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◆90/7/16 富士山総本部
大師のタイトルについて
実は、今日、マンジュシュリー正悟師の方から、まあわたしに、こういう質問があった。「クンダリニー・ヨーガの成就をして、したと言われたんだけれども、その、自己の変化があまりないんだ」と。で、実はわたしはちょっと近ごろ不思議に思ってることがある。それ何かというと、今回成就した中で、まあ、男性ではS、それから女性ではU、TV以外の成就者のエネルギー全体が落ちるということだ。この落ちるとはどういうことかというと、その全体を集中すると、この人間の世界から下向するカルマがあると。じゃそれでいてなぜクンダリニー・ヨーガの成就をしたのかというと、おそらくイニシエーションの力によって、まあ神秘的な部分だけが開発されたんだろうと。よって、心は未熟であると。心は未熟であるが体験だけはしていると。ところが心というのは、今まで自分のなした五蘊によって形成されたものだから、なかなか進歩はないと。
そして、要するに金を払わないで高い買い物を望むように、努力をようせんと高望みをすると。で、わたしが考えたのが、もういっそのこと、マハームドラーまで一直線に進ませて、ラージャ・ヨーガもクンダリニー・ヨーガもなしにしちゃえばどうだろうかと。というのは、弊害を起こしている----まあ、害を起こしている者たちというのはだいたい、大師なんだね。あの、スワミなんだよ。で結局、新人のシャモンが出家をして意欲満々でやってきても、それを意気消沈さしてしまうと。「煩悩即大師」であるとか、「煩悩即スワミ」であると。
まあ、例えば、マンジュシュリー正悟師みたいに、もともと天性の素質があって、あるいはM正悟師みたいに天性の素質があれば、全力で修行し、その精神的体験も、あるいは神秘的体験も十分に満たされると。しかしそうじゃなくて、日々のワークをあんまりろくすっぽやらないで、まあ、極厳修行に放り込まれて、たくさんのイニシエーションを受けて変化が出ると。で、一応クンダリニー・ヨーガに規定されている経験をしたから、クンダリニー・ヨーガの成就であると断定されると。でも今わたしが直接指導しているわけじゃないから、要するに甘くなると。でまあ、近ごろ、マンジュシエリー正悟師が指導するようになって、性欲の方については若干厳しくなって、まあ今日、Lと、それからスワミ・Uと会ったんだけども、ま、かなりしっかりしてきてると。ところが今度は厳しくなると、もともと煩悩即我のシャモンであるから、その厳しさについていけなくなり、愚痴を言う、あるいは甘えたくなると。
別に、ね、タイトル----ラージャ・ヨーガのタイトルあるいはクンダリニー・ヨーガのタイトルそのものが、単なる誉れ、プライドを満足させる、単なる利得とか、供養とかあるいは名声と関係するものであるという規定をなすんだったら、もうつぶしてしまった方がいいんじゃないかと。というのは本質的には、阿羅漢一つあれば、つまりマハームドラーの成就者一つあれば十分であると。わたしはあなた方に、単に神秘体験をさせるためにイニシエーションを行なってるわけではない。あなた方に確固たる不死、絶対死なない、連続した意識を与えるために、その途中の段階としてクンダリニー・ヨーガがあり、またその途中の段階としてラージャ・ヨーガがあると、わたしは考えている。
ところが、自分たちは努力しないで得ようとすると。スタートしたころの弟子たちは、相当に一生懸命、精進し、グルに奉仕をし、そして結果を得た。黙々と法について考え、黙々と法の生活を行なうと。何が悪業で何が善業であると。何をなせばステージを上げ、何をなせばステージが落ちるということをよく了知していると。ところが、近ごろ、現世とそれから修行空間とあまり差がないと。まあ、わたしの瞑想によって、三月から少しずつ少しずつオウム真理教らしくはなってきてるけども、今度はシャモンの生活が、ステージが高くなると、今までのんびりしていたシャモンがついていけなくなると。そして三悪趣を知らないで、「わたし三悪趣に落ちてもいい」という話をすると。
