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◆89/11/19 東京・科学技術館
弾圧された今こそ功徳を積むチャンス

 今回の成就の修行の状態を見ていて感じたことは、六つの極限をきちんと行なっているシッシャに限って、大変早いということ。
 例えば、九月の終わりに出家したT君は、即三グナを見、ダルドリー・シッデイが起きたと。これはわずか五日間の間にその状態になったと。だから、もう少しでクンダリニー・ヨーガに入るわけだけども、クンダリニー・ヨーガの成就になるわけだけども、彼の場合は、自分の家族をすべて入信させ、そして一生懸命布施波羅密の実践を行ない、そして出家したと。
 で、九十一名のうち効果がなかった----もちろん、体が痺れるとか、そういう神秘体験はあったわけだけれども----まだ色は見ていないと。三グナの光は見ていないという人が十数名いたわけだけども、その特徴というのは、やはりシッシャの中でも現世的志向の強い人で、そして、この欲界の楽しみに引っ張られてしまうと。
 で、わたしが何を考えたかというと、やはり仏陀釈迦牟尼が言ったとおり、オウムは反社会性でなければならないんだなと。ね、これ、『サンデー毎日』にはわたしは感謝しているわけだけども、何かというと、まず、「オウム真理教の狂気」と、あの狂気″という言葉はあなた方も知ってるとおり「狂気の集中修行」の狂気であると。そしてオウムの修行形態の一つの大きな流れはヴァジラヤーナといって、これはチベット仏教のカギュー派の流れをくんでいると。そして、そこの修行形態は狂気の修行と言われていると。
 それから、第二に反社会性についても、この世の中は嫉妬、あるいは執着といったもので構成されていると。そして、修行というものは嫉妬、執着、あるいは無智といったものを打ち砕いて修行を進めていくわけであるから、当然反社会性と言われてなるほどなと。
 わたしはわたしのできる限界のことを、信徒の皆さんに示したいと考えています。わたしのできる限界とは何かといったら、まず、わたしの知っている世界を、この問題があるにかかわらず全く動揺しないシッシャに、まず体験させようと。そのわたしの知っている世界の一部ではあるけれども、まず体験させようと。そして、その体験の輪が、そして、エネルギーアップが、これだけ叩かれてても一生懸命オウム真理教を実践していこうとしている信徒の皆さんの励みになり、そして目標になるんじゃないかと。
 せっかく『サンデー毎日』事件が収束したら、次は坂本さん事件であると。そして、証拠も何もないのに新聞、あるいはテレビは、ある部分に関してはオウム真理教の名前を出し、そして、いかにもオウム真理教がやったんだと言わんばかりの報道をしている。
 しかし、考えてみるとこれも当然である。なぜ当然だろうか。それはオウム真理教に、それだけの今の社会が恐怖をするような内容が秘められているからであると。なぜ、恐怖をするような内容が秘められているんだと。それは、わたしのもとに出家した四百人余りの人たち、この人たちは、おそらくわたしと生死を共にして生きるだろう。例えば、昭和天皇の死に際して、ご老人一人が命を断ったと。ところが、わたしがもしこの世界から去るとき、一体どれくらいの人数の者がわたしと共に転生するのかと考えたら、それは天皇の比ではないだろうと。つまり、現体制に対する最も恐怖に値する組織、しかもまだそれほど大きくはないと。今のうちに叩けと。そして一生懸命叩いていると。
 しかし、例えばウイルスがそうであるように、叩かれれば叩かれるほど抗体は強くなる。そして、今オウム真理教は、少なくともシッシャ四百名に関しては全く揺れていないと。逆にどんどんどんどん固まってきていると。そして、組織的にも強くなっていると。
 ただ、信徒の方はこの現世で生きてらっしゃるわけだから、周りに、特に今まで一生懸命布施本などをなさった方は、苦しい立場に追い込まれているんではないかと思います。ま、これに対しては本当に申し訳ないと考えているわけだけども、本音を言わしていただくならば、大変喜んでると。なぜ喜んでるのかと。それは成就のプロセスにおいて、あるいは高い世界に至るプロセスにおいて、カルマを落とす時期が必要だからである。そして、このカルマを落とす時期がなくしては修行は進まないということであると。
