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◆91/1/14 阿蘇・シャンバラ精舎
六つの極限と三蔵

 魂の進化過程においてなさなければならないこと、あるいは、周りからそういう条件を与えられなければならないことの二つがある。まず、このなさなければならないこと、これは何かというと、布施、そして持戒のことである。周りの条件で、そういう条件の設定が必要であるというのは、これは忍辱のことである。
 これはどういうことかというと、まずこの、なさなければならないこと、それは布施、持戒である。この布施、持戒が達成して初めて次の条件、つまり、カルマを落とされるプロセスに入ってくる。カルマを落とされるということはどういうことかというと、外的にいろんな条件が加わり、そして、その人の持っているカルマを落とされるということである。
 まず、在家の八つの功徳、これがベースであると仏陀釈迦牟尼は説いています。在家の八つの功徳とは何かというと、三宝に対する帰依。つまり仏陀あるいはグル、真理、そしてサンガに対する帰依。この帰依というのは、奉仕と、それから布施、教えの実践を指します。この三つの条件をなした者は、次に出家の場合、十の戒めを中心とした律の徹底に入ります。これはパーリ仏典では三百いくつありますが、オウム真理教でもいろんな教えがある。
 この前半の部分、布施・持戒は、わたしたちのエネルギーを蓄えさせ、強めるという働きがあります。そして、三番目の忍辱の徹底によって、わたしたちが自分たちでどうすることもできないカルマを、周りが自然と教えてくれるわけです。それはわたしの修行においてもそうだし、あるいは仏陀釈迦牟尼の修行の途上における----例えば沈黙の行のときね、周りから「あいつはつんぼだ」とか、あるいは子供たちが棒で叩くとかいったような、いろんなカルマ落としがあったということが、ある仏典にうたわれています。
 そしてこの三つ目の忍辱の修行によぅて、わたしたちの過去世からなしたいろんなカルマが浄化されるわけです。これは特にね、アングリマーラの経にもよく載ってるから、それはもうしばらく経ったらあなた方にね、六つの極限という、今度はパート分けのかたちで、その経典を提供することになるでしょう。
 そして、それが達成したのち、浄化されたのち、心は何が功徳で何が悪業なのか、あるいは何をなせば瞑想ができるようになり、何をなせば瞑想ができなくなるのかということが自ずとわかるようになる。ここでなされるのが精進の徹底である。この精進の徹底とは何かというと、要するに今なしている善業----あなた方の場合は奉仕、教学、そして戒律を守ること、ね、それから瞑想、布施----こういったようなもの。こういったものを、今なせるものを徹底的になし、まだ徳がなくてなせないものを、いずれやるぞと心に決めると。
 例えばどういうことかというと、大乗の発願、今やってる場合ね、よし、わたしは次は苦の詞章をここまで終わらせるぞと。そのためには大乗の発願をいつまで終わらせなきゃなんないと。全力で頑張るぞと。こう考えること。これが二正勤です。
 では二正断とは何かというと、例えば動物コーナーに、ね、今、週の内二回行ってる人が、よし、わたしはこれをやめるぞと。あるいは一回にするぞと。そして、何カ月後にはゼロにするぞ、という誓いを立て、その誓いを実践するということ。あるいは、どうしても外へ出て性欲を満足させるいろいろな本に目がいくと。これをやめるぞと。そして、戒律である、精を漏らさないことを徹底するぞと。これが二正断です。
 そして完全にエネルギーの漏れをなくし、周りからカルマを落とされ、このわたしたちの五蘊は----つまりこのわたしたちの肉体・感覚・意識・意志・イメージというこの五つの集まりは完全に浄化され、歓喜と----これは性的に来る歓喜とね、それから楽と、それから心の喜びとだけになったとき、初めて思索に入り、そしてその内側の悦、喜、楽をね、楽しむと。これをなすことにより、わたしたちは止まっていること、静止していること、あるいは心が集中していることの喜びを感じるようになります。