わたしは三悪趣について十分了知してるから、その恐さを知ってるから、三悪趣には落ちたくないと考える。もちろん、済度のためだったら落ちていくしかないけどもね。例えば、性欲の戒を破り、たとえばオナニーをしたり、あるいは異性と抱き合ったりセックスをしたりしてる人たちのアパーナ気というのは、ドーンと下がると。あるいは意識全体が低ければ、体全体のエネルギーがエレベーターみたいに下がると。ところが今回成就をしたM、マンジュシュリー、あるいは成就寸前にあるA、ま、このへんになってくると、グーンと上流、上に引き上げられると、エネルギーが。少なくともクンダリニー・ヨーガのレベルでは、エネルギーは安定してるはずである。つまり、エネルギーは落ちなくなるはずです。落ちなくなるはずなのに落ちるということは、いかにあなた方の心にけがれがあるか考えなければならない。
わたしはあなた方に単なる名誉を与えるためにクンダリニー・ヨーガの称号を与えてるわけではない。これは一つのステージである。しかしそのステージが、単なる神秘的な部分だけをとらえて、もしそれがあなた方の修行の弊害になるんだったら、ここでラージャ・ヨーガおよびクンダリニー・ヨーガをやめてしまうということが一番いいんじゃないかなと考える。そして修行に入ったら一気にマハームドラーまでもっていくと。早い者は数カ月、遅い者は数年かかるだろう。もちろんその段階になると、神秘的な力というものもいくつかついてくる。ところが今の君たちの、特に不平・不満を言うのは、ね、成就者の心の状態では、おそらく数年はついていけないだろうから、またそこでの不満が出てくると。これについては君たちで考えなさい、どうするか。
わたしはどうでもいい。ただ、これだけははっきり言っとこう。エネルギーの落ちる大師については外に出さないいつもりでいる。それはなぜかというと今、ね、君たちの落ちるスピードより、もっと激しく落ちているこの現世の落ち具合をくい止めることができないで、巻き込まれてしまうからだ。あとは君たちで考えなさい、どうするか。
はい、では意見を聞こう。……(中略)……
はい。じゃ完全に二つに分かれたね。ではこれについては、記名投票ということにしましょう。でまあ、これは富士山については、今日中に----富士山、上九、清流については今日中に。他の支部については郵送で質問状を出して、その回答を得て、その結果をもとに、わたしが採点することにしましょう。それでいいかな?
(一同)はい。
(尊師)まあ、大勢の意見としては、上の方ではもう、ラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガのタイトルはいらないんじゃないかと。で、逆に下の方としては目標として、ラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガのやっぱタイトルはあった方がいいという意見が強いと思うんで、それを考慮しながら検討したいと思います。で、そのタイトルの件で、成就したという断定が光、その個人の、本人の光の体験をとるのか、それともわたしが見て、「この人は、下向してるから駄目」と、あるいは「上向してるからいい」ととるのか、どちらがいいと思うか君たちは。
(一同)後者です。
(尊師)ん? どうですか。つまり、経典を参考にするのか、わたしの神秘的な力を参考にするかという問題だね。どうしますか。じゃそれぐらいはここで決めよう。じゃあ、正悟師の方で数えてくれ。まず経典を中心に断定をした方がいいと----ただ言っとくけど、もし経典を中心にしたら、今成就したと言われる人の九割は落ちます。これははっきり言っときましょう。はい、それから、一番目は経典を中心にした方がいいと考える人は起立。二番目は、わたしの神秘的な力をもって成就と断定した方がいいと考える人は起立と。はい。 ……絶対多数だね、要するに。
じゃあ、神秘的な力とはどういうものかというと、わたしが経験してる内容を二つ三つ話すよね。これは近ごろの話だけども、今度『マハーヤーナ』に出るであろう一つの内容としては、十六世紀に、これはわたしとT大師、それからマンジュシュリー大師、この三人がフランスのそばの海岸で宝探しをしてるんだよ。海岸ていうか海の中だけどね、実際には。で、わたしが北極の方に流される海流に乗って、流されようとして慌てて、T大師を叫んで、「あら流される流される」と言ってね、で、わたしは海流の下に潜って、で、逆流して助かったという話があるんだけど。
