アレフ教学システム 問題D
第9章 10話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 三つの(1)とは何かというと、これは下腹部に存在する、ま、スヴァディスターナの位置より若干(2)に存在する、下庭とか、下の庭とか、下(1)とかいわれる、下の(1)とかいわれてる(3)の中枢、これは先程言った、先天の生命(3)の源の宿る場所である。
 第二番目は、中庭とか、あるいは中(1)とかいわれる、ちょうど(4)・チァクラのところに存在する(3)センターである。
 そして第三(1)は、(2)庭とか、あるいは(2)(1)とかいわれるアージュニァー・チァクラに存在する(3)センターであると。
 大体、これは密教的(5)チァクラと、それから(4)・チァクラ、そして、アージュニァー・チァクラに一致している。
 そして、この下庭は(6)、中庭は報身、そして、(2)庭は法身に対応するという考え方もある。これらは、例えばマニプーラが(6)、(4)が法身、そしてヴィシュッダが報身という、密教的考え方とは若干違っている。なぜ違うのかというと、これは(7)的なものの考え方だからである。


 で、「これが(8)である」とは何であろうかと。つまり、これは、実際にこの外の五感を使い、見、聞き、そして嗅ぎ、味わい、感じると。そして、内側の意識によって、その自分の要素について(9)すると。この状態を(8)という。


 次は、(10)である。この(10)には、(11)する(10)と、厭逆する(10)と、この二つがある。もちろん思索によって分解する(10)もあるわけだが、結局、思索によって(10)する(10)というのは、厭逆というふうに言えないことはない。よって、(11)する(10)、厭逆する(10)の二つのカテゴリーに分類すればよろしい。
 ではこの、(11)する(10)、厭逆する(10)の違いは何かと。
 (11)する(10)は、それ以上の大量の(12)を入れることによって、(12)の総量で打ち勝つ方法である。
 厭逆する(10)は何かというと、対象の認識をしっかりと行ない、それに対してしっかりと分析し、落とす。あるいは、その思念と全く(13)側の(12)を、一対一、あるいは一対二、あるいは一対十といったような形で放り込む。これによって(10)する。


 そして、これによって捨断するとどうなるかというと、次は、神秘力と(14)が生じてくる。つまり(15)が生じたり、あるいは感覚や、形状-容姿や、あるいはイメージや、経験の構成や、識別といったものから離れた状態、この状態が生じるわけである。
 逆の言い方をすれば、神秘力や、つまり(15)や(14)の生じない修行は(16)ということになる。もし、修行を一生懸命行なってる者がそれを生じさせ、そうじゃない修行者がいるとするならば、それは教義、修行法に問題があるのではなく、その修行者が怠けているからである、怠惰だからであるということになる。
 そして、少なくとも、ラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガというタイトルを与えられた者は、これらの神秘的な力、非神秘力から神秘力への道、あるいは繋縛から束縛の(17)へ、そして(14)の道が当然生じなければならない。


 では、そのためには何を行なえばいいのかと。それは(18)であると。(18)は、寂止と(19)であると。
 では寂止とは何かと。これは(20)を静める修行であると。(20)を静める修行、イコール煩悩捨断といって間違いない。では(19)とは何かと。イコール(21)の修行であると。


 ところで、この神秘的な(22)に欠くことのできない要素が一つある。それは何かというと、(23)である。
 (24)の修行の貫徹、これは確かに素晴らしい。しかし、(24)の貫徹、それと同時にもっと素晴らしいことは、その素晴らしい世界を多くの魂に広め、そして多くの魂に真実の世界を知らせることである。それは君たちが、日ごろから(24)の内的体験を充実させる修行のほかに、(23)の瞑想をしっかり行なってるかどうか、ということがポイントとなろう。
 よって、この(24)の達成プラス(25)の心、これを一生懸命培ってほしいものである。いいね。