・意、三つに対して考えると。これが第三の預流支です。
ということは、第二の預流支、これは正見解を持つということになります。第三の預流支、これは正思惟を実践することになります。そして第四の預流支は、自己の言葉・行為に対して、その考えた、真理に根づいた言葉・行為に変換すると。これが第四の預流支です。ということはこの四預流支は、何を言ってるかというと、三宝帰依と八正道をいってるにすぎないということになるわけです。
あるいは八正道と十波羅蜜、六波羅蜜をね、いってるにすぎないということになります。なぜならばこの第二番目によって正思惟、第三番目の、言葉によって正語、そして行為の統御によって正行為、あるいは正生活、あるいは正念、あるいは正サマディといったものが含まれるからです。ということは仏教体系の教えというものは、どこで切るのかと。つまり、四預流支というのは大ざっぱな切り方であると、八正道というのは複雑な切り方であると、七覚支はその人正道を切ったものであると。ね。あるいは五根というのは、今度は信というものをもとに切った切り方であると。ね。あるいは、精進というのはこの二正勤二正断のことだが、これがまた、その一つのパートを切ったものであると。で、統括すれば、最も小さくコンパクトに分けたものは何かというと、四預流支である。それを大きく分けたものは何かというと、八正道である、ということがいえると思います。
こういう切り方をすれば、仏教観は本当は統制のとれた、そしてわかりやすい世界観なんだなと、わかりやすい修行体系なんだな、ということがおのずと理解できるはず。しかしここに到達するためには、何度も何度も記憶修習し、そしてサマディの、瞑想、サマディに入るということが必要なわけです。
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けらんない。この、死は避けらんないものを超すために必要なもの、それは内なる体験である。内なる体験は、自己の修行によってなした、浄化された心と、集中し続ける意識状態をもとに結果を出すわけです。
また、在家の修行によって、今生幸福な結婚をしたい、あるいは今生裕福になりたい、あるいは今生名誉を得たい、権力を得たいという人も、同じようにひたすら心を浄化し、功徳を積み続け、意識を集中し続けることによって結果が得られます。そしてそれと同じレベルで来世天界、第一天界から第六天界、そして神聖天へと転生するためにも、同じように功徳を積み続け、戒律を守り、集中し続けるということが、その結果を招くただ一つの方法です。
そしてこの延長上に六神通があります。大神通を得るためには何が必要かというと、それは浄化された心、功徳の光、そして集中し続ける根気です。皆さんも大いに功徳を積み、ザンゲをなし、心を浄化し、そしてサットヴァの光を増大させ、ひたすら修行し続けるという忍辱や精進の徹底によって、今生、そして来世、絶対的な幸福を得ていただき、未来際において色究竟天へと至り、マハー・ニルヴァーナへと到達し、大乗の仏陀へと完成をしていただきたいと思います。