実はこの十六世紀、正確に十六世紀か十四世紀かちょっと、わたし自体ちょっと引っかかってるんだけどね、この世紀については。それはどちらでもいいとしても、この時代には、要するに宝物を積んで、それに護衛を乗せて、そこを航行してたというデータがあると。マンジュシュリー正悟師が調べてくれて。で、そこに海賊船がよく出てて、そこに要するに宝物があったとしてもおかしくはないと。でしかも、そのフランスの北海岸だっけ、あれ? 南だったっけ?----北だよね。北海岸の方のその海流は北極に通じていて、たったの一七〇〇キロ。この前沖縄に行ったけど、沖縄よりちょっと遠い三〇〇キロぐらい遠い----所はもうすでに北極であると。そういう海流があるんだね。そういう世界へ飛んでいくと。
こういう体験っていうのは、ねえ、わたしはしょっちゅう遭ってるわけだけども、例えばスワミ・Uと、Dの性欲の戒についても、アストラル世界へ遊びに行ったときに、まあこの名前は伏せるけども、シャモンがわたしに教えてくれたとかね、例えば。で、そこで知って確認したとか。あるいはA、今のT君が悪業なしてるのをアストラル世界で眺めてきて、そしてそれを注意したとか。あるいは直観的に今のS、それからSが破戒してるのを理解してしまっていたとかね。そういうかたちで絶対的真理というのは固定してるわけだね。で、これが成就者の他心通とか、漏尽通とか、天眼とかいわれるものなんだよね。
で、じゃ、わたしはそれに対してとらわれてるかっていうと、とらわれてないと。で、その点から見ると、光没入っていうのは、これ素晴らしい体験で、人間がやっと三悪趣から脱出するための一つの、まあ、そうだね、分岐点になるわけだけども、その体験を喜ばないと。喜ばないということは、おそらく三悪趣が好きなんだろうと、無智なるがゆえに----というふうにわたしには見えるわけだよ。もしそうだとするならば、もっともっとその土台の修行を固めさせて、そして、ね、ラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガを通過点として、マハームドラーに導いてあげた方が結局は人類のためになるんじゃないかと。そう思うわけだね。
よって、判定はかなり厳しくなります。そして、マハームドラーの成就イコール、コーザル世界に完全に没入するわけだから、人格が変更します。だから、その点をもってマハームドラーの断定と。成就というふうに規定した方がいいと思うね。でもちろん、先程、Sさんだとか、あるいはM君などが言ったとおり、その途中の成就は成就として一応、わたしの目で確認して認定するという作業をとるようにしましょう。それでいいか?
(一同)はい。
(尊師)まあ、一応これはわたしの意見として全支部、それから富士山の総得票数をもとに、もう一度考慮することにしましょう。それでいいね。
はい、それでは最後に。マハームドラーの成就をした者でも、釈迦牟尼の弟子たちは絶えず修行をしてたそうだ。その理由っていうのは、現世的な煩悩に負けないためには、それ以上のデータを放り込んで、浄化しない限り浄化できないと。ところが今のラージャ・ヨーガの成就者、あるいはクンダリニー・ヨーガの成就者はそれをなさないで天狗になってると。まさにわたしに言わせれば哀れな存在である。その哀れな存在から早く脱出して高い成就をしてください。
じゃ、終わりにしましょう。
はい、しっかりと修行してください。それからこれだけは言っとくぞ。いろんな神秘体験に対して喜びを持つ者は修行が進む。これは、七覚支の中に喜覚支とあるけどもね。内側の体験、あるいは外側でいろんな体験をしてる人に対して称賛の心が持てるかどうか、これは君たちの修行の、一つのこれからの進歩になるだろう。君たちはもともと哀れむべき存在である。それは貪り・嫌悪・無智といった三つの煩悩にけがされている。そこから今せっかく出離できる、そして解脱できるチャンスにあるんだから、もっとそこを自覚して、しっかり修行しなさい。いいね。
(一同)はい。
(尊師)でないと永遠に哀れ----ね、永遠に哀れみの生から抜け出すことはできないよ。しっかりやりなさい。