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◆89/11/11 富士山総本部
商人が政治を展開する時代の宗教家の使命
今日は少し趣を変えて----まあ昨日までは瞑想についての話をしたわけけだけども、少し趣を変えて----わたしが今、公約をしている四つの柱についての選挙的な話を少ししたいと思います。
なぜ、この話をするのかといったら----ま、その前置きがあるわけだけとね。それは、菩薩というものは、人々がすべて真理の流れに入るような、いろいろなプログラムを作り、そしてそのプログラムに応じて活動すると。そして、宗教家が政治に顔を出した例というのは、そんなに少ないわけではない。例えば、もう今はなくなっているけども、チベット仏教の盛隆したチベットでは、ダライ・ラマという宗教的な法王が政治の中心に立ったと。あるいは、アメリカでも黒人の指導的な牧師さんであられるキング牧師が有名であると。あるいは、今の中国共産党政権を樹立したときに、毛沢東思想という----これも一種の宗教だ----それがはびこったと。あるいは、ヒトラーのときも、国粋主義的な、国家社会主義的な動きのナショナリズムの中で、やはり、一種の国家神道的な動きがあったと。
つまり、宗教と政治が別個であるというのは、それは現代の一つの正しからぬ観念であって、実際は切っても切り離せるものではないと。なぜならば、宗教というものは、心そのものだからであると。そして、その心が、利他の心に目覚めるれば目覚めるほど、当然他のために自己を投げ出さなければならない。そして、その投げ出す結果として、その場が政治である、あるいはその場が医療である、あるいはその場が教育であるといったような形になるわけだ。
つまり 宗教家イコール票数と、もし、そこでとどまるとするならば、その人は、真の意味での宗教家でないということがいえると。なぜかわかるかな----。宗教には当然教えと実践があるよね、その実践はどうだ。当然、現代の場合特に、宗教的な人間が少ないわけだから、それを広めるためには、例えば、政治の改革が必要であろうと。その場合、その政治の改革に改革に着手しなかったたとするならば、それは果たして、本当の意味での宗教的実践を行なってるといえるかどうか、考えたらよくわかるはずである。そしてわたしは、わたしのこの身と心を、シヴァ神にすべて捧げている。そしてシヴァ神の教え、あるいはシヴァ神の系統の仏教的な教え、ヨーガ的な教え、そのすべてが宗教的あるいは社会的救済をうたっている以上、その両方の実践をすることは当然であると。
もちろん、インドヨーガ、あるいはインド仏教に見られるように、宗教が最高位にあり、そして政治はその宗教に対して、決して逆らわないという原則があるとするならば、それはあえて政治に登場する必要はない。しかし今はそうではない。今は、商売人が政治を展開している世の中である。今は、インド的な言葉を使うならば、四階級の中の三番目、商人階級が、軍人、あるいは宗教家を操ってる時代である。言い方を換えるならば、真の宗教が存在していないといえる。なぜなら、先程も言ったとおり、宗教とは何かというと、世の中で最高のものでなければならない。なぜならば心というものは、最高のものだからである。そしてその心、最高のものを磨きあげるもの、それは当然最高でをきゃなんないという考え方があるわけだね。
じゃあ、その宗教家、修行者である、まあ沙門である麻原が、なぜ今、この日本で政治の政治の舞台に躍り出ようとしてるのかと。まあ政治の舞台に踊り出ると言ったら、それは正しくないと。実際は、ヨロヨロと追い出されると。追い立てられて政治の舞台に立ったと。そして例えば君たちも知ってるとおり、真理学園、あるいは真理ホスピタル、あるいは、まあそれに関するようないろいろなものが、何の障害もなくどんどんできるんだったら、それこそ本当の政治たから----救済という点から考えたら政治だから、わざわざ政治に出る必要はなかっただろうと。しかし、それがままならない以上、つまり小さい点から大きくしていくという政治的アプローチがままならない以上、逆に大きい点から攻めてみるのも一つの方法であるなと考えるわけだね。
そして衆議院選に出ると。この衆議院選に出る背景、一体どういう柱をもって出るのかといったら、一応四本の柱、そして二本のドリームアイ、つまり夢の目標というこの五つのスローガンをかけたわけだね。