 この喜びは、わたしたちに瞑想の歓喜を呼び覚まさせ、そして智慧へと到達する長い長いサマディへと導きます。このサマディはいろいろな体験を与えてくれます。例えば変化身の体験、例えば法身の体験、報身の体験、例えば本性身の体験、例えば金剛身の体験といった、いろいろな体験をわたしたちに与えます。そして、この与えられた五法身の体験によって、わたしたちは最終の智慧を獲得し、仏陀へと到達するわけです。
 では、このためには何が必要なのかといったら、まず学ばなければならないもの、これは三つあります。それは論・経・律、三蔵と言われてるものです。この論・経・律は、まずオウム真理教においては、今、経だけがクローズアップされていると。これはわたしも含めて、怠慢な、ね、今までのその翻訳のあり方、これを反省しなきゃならないと思い、ま、もちろんXを中心とした南伝チームは一生懸命やってるわけだけども、これはわたしが全く怠慢なために、これは皆さんにザンゲしなきゃなんないわけだけども、その部分が遅れてると。で、これを今年の内にね、できるだけ進めたいと。できたら全部、終らせてしまいたいと考えています。
 そしてこの論によって、人はどのように構成されているか、あるいはどのように進化するのか、これをもっと具体的に、仏教的に皆さんが学ぶことができるようにしたいなと思っています。
 それから第二番目の経については、これは、いろんな分別ね。要するに、布施とは何かと。どういう布施があるのかと。どういう対象に布施したらいいのかと。この布施の例えば分別。あるいは持戒とは何かといったような、この分別、これがお経です。で、この経については、膨大な量があるから、今年いっぱいで無理かもしれないけど、できるだけ今年いっぱいに終わらせたいなと、これも考えています。
 それから律については、これは現代の戒律とずれる部分がたくさんあります。しかし、昔の律で、もし実践した方が利益になる律があるならば、それはどんどん取り入れていきたいと。そして二千五百年前のお釈迦様がどういう律を課してたか。どういうエピソードがあるか、ここら辺も皆さんに提供できたらなと思っています。
 よって、一九九一年は、できたら『パーリ三蔵』、つまり『南伝大蔵経』の翻訳を、この十二月までに終了したいと、そう考えています。そしてこの終了こそが、皆さんの修行の目安をより一層確実にするものだと考えています。
 それからもう一つは修行、この修行については先程言った布施、それから持戒、そして功徳、それから詞章ね。で、この詞章をできるだけ多く唱えて、心の中にそのデータを根づかせる。いくらラージャ・ヨーガの成就者となったとしても、クンダリニー・ヨーガの成就者となったとしても、マハームドラーの成就者となったとしても、そんなことは大したことではない。あなた方が目標としなければならないのは、最終の解脱です。その最終の解脱に到達するためには、土台を固めている者が必ず勝利します。
 仏陀のことをね、真理勝者というのはどういうことかというと、多くの煩悩に打ち勝ち、真理を背景として勝った者という意味なんだね。で、これは先程もいった通り、例えばマントラにしろ詞章にしろ、しっかりした土台がなければ、本当の自己の最終地点には到達しません。よって、修行管理表、この修行管理表をしっかりと自分のものにして、土台を固めてください。わたし自体も皆さんと同じようにね、もっともっと土台、根っこを深くしていきたいなと考え、日々努力しています。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。そして、六波羅蜜も八正道も同じである。この六波羅蜜、八正道の背景にあるものは何かというと、一言で言うならば、三業の浄化である。この三業の浄化は、日々わたしたちが自己に心を集中し、そして自己の身の行ない、言葉、心の働きに注意し、それを制御する。そしてそれをなした者は、真理勝者となる。わたしの役割は皆さんのお手伝いをすること。皆さんができるだけ早く真理勝者になるように、いろんな材料をね、早く提供したいなと。そしてこれを早く提供するためには、皆さんが----逆にだよ、大いなる徳、大いなる心の心の清らかさを持つことだと思います。