マイトレーヤ正大師特別寄稿
第31回 カルマの法則の証明について
今日は、少し話題を変えて、カルマの法則について話します。
もうすぐ、皆さんは教義についての論議を実践することになると思います。論議の意味は、いろいろあります。説法を読んだだけで、自分で説明できない場合は、知識が十分に確定していないと言うことができます。さらに、導きをするときに、相手の現世的観念を崩すことができない、疑問に対して答えられないと言うことができます。そして、これは、自分が揺れたときも、自分の疑問に対して法則に基づいて考え対処できないことを示しています。
ところで、先日、正悟師方が見守りながら、サマナが論議の演習を実験的に行なったそうですが、その際、サマナが苦戦したのがカルマの法則の証明だったそうです。つまり、なぜ、なしたことが返ってくるか?偶然ではないのか?
そこで、今回は、どのようにこのカルマの法則を説明することができるかについて一例を、お話ししたいと思います。
これについては、いろいろなやり方があると思いますが、カルマの法則の証明の前に、輪廻転生の証明をすることは非常に役立ちます。輪廻転生がある程度納得させられないと、カルマの法則の現われの一部が輪廻転生ですから、カルマの法則の証明も難しくなります。同じ悪いことをしても、今生の中では、その報いの返る人と、返らない人がいるじゃないかという反論に対応しにくいからです。
この証明については、科学者の生まれ変わりの研究、前世を思い出している人の体験、いろいろな聖者、教えの言葉がありますから、それをしっかり説明すればいいでしょう。この点に関する資料をサマナ用ホームページに掲載してあります(「真理アカデミー」を参照してください)。
自分の心が、そばにいる他人の心に影響を与えている。
という事実から説明するのが一つのやり方です。
例えば、この人といると安らぐとか、逆にいらいらするとか、という体験は一般人も完全には否定できないことだと思います。「気持ち」が伝わってくるとか、その人や、その場の「雰囲気」、「フィーリング」を感じるとか、言葉では説明できないものを一般人も経験しています。人によっては以心伝心の経験もあるでしょう。
これは、アレフの宗教用語を使って説明すると、近くにいて接している人と、カルマ交換をしているということになります。アレフでは、気持ち、雰囲気、フィーリングという言葉でなく、ヴァイブレーション(波動)という言葉をよく使いますね。つまり、それぞれの人の心が発している、ヴァイブレーションがあり、それが他人に伝わっていくわけです。
それを正確にキャッチし、しかも、各々のヴァイブレーションに固有の色を視覚的に見ることができる神秘力を他心通といいます。自分の心が静まり、透明になると、近くにいる相手、ないし自分が精神集中した相手のヴァイブレーションが自分に入ってくるときに、それを正確に理解できるという仕組みです。自分の心が静まり、透明でないと、何が自分の心で、何が他人の心なのかわかりません。
それはともかく、このように、互いの心が、互いに対して影響を与える仕組みがあるとすると、例えば、あなたが怒りが強ければ、あなたと接する人をあなたの心が怒りっぽくしてしまうことになります。また、自己保全が強く嘘が多い場合は、同じようにしてしまいます。
だから、よく怒り、悪口を言う人は、他人からもそうされるし、嘘の多い人は他人からもそうされる。そうされるというより、自己の因でそうさせてしまうということになります。ですから、自分の接する他人の行動は、自分の心・カルマの投影であるという心構えを持って、自分を見つめることが非常に重要な修行になります。
また、怒りっぽい人がいても、その人が、他の怒りっぽい人と話す場合と、怒りの少ない人と話す場合では、結果が違ってくる理由もよくわかります。怒りっぽい人同士だと、怒りのヴァイブレーションを互いに伝え合って増幅しますが、片方に怒りが少ないと、それによって、他方の怒りもその分薄められることになるからなのではないかと思います。このパターンの最高のものが、成就者による意識の引き上げだと思います。
こう考えると、他から苦しみを受ける場合も、自己に悪因がなければ起こらないという結論に至ります。また、自己に悪因があっても、それを現象化させる条件を持った他人と接するまでは、苦しみは現象化しないことになります。
よって、カルマの法則では、原因、条件、結果という三つの要素があるといわれています。「原因」とは例えば自分の中の怒りです。それが因となって、他人から怒られる「結果」が生じるためには、そうなる条件が必要です。
ここでの「原因」と「条件」という言葉をもう少し精密に定義すると、原因というのが直接原因であって、条件とは間接的な原因と言うこともできると思います。すなわち、原因と助けて結果をもたらすものが条件という考え方です。そして、怒られる場合の原因を自己の中の怒りだとすると、条件とは、怒りの強い他人と接することと言うことができるでしょう。原因と条件、すなわち、自分と他人のカルマがマッチして結果が生じるわけです。