その第一は何かというと「消費税の廃止」であると。
今のマスコミで、消費税が廃止から改革に変わり、そして消費税はあってもいいんだというような感じに変わってる中で、なぜあえて消費税廃止だと言ってるかというと、例えばヨーロッパ、あるいはアメリカの流れを見てもわかるとおり、消費税の税率三パーセントが、徐々に五パーセント、十パーセント、二十パーセントと上がっていくと。そしてこんなのを認めたらたまったもんじゃないと。
だとしたら、その「廃止だ」「駄目だ」と言っていて、一体こういう政策があるんだと、経済的には何とかなるのかといったら、そんなのはそんな難しいことじゃないと。例えば、外国並の軍備を用意し、そしてその軍備費の余った分と、それから自然の所得税の伸び、この二つから出る所得税、これを有効に使うならば、消費税はいらないと。よって消費税はいらないと。これが第一のわたしの持論である。まあ、これについては、十一月の二十日ぐらいからだいたい執筆にかかりね、まあだいたい----そうだね、十日から十五日ぐらいの間には、麻原彰晃の政策について、真理党の政策について、一冊の本に世の中に出したいと考えている。
第二の「教育改革」とは何かといったら、今の教育改革は、例えば二次試験で難しい論述とかいろんなものが出るから受験生は大変なんだと。よって、例えば一次試験を導入して、負担を軽くすればいいじゃないかという例えば発想があると。しかし、わたしは、そういうのをいじったとしても大して変化はないと。じゃあ、どういうのをいじればいいんだと。まず、三つの問題点があると考えると。一つは「社会」対「子供」であると。第二は「親」対「子供」であると。第三は「学校」対「子供」であると。
じゃあね、その「社会」対「子供」とは何かと。どんなにお父さんお母さんが綺麗な言葉を使っても、あるいは、学校の先生が綺麗な言葉を使っても、厳しく教育しようと思っても、マスコミの影響から逃れることはできないと。例えばテレビ・ラジオ・新聞・雑誌・マンガといったものの中からどういう情報を得るかといったら、汚い言葉、暴力、セックス、そして食欲をそそると。あるいは、ね、ほんと動物的なかっこよさを追求すると。このような内容であると。
すると子供たちは当然、忙しい親、あるいは画一的な学校教育に飽きているから、そこからどんどんどんどん情報を得ると。そして、マスコミはマスコミサイドで今度は視聴率を上げんがために、どんどんどんどんそのような番組を作ると。なぜならば視聴率を上げないとスポンサーがつかないと。そして、現状を見ると、汚い言葉、性欲、暴力、食欲、プライド、あるいは闘争、あるいは排他的な心、あるいは宗教を排斥するような無智、あるいは心の怒りといったようなものがそそられると。だからこれについては、きちんと例えば諮問委員会を作って、そしてまあ検閲というのは一種の思想統制だけども、その新聞・テレビ・雑誌云々をチェックすると。そして、その諮問委員会もできるだけ国民投票で選んで決める、というようなことをすれば、まあこれは難しいけども一つの問題点は解決する可能性があると。
そして第二番目には、これはやはりマスコミの影響も多大なものだけども、お父さんお母さんは自分たちの時間を使いたがりすぎると。そして忙しいと。よって子供との接点はないと。で、子供は子供で今度は、これも親の意向によって、いい学校に行かせるために、結局一日中勉強させられてると。しかもやりたくないのにさせられてると。よって子供の時間もないと。よって接点がないと。よって親子の断絶が始まると。これについてはもっと親御の方から子供に理解をするようなアプローチが必要だし、逆に子供の時間をもっと自由に使ってあげ、あるいは子供の遊びというものを認めてあげると。あるいは子供がもっともっと伸び伸びと生きていけるような、そういう環境を目指すと。
まあわたしは今、キディたちに、子供たちに、道場が占領されてるわけだけど、それに対して口出しをしないのは、今ここにいる子供たちが伸び伸びと育ち、そして本当の意味で気づいて修行し、真理の実践をしてくれるならば、今ここにいるシッシャ以上に心はヴィヴィッドな働きをしてるわけだから、いい修行者、いい救済者になるんじゃないかなと思って放ったらかしてあると。----これが第二の問題点であると。
