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◆90/11/14 富士山総本部
三悪趣を超えよ

 あまり、声が出てないね。しっかりと声を出して、自己のカルマを滅さないと。それから、声の出し方についても、すごく嫌悪、あるいは貪り、あるいは無智といったヴァイブレーションが乗っかっていると思います。何のための修行なのかということをしっかりと意識しないと、百年経っても、千年経っても、何千カルパ経っても、あなた方に絶対的な平安というのは訪れないと思います。一回一回の修行をいかに集中して行なうかということが修行のポイントである。そして、いろいろ否定的な----というよりも、心のけがれによっていろんな雑念が出てきたとしても、それをよしとせず、しっかりとそれをつぶす、その作業を行なうことが必要だと思う。
 要するに、あなた方は、もともと修行しなかったら三悪趣に落ちる魂なんだから、それをまず、しっかりと自分自身で理解する必要があると。これは、今師として、あるいは大師として成就した人も同じである。たまたま真理との縁があり、高いステージ、高い経験を瞬間的にしているにすぎない。もし、それが連続で高い世界の経験ができるんだったら、そのとき、その人は本当の意味で解脱したということができるでしょう。そして、そのために必要なものは、功徳、欲求、瞑想と。
 この中で、自分はまだ功徳が足りないと思う人は、今日これから、まあ、何名か何十人かわからんけども、警備を、外側の警備をね、やらせたいと考えていますから、申し出てください。その警備の最中も、ひたすら帰依マントラその他の修行を行なえば、ここで修行と称して寝てるより数倍、ある小は数十倍早く、当然成就することになるでしょう。大切なことは、瞬間瞬間をいかに集中し、そしで真理にかなってベストで生きるかということである。
 人間の本性の中に眠りたいという欲求があります。つまり、凡夫でも寝ると。だったら、修行中に座って眠ったとして、それが果たして価値のある行為であるかどうか考えましょう。それから、座っていて、いろんな自己の煩悩に振り回され、あるいはプライドに振り回され修行していることがあなた方の利益になるかどうかということを考えてください。
 もう一度繰り返すが、あなた方は類い稀なチャンスによって、三悪趣の道から離脱しょうとしています。しかし、もともとは三悪趣の要素が強い。仏陀釈迦牟尼のとき、最も優秀な比丘尼ケーマーですら、九カ月間集中的に修行しました。彼女の転生は、第二天界から第六天界まで、そして人間界に降りて、仏陀釈迦牟尼に会ったといわれています。その彼女ですら、九カ月間ひたすら瞑想したと。チベットのタントリストたちは、密教行者たちは、七年間集中して修行したといいます。
 わたしが何を言いたいかというと、時代が下り、末法に至れば至るほど、魂の質は低下します。魂の質が低下するということは、それだけ長い時間をかけ、データを入れ換える以外に済度される道はないんだということです。
 そして、今も昔も六道は存在し、三悪趣へ生まれ変わる可能性というものは非常に強いということを認識しなければならない。あなた方が肯定しょうと否定しようと地獄は存在するし、動物は存在するし、餓鬼は存在するし、人間、憤怒天、戯忘天界は存在します。そして、これは単に欲の世界、このほかに上位アストラル世界が存在し、またコーザル世界が存在します。
 ここに、いざない手としてわたしが存在している。そのわたしですら、例えば一日に六時間、八時間、十時間といった瞑想を毎日毎日繰り返しています。それは、わたしに与えられたワーク以外の時間、瞑想に充てているということを意味しています。それぐらい時間を費やし、データの入れ替えを行なわないと、この現世において、導き人として、救済者としての役割を演じられないということです。
 もう一度、あなた方が自分たちの心の本質、質の悪さというものを理解し、そして、その質の悪さをザンゲし、上質な心を作り上げ、絶対に三悪趣に落ちない意識を形成していただきたいと思います。
 それから先程も言ったとおり、もう一度、自分は徳がないと、よって眠る時間が多いという人は申し出てください。それは、外側の警備をしっかりやっていただいて、そのときにマントラ修行を唱えて----もちろんね、一日中ということはないだろうけど。時間制にすればいいと思うけどね----功徳を積みながら眠りの時間を減らしてください。
 あなた方の価値観で、一つ転倒しているものがある。それは何かというと、人間は必ず死ぬという認識が足りないということです。わたしもあなた方も必ず死にます。そして、死後の世界は今生なした身・口・意のカルマによってバルドが形成され、そこへ落ち込んでいきます。よく、自分の夢はいつも楽しい夢だからいいんだという人がいます。しかし、それは本当にそうなのかもしれないし、あるいはカルマがまだ出ていないのかもしれない。それは、よくわたしが見ているその人のエネルギーや心の状態とずれが生じると。美しくありたいと考える願望が綺麗なアストラル世界を形成しているのかもしれない。高い世界に生まれ変わりたいという願望が、綺麗なアストラル世界を形成しているのかもしれない。しかし、そういうものはすべて幻影です。
 あなた方が、本当にすべてをありのままに見つめるようになったとき、そのとき見えるバルドこそ本当のバルドであると。そして、そのとき見えるバルドこそ、自分自身の身・口・意の状態を認識し、来世をしっかりとつかんだという証であるということを申し添えておきたいと思います。
 あなた方は、今、類い稀なチャンスによって修行している。しかし、このチャンスを生かせるかどうかは、あなた方のこれまでなしてきたカルマであるということをもう一度認識し、三悪趣に落ちないよう努力してください。ちょっと修行したら三悪趣から離脱できるなんていうのは、とんでもない間違いです。いいですね。
(一同)はい。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。死の前には、お金も無効だし、恋愛も無効だし、愛情も無効だし、すべての執着は無効である。それを認識してしっかりと修行してください。