この「条件」とは、「縁」という仏教用語に当たります。十二縁起の法則を、十二の条件生起の段階とアレフで訳しているので皆さんもご存じでしょう。サキャ神賢真理勝者の有名な言葉に、「縁なき衆生は度し難し」という言葉がありますね。これは、いかに真理勝者であっても、真理の法則と縁のない者は救済しにくいという意味ですね。つまり、真理勝者が存在し、救済される因があっても、真理勝者に接する人の側に、真理の法則を聴き入れ、学び、実践するカルマの条件がなければ、救済という結果は生じないということになります。
さて、こういったカルマの法則に基づいて考えると、他人を批判してばかりいる人というのは、いかに迷妄であるかがわかります。批判ばかりしている人は、他人に見ている欠点というのが、他人だけに属する要素であって、自分にはないという錯覚に陥っていると言うことができます。そして、はたから見ると、非常に自分に甘く他人に厳しい人間に見えるでしょう。これについては、以前の寄稿でもお話ししました。
こういう人はひたすら懺悔の実践と、カルマ・ヨーガの実践が必要だと思います。他人に見ている欠点が自己にあると考え、自戒せよというのが、カルマのヨーガの教えです。鏡のように、他人の行為の中に、自分の心・カルマが反射され、映し出されていると考えるわけです。
また、この法則に基づいて考えると、自分と他人の双方のカルマを破壊しようとする大乗の実践の深い意味合いがよくわかるのではないでしょうか。真理勝者に至る大乗の実践では、4アサンキャ10万カルパ以上をかけて、自分と縁のあるすべての衆生を救済しようとしますが、これは、無始の過去から積み上げてきた自分の膨大なカルマを、本当の意味で完全に破壊していくためのものです。
他人との接触を断ち、山などに一人こもる小乗の修行では、本当の意味での自己のカルマの破壊はできないということになります。それは、カルマの完全破壊ではなく、カルマが動かない条件をつくったということだと思います。しかし、ご存じのように、その条件が崩れる場合、すなわち、三グナに再度アプローチされる場合があり、小乗のニルヴァーナは、絶対的な安定ではないということです。
さて、カルマの法則の行き着くところは、自分と他人の区別は絶対的ではなく、相対的で、実体がないということです。自分と他人の区別が絶対的ならば、自分が他人になしたことが、他から自分に返ってくることはないでしょう。両者は完全に遮断された、独立した別個の存在なのですから。しかし、その区別が相対的であり、自他が相互に関連しているとしたらどうでしょう。他に害をなせば、他人と関連している自分に害が及ぶ、自分に害をなすことになります。
例えば、環境問題などは、まさにカルマの法則です。説法にあるとおり、人間は地球の一員であることを現代社会は無視してきました。人間と世界、人間と地球を分けるのは間違っていたのです。しかし、近代化の中で、自分たち人間とつながっている自然・他生物を破壊してきました。その結果、今や人間社会が地球環境問題で脅かされつつあります。
さて、自分と他人の区別が絶対的ではなく、「相対的」であるというとき、この「相対的」であるという言葉の意味は、説法にあるように、「無常」という意味です。無常とは移り変わるということです。ですから、例えば、あなたが今現在は、ある人をいじめる側に立っているとして、その自分と他人の関係は無常であり、未来においては、あなたの方が他人からいじめられる立場になるということです。他人に関する現象と思っていたことが、将来自分の現象になる故に、自分と他人の区別は無常であるというわけなのです。
同じように、今、他人に見る姿は、過去や未来の自分の姿なのです。わたしたちが若く、真理を学んでおり、ある人が老いて、真理を学んでいなかったとしても、その人はわたしたちの過去ないし未来の姿であると言うことができます。
こうして、カルマの法則は、無常の法則と不離一体であり、それは、「自他の区別は無常で実体がない」という、仏教の根本法則に集約されます。また、そこから、すべての他を自分と区別なく愛する、四無量心の教義も当然導かれます。
今まであなたが「自分」とか「他人」とか呼んで区別してきたものをもう一度よく考えてみてください。そこに確固たる、絶対的な区別など存在しないのです。
先ほどの地球環境問題の例をもう少し突き詰めていくと、面白いことがわかります。一体どこまでが人間で、どこまでが自然や他の生き物なのでしょうか。
我々人間は、他の生き物を食べて生きています。他の生き物、自然の原子・分子は我々の体に入ったり出たりしているのです。あなたが憎んでいる人や生き物がいたとしても、その体を構成している分子は過去や未来においてあなたの肉体を構成しているのです。
そして、すべての生き物の体は、死に際して自然に返ります。また、生まれる前は、自分ではなく、他人である両親の精子と卵子なのです。そして、それも外から食物の形で取り入れた物です。
すべての生き物、すべての存在が、この地球・宇宙の中で、相互に原子分子を交換し、入り交じり、それぞれが時間とともに生じたり滅したりを繰り返しています。自分一人で存在しているものなど存在しないのです。無人島にいる人でさえ、他の生き物・自然と共にでなければ生きていけません。
