マイトレーヤ元正大師の特別寄稿

第21回 7/29日説法会


 人は死ぬ、絶対死ぬ、必ず死ぬ、死は避けられない。
 サマナも死ぬ。去年、今年と一人ずつ死んだ。
 あの最高の出家教団であるサキャ神賢の出家教団も、死を避けることはできなかった。マハーモッガッラーナは暴漢に頭を割られ、サーリプッタも病死した。
 ここにいる人たちすべてと、再び来年会える保証はない。
 これが現実である。現実を直視しなければならない。
 人は死ぬ、絶対死ぬ。死は避けられない。
 死と無常を悟らない人は、様々な煩悩を生起させる。
 愛着し、他人に依存する者。依存の対象が無常だとわかっていない。
 嫌悪し、他人を批判する者。自分が未完成なのに、他人に意識を取られ、エネルギーをロスする。
 無智にとらわれ、あたかも今の自分が永久に続くと考えて、目先の快楽におぼれ、真実から目をそらし、逃げる人。


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 苦しみこそ道である。
 自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする。
 もともと、この現象世界に真の喜びなどない。真の幸福は、この現象世界の一切を放棄した心に生じる。すべての幸福、真の幸福は自分の中にあり、外側にはない。
 この事実を悟るために、現象世界で苦を感じることは喜びである。
 マハームドラーの成就には二つの道がある。
 男性のマハームドラーの成就の典型は、グルの慈悲によって、自分の煩悩による苦しみを経験する。それによって、苦しみを生じさせている煩悩を滅尽する法則を実践する。苦あって信あり。まさに苦しみが道だ。
 女性には、これ以外にもう一つの道がある。グルへの愛著、正確に言うと愛著から、慈愛への道である。まず、自分を引き上げてくれるグルに愛着する。これからどういうパターンをたどるかというと、例えば、グルに愛着するほど、当然、他のグルを取り巻く同性への嫉妬などが出る。それでも苦しむことになる。しかし、グルへの愛著が強く、グル以外は考えられないという状態ならグルから逃げない。苦しみから逃げるために他の異性を求めない。そして、苦しみを取り除くために法則の実践に入る。そこで、他の同性や異性の存在にかかわらずグルとの物理的な距離にかかわらず、グルを愛する、これは愛著ではなく慈愛である。見返りを求めていない。または、愛著というより、グルへの完全集中である。グル以外の同性も異性も意識しない。
 この道の場合も、中途に苦しみを経験している。やはり、苦しみが道である。


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 今年に入っての教団の動きとカルマ落としについて。

 今年に入って、少しずつ教団は上昇していると思う。それは特に上層部が浄化されてきているからだ。正悟師について言えば、ヴァジラティクシュナー正悟師の逮捕、ヴァジラチッタ・ヴァンギーサ正悟師の病気療養、他の正悟師も精神的な闘いがあった。それは皆彼らを引き締める方向に導くと思う。

 逮捕されている者と、逮捕されていない者を比較すると、率直に言って逮捕されていない人のカルマ落としは少ない。一方、人によっては消耗する功徳が多い。自分は4年近く勾留され、日本の中で、他に類を見ないほど誹謗・中傷、攻撃された。今もなかなか外に出られない。しかし、それ故に私は自分のことを余り考えないで居られるようになった。自分のことを考えるから、自分を愛するから人は苦しむ。考えなければ、自我執着の思考が止まれば、苦しまない。苦しみが多いほど、その苦しみを超えるために自我執着を超えることができる。だから、苦しみに感謝している。自分の心を不動に導く苦しみに感謝している。


 ところで、あまり比較したくはないが、自分のそれから見ると、皆さんのカルマ落としは、皆さんのカルマがいいからだろうが、相対的に少ない。よって、先程述べた一連のカルマ落としは、貴重な体験とすべきである。