そして第三の問題点は何かというと、これも今わたしの手元にまだ正確なデータはないわけだけど、要するに中学校までは日本人というのは、世界でもトップクラスであると。なぜならば詰め込み教育が徹底してるからと。しかし、高校・大学の試験になってくると、どんどん差がつき欧米人に負けてしまうと。なぜだと。それは詰め込み教育だからであると。もっと学校教育の中に、例えば実験----例えばなぜ物は落ちるのかと。あるいは落ちるときのスピードはどうなんだとか。例えばこれとこれとを混ぜたらどういう反応が出ると。なぜだとか----そういう実験とか、あるいは音楽を作る、つまり作曲するとかね。あるいは作詞するとか、あるいは実際に社会に出て、掃除をやったり、工場の見学をしたり、あるいは工場で実地に訓練をしたりしながら、具体的にその自分の持っている知識がどの程度社会に通用するのかの実験をさせるならば、実地訓練をさせるならば、もっともっとその入っている知識が知能となって変化するんじゃないかと。それがやっぱり必要なんじゃないかと。そういう具体的な経験を多く持った人こそ、この二十一世紀には必要とされるんじゃないかと考えてるわけだね。
だから、子供たちが例えばデザインに行って絵を描こうと、あるいは、CSIに行って実験しようとそれもほたってあると。それは、実際に彼らの持ってる知識を具体的に活用して、どの程度までできるのかという経験を今させておくと、これも未来にとってオウムだけではなく、世界のために大いに有益ではないかと考えてるからだ。そして、この三つの点が----つまり具体的に、例えば学校教育の場合は、作文・作曲・作詞、あるいは実験、あるいはその社会の実地訓練みたいなもの、こういうのを全部入れて、総合的な教育、これが実際に行なわれるならば----今わたしが話してるのは宗教的なことは一切言ってないからね----なされるならば、学校もずいぶんと子供にとって楽しい空間になるし、そして子供にとってその成長の機関になるんじゃないかと。もちろんそのためには、もっと学校の先生の質を上げ、本当にその先生の知的レベル、知性、知能、あるいは徳----これが優れてなきゃなんないんじゃないかということは付け加えなきゃなんない。そしてこの三つが、きちんと総合的に働くならば、子供の教育というものはスムーズにいくんではないかと思います。
そして、第三番目の「福祉の問題」。この福祉の問題は、GNPが自由主義国の中で第二位といわれる日本にしては、本当に惨憺たるものであると。この辺のデータももう少ししたら出すつもりでいる。この福祉のその金だけではなくて、実際にその使われ方も、ニーズにあった使われ方をしてないと。つまり、今のこの先進国目本をつくってきた老人がたくさんいるわけだけども、そのご老人の立場に立って果たして福祉を考えてるのかと。あるいは本当に弱いその身体障害者の立場に立って福祉を考えてるのかといったらそうではないと。もっともっとその話し合いの機会を広めて、そして、その人たちがどういうものを望んでるかと、どういう生き方を望んでるかと。
まあ、わたしは、その人たちは社会の中で一緒に生活したいと、みんなと一緒に笑い、悲しみ、喜んで、生きていきたいんじゃないかと考えるわけだけども、そこら辺の検討がなされていないと。よって、この福祉の問題については、二つのポイントが挙げられると。一つはもっと福祉予算を増やせと。もう一つはその使い方を考えろと。これが第三のポイントだ。
そして第四は、これは、先程M君から質問のあったとおり、「医療について」だね。わたしは別に、鍼医学、あるいは灸医学が優れているとは思えない。それはそれで長所もあるし欠点もあると思う。例えば、漢方医学の中で「トウエキ」----これは漢方薬を使ったものだけども----これも長所もあれば欠点もあると思う。そして、現代医学についても同じように長所もあれば欠点もあると。ヨーガ医学についても同じことが言えると。チベット医学も同じことが言えると。
そしてこれらの長所だけを抜き取り、欠点についてはその封印をすると。そういう作業の医療施設がもしできるならば、それは素晴らしい医療機関になるんじゃないかと。そして、この医療機関については、個人が、例えばオウム真理教が、それにトライしたとしても、そんなに画期的なものができるわけじゃないと。もちろん今の医学よりは、数段数十段いいと思うけども、やっぱり、必要なのは何かといったら、国家レベルの予算を組んで、そして有能な人材を登用して研究をさせると。そしてそのできあがったものをできるだけ早く還元すると。というのは今、国民は望んでるわけだからね。