ある経典には、「すべての現象は相互に依存し合って存在しており、一切の現象には実体がない。独立して存在する、絶対的なものは何もない。よって、一切は無常である。『わたし』というものにも実体がない。一体どこまでが『わたし』で、どこからが『わたし』ではないというのだろうか。」という主旨のことが書かれています。
こういうことを瞑想していけば、自と他の区別から来る様々な煩悩が和らいでいくことでしょう。
さて、カルマの法則の証明をもう少し深めてみたいと思います。
ここでは、「類は友を呼ぶ」という言葉にもあるような、似た性格の者が集まるという経験則に注目したいと思います。一般の人でも「類は友を呼ぶ」という現象はある程度納得できると思います。よく、気が合う、性格が合う、馬が合う、似たもの同士といったりします。
これは、アレフの教義用語で表現すれば、「カルマが似た者が集まる」、「自分のカルマの似た者を人は好む」ということになります。『色別恋人判定法』にある教え、すなわち、人は、自分の心が発しているバルドの色と同じ色を好むのであるという教えも、同じことだと思います。
だから、うそつきはうそつき、粗暴な人は粗暴な人と接することになります。とすると、嘘をつく人は嘘をつかれやすくなり、粗暴な人は粗暴な扱いを受けます。こうして、自己のカルマが返ってくる条件が整うのです。
この現象の最大のものが輪廻転生です。似たカルマの者が同じ世界に転生します。例えば餓鬼の世界には貪りの強い者ばかりが転生し、そこで奪い合いをして皆が飢えることになります。とすると、輪廻転生はカルマの法則の現われであるということになります。
この点を突き詰めていくと、我々が、意識することなく、自分たちのカルマと似た外界の事象を選択しているということがわかります。自分の好きな友人、場所、食べ物、その他の物品など、あらゆる対象の選択がそうです。
場所に関してのカルマの法則に関する個人的説法の中で、その場所のエネルギーの質に関するものがありました。例えば、よく事故が起こり、縁起の悪いといわれる場所があります。これは、その場の、エネルギー、カルマが悪いということになります。
そして、カルマの悪い人はカルマの悪い所に近づきます。その結果、例えば、カルマの悪い者同士が集まれば、互いにカルマを返し合うでしょう。また、相手がいなくても、その場の悪いカルマの影響を受けて、自分の正常な意識・注意力が働かなくなり、運転事故を起こしてしまったりするでしょう。自殺指向のある人が、実際自殺したくなるのが、自殺の名所ということになります。
ところで、先ほど、自分のカルマと似た対象を選択すると言いましたが、これは自由な選択を意味しません。カルマの力で選択させられているわけです。すなわち、実際はとても不自由なわけです。
そして、このカルマに拘束された状態から、我々を真に解放するのが、戒律などの真理の法則であり、それは、真の自由、カルマの拘束からの解放に至るための手段ということになります。
また、いわゆる「縁のある人」というのは、「共通のカルマがある人」、「似たカルマのある人」という意味だと思います。輪廻転生を考えると、これは当然です。過去生において、よく接した人とは、そのときにカルマ交換を起こしていますし、行動を共にして、同じようなカルマをつくっています。
一般的にも、同じグループにいると似てくる、という現象があると思います。グルと縁がある、真理と縁があるという場合は、皆さんは、グル・真理の実践者と共通のカルマがあるというわけです。
さて、この世の一切の物に、目で見える以外のヴァイブレーション、エネルギーがあるという考え方は、近代物理学の法則とも一致します。それが物質の波動性です。光には、粒子(光子)として物質性とともに、電磁波としての波動性があります。同じように、光以外のすべての物質にも波動性があると主張されています。これが物質波と呼ばれている理論です。だとすると、人間以外のあらゆる物もヴァイブレーションを発している証明になると思います。
これは、ヨーガ理論で言えば、現象界のすべての物は、それを構成する粗雑物質だけでなく、それとタブって、それに対応するアストラル(音・ヴァイブレーション優位の世界・音は音波ともいう)・コーザル(光(電磁波)優位の世界)があるということにもつながるのではないかと思います。
こうして、カルマの法則を突き詰めていくと、最新の物理学理論や、ヨーガ宇宙論の共通点にも出合うことになるようです。アクエリアスの時代においては、より微細で高度になった科学理論によって、カルマの法則が証明されることになるでしょう。
ところで、カルマの法則の証明も大切ですが、カルマの法則を信じる価値というのは、それが人々の心を自他の区別から解放し、怒り、憎しみ、嫉妬、嫌悪、軽蔑、慢、支配欲などから解消していくという点にあります。そして、究極的には、一切の苦しみからの解放、悟りに至る考え方であると言うことができます。
ですから、「現代科学で、完全な証明はできなくても、それを信じることによって、本当に幸福になるとしたら、それは、真理の法則に違いない」と言うこともできると思います。
さて、皆さんも、教学・功徳・瞑想などの日々の真理の実践を深め、カルマの法則・輪廻転生についての証明をどんどん生み出しましょう。
そして、自と他を区別する根本煩悩を破壊し、多くの衆生を、この真理の法則に導きましょう。