マイトレーヤ元正大師の特別寄稿

第4回 今を大切に生きよう

 わたしたちは、過去の失敗、未来の不安に絶えず悩んでいる。
 そして、いろいろなすべきことについては、往々にして先送りしてしまう怠惰さがある。このような生き方は、現在の大切な時を無駄にしていることになる。

 まず、後悔についてだが、これは仏典では煩悩の一つだといわれている。真理の法則では、懺悔は肯定しているが、後悔は否定している。懺悔とは過去の悪業につき、明確に過ちを認め、二度と繰り返さないという決意を明らかにするものだ。だから、これはくよくよした、女々しいものではない。一方後悔とは、いつまでも、過去なした失敗をくよくよすることだ。

 失敗は反省すれば成功のもとになる。そして、人はいろいろ失敗しながら、経験を積み成長していく。また、尊師は失敗の多い人の方が他人に優しくなれるとおっしゃっている(といっても、失敗を反省し、努力し続ける人の場合であって、怠惰によって同じ失敗を繰り返す人については、当てはまらない)。失敗も財産なのだ。だから、いつまでもくよくよする必要は全くないと考えよう。加えて、後悔する人は、過去の事で、現在の貴重な時を無駄にしている。我々は現在に生きている。過去の奴隷にならねばならぬ義理は何もないのである。

 この逆が未来への不安である。未来について思索し、計画を立てることはいい。しかし、単にあれこれと不安がっても、全く意味がない。尊師も説法でおっしゃっているが、人間はあれやこれや希望と不安を抱くがゆえに、エネルギーをロスし、失敗してしまう。逆に今なすべきことを淡々とやっている方が勝手に成功するものである。果報は寝て待てである。ともかく、計画を立てることと、不安がることを区別して、現在の時を無駄にしないようにしなければならない。

 もう少し本質的なことを言うと、何かを「嫌だ、嫌だ」と思えば思うほど、それを経験するときの苦しみが増大する。だから、不安によって現象に頓着すれば、その分不安が的中したときの苦しみが増大してしまう。そもそも現象には絶対的な善悪はない。成功するように真剣に努力する必要はあるが、その結果、失敗したとしても、それは成功のもとにすることができる。一方、失敗を恐れ不安がると、何もできなくなる。そして、我々が努力できるのは現在だけだ。不安によってその現在の時が無駄になる。

 それ以外に、我々が時を無駄にするパターンとして、今日できることを明日以降に先送りしてしまうことだ。いゆるタマスである。この心の背景には、今日しなくてもいいだろうとか、先送りすれば、もっと楽にできるときが来るだろうという考えがある。しかし先送りにしてよいことなど何もない。煩悩は麻薬中毒のようなもので、それを修習すればするほど、抜けるのが難しい。よって修行を先送りすればするほど、カルマを変えるのは、より多くの努力が必要になる。

 また、好ましくない真実が明らかになることを恐れて、行動することを先延ばしするケースもある(例えば、疾患が判明することを恐れ医者に行かないとか)。真実が好ましいものであろうが、好ましくないものであろうが、今後の対応を考えるのは、早ければ早いほどいいのである。

 こうして、タマスで先送りするほど、より不利になる、より苦しくなるということを理解しなくてはならない。

 我々が努力できるのは現在の時だけだ。それを後悔や不安、先延ばしで無駄にするのはやめよう。
 今に生きよう。早速今日からそうしよう。