これが、わたしのいう四つの柱であると。そして、五つ目の----これは、未来の夢、目的だけども、例えば、大統領制が導入されると。例えば、重要な政策については国民投票がなされると。あるいは国会があまりにもひどければリコールができる、というような、もっともっと国民一人一人の政治に対する権限を強化する必要があるんじゃないかと。そしてそれを強化することができるならば、今の腐りきったこの世の中をもう少し良くすることができるんじゃないかなと。そして、この五つが、まずわたしが政治に出てやりたいことなんだね。
そしてその第一番目として、消費税廃止の代わりに消費者共同体を作って、多くの人の台所を少しでも楽になっていただきたいと。そして、教育改革については、例えば、ガネーシャとか、麻原彰晃マーチとか、風船とか、いろんな意味での子供の心を少しリラックスさせるような運動の展開と。そして第三番目の福祉についてはね----これについてはまだ、今のところ展開していないけども---- というのは、区で選挙運動絡みのものについては、社会奉仕というのを認めてないというか、そういう方向にあるみたいだから、こりゃなかなか難しいと。四番目の医療については、君たちも知ってのとおり、「麻原彰晃の新しい医療を考える会」というのを作ってやろうとしていると。まあ実際にもう少しずつは動き出してるわけだけど、今の「麻原彰晃の新しい医療を考える会」自体は、わたしの考えているものではない。まだ、Pを中心としてドクターたちが考えてるやり方であって、わたしの考えてる内容では全くないと。全然違う方向に進んでるとわたしは考えている。
まあ、それはそれでいいと。なぜいいかというと、君たちも知ってるとおり、十月は大変なマスコミ騒動で、オウム真理教と麻原彰晃を有名にしていただいたと。これを消しゴムで消すために全精力を傾けたと。よって、十月はしょうがなかったと。で、まあ十一月については大幅な人事異動----まあこれは、今日おそらく発表されるだろうけど----の編成、それだけではなくて、わたしも少し徳を積みたいなと考えて、いろいろと瞑想を続けてたんだね。まあ、表面に出らんなかったと。
でまあ、しかし、そろそろその「新しい医療を考える会」も含めて、もう一回全面に出ようかと考えています。そして、その前にまず君たちに、わたしがどのような政策を持って登場したかと。
君たちも知ってるとおり、わたしは、ホラが嫌いであると。よって、今回の四本の柱も本当に謙虚に謙虚にできるだろうなという内容しかあげてない。わたしのやりたいことというのはもっとたくさんあると。しかし、それを今打ち上げたとしても、それは単に嘲笑を浴びるだけであって何の効果もないと。
そしてこの政治的な動きは、すべて利他心というものを背景になされていると。例えば第一の消費税については、本当に貧しい人の、あるいは経済的に困ってる人のために何が一番大切かと考えたら、当然まず税金を安くすることであると。
第二の子供に対してはどうだと。これは当然子供の心を育むということは、利他心の最も大切な一つであると。
三番日の福祉はどうだと。これは弱い者、あるいは今の社会で端っこに追いやられてる人たちの心を考えた場合に出てきた心の現われであると。
四番目の医療はどうだと。これは今、病で苦しんでる人たちの問題点であると。それに対する利他心であると。
つまり修行、そして政治というものが一致できないような、そのような教えであるならばやる意味がない。もちろんオウムには三乗がある。ヒナヤーナを今実践してる人たちは、まず自分の心を完全に完璧なものにすると。大乗の実践をしてる人たちは----少なくとも未来において大乗の道に入っていきたいと考える人たちは、わたしと同じように、どのようにしたら本当に他の心を満たすことができるのかと、本当の意味で幸福にすることができるのかと考えると。ヴァジラヤーナの実践をしてる人たちは、その上に自己をいかに犠牲にするかということが乗っかってくると。
そして君たちは、この三つの教えの実践が今はできてると。やろうとしてると。この最高の功徳、今の状況というもの、その素晴らしさというものを、絶えず日々認識し、そして修行に励んでもらいたいと思います。
はい、それでは今日の講話はこれで終わります。