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◆91/1/5 富士山総本部(狂気の集中修行)
義・法・詞を実践せよ

 それではこれから、一九九一年、狂気の集中修行を始めます。
 もともとこの狂気の集中修行というものは、在家で修行する者たちにとって、短い期間において速やかに覚醒を至らせるための修行方法です。昨年の狂気の集中修行においては、二名のラージャ・ヨーガの成就者が出ました。そして、今年の集中修行は昨年と同じプログラムで、しかも多くの成就した師たちが付き、皆さんの道案内をする修行セミナーとなるでしょう。
 仏教の教えには、義、法、そして詞という三つがあります。この義とは何かというと、いかにしたら修行が進んでいくのか、そして、その修行の途上でどういう経験をするのか、そして最終地点はどうなのかといったこと。これが義です。そして法とほ、これは実際の生活の中において、いろいろな疑問点に対して、正確にこのように考えるべきであるという教えを----これが法です。そして詞とは、例えばまあ、これから伝授されるザンゲの詞章、あるいはマントラ等、わたしたちの意識をこの現象界からアストラル、そしてコーザルへと運んでいく乗物、これが詞です。
 日本の仏教において、いや、これは今、世界的にそのような感じが強くなっているけども、仏教において、その仏教の教えは法中心と言わざるを得ません。確かにこの法はわたしたちに大きな利益を与えますが、その教えが例えば食べ物と同じレベル、つまり、あそこのものはおいしいと同じように、これをなしてはいけないというレベルで入っていたとしても、わたしたちを済度するものではありません。しっかりと、詞という乗物に乗っかって、この現象界からアストラル、コーザルへの旅をなし、そして終極に達することこそ、オウム真理教の信徒とし、そして本当の自由・幸福・歓喜を求める者として、絶対に実践しなければならないものだといえます。
 しかし、この、また詞だけに頼っていると、例えばアストラルへ旅立ったとき、そのアストラルのデータが現世的な、煩悩的なデータだけとなり、その世界を旅すると。いつまでたっても高い世界を旅することができないと。
 よって、法の入力、つまり多くの教えというものを自分の内側に内在するということは、この旅をする世界の変化とつながるわけですから、今日からのこの修行をきっかけとし、しっかりと教学をしていただきたいと思います。
 また、自分が今、どういうステージにあるのかと。これについては、しっかりと、義、つまり論議ですね、この論書ですね。これをしっかりと学び、そして、あるいは聴き、過ちのないように旅をしていただきたいと思います。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けらんない。死の前には、いかなるものも無効です。いや、一つだけ有効なものがあります。それは、先程も述べたとおり、義を学び、法を学び、そして詞により旅をすること。この旅をした経験のみが、皆さんの死という避けることのできない苦しみを超越する道だと思います。
 修行の途上において、ものすごく苦しくなったり、あるいはものすごくつらくなったり、あるいは痛み等のカルマが出たとき、一生懸命ザンゲをなさり、そして浄化に励んでください。
 あなた方が十日間頑張ることにより、必ずやあなた方にいろいろな恩恵があるでしょう。そしてまた、いろいろな恩恵があらんことを願い、今日のわたしの講話とさせていただきたいと思います。しっかり、この義・法・詞の実践に励んでください。