 そして、今まさに、真剣に高い世界を志向し、そして成就に向かう、あるいは悟りに向かう人たちにとっての一つの正念場にさしかかっているのではないかと。そういう意味でわたしは、わたしの愛する信徒さんが大いにこの苦境を乗り切って、そして堂々と、わたしはオウム真理教の信徒であると、わたしは麻原影晃の弟子であると言い切れるかどうか。よりいっそう、例えば今までどおりビラ配り、あるいは布施本といった活動ができるかどうかが、これからのみなさんの修行にかかっているんではないかと思います。
 よく考えてみましょう。現象として、今のマスコミ騒動があると。そして、その中で「苦しいな」と、「オウムに対して信が揺らぐな」と思う人もいるかもしれない。しかし、そうではなくて、逆に何ら気にすることなく、これがわたしの宗教よと、わたしはオウム真理教の信徒なんだと。このような状態であっても誇らしげに言える人もいるかもしれない。それは、言い方を換えるならば、自己を信じているかどうかであると。今の自分を信じているかどうかであると。自分の目を信じているかどうかであると。自分の耳を信じているかどうかであると。自分の今まで考えてきたことを信じているかどうかであると。
 これはどういうことだろうかと。例えばきちんと『マハーヤーナ』を読み、そして説法テープを聴き、そして布施の実践、あるいは奉仕の実践、あるいは瞑想の実践を行ない体験を持ってる人は、周りが何と言おうともわたしは自分で体験したんだと、これがわたしの体験なんだと、だれが何と言おうともわたしはわたしの体験なんだと、それをもし否定するとするならば、それはオウム真理教を否定する、麻原彰晃を否定するんではなく、わたし自身を否定することなんだと考えることができるはずである。
 ところがそうではなくて、単に情報に流されてる人は、Aという情報が入るとAかなと、Bという情報が入るとBかなと、Cという情報が入るとCかなと考えてしまう。つまりこれは、単に感官に支配されている、感官に隷属している最も悪いパターンである。そして自己の本質を見失い、絶えず心が動揺し、心が散乱し、心の平安・心の安定というものを得られない人のパターンであると。
 そのどちらの生き方をするのか。前者は修行者向きであると。なぜ修行者向きかと。これは、確固たる自己の本質にいずれ到達するからであると。後者は、いくら形の修行をやったとしても到達できないだろうと。なぜならば、単に情報によって流されているからであると。ね、だってよく考えてごらんなさい。わたしたちは五感を滅し、死んでいくんだ。そのときには、一切の情報がなくなる。その情報がないのにわたしたちは、絶対的な安定を得なければならない。ところが、テレビを中心としたマスコミに流されてる人は、その情報が途絶えた瞬間、ものすごい恐怖に襲われてしまうと。
 そしてここで、マハー・ケイマの話を少ししたいと思う。なぜ今、マハー・ケイマ大師がオウム真理教においてトップの弟子なのか。これは、わたしの修行の過程において、個人的には今よりも、もっともっと苦しい状況に追い込まれたことがある。そのときに、グルについてき、そして一生懸命功徳を積み、その結果が今の彼女の立場というか、彼女のステージを作り出していると。
 そして、例えば、今の創価学会の池田大作会長も同じである。これは調べてみるとよくわかるけれども、昭和三十年代の前半、創価学会は窮地に追い込まれたと。そして、その前の会長を見捨ててどんどん人が去っていったわけだけども、彼は黙々とその事後処理にあたり、そして会長に就任し、今の立場を築いていると。
 創価学会が本物の宗教であるか、偽物の宗教であるかということを今ここで論じているわけでは、わたしはありません。何を言いたいのかというと、窮地に追い込まれたときの帰依、これがどれほど宗教的な力を現わすのかということを、わたしはここにお話ししたいわけです。例えば、今年中にマハームドラーの成就をするであろうマイトレーヤの場合も、一生懸命マスコミから叩かれ、それを反撃するために一切雑念を持たないで、全精力を傾けたと。その結果、今年の終わりまでにはマハームドラーの成就をするんではないかと考えています。
 わたしが何を言いたいのかと。今こそあなた方は、本当の意味での功徳を積むチャンスであると。いや、言い方を換えれば、今功徳を積む、これはオウム真理教が安泰で、そしてどこからつつかれても世界で最高の宗教であると自負できるときの功徳の十倍、あるいは百倍、あるいは千倍の力があるんだということを、あなた方は理解できるか。