 現象界の喜びは幻だ。現象界の苦しみによって、それがわかる。そして、自分の内側にある、真の幸福に向かうきっかけができる。我々を不動の心に導くカルマ落としに感謝しよう。



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 三人の破戒者を格下げした。これを厳しい処置だと思うサマナがいたらそれは謬見解である。

 まず、男性の二人は初めての破戒ではない。女性も言うまでもなくそうである。男性二人は去年も破戒していた。しかし、律を課されなかった。

 そのうち一人は重要な役職に就いていた。私が彼の破戒を知ったのは選任してしまった後だった。それを変えることは、教団内外の状況、空気からして難しかった。

 同じように、もう一人の男性についても、去年の破戒について懺悔を受けた。
そのとき、律を課すことができなかった。自分の出所までの期間には相当多くの人が破戒しており、律を課し始めたら終わらないから、律を課すという空気自体がなかったのである。また、教団への外圧によるいろいろな問題もあったろうから、破戒してもしょうがないかなあという気持ちがあった。

 彼らがその時点で律を受けていれば、今回の破戒には至らなかっただろうと思う。それは、彼らのカルマだが、それまで作られたカルマの流れに、もう一歩強い対応ができなかった自分の力量不足もある。

 今、教団はある程度まとまりが出てきて、去年に比べると破戒者は相対的に少ない。最近も、一部にはあったが、少なくとも全体としては少ない。対外的な問題もやや落ち着いてきた。こうして、昔の時代のとおり、律を課しやすい状況が生まれてきた。そこで、今回の彼らの破戒を聞いて、明確な律を課すことを支持した。

 ところで、この処分の決定と同時に、ここでは浸水騒ぎがあった。浸水は、水元素のけがれ、性欲のカルマの浄化である。私は、これを教団全体の水元素の汚れが浄化されるきっかけにしたいと思っている。神々の祝福だと受け止めたい。

 今後すべてのサマナが破戒から解放されるよう、法則に基づいた鮮明な出家教団の運営がなされることだろう。向煩悩滅尽多学男女の教団を再生することについては、絶対に妥協するつもりはないし、それは決して遠くないとの感触がある。


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 財施というのは、貪りがあったらできない。貪りの一つが性愛である。愛欲の貪りだ。また、物質的な貪りについてもそうだ。この双方に関して、現在、教団は引き締まり始めているし、そうしなくてはならない。

 出家教団に戒と律がなくてはならない。戒を破ったら、そのカルマを取り除くための律がないことならば、四無量心があるとはとうてい言えない。真実の愛には暖かさと同時に厳しさが必要だ。以前はしっかりと律を下し、出家教団の規律が維持されていた。司法神でもあると言われる未来の真理勝者マイトレーヤの弟子としての役割を果たしたいと思う。


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今後のイニシエーションについて。
 各部署に、テレポーターによる、水、そして音のイニシエーションが始まった。

 甘露水は水元素の浄化に効果があるだろう。また、光音天でピラミッド・イニシエーションが、お盆くらいから徐々に始まる。これはアトランティス、エジプトと続く、オウム・アレフの修行者たちの聖なる流れ、そのクンダリニー・ヨーガの秘法に関するイニシエーションである。

 次に、性欲を含めた煩悩破壊に有効ではないかと自分が期待しているのがビデオ教学である。死に引き続き、第二の御使い、老いが贈られる。これらは皆、我々の肉体が無常で不浄であり、性欲の喜びは幻影であることを示す法則である。

 なお、お供物も改善される。修行者としては、二つのコースがあり、動物性タンパク入り(卵など)の従来のコースと、新しい植物性タンパクのコースができる。動物性タンパクによって、性欲や怒りがコントロールしにくい人は、後者を選べばコントロールしやすくなる。一方従来の方がエネルギーを昇華できるならパワー・熱は出る。これについては詳しく(別の)特別寄稿にも書いたので読んでください。

 これらのイニシエーションをフル活用して修行に励んでください。