マイトレーヤ元正大師の特別寄稿

第8回 真の法友となり、500人の成就者を!!

 今日は、向こう数年間についてのお話をしたいと思います。

 我々は、なぜ出家教団を形成し、集団で修行しているのでしょうか?

 この問いに対する答えとして、すぐに出てくることは、外部一般の人とのエネルギーの違いの話だと思います。救財活動をすれば、やはり出家教団、内ワークの良さがよくわかるという話はよく聞きます。

 でも、それだけでしょうか? 我々が一人で山にこもるのではなく、法友と共に住み、修行しているのはそれだけでしょうか? 本来、法友とは、煩悩破壊の法則の実践において、互いに励まし合う友達ではないでしょうか? 日々、いろいろな煩悩との闘いにおける戦友ではないでしょうか? しかし、多くの部署で、毎日修行の集まりが決められているのに、それに参加しない人々が少なくないことを聞きます。そんなときに、互いに励まし合い、煩悩=マーラに負けないよう助け合うのが、法友ではないでしょうか?

 また、一人ではなかなかできないことも、法友と助け合えば、やりやすくなることも多くあるのではないでしょうか。例えば、これこれの修行を今日から一緒に始めようと、法友と約束して始める。新しい教学システムでも、加行でも、パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションの着用でも、蓮華座の時間を延ばすことでも、いろいろあると思います。法友と一緒に目標ややり方を決め、互いに切磋琢磨【せっさたくま】して、修行を進めていくこともできると思います。

 しかるに、これまでの教団の中では、サマナが団結して煩悩破壊を進めることがどのくらいあったでしょうか? むしろ、サマナ間での嫉妬・闘争・卑屈・慢といった心の働きによって、煩悩=マーラの思うがままだったことが多いのではないでしょうか?

 法友とは、煩悩=マーラとの闘いにおける戦友なのだから、味方同士で同士打ちしてはしょうがない。今日から、そういった関係は一切取りやめて、煩悩破壊に向けて、互いに声を掛け、励まし合い、共に修行しましょう。教学・功徳・行法・戒律・イニシエーション。法友と共に実践しましょう。

 グルは最高の法友といいます。尊師が物理的に我々から離れた今、とても尊師ほどの法友にはなれないとしても、互いに励まし合えば、互いの力になるはずです。あなたの部署の何人か、何十人かが力を合わせれば大きな力になるはずです。そして、ついには500人のサマナ全員が力を合わせて、一人一人を引き上げるならば、500人全員が成就していくことができるのではないでしょうか。

 さて、未来について、少しお話ししたいと思います。
 わたしは、予言については、よくわからないけれども、現在の物質主義社会が行き詰まり、新しい生き方・価値観が求められるときは必ず来ると確信しています。それは予言ではなく、現代社会に現われている、精神的・物質的問題を研究した結果の未来予測であり、この点については機会を改めて詳しく論証したいと思います。

 問題は、新しい生き方が求められるとき、新しい生き方を“体得”した人がいるかだと考えています。それは、オウム・アレフで言えば、解脱・悟りの修行をなし、一定の心の解放や霊的体験をしている人=成就者ということになると思います。
 しかし、今のオウム・アレフでは、師以上の数が100人に満ちません。師の人にしても、心の成熟と体験を深めている人とそうでない人がいます。これでは少なすぎます。やはり、今いる500人ほどのサマナが皆成就者になってほしいと思います。

 向こう数年間で、今のサマナが皆成就すること。これが教団が掲げるべき最良の目標の一つではないかとわたしは思います。そして、そのために500人は皆団結し、成就を阻んでいる煩悩と闘わねばなりません。皆でやれば、一人ではできないことも可能になるのではないでしょうか?

 そこで、師の方だけでなく、本来、師の補佐すべき「師補」の人にも一念発起を期待します。現在の教団で、特に支部活動以外では、師補の人が自分の宗教的役割を失い、師と師未満の二つに分かれてしまっているようです。しかし、もともと師補とは、行法指導を行なう宗教的権限があります。今教団で弱っている行法の実践について、サマナを引っ張り指導することは、本来師補の役割と言うこともできます。MIROKUでは、行法に熟達した師補の指導によるセミナーが朝夜2回開かれており、そのセミナー内容・運営、サマナの参加の確保について、各グループの師補が、師と共に中心的責任を持たされることになりました。

 500人の成就者に向けて、全サマナの団結と助け合い、そして、師・師補の方々のリーダーシップを期待します。

 2000年が、オウム・アレフの精神的復興の元年となりますように。
 21世紀における飛躍のための土台ができる年となりますように。