 今のわたしの立場がこれだけ叩かれていて、なぜ微動だにしないのかと。それは、わたしの修行そのものが、逆流の中を泳いでいるようなもんだったからである。その苦しい環境の中、修行を続け、そして成就を一つずつ果たしていったわたしの今の心、これがわたしに不動心を与えているんだということを、あなたがたがもし理解なさるならば、今こそあなたがたは真の功徳、そして忍辱、意志の強化、精進、そして瞑想と進めることができるはずである。
 ここで一つ、オウム真理教が本物であろうという話をしましょう。公称部数----いや公称じゃない実数と言ってるね----二十三万数千冊の『サンデー毎日』があると。この『サンデー毎日』が何と七週続けて、しかも六ページくらいのオウム真理教叩きを行なったと。これは実数であるから、『マハーヤーナ』の二十三倍である。『マハーヤーナ』は一万ちょっとしか出てないからね。しかも、書店に出てるのは信徒さんの発送分の残りだから、実際には五千とか四千とかそんなもんだろう。一方は二十三万部の『サンデー毎日』が出てる。これが六回、七回と続いたと。しかもテレビ朝日、文化放送、フジテレビといったオウム叩きが起きたと。これみんな知ってのとおりだ。であるにかかわらず、被害者の会に参加している人はたったの七十三家族か四家族と。
 ね。これは、予算にするならばどうかと。だいたい六ページ、ま、一ページ五十万としても三百万かかると。それが五週続いたと。それだけで一千五百万かかってると、ね。あと四ページ二過続いたと。これが四百八十万かかってると、ね。すると一千九百八十万かかってると。あとテレビと、それからラジオを入れたら何億という金を投入し、オウム真理教叩きを行なったわけだと。ところが、たったの七十三家族か四家族であると。しかも、それは信徒さんが入っているわけではないと。信徒の両親を、オウム真理教は悪であるとあおって、そして不安感をつのらせて、その結果として集まったのが、たったの七十三、七十四であると。
 これを見ただけでも、オウム真理教がいかにしっかりとした宗教理念を持ち、そして、信徒の皆さんが真面目に修行に取り組んできたかということを、わたしは表わしていると思います。大切なこと、それは逆境のとき、逆環境のとき、どれほど強い信を持って----そのときの信というのは本物の信だから、強い信を持って立ち向かうことができるのかと。そして、逆境のとき、どれほどその信の実践ができるかということである。
 わたしは、今日いらっしゃった信徒の中にはね、こういうことを考えていらっしゃる方もいらっしゃると思うんだ。今ちょっとオウムが叩かれてるから様子を見ようと。本当かどうか様子を見ようと。つまり言い方を換えれば、マスコミサイドに立ってものを見ていると。つまり、自分の選択する権利を放棄していると。いいですか。今こそオウム真理教は、真理の法の展開に全力を傾け、そして進まなければならないんではないかと思います。

 皆さんに最後に言いたいことは、今こそチャンスであると。今こそあなた方が、本当の意味で踏ん張り、功徳を積み、そして、真理を支え、大きな功徳を積んで、その大いなる功徳によって高い世界へ生まれ変わるチャンスであると。あるいは、解脱・成就し、ニルヴァーナに入るチャンスであると。ね。
 これは、『南伝大蔵経』の『マハーヤーナ』に載せている以外にも、以外のね、少しの部分を載せて一冊の本を書き終わりました。で、その内容にも載っているとおり、仏陀釈迦牟尼も、涅槃の段階を説いていらっしゃる。そして、最上現世寂静と。最上現世涅槃という言葉を使っていらっしゃる。そしてインドでは、この段階の瞑想ステージがそうなんだと。いや、この段階の三昧がそうだと。この段階の三昧がそうであると。ね。そして、これはオウムの説いている三昧のステージと、それから釈迦牟尼のお説きになった三昧のステージと全く変わりはないと。そしてあなた方はその実践をできるほど、大きな大きな功徳を持っているんだと。
 これだけ叩かれると、ね、加害者意識、あるいは犯罪人意識というものが出てくる。しかしそんなものは吹き飛ばして、そして大いに真理の実践をやりましょう。
 今日はね、いつものちょっと説法と違い、ちょっと情緒的な説法だったけども、わたしはこれで十分だと考えています。ね。一緒に、全力で修行をやりましょう。