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◆91/1/17 富士山総本部
下向の過患----正しい選択をせよ

 いよいよ米軍が、米軍を含めた国連軍が、イラクに攻撃を開始したそうです。一つのイデオロギーを他の国へ押しつけること、これは決して成立するものではありません。同じように、ソビエトが、ソビエト国内の小さな国に攻撃を開始しました。これは、アメリカとソビエトが、一つのラインで結ばれてることを表わしています。
 皆さんも知ってのとおり、『滅亡の日』 において、わたしはこういう表現を使っています。「ソビエトは、アメリカによって権威を与えられているんだ」と。「裏で手を結んでいるんだ」と。そして「滅亡の日」が出て数年後、正確に言うと二年後かな、ソビエトとアメリカは協調し、世界帝国を形成しようとしています。
 このバックボーンにあるものは何かというと、フリーメーソンの教えです。そしてこのフリーメーソンの教えは、わたしがアメリカへ転生したとき作り上げた、ヨーロッパ型からアメリカ型へと変更を加えた教えです。そして今、その形態が崩れ、正しくない方向に世界の動きは進んでいます。大変残念なことです、これは。
 わたしたちは、このような社会情勢の中、最も真理の法を展開しづらい情勢の中、真理の法を展開しなければならない。ちょうどそれは、逆風をものともせず、目的地へ飛んでいくジェット機に例えることができます。確かに、順風と逆風とでは、目的地へ到達するまでの時間、あるいは、機体に対する負担、これは大いに違います。しかし、もともとのポテンシャルを最大限に発揮するならば、時間こそ遅れるかもしれないけど、機体に損傷が少しは出るかもしれないけど、必ずや目的地へと到達できるでしょう。
 昨年から今年にかけて多くの下向者が出ました。しかもそのほとんどは家族であると。これはいかに、現代日本が、家族形成というものに対する観念を強く植え付けてるかの証明であると考えています。もともと出家というものは、そういう家族から離脱し、真の自由、真の幸福、真の歓喜を得ることを目的として修行する、これが出家です。ところが、どうしてもやはり煩悩を切るとき心が乱れると。すると例えば、普段から性的交わりを持っていた夫婦というものは、スヴァディスターナ・チァクラで感応し、そして慰め合うと。ということは、この夫婦というものは、どういう結果を招くかというと、動物への転生というものを、最も基本的なパターンとして行なうかたちとなります。大変残念なことです。
 例をあげるならば、例えば、破戒をして落ちたサマナ。つまり、異性関係になって落ちたサマナ。まあこの、例えばサマナたちの状態を見てると、ある性的な病気にかかり、今苦しんでるという情報とかね、これも同じように、スヴァディスターナのカルマが出てるんだと思います。結局、カルマというものは必ず返ってくるし、そのカルマは、わたしたちが避けようと思っても、避けられるものではない。
 よって仏教では、身・口・意の統御、つまりわたしたちの三業の統御をすること、浄化をすることのみが、わたしたちが本当の意味での至福に到達できるんだという法を展開します。
 これはどういうことかというと、例えば、わたしたちの言葉というものは、アストラルを形成します。普段から嘘だけをついてると、そのアストラルは、嘘のデータで固められると。その嘘のデータは、わたしたちの内側に蓄積し、そしてそれは現象化すると。そのときは嘘をつかれるというかたちで現われると。あるいは、相手を殴ると。殴ると相手の苦しみというものが、自分の内側に内在すると。そして、どんどんどんどん蓄積されると。それが、大きなケガというかたちで返ってくると。
 では一体何をなせば、その苦しみから解放され、自由になることができるのだろうか。これは、皆さんもよく知ってのとおり、まず正確に、人間の心の進化のプロセス、あるいはアストラルの進化のプロセス、あるいは身体の進化のプロセスというものを理解しなければならない。
 例えば、そのために学ばなければならないことは、今オウム真理教で翻訳をして、しっかりとみなさんに、その注釈をつけて出したいと考えている「論」。この論を理解することは、人がどのようなかたちで進化し、そして仏陀へ至るのかということを如実に知る道です。もし、この論を理解することができなければ、自分自身が今、どこでつまずいてるのか、あるいはこれからどのような経験をするのかということが全く理解できず、その経験による恐怖のために、修行を挫折しなければならない。
