タターガタ・アビダンマ 第一誦品
2−2 問題D
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
◎(1)
そして第一番目には、その真理の教えに対しての(1)を持つことから始まる。つまり、(2)ありて(1)ありなのである。そして(1)を持つことにより、わたしたちが高い世界を経験するための(3)の覚醒、これに導いてもらえるように、(3)を覚醒してもらえるように、グルに対して帰依をするわけである。
◎第一サマディ
その第一段階のサマディは、種々の愛欲を(4)する、つまり愛欲から離れることから始まるのである。そして、愛欲界の構成要素である不善の法則を(4)し、思索し、煩悩を弱める。つまり、(5)にして、有吟味にして、(4)からわたしたちは大変な平安を生じるわけだが、この平安、これこそが第一の静慮といわれているステージなのである。
◎第二サマディ
サマディの第二段階に入ると、(6)を完全に止めてしまう。また、逆の言い方をすれば、(6)が止まった段階、何も考えていないような状態、これが第二段階のサマディなのである。このとき、雑念から完全に解放されているから、心の中は落ち着き、そして精神は一点に(7)するようになる。このときは真我はより深い状態に入り、熟考、吟味を完全にやめてしまっている状態である。この状態によって喜と楽が生起している状態、これが第二段階のサマディなのである。
◎第三サマディ
そして、第三段階のサマディは、心の喜びから離愛著することにより、諸現象に対して(8)となる。ただ、このときはまだ(9)のみが存在している。そして、この(9)によっていろいろな世界を正しい智慧によって観察する。そして、このときは完全に肉体がリラックスの状態に至る。
この状態に入った聖人たちは、一切の諸現象に対して(8)である。ただそこには(9)のみしかなく、また、その(9)が心身にものすごいリラックスを与えるのである。これが、第三サマディなのである。
◎第四サマディ
第三サマディの次は、いよいよ第四サマディの段階に入っていく。これは、感覚の生起のところでも説明したが、感覚というものは(10)の裏側には苦しみが存在する。よって、最終的には平坦な水、波立たない水のように(10)を(11)しない限り、苦しみも(11)できないわけである。
よって、この第四の静慮においては、(10)と苦しみを完全に(11)することになる。そして、(10)と苦しみが(11)されたがゆえに、以前の幸福と落胆とを完全に全滅することとなる。つまり、この段階において(12)が静止したかのように見えるのである。
◎(13)
そして、この第四サマディを通過すると、(13)へと至る。では、この(13)とは何であろうか。これは、別名、五つの(14)のことである。
◎天耳通
次に生じる精通は、天耳世界の精通である。これは、その人の持っている(15)が完全に浄化されたときに起きる状態で、その浄化によってこの世界やあるいは天耳世界が完全にクリアとなり、天の神々や人間、あるいは近くや遠くのいろいろな声をまさに間近で聞くことができるのである。
ここで天耳通について、もう少し科学的に検証しよう。これは近ごろわたしが完璧に悟り得たことなのだが、この天耳通の原理というものは七万二千本の(16)によるものと思われる。
◎(17)
この宿命通まで終わると、次は(17)へと至る。この(17)とは何かというと、自分の(18)がどのようなふうに現われ、そして(19)が形成されるのかということを理解する力ということになる。
このときにポイントになってくるのは、より上のナーディーが浄化されていなければならないということなのである。それにより、「(20)」の部分が完全に透明になり、その透明なナーディーと透明な意識状態によって天眼を生じる。
◎(21)
では、(21)について説明をしよう。この離解脱には二つのプロセスがある。
第一のプロセスは、(22)の離解脱である。(22)の離解脱というのは、まず(23)において(24)、離愛著をなすのである。つまり、この(24)、離愛著の記憶修習を徹底的に行ない、(23)に生起したものを一つ一つ精神集中によって破壊するのである。これによって生じる解脱、これが(22)の離解脱なのである。
そして、その後に来る(23)の離解脱は、完全にその(23)の中にある、(25)が破壊されてしまい、(25)が破壊されるがゆえに、(23)は完全に絶対的な空を経験するのである。これが、(23)の離解脱なのである。