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◆89/12/9 富士山総本部
霊性の向上と信の確立(付‥正しい立位礼拝のやりかた)


……このように考え、その到達した点、その到達点に至るための心の成熟というものを、この五日間の修行のあとの日々の修行において行なわなければ、本当の意味でのラージャ・ヨーガの完成、あるいはクンダリニー・ヨーガの完成がないんだということを理解しなければならない。
 では、なぜ早くその体験をさせるのかと。もっとゆっくり時間をかけて体験をさせればいいじゃないかと考えるかもしれないけど、この現実的な人間の世界と、そして神秘的な世界----もちろんこの現実的な人間の世界を含む神秘的な世界とを対比するならば、あまりにも大きな違いがあるってことだ。そしてシッシャがどんどん多くなった過程において、その現実的な思考しかできないような、そういうシッシャが多くなってきていると。これは、無理をしてでも霊性を引き上げるしかないなという、わたしの結論を導き出すに十分なほど、このシッシャの空間も堕落しきっていると。そしてその堕落を乗り越えるためにはただ一つ、それは、シッシャの霊性を向上させるしかないんだということをわたしに気づかせてくれた。しかも、それは早く向上させると。そして心のプロセスについては、そのあとじっくりやっていくしかないんだと。
 というのは、シッシャ間で今一番興味のあることは何かといったら、成就、あるいは解脱・悟りではなくてね、例えばあの人はかっこいいとか、あの人は好きだといったような本当に低級の心の働きであると。あるいは、あれが食べたい、これが食べたいといったような煩悩的な話が多いと。そして入信して間もなく出家し、出家そのものが解脱という目的から逸脱してると。体験もないと。やはり、体験があって初めて、「信」というものが生じる。例えば自分たちは光を見ることができたんだと。例えば自分たちはダルドリー・シッディが起きたんだと。例えば自分たちは光に没入したんだというような、そのような体験をあなた方が持つことによって、あなた方自身がオウムの修行に対して確信を持つことはできるだろうと。
 前回の五日間と同様、つける日は一日、わたしはつくつもりでいる。つけない日でも最低半日は、十二時間はつきたいと考えているから、全力でやるようにしなさい。そして今回は、U、A、V、マンジュシュリー、それからMと、このような大師方が指導するから、その大師の指導に逆らわないように、わたしの言葉としてそれを受け止め全力でやるようにしなさい。いいね。
(一同)はい。
 それではこれから修行に入るわけだけど、まず、一番後ろの人たちは、つまり立位礼拝が終わってない人たちは、立位礼拝から行なうと。この立位礼拝のポイントは、間延びした立位礼拝を行なわないと。詞章も、「オームグルとーシヴァ神にー帰依いたしますー わたくしなんとかかんとかを解脱へとお導きくださいー」というような自己陶酔的な詞章を唱えたとしても、それは何の効果もないってことだ。そうではなくて「集中」、つまり肛門を引き締めてムーラバンダを行ないながら集中すると。で、どこに集中するのかといったら、アージュニァー・チァクラに集中する。あるいは頭上のサハスラーラ・チァクラに集中すると。そして「オーム」とね、「グルとシヴァ神に帰依いたします」と、ちゃんと集中してね、声が渇れる、のどが壊れるぐらいの気持ちで声を出すと。
 まあ君たちも知ってるとおり、オウムの立位礼拝をやって、のどのつぶれた人なんていないからね。それだけ、ここの空間のプラーナは強いから思い切って行なうと。そして、サッと五体を投地すると。投げ出すと。そして、サッと戻すと。----これが立位礼拝なんだ。そしてまた次の詞章に入ると。その瞬間瞬間の間合いというものを持たないと。
 六百時間終わった人たちは、前の方でまずアパンクリヤから始めると----U、アパンクリヤわかってるな----そして、そのアパンクリヤのクンバカ中に四念処の瞑想を行ないなさいと。わたしの身体は不浄であると。感覚そのものは苦悩の原因であると。それから、心そのものは無常であると。それはあなた方がどこの世界にいたとしても心は無常であると。絶えず心は転変すると。そして、社会的な観念も含めて、通念、自分を今まで作り上げてきた観念そのものは無我である、わたし自身ではないということを意識し、それに対して集中すると。そして肉体はわたしではないと。わたしは真我であると、そう考えなさいと。これが、第一課の修行であると。
 そして時間については、わたしの方で、次はこの修行に入りなさい、次はこの修行に入りなさい、次はこの修行に入りなさい、次はシャヴァアーサナだという指導をします。つまり、二十四時間フルタイムで修行することになるから。だいたいシャヴァアーサナは三時間から四時間と。そして、一時間の食事およびトイレの休憩があると。甘露水その他を飲み過ぎるとトイレの回数が多くなるから、成就はしづらくなると考えなさい。できるだけ飲まない方がいいと。いいね。
 それから、修行の途上で疲れてやる気がなくなるかもしんないけど、そのときは四つの如意足の欲如意足・精進如意足の修行に入りなさいよと。心において「オレは成就するんだと。オレは修行したいんだ」と。「今、心に浮いてきているこの雑念はわたしのものではない」と、そう考えてそれを否定し、押し退けてしまいなさい。いいね。
 そして、少しチベット仏教のカギュー派の修行の話をすると、三年三カ月と三週間と三日というこの期間中は横にならないそうだ。西洋人に関しては、壁に寄っかかってもいいと。しかしチベットの修行者は、寄っかかることすら許されないと。ずっと座っての修行だそうだ。いいかな。よって、オウムの今回の修行については、シャヴァアーサナはとってもいいけども、とりたくない人はとらないで座り続けても構わない。いいね。
 それから、一つ気になるのは大変声が小さいね。自分たちの欲求で本当に修行に入ってるのかどうかって疑問がある。もっと気合いを入れてやるようにしなさい。いいね。
(一同)はい。
 よし、では早速入ろう。