 では、この論を理解するためには何が必要なのかというと、それは帰依です。ここでいう帰依とは、自己の考えを優先するのではなく、真理の法を優先するということです。これは信徒であれ、あるいはサマナであれ、本当の意味での自由・幸福・歓喜を得るためには、あるいは高い世界へ生まれ変わるためには、自己の考えより、真理のデータ、真理の教えというものを中心に生きなければならない。
 これは、サマナが苦しむパターンの、典型的なパターンとして、よくわたしが耳にすることです。例えば例を挙げましょう。ここに一匹の蚊がいたとして、この蚊が自分を刺すと。よって殺したと。真理の教えでは、これは殺生と言っています。よって、自分が刺されたとしても、それに耐え、その蚊を殺してはならないということになっている。ところが、もし、自分の考え方に左右されると、この蚊を殺したっていいじゃないかと、殺してしまうと。当然、そこでのカルマの交換は起きるわけだが、それについては、タマスになっているわたしたちの意識状態は察知できないと。
 あるいは、これはよくあるパターンだが、わたしは下向して信徒からやり直したいと言う人がよくいる。信徒からだったらやり直せると。しかし、真理の教えでは、一度出家したならば、出家の条件の方がいいんだと。出家生活を続ける方が修行が進むんだという教えがあると。ところが、この二つの考えを対比する場合、条件の見えなくなった、無智に覆われたわたしの弟子は、自己の心の煩悩の方を優先的にとってしまう。全く哀れむべきことです。
 では、この第二番目の、在家へ落ちた方が本当に修行が進むのか、あるいは出家修行の方が本当に修行が進むのかについて検討しましょう。
 まず、在家へ落ちた場合、当然これは、給料もらって生活することになります。ということは、その給料を与える会社と、その人との間に縁ができると。今の企業は、いかにだまして利益を得るかということが中心ですから、当然だますカルマ、嘘のカルマというものを引き受けなければならなくなると。ということは、すでに、在家の戒の第四番目、不妄語の戒を破ることになると。
 いやそんなことをいっても、日雇い労働というのはあるじゃないかと、例えば言うかもしれないが、その日雇い労働の大本の会社は、当然差益を----差益というのは、その原価とそれから実際に売る値段の差だね。この差益を出して利益を得るわけですから、当然そこでは嘘のカルマを積むことになると。ではその会社は、その差益をヴァジラヤーナ的に真理のために使ってるのかと。そうではないと。
 あるいは、必ず現世では、多くの人と付き合わなきゃならない。そこで当然、必要のない言葉、綺語を話さなければならないし、あるいはこの現代というのは、嫌悪によって形成された社会だから、当然、両舌や悪口といったものを吐かなければならなくなると。あるいは、二十四時間のうちのほとんどが、現世的な生活に翻弄されるというかたちになる。これは、わたしが一番初めに述べた五蘊形成において、その五蘊の内容が現世的なもの、三悪趣へ落ちるデータへと変換されていくということになる。
 もちろん、そう言うと、皆さん言うかもしれない。「出家したって、結局はオウム真理教のお布施というものも差益ではないか」と。これは歴然と、目的が布施、つまり、功徳を積むための対象、そしてもう一つは、在家と出家の精神的あるいは心におけるレベルの差、という二つの違いがあります。
 前者は言うまでもなく、後者は要するに、自己より霊性の高い人に対して布施を行なうんだという心を持って信徒は布施してます。そして受ける側も、実際に功徳を積み、そして持戒を守ることによって高い徳を有し、教学・瞑想をすることによって、布施されるに値する魂となっている者たちが受けてるわけです。あるいはその途上にある者が受けてるわけです。よってこれは、上流、上に流れる流れ、その流れに自己の身を投じるということになります。
 今まで、多くのサマナが下向しました。そして下向するときは、全力で修行しますといって下向するわけだが、この、ある意味で平安なサマナの空間、この空間でも、心の煩悩が出、乱れてる者が、在家へ落ち、全力で修行できるはずがない。そしてみんな苦しむと。これは大きな選択の誤りです。このようなものを解決するためには、しっかりと、まず法を学ぶこと。法にのっとり考えること。そして実践することという三つを達成すべきである。つまり、四預流支の実践以外、あなた方を救済しないんだということを、ここに言いたい。四預流支の実践は、初めであり最後であると。そして、この法を絶えず自己の内側に内在し、実践し続けるならば、必ずや等覚、ニルヴァーナへと導かれることでしょう。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けらんない。そして、死の前にできるだけ六神通を有し、この三界を見渡し、何が真理で何が真理でないのかを、しっかりと理解していただきたいと思います。