マイトレーヤ元正大師の特別寄稿
第10回 修行とワークの融合を!!
ここ数年来、多くのサマナが企業形態でワークをしました。その中では、売上=救済というスローガンのもとでワークしたと担当の師から聞きました。
その場合、お布施・供養の実践を考えれば、確かに、帰依・供養のプロセスは進んだかもしれません。しかしグルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションでは、帰依・供養以外に、懺悔・賛嘆・懇願・祈願・回向といったプロセスがあります。
懺悔は憎しみ、賛嘆は嫉妬、懇願は無智をそれぞれ取り除き、祈願・回向は四無量心を強めることは、前回申し上げたとおりです。よって、帰依・供養のみでは、サマナ間の邪悪心・嫉妬・闘争心等を取り除き、四無量心のもとに和合するのは難しかったという面があるかもしれません。
そこで、以下のように、修行とワークの融合、すなわち、真のバクティ・ヨーガの実現のための提言をします。
1.ワークの間に定期的に詞章・決意の実践を行なう.
数時間毎に、15分〜20分の詞章ないし決意の修行をし、常に修行者の心の在り方から外れないようにする。夜、修行を2〜3時間やってもワークのときは凡夫の心の働きであれば、1日中が神聖な行為、バクティ・ヨーガにはなりにくい。一方、頻繁に法則を記憶修習し、自分のワーク中の身・口・意の働きに当てはめ、チェックし、その後のワークに即活用するならば、記憶修習・思索・実践の四預流支の修行が1日中できることになります。
【尊師説法】
例えば決意、あるいは教学等を絶えず繰り返し繰り返し行なうと。
まあ、一般的にはだいたい一日六回、ね、決意を唱えるということが原則となっていますが、それを行なうことによって、やっと、わたしたちが培ってきたエゴに対して対決できる、という教えがあります。
したがって、まあ初めは、三回ぐらいから、つまり、朝・昼・夜三回ぐらいから、
「自分自身は、とにかく、高い解脱をするんだ」と、「最終の解脱をするぞ」という決意を持ち、そしてそれをね、六回、四時間に一回ずつ、決意をするようにしたならば、決して壊れない不退転の決意が生じるはずです。
選ぶ詞章・決意は、日ごろワークで出てくる心のけがれ、ないし状況に対処し得るものが望ましいと思います。例えば、
(1)グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションの七つの詞章(ただし、その意味合い、煩悩破壊とのつながりを意識しながら唱えないと、日常の心のけがれとの関連がわからず、効果が薄くなると思う)。
(2)「到達真智運命魂としての決意」を唱える(日常生活のいろいろな場面での、心の持ち方が具体的に定められているので使いやすいが、1回通しで唱えるのに15分かかる)。
決意を唱える時間についてですが、会社の休憩時間を全部活用すれば、外ワークの人も、ウォークマンなどで実践できる可能性があります。
グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションの七つの詞章とは、瞑想全体ではなく、詞章だけのことです。これなら、各々を5回ほど唱えても、コンパクトに終わります。MIROKUでは、グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションの七つの詞章のビデオを作る予定です。ところで尊師もグルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションの七つの詞章の実践を強調されていたことはご存じのとおりです。
2.ワーク環境に、法則とイニシエーションを組み込む。
例えば、
(1)ワークスペースの至る所に、修行のスローガンを貼る。例えば、尊師は手に十戒を書き込み修習されましたが、我々は、例えば、和合・称賛といったキーワードを、ワークスペース等のいろいろな所に表示する。このような一般的な標語なら一般客の来る店でもある程度掲示可能だろう。また、一般の人にはわからないが、サマナにはわかるような教えの象徴を表現する。
(2) 内ワークの部署なら、絶えず、決意・秘儀マントラ、教学テープなどをかけ続ける。流し聞くだけでも違ってくる。秘儀マントラは空間の浄化になる。一般人と接する部署ではこれはできないが、アストラル音楽ならいけると思う(音楽が達者な人が称賛・和合・邪悪心打破をテーマとした、歌謡曲風の歌を作るのもいいかもしれない)。
(3)パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションは内ワークの人は問題ないのだから、できるだけ着けるようにする。外ワークの人も着けることができるような、外ワーク型パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションができるといいと思う。
ともかく、意思のあるところに道はある。いろいろ工夫して、神聖なワーク環境を開発してほしい。
補足 未来企業のイメージ
ヨーロッパで有名な批評家が、政党も教会も人の思想・精神性のよりどころでなくなった今、市場競争に参加しつつも、精神的なものを満足させてくれる企業が人の集まるところになるだろうという未来社会の予測をしている。
これについては、わたしもそうかなと思います。というのは、来るべき社会が、サキャ神賢の原始仏教の広がった原始社会ではなく、宗教と科学の融合した、シャンバラのような社会(霊的科学文明)であるとするなら、それは科学力・産業力を維持しつつ、霊的にも進化した社会でなくてはならないと思います。そして、ここまで経済活動が浸透した社会の中で、経済活動とは無関係に人が集まる場所(すなわち救済拠点)ができるかという視点があります。
その意味では、オウム・アレフの信者による、ワークと修行が一体化した、宗教会社がつくれるならば、来るべき新文明のために、多大な貢献となるかもしれません。個々のサマナのためにも、未来社会のためにも、現代の都市文明の中で、解脱・悟りのプロセスを進めることのできる組織をつくりましょう。