アレフ教学システム 問題D
第10章 11話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 「(1)のヨーガ」という修行法がある。
 この(1)のヨーガとは、ナーローパの六ヨーガに属するものである。そして、この(1)のヨーガの狙いは、いかにアストラルを(2)するか、そしてそれによって幻影の身体、つまりアストラル・ボディーの身体が、(3)の影響により変化するかというヨーガである。


 わたしたちは日々、身・口・意の行為を行なっている。その中で(4)のうちにまだ(5)にかなわない行動や、あるいは(5)にかなわない言葉や、あるいは(5)にかなわない心の働きが生起すると。
 もちろん、(6)や(5)勝者に至れば、それは完全に(7)する。しかし、至ったとしても、それまでなした自分の言葉の行為や、身の行為や、あるいは心の働きといったものの(8)の清算はしなければならない。
 有名な話はアングリマーラである。彼は(9)をしたのち、彼の(9)するまでの(8)の清算を激しく受けたと。そのときサキャ神賢は、「お前がこれから未来際において受ける(10)を今受けているんだから耐えなさい」という言葉を言ってらっしゃる。まさにこれと同じである。


 そして、このような(11)、このような(11)をする魂は、決してそこに苦しみが生じることがなく、逆にカルマがどんどん(12)されると。
 しかし、わたしたちは、普段からそれと逆の教えを実践していると。それは名誉であるとか、権力であるとか、あるいは地位であるとかいったようなものである。そして、このようなものに引っ掛かると、こういう環境、つまり車から降りてここに来るまでの環境、この環境が大変(13)に感じられると。
 しかし、先程も述べたとおり、よく検討しなければならない。それは、わたしたちが今までなしてきた行為の(12)、言葉の(12)、心の働きの(12)は一体いつやるんだと。


 確かに(14)を積んでいるから、ね、その(15)の部分の増大は行なわれるわけだけど、悪の部分の(16)、ディグリースはどうなるんだという問題がある。そして、これこそがまさに二正勤二正断であると。
 従って、皆さんは考えなければならない。悪い環境の時こそ、自分は(17)できる土台ができたんだと。逆にいい状態の環境の時は自分は徳を擦り減らしているんだと。そのように考えるならば、一切の現象に対して(18)することはない。


 もともと例えば、第三段階の(19)を達成するしないというのは壁一枚である。壁一枚とは何かというと、先程述べたとおり発想の(20)ができるかどうかがポイントになると。
 これはクンダリニー・ヨーガについても同じである。クンダリニー・ヨーガも生き方のポイントを(20)させるかどうかで決まると。
 ラージャ・ヨーガについて言うならば、(21)の方向性を(20)させられるかどうかで決まると。そして、これらの方向性を(20)したとき、あなた方には本当の意味での幸福・(22)・歓喜が備わるのである。


 従って、いかに素晴らしい(23)が存在していたとしても、その(23)を聴かなければ、あるいは(24)しなければ、何の(25)もないのと同じように、あなた方が今自分の持っている最高の真理を、もし記憶修習し(24)しなければ、何の(25)もないんだということを理解していただきたい。