アレフ教学システム 問題D
第10章 8話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 つまり、わたしたちはその物質を使いながら、例えば(1)を行なったり、あるいは奉仕をしたり、とするような、そういう方向によって、(2)のためにその物質を還元することにより、心の喜びを増大させる訓練をすると。それによって、分子が増えれば逆に(3)も増えると。そして、(3)は(3)で訓練することにより、より一層自己の欲求は減少するわけだから、結果的には過分数となると。そしてそれによって、人間を超えた(4)感、人間を超えた充足度を味わうと。


 ところで、その自己の喜びを増大させる大いなるテクニックとして、修行の実践として「(5)」というものが存在しています。この(5)は、まずしっかりとその前に(5)の功徳を理解し、そして(6)によって皆さんの周りの一人一人の人に対して(7)を始めると。


 まず、「(8)」の瞑想から。この(8)の瞑想で入信なさる方は、おそらく皆さんと(9)の深い、最も近い人であると考えるべきである。そしてそれは、それだけではなく、真理との(9)も大変深いということが言える。つまり、「この人、(10)になってほしいな」と思って接すると。その「(10)になってほしいな」「苦悩から(11)されてほしいな」と思った、その皆さんの喜びの波動が相手を導くわけだから、これは最もある意味で楽に動く対象ということが言えます。


 第二番目の「聖(12)、(12)」の瞑想。この聖(12)の瞑想によって入信する人たちは、皆さんとの縁は(13)の人が多い。そして、対象は(14)的であると考えるべきである。そして、この聖(12)の瞑想で入る人は、まさに寂しがり屋の人であると。


 これは絶対的な真理なんだけども、いいですか、(15)心のある人は絶対に(16)しません。(16)したとしても、それをキープするのは大変難しく、その人が(15)心を持たないで生活する場合の百分の一、千分の一、一万分の一ぐらいの人生しか送れないと言うことができます。
 なぜかというとね、(15)イコール対象のいい要素を遮断しようとする心の働き。この対象のいい要素を遮断しようとする心の働きは、結果的には(17)のいい要素も遮断しようとしているわけだよね。
 よって皆さんは、この(15)心がある限り、(18)の本当の良さを見抜くことができないと。しかし、皆さんが(19)の瞑想を実践するならば、対象、対象の良さが本当にわかり、そしてそれを誉め称えることによって本当に素晴らしい友となり、そして導くことができるでしょう。


 どうしようもない対象に対して。(20)もあるように見えないと。(21)的であると。ね、そういうどうしようもない対象に対しては、「(22)」の瞑想によって、「よし、自分自身はこの対象を済度することによって、逆に(23)を落とすぞ」という強い意気込みのある人のみが、この第四番目のどうしようもないタイプを済度することができます。
 つまり、この第四番目の(22)の瞑想は、ひたすら済度すると。そして、当然縁のない人たちにも何度となくアプローチし、相手から非難されようが、あるいはバカにされようが、(24)と真理を説き明かし続けると。
 そして、逆にその相手の非難、あるいはバカにされる、そういうことに対して喜びを見いだすと。「ああ、自分はこれで(23)を落としてもらって、どんどん(25)世界への道を歩いているんだな」と。「自分自身の(25)行は進んでいるんだな」と。そのように考えることができた人のみが、この(22)の瞑想によって済度することができるわけです。