マイトレーヤ元正大師の特別寄稿

第7回 修行はできる!

「修行したくてもできない」という声をよく聞く。そういった状態に陥ったらどうしたらよいのだろうか。(今回はわかりやすいように、ワーク以外の行法・教学等の実践をあえて修行と呼びますが、本来はワークも行、バクティ・ヨーガ、現実世界での瞑想ととらえて実践すべきだと思います。)

1. 実際、1日10分、20分でさえ修行ができない人はいるだろうか? おそらくいないだろう。しかし、修行ができないという人は1日10分どころか全く修行しない。それは、できないのではない。できないということを口実にしてやっていないのである。

 修行ができるかできないかの2つに分かれることなどない。全くできない人などいない。単に、周りの人に「やれ」と言われたときや、自分のプライドが満足できるほどにはできないということだろう。しかし、「修行ができない、できない」と口に出していると、否定的な自己暗示により、ますますできなくなる。だから修行ができるようになるための第一歩は「わたしは修行ができる」と思うことである。「修行ができない」とわたしが尊師に申し上げたとき、尊師は「では、修行ができると思う修行をしなければならない」と明言された。

2. 次に、楽にできる、確実にできる修行でいいから、とにかく何かを始めることだ。ハードな修行は意志の力が強くなった段階でやればいい。意志が弱っているときは、歌・説法・決意のテープを聴く。ただ聞き流す。聴くだけなら楽だから、何時間もそうする。夜寝ている間も聴く。秘儀マントラは空間の浄化に役立ち、決意は長時間聴くと修行意欲が強くなる。それから、経行。歩くだけなら、比較的楽な修行だ。それでも、ある程度エネルギーは昇華される。

 少し調子に乗ってきたら、マントラ・詞章を唱える。パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーションを受ける。法友についてもできるだけ、ステージの高い人のそばに行く。

3. そして、徐々に意志の力を強化する。まず最初は、確実にこなせる内容・時間の修行をする。1日1時間なら1時間でいい。そして、それを確実にこなす。そして、それを少しずつ増やしていく。継続は力である。そうすれば数年後には、1日中修行ができるようになっている。1日だけバーッとやって、後が全く続かないやり方はよくない。コツコツやる。少しずつカルマは変わっていくから。

4. 身近に共に励まし合って修行する法友をつくるのもいいと思う。法友とは共に煩悩と闘うためにいるのだ。教団内において、どうも修行をする上での法友との協力が少ないように思う。ワークで協力するように、行法の実践でも協力しよう。それが法友の最大の価値ではないか。ましてや嫉妬や闘争等の相手ではない。団結して、煩悩